40th Memory Vol.3(エジプト/アスワン/9/2020)


 2020年、九月二十二日、火曜日。秋分。エジプト、アスワン。アブ・シンベル神殿。

 古代エジプトの建設王、ラムセス二世により建設された大神殿と小神殿。大神殿は神々を祀るものだが、入口には四体もの巨大なラムセス二世の像が、青年期から老年期まで、年代順に並んでおり、王自身の権威をも誇示している。小神殿はラムセス二世の妻、エジプト三大美女の一人、ネフェルタリのために建設されたらしい。それは、自身に向けたものにしろ、妻へ向けたものにしろ、愛を誇示するために建設したものだともいえるだろう。


 そばにはアスワン・ハイ・ダムの建設により生まれた人造湖、ナセル湖がある。これは、人造湖としては世界三位にもなる巨大な湖で、全長500キロメートル、琵琶湖の八倍もの大きさだ。


 さて、今回、氷守こおりもりはくが率いるパーティーの目的は、このアブ・シンベル神殿の大神殿の方だ。この大神殿、実は年に二回、ラムセス二世の誕生日と即位の日である、十月二十二日と二月二十二日に、朝日が神殿の奥にまで光を注ぐ『光の奇跡』を起こす。春分、秋分とはやや時期がずれるが、『光の奇跡』には及ばずとも、春分、秋分の前後ひと月ほどなら、ある程度、光は届く。つまり、それはそれで特別な時期なのだ。


 だから、この時期を選定した。『鍵本』の発動には特別な力が必要だ。それは、人知では到底到達しない、宇宙規模の特異的配置。今回はそれを用いる。


        *


 この日のエジプト、アスワンの日の出の時間は午前五時三十七分。アブ・シンベル神殿を望める宿にて泊まった翌日、午前四時過ぎに起床し、五時には現地に到着した。が、『光の奇跡』が起きる当日とまではいかないが、それなりの列ができている。みな、朝日が神殿に注ぐのを拝みたいらしい。


「俺たちはべつに、そんなもん見てえわけでもねえけどな」


 男は眠いのか、普段よりやや細くした目で行列を眺め、言った。


「可愛いわたしは見たいけれどね、普通に。ねえ、シュウ?」


 少女はやや興奮した様子で、幼年に同意を求める。問われた幼年はまさしく眠そうに「ああ、そうだな」と言った。疲れが残っているのだろう。そっけない返事ではあったが、少女は満足したようだ。というより、どうでもよかったのかもしれない。そんなことよりこれから起きる古代の神秘に心躍らせている様子である。


「すぴー。むにゃむにゃ……」


 そして、幼女は眠っていた。男の背中で。こちらも前日の疲れが残っているのだろう。というのもこの幼女、初日に遊べなかった分を取り戻すように、あの活発な少女より元気いっぱい、走り回っていたのだ。ちなみに、そのせいで幼年の疲れがたいそう蓄積したのも言うまでもない。


 そんな子どもたちの様子を見て、男は静かに、幼年に感謝した。この疲れよう、普段以上にはしゃいだに違いない。こんな大切なときに疲労を蓄積したまま臨むなど、愚かしいことこの上ない。……まあ、子どもらが疲れているのも、もう少し自覚を持てと言いたいところだったが。


「時間は午前七時だ。……まだ時間がある。おまえらもいまのうちに休んどけ。……そのときになって使えねえようじゃ困るぜ」


 言って、男はそばの岩に腰を預けた。幼女を背負っている都合上、本当に軽くであったが、無理に幼女を降ろそうとはしないらしい。彼女自身を休ませておきたいという配慮だろう。


 それに倣い、幼年も腰を落ち着けた。いまにも寝落ちしそうに首を揺らす。


 しかし、少女は本日も元気いっぱい、立ったまま神殿を見つめている。その深緑の瞳には、あの古代遺跡がどんなふうに映っているのだろう?


        *


 列にも並ばず少し離れて、彼らは待った。午前七時を。


「ところでどうして午前七時なの?」


 不意に少女が男へ問う。


「べつに深い意味はねえよ。朝日が神殿を照らしているタイミングで、適当にきりのいい時間だ」


 男は腕時計を確認しつつ言った。午前、六時半。


「……そういえば気になってたんですけど、時差はどうするんですか?」


 幼年があくびを漏らしながら言った。


 今回の目的地は三か所だ。それぞれ、遠く離れており、もちろん時差がある。つまり、エジプトが午前七時でも、他のパーティーが向かっている先は、もっと別の時間なのだ。


 時間を午前七時と指定したのは、その、遠く離れた仲間とタイミングを合わせるため。……しかし、現地時間がずれているなら、基準とすべきは絶対時間か、それとも現地時間なのか?


