もうひとり


 最弱は誰だ? 読者諸賢にはもう問うまでもなく、この場では間違いもなく、男である。氷守こおりもりはくである。

 力もない。技術もない。大言壮語を吐く割には他人任せで、こと戦闘に関しては足を引っ張るばかり。たまに活躍したかと思えばその手法はせこくてこすい。人望があるようであまりない。いまとなっては『異本』蒐集という目的意識すら名前のように薄れてきて、ただのおっさんしか残っていない男である。


「なんで、だろうな。……いま、すげえ貶されたような、気がするんだが」


 息も絶え絶えに、男は言った。毒が、体中を蝕むから。


「なぜでしょうね? ハク様。あなた様はご立派でございますわ。たかが『道具』を『家族』とまでお呼びくださり、その『家族』のために、このような死地にまで赴くなど。もしもわたくしが人間であったなら、きっと、恋に落ちるほどに素敵なお方」


 いちおうは褒めているのだろう。そしてその表情は豊かで、本当に自身に見惚れているよう……だと、男をして思った。毒のせいか、視界がブレる。そうでなければ、もしかしたら男もその表情に陥落したかもしれない。それほどに完成した、表情。


「それゆえにもったいない。こんなところでお亡くなりになられるとは。……いかがでしょう? これからでも引き返されるなら、解毒のお手伝いをさせていただきますわ。……もちろん、その二人も」


 ブロンドメイドは、倒れている二人のメイドを指し、言った。にっこりと笑って。悪意――裏表などない、心から・・・の表情のように。


「ってことは、おまえが、解毒剤を、持ってるんだな?」


「…………」


 男の言葉に、ブロンドメイドは首を傾げ、黙った。やがて、少しの沈黙の後、口を開く。


「どう……言えばよいのでしょう? 私は嘘など申しませんが、しかし、ハク様に私の言葉を信じていただくためには」


「いいよ。会話くらい、適当に話せよ」


「では真実のみを。……残念ながら、私は解毒剤を持ち合わせておりませんわ。一般的な――いわゆる『毒使い』は、自身が毒に侵されたときを想定して必ず、解毒剤を持つものですけれど。私にはもとより、私の毒が効きませんので」


「そうか」


「ですが、ご安心ください。当施設にはCODEコード――Capsule of Doctor Executionという、あらゆる人体損傷に治療を及ぼす、万能装置がございます。そちらを用いれば、ノラ様の持つ自己修復機能と同等ほどの再生能力を、人為的に再現することが可能でございますわ」


 そうそう、ちょうど、ここへの道すがら、ご覧になったのではなないでしょうか? と、ブロンドメイドは言った。それに対し、思い至る設備は、あの、緑色の液体が詰まった、培養装置のようなカプセル。

 だったら、あれを使えば毒は治せる。メイドを連れて撤退さえできれば。思い、見る。だが、メイドひとりでも男には、文字通り荷が重い。そのうえ、メイドを慮って倒れているもうひとりの幼いメイドもいるのだ。見捨てて撤退、とするのも、気が引けた。


 ならば。


「倒すしか、ないよな」


 ぼそり、呟く。


「そうでもないと思われますわ?」


 それを聡く拾って、ブロンドメイドは少しだけ、目を細めた。


        *


「ハク……様」


 ブロンドメイドへ立ち向かう男の足首を、メイドが掴んだ。いまだ、地に伏したままに。


「メイ……」


 男は、ブロンドメイドを一瞥、強者の余裕からか、先に仕掛けるつもりのなさそうな立居姿を確認し、腰を降ろした。まだ特段、和解できているわけでもないメイドへ、複雑な気持ちで顔を寄せる。


「大丈夫、だから、寝てろ」


 毒によって冷や汗が止まらない。頭痛も吐き気もとうに限界を超えていたが、それでも気丈に、男は笑う。真っ青な顔で。


「お逃げ、ください。お願い、します。私が……私が、耐えれば、それで――」


「済まねえよ。そもそも、おまえが、耐えてる時点で……」


 言いかけて、男は息を吐いた。そういう問答をしている場合でもない。

 だから、男は、自身の足を掴むメイドの手を解き、最後に一言、何事か・・・を呟いた。


 自身の背で、ブロンドメイドから死角になっている。その影の中で、なにかを準備する。そして、メイドを見て、横に倒れる、少し幼いメイドの方へも視線を送った。

 ボルサリーノを脱ぎ、メイドへ被せる。預かっといてくれ。と、倦怠感から言葉にはできなかったが、伝える。


 立ち上がり、向き合う。変わらずゆったりと直立する、ブロンドメイドに。


「悪いな。待たせた」


 胃の中身が、語尾で逆流しかけた。だから、もう無理だ。そう、男は判断する。


 もちろん他のことも冷静に判断している。自分が、あのブロンドメイドに勝てるはずがないと。もちろんそのために策は弄する。それでも、きっと、ほとんど効果も得られないだろうと。それでいて、もうほとんど動けない。せいぜいが次の一動で、自分は倒れる。ほとんどなにも為し得ないまま、自分はこの戦闘から脱落する。それでも。

