40th Memory Vol.39(地下世界/シャンバラ/??/????)


 ぱちぱちぱちぱちぱちぱちぱちぱち。


 不要な音などなにもない、その静寂の地下世界に、ささやかな称賛の音色が響き渡った。だから、深々と沈めていた頭を上げ、男はその音の方へ目をやる。


「見事なものだわ、魔法使いのお嬢さん。このあたくしが称賛してあげる」


 打ち鳴らす手を止め、腰に手を当て、やや体を後ろに反らし、その令嬢は見下すように目を細めた。隣にはかしずく一人の若い執事。彼は、これでもかというほどにうやうやしく、令嬢のかたわらに待機していた。


 この世界にいる、というだけで普通じゃない。そしてその場の誰もが、いまにも誰何すいかに声を上げそうな表情をしている。だが、どう対応すべきかも定まらない。あの不遜な態度、よほど腕に自信があるのだろう。隣に控える執事も、若いながら毅然とした態度で、相当な使い手であろうことが予想される。とりあえず下手に刺激しない方がいい。わざわざ拍手とともに姿を現したのだから、なんらかの用件がありそうだし。


「なにあの偉そうなやつ。誰かの知り合いなのかな?」


 戦慄が走った。そういえばいたな、学者。


 男は脳内ダダ漏れの爆弾人間に詰め寄り、言葉にもならない声を上げた。


「てめえ少し黙ってろ」


 そして小声で早口に制止する。


(え? 僕なにか言いました?)


 なにも言わなかったが、学者は、首を傾げ訝しげに顔を歪めている。殴った方が早いのだろうか? 男は真剣に考え始めた。


「あたくしとしたことが、名乗りもせずに失礼致しましたわ」


 その表情はにこやかに笑んでいるが、よく見ると眉尻が痙攣していた。そして、隣の執事が片膝をついたまま、学者の方をものすごい形相で睨んでいる。


「あたくしは、ミルフィリオ・リィン・ニンファ・ガーネット。偉大なるガーネット家の末裔にして、正統後継者」


 以後、お見知りおきを。言って、令嬢はドレスのスカートを持ち上げ、軽くお辞儀をする。だが、どれだけ礼儀を尽くしても、その不遜さは隠せない。垂れた前髪のスリットの奥では、眼光を尖らせ、いまにも射すくめんと、男たちを睨み続けていた。


        *


 どこか底知れぬ圧を持つ令嬢を前に、男は戦慄していた。所作の数々はなるほど、良家で育ったらしい気品がある。しかし、その奥には、ただ庶民を見下すというだけではなく、単純な力強さだけをとっても圧倒的な、強者としての風格を感じるのだ。


 そんな男に、身長差の問題で斜め下方向から、そろっと近付く影。そしてそれは、見慣れぬ格好と表情を携えていた。


「ハク……ハクぅ?」


 緊張感から抜け出す。その声に、ようやく意識が追い付く。


 塗装の剥がれた、いまでは地味という方が正確な顔をした、それは、ギャルだった。彼女はその、生まれ変わったたまご肌の頬を緩ませ、生まれたてのように、にっこり笑う。


「あのね。あたしが時間を稼ぐから、一刻も早く『シャンバラ・ダルマ』を蒐集して、この世界から逃げて」


 笑顔は一瞬だった。ギャルはそう言い、真剣な顔で男を見て――そして、不意打ちに唇を合わせた。


「これは、魔法だから。虹の加護が、きっとあなたを守ってくれる」


 それは、セリフだった。『きらん☆ 魔法少女 マジカル・レインボー☆』の、三年目、23話で、主人公のマジカル・レインボー、彩虹あやにじ小花おばなが言った言葉。そのとき小花がキスしたのは、相手の頬にであったが――それはともかく。


 そのときのマジカル・レインボーも、圧倒的な強敵に立ち向かい、仲間を守るために立ち塞がった。そんなアニメのシーンなど、男は知らない。だがそれでも、その行動が、言葉が、本当に文字通り、命がけのものだということくらい、解った。