「ああ、『鍵本』の発動は、それぞれ現地時間で行う。エジプトと日本じゃ七時間差、チチェン・イッツァだとさらに十四時間差。サマータイムやら、正確なことを言えば細かな時差もあるが、ある程度の時間的同一性でうまくいくだろ……たぶん」


 最後の言葉を言いながら男は頬を掻いた。どうにもぶっつけ本番の試行であるらしい。まあ、そもそも『試練』を全パーティーがクリアできるとも限らない。いくら人数分の・・・・挑戦権・・・がある・・・とはいえ。


 そう。一冊の『鍵本』で地下世界に行けるのは一人。だが、『試練』自体に挑戦できるのは、『鍵本』発動時に連れ添ったメンバー全員だ。過去にもそうして、『鍵本』の『試練』をクリアした例があるという。ゆえに、可能な限りの大人数で挑む、というのは、攻略法としては正しかったわけだ。


「おまえらにも期待してんだからな、……頼むぞ」


 男が言い、腰を上げる。


 時間だ。


        *


 走る。


 あえて時間ぎりぎりまでそばに寄らずに待った。


 列はほとんどはけている。だが、人々はまだ群がり、テロの警戒として、武装した警備員もいる。それでも、時間ぎりぎりに走り込む。列に並んでいては都合よく午前七時に神殿内にいられるか解らないからだ。


「神殿内部に入った瞬間に『鍵本』を発動する。あまり俺から離れるなよ」


 走りながら、男はみなに伝える。最終確認だ。


 神殿の入口が近い。いまは特別、混んでいるというわけでもなさそうだ。変に警備員を刺激することもないだろう。


 あと少し、……あと、数十メートル。

 男は確認する。周囲に、なにか不審な事物はないか? ここまで来て、なにかトラブルはごめんだ。細心の注意を払う。


 あと、数メートル。もう、問題はないだろう。『鍵本』を発動すれば、ある意味、時間が・・・止まる・・・。正確には別空間に飛び、『試練』が終わった時点で、同じ時間、同じ座標に戻される。だから、おそらく数時間はかかるであろう『試練』が終わっても、その時間は止まった時の中で行われたかのように、現実世界では一瞬の出来事となる。


 もしも『鍵本』発動直前に問題があれば、『試練』をこなしながら、その問題への対処も考えなければならない。逆に言うと、それを考える時間がある。だから、多少の無茶もできる。


 そう思っていた。


「……!! 『鍵本』、発動!」


 目端に異端を捉えて、驚愕する。それでも、もう進むしかなかった。


 異空間に送られ、『試練』が始まる。だが、それどころじゃない。


「……カイラギ・オールドレーン。……フウ老龍ラオロン


 名を呟く。汗を拭う。


 なんであんなやつら・・・・・・が、都合よくこの場所へ? ……なにかが、仕組まれている?


「よんじゅうしち、よんじゅうはち……」


 そんな男の焦燥をよそに、その空間にはつたないカウントが響いていた。


「よんじゅうきゅう、ご、……じゅう! ふう! 今日のノルマも、クリアしたぞい!」


 艶やかな黒肌。足首にまで届きそうな長い長い、それでいて流麗な黒髪。黄金と薄布の装飾品。弾ける汗。


 その女流は清々しく汗を拭い、溌剌と一度、飛んだ。


 空間は薄暗い石窟。イメージとしてはピラミッドの内部、のようだ。キャンドルで照らされた質素な空間。だが、薄暗がりに目が慣れてくると、解る。土色の空間は、鈍った黄金。四方八方が、どこか煤けているが、すべて黄金造りだ。


 その奥。唯一機能的な置物、玉座に、その女流は腰かけた。


「んん……。今日もよく、働いたのう」


 ふう。と、息を吐き、落ち着く。で、視線を下げ、それは、男と合った。


「お、おおおお、おお?」


 お。の、重なりに連れて、女流の首は傾く。


「挑戦者、のう」


 首の傾げが限界に達してからは、体ごと傾け、なんとも器用に、玉座の上でその女流は、寝そべった。


「筋トレよりかはマシか、のう?」


 少し口元を歪め、言う。


「よく来た。もう、何十年経ったのか。……人類も成長したか、見定めさせてもらうぞ」


 では、余を愉しませてみせよ。


 女流が言った。崩れまくれた姿勢では、威圧感はなかった。



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