 それでも、やらねばならない。いまの自分にできる、最善を。


「いいえ。……覚悟の決まった眼差しです。もう私も、多くは語りません。どうぞご存分に、抗いくださいませ」


 ブロンドメイドはスカートの端を持ち上げ、洗練された一礼を。それでも、睨み上げた瞳の奥に、見間違いようのない敵意を、ようやく宿した。


 だから、男は即決、最後の力を振り絞り、駆けだす。


 ――――――――


 ――おまえ、なにがしてえんだよ――


 誰かに問われた気がして、メイドは、失われつつあった意識を覚醒させる。瞼をわずかに、それだけで大仕事そうに持ち上げて、見渡すも、なにもない。


「うっ……」


 頭が、割れるように痛い。胸が閊えて、いまにも胃の中のものを、あるいは大量の血液でも吐き出しそうになる。


 ――ざまあねえな。これがてめえへのツケだ。これまでやってきたすべての行いへの、罰だな――


「…………」


 どうして? と、メイドは思う。誰も望んでこうなったわけじゃない。どれも自分の意思で行ったことじゃない。……好きで生まれてきたわけじゃ、ないのに。

 そう言いたかった。それでも、言葉は出ない。もはや意識は混濁している。死が近いかのように。意識が、天に昇りかけている、のだと、なんとなく思った。


 ――はっ! 望んじゃいねえ! 思っちゃいねえ! 願っちゃいねえ! それこそがてめえの罪だろうが! 好きでこんな世界に生まれてきたやつなんかいねえんだよ! それでも生まれりゃ、責任が生じる。理不尽だよなあ? でも、てめえはそれを知っていたはずだ。なのになにもしなかった。てめえの運命をてめえで決めつけて、持つべき責任を他人に転嫁して、被害者ぶって正当化してたんだろ? そうやってズルし続けた、その結果がこれだ! 甘んじて受け入れて、……死ねよ――


 言葉にできなかった心を拾われて、その声はメイドへ突き付けた。そんなことはとうに解っていたはずの、メイドの弱さを。


「わた、くしが――」


 ――死ぬだけならまだいい。でも、他の者は関係ない? ……あっはっは! 本当に馬鹿だなてめえ! 関係ってのはな、おまえひとりの意思で築けるもんでも、壊せるもんでもねえんだよ! そんなガキでも知ってる理屈から目を逸らして、甘っちょろい反抗で絆を断ち切れるつもりになりやがって! てめえが最初からあいつらを半殺しにしてりゃ、こんなところまで死にに来ることもなかったんだぜ?――


「だ、ったら。せめて、死ぬの、は、わた、くし、だけに」


 ――ほんと、おめでたいやつだな、てめえ。なに? もしかして俺様が神様にでも見えてんのか? 非を認めて、首を垂れて、命を差し出せば、なんでも思い通りになるとでも思ってんのか? どんなメルヘン脳だよ。……いいか? 人間は、死ぬんだよ。おまえがどう思おうが、どうあがこうが、どう願おうが。なにを犠牲にして、なにを差し出そうが。死ぬべき運命におかれちまったら、もう死ぬしかねえんだよ!――


 知っていたはずの現状を、生と死の狭間で理解して、メイドは、唇を噛んだ。すべてに耐えるように。すべてへ贖罪するかのように。噛み切り、血を流し、自分のしてきた行いを、後悔して。

 ぐしゃぐしゃに、顔を歪めて。止められない鼻水をすすって。止まらない涙を、流して。


「……やだ」


 子どものようにまっすぐに、心の濾過を通さない、純粋な言葉を吐き捨てる。


「やだやだやだやだ、やだやだやだやだ! なんでもするから。なんでもあげるから。ぜんぶあやまるから。助けて……助けてよ……」


 ――…………――


「もうわるいことしません。ぜんぶ正直に話しますから。誰にも好かれなくていい。幸せになれなくっていい。このあと、どんな辛くて、痛くて、苦しいことになってもいいから。わたくし以外のみんな……『家族』だけでいいから、助けて……助けてよ……」


 ――…………――


「おねがいします。ここ・・にあるもの、みんなあげますから。この、心も、体も、あなた・・・に明け渡しますから。わたくしは死んで――消えてなくなって、かまいませんから。たすけて……わたくしの中の、もうひとりの・・・・・・わたくし・・・・


 ――……ほんと、遅すぎんだよ――


 彼女・・は、答えた。


 ――言っておくが、俺様が出たところで、さして改善はしねえよ? それに、相手はあのダフネだ。ガキのころからいったい、何回半殺しにされたか解らねえ。……俺様ひとりじゃ無理だ。だから――


 聞こえない声は、そこで途切れた。


 ――――――――


 意識するまでもなく、体は立ち上がっていた。もうとっくに動けないはずの体が。

 そして、最初に意識したのが、赤。赤、赤、赤。その、やけに大きく見える背中。その茶色のコートに、じんわりと広がる――広がり、滴る、赤。


「ようやく諦めたのね、アルゴ」


 ブロンドメイドが言った。その赤を作り上げた張本人。彼女は男を優しく床に横たえさせ、丁寧に自身の腕や、体中についた血液を、拭う。もちろん、すべてを完璧に拭いきることはできないようだったが。


「ハク様ああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁ――――!!」


 叫びに、ブロンドメイドは一瞬、驚いたように目を見開いた。


「アルゴ? あなた……」


 ブロンドメイドは予想外の事態に直面し、言葉を飲み込んだ。これは、想定を超えている。


「ぶっっっ殺す――!!」


 全身を赤く滾らせ、総毛立つ。そして、頭部に長大な角を生やして、メイドは、怒りの表情で、兎のように跳んだ。



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