「じゅーでんかんりょぉ☆ ……さ、早く行ってよ、ハク」


 有無をも言わせぬ声質で、背を向けて、ギャルは言った。今度は、彼女自身の言葉で、言って、一歩を踏み出す。


「情熱の赤。『フレア・フリル』。〝苛戒熔尽かかいようじん〟」


 スカートのフリルが深紅に輝き、そこから勢いよく広がる、熱と炎。無差別に浸食するその力に、男は――男たちは、ギャルから遠く、距離を取った。


        *


 礼儀を知らぬ凄絶さで、令嬢は笑い、その諸手に『異本』を構えた。


「話が早いのも、力で屈服させるのも、実にあたくし好みよ。……あなた、いいわね。魔法使いさん?」


 迫る熱炎に怯みもせず、余裕綽々しゃくしゃくに、令嬢は片方の『異本』を掲げる。


「堰き止めなさい。『浄流じょうりゅう』」


 その声に、水色の『異本』は輝きで返答し、空間に、渦を作るような歪みをもたらす。『異本』の前面に現れたその『渦』は、緩く回転し、やがて空間に融けるように消えた。

 だが、次の瞬間。その『渦』は天上天下、東西南北、あらゆる空間に数十も現れ、その内から、大量の水を、相当の圧で、この世界に流し込む。


「可愛くないにゃあ。……あたしみたいなのは、『魔法少女』って、そう呼ぶんだよ」


 言葉は崩れていても、余裕などない。蒸発の煙に視界は悪いが、それでも、炎が水に消えていくのが解る。熱せられたあの水流は、もう数刻の後に自分を襲うだろう。

 だから、次を。そしてまた次を。息の続く限り繰り出せ。ギャルは目を見開き、そう、全霊を込める。


「活発の黄。『フラッシュ・ネイル』。〝雷走らいそう〟」


 指先が光り、前傾して、身を屈める。ぱちん。と、地につく指先が音を鳴らすと、瞬間で、ギャルの姿は消えた。


 四方八方から迫る激流を飛び越え・・・・、瞬間で令嬢の背後、その、頭上へ。


「悪いけど、一瞬で、終わらせるよぉ――!」


 だが、目が合った。人間の視覚処理能力では追い付けないほどの、まさしく魔法による高速移動。それにも反応し、令嬢は、ギャルを捉えている。


 ギャルは空中だ。四方八方から迫る水を躱すには飛ぶしかなかった。だから、回避など無理だ。もう敵の反撃をかいくぐり、一撃で倒すしかない。


 雷撃を纏った両手の爪で、令嬢を上部から払いつける。


「跳ね除けなさい。『千落せんらく』」


 その声に呼応するは、もう片方の『異本』。土色の輝きに、周囲にある・・・・・石片・・は持ち上がり、次の一瞬には高速で、一点を目指して凝縮する。


「お借りしますわ」


 その言葉の意味を理解する。そうだ。この世界にはもとより、石などない。いまギャルに向かっている石はすべて、彼女自身がさきほどの・・・・・戦闘で・・・生み出した・・・・・もの・・――!


「沈着の青。『アクア・リボン』。〝逆巻外連さかまきけれん〟」


 数秒後のことを、ギャルは予測していた。攻撃こそ最大の防御。そう言わんが如きマジカル・レインボーの魔法。その中で唯一の防御魔法。頭に輝くリボンを解き、くるくる回して水流を起こす。それで自身を覆って、壁を作った。


 だが、そんな程度の守りでは、防ぎきれない。それほどに、飛んでくる岩石は勢いを乗せ、向かってきていたのだ。


「きゃあぁ!!」


 だから、正常に声を上げ、吹き飛ぶ。魔法とは違う赤に、純白のドレスが滲み、意識も絶え絶えに、地面に伏した。


「さて、おいた・・・はここまでかしら? 魔法少女・・・・ちゃん?」


 二冊の『異本』を束ねてかざし、正当にギャルを見下ろして、令嬢は冷たく、そう言った。


        *


 二つの『異本』は輝きを混ぜ合わせ、一体となって力を向ける。もはや倒れてたいして動けもしない、ギャルの方へ。


 躱せもしない。いや、ここを一時逃げ延びたとして、走る体力もない。どうせすぐに追いつかれる。そう確信し、それでもギャルは、笑った。


 思ったよりも短かったが、それでも、男たちの逃げる時間くらいは稼げただろう。そう思い、彼らが逃げたであろう方を、向く――!!


「なっ――!!」


 声を挙げる寸前で、その、幻覚であってほしい光景は、現実的な声音と、大きな背中を伴って、ギャルの前に立ち塞がった。まるで、ヒロインのピンチに駆けつける、主人公のように。


「そこまでだ。……これ以上、俺の友人に、手を出すな」


 ぼろぼろの茶色いコートをはためかせ、刃渡り十センチ未満のナイフを令嬢へ向ける、男。逆の手ではボルサリーノを大切そうに押さえて、しっかと相手を見据える。


「素敵なセリフね。……だけど、それは淑女に向けるものじゃないわ」


 そう言って、男の背後に目配せると、そこにいた執事が、ナイフを構える手を掴んだ。握り潰すように、握力を込める。


「お嬢様から、離れていただきましょう」


 言葉は丁寧だが、怒気を孕み、男の手を掴み上げる。男もそれに対抗するが、まったく敵わない。あまりにも力の差がありすぎるようだ。そのまま無理矢理、令嬢から引き離される。


「そっちは任せたわ、ナイト」


「かしこまりました。お嬢様」


 視線のみで意思疎通ができる、長年連れ添った夫婦のように、令嬢と執事は目配せて、互いに互いのすべきことに注力する。令嬢はギャルへ視線を戻し、執事は、それ以外の・・・・・邪魔者・・・を、主人に近付けさせまいと。


「馬鹿が……先走りすぎなんですよ!」


 優男が、執事の背後、ゼロ距離で、人差し指を頭部へ突き付けた。


「……なるほど」


 執事は瞬時に理解する。おそらく直線状に伸びるタイプの攻撃だ。銃撃や、なんらかの投擲? ともあれ、問題は、その直線上に、お嬢様がいる、ということ。これは躱すわけにはいかない。受け止めなければ。


 執事は思い、咄嗟に判断する。


「瞬間解放」


「ばん」


 執事の語尾に重なるように、優男は銃声を呟く。その指先から放たれる、ガスバーナーのような炎は、しかし、執事の頭部にぶつかりながらも、受け止められ、周囲に発散していった。


 見るからに、ダメージなどない。そのうえ、二重に狙った令嬢へも、炎はまったく届かなかった。狙いを外して、それでも優男は、裂けるほどに口角を上げ、笑みを零す。


「さっすが、コオリモリさん」


 受け止められてもなお、炎の出力を上げながら、優男は言う。振り向いた執事と目を合わせながら。執事の困惑した表情を、嘲笑いながら。


「くっ……お嬢様!」


 炎を受け止めなければならない。だから執事は声だけを上げる。


 いったい・・・・いつだ・・・? 執事自身気が付かなかった、わずかな気と、力の緩み。それを見逃さず、掴んでいた手を振り払い、男はまたも、ギャルの方へ駆け出していた。


「解ってんな? ゼノ!」


 ロープを投げつけ、男は言った。その先端を腕に巻きつけながら。


「はいはい、解ってますよ。コオリモリさん」


 足元に叩きつけられたロープの先端を見て、その意図を汲み取り、優男は答えた。


 一時距離を取る。そのための緊急回避ができるのは、確かにこの場では自分だけだ。それを理解し、優男は足に力を込める。


白鬼夜行びゃっきやこう 大蝦蟇之書おおがまのしょ』。その性能の一つ、跳躍力強化による、一時離脱。そのままロープをも引き上げ、男をもともに。そして男がギャルの手でも掴めれば、ギャルも一緒に、離脱ができる。


 そう思って、優男はまたもにやりと、執事を見た。だが――。


「――!! だめ! 逃げて、ハク!!」


 寸前まで手が伸びている。ギャルが手を伸ばせば、それはもう、掴める位置に。


 だが、それはそこまで。


「がっ……はぁ……!?」


 全身が震え、血が滴る。


 撃ち抜かれた? なにが? いったいどこから?


 そんなことを思い、男は、胸に開いた大穴から溢れる飛沫を、まるで他人事のように見つめて。


 そして、やがて、気を失った。



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