6th Treasure Vol.4(日本/新潟/8/2020)


 実のところメイドには、『異本』についての知識がほとんどない。


『異本』とは。世界に散らばる776冊の特別な本のこと。それらはそれ自体が特別な効力を発揮し、または、持つ者に特別な力を授ける。


『異本』となるための条件は、


1. 世界に特別な性質を付与すること

2. 世界中でそれ一冊しか存在しないこと

3. 『異本鑑定士』が『異本』と認定すること


 の三つが基本的には必要だ。だが、3の条件は後付的な意味合いしかない。『異本鑑定士』が認定するから『異本』となるのではなく、『異本鑑定士』が認定して初めて、『異本』の存在が世界に知られることになる、だけなのだ。


 つまり、現在『異本鑑定士』に認定されている『異本』の数が776冊であり、これがメイドの主人が集めるべき冊数。だが、潜在的には世界には、もっと多数の『異本』が存在している。


 また、世界的に認定されていると言っても、そのすべてが一般的に検索できるわけではない。一部の『異本』は、その性能の強大さゆえに、公表できないものも存在する。正確には、WBOの公式発表の言によると、「歴史的、文化的観点から、世界の根幹を揺るがす未確定な情報を含むため、慎重に時期を見極め、各国の有識者たちとの会談の上、公表する」らしい。しかし、多くの研究者たちの意見は、「WBOは『異本』の性能を手中に収め、私利私欲のために利用しようとする思惑のもと、公表を渋っている」という方向に傾いている。


 ともあれ、そういう理由で公表されていない『異本』は多数あり(全体の半数以上である400冊)、それに関してはまったく情報が発信されていない。


 と、そういう意味だ。メイドはそういう意味では、『異本』についての知識がないと言っていい。


 そして、いま目の前で展開されるものについても、メイドの知識の外側だった。


        *


「先鋒先鋒。ハルカが攻め込むのだわ。カナタはいつも通りに」


 正面の女児が言うと、その手に握られた肌色の『異本』から、わずかながら光が漏れる。その光は、『適応者』の証。


「中堅中堅。カナタは準備に入ります。ハルカはいつも通りに」


 後方の女児は言うと、姿をそのあたりの草陰に隠した。そして発色する黄色の『異本』を地面に置き、心マのように両手をかぶせた。


 メイドは伸縮性の警棒を伸ばし、構えた。


 どうやらもう一人いる・・・・・・・・・・。つまり三対一。三人目の姿は見えず、気配も消しているようだが、ことここに至れば、おそらく、最後の一人も『適応者』だ。


 だが、問題ない。


「お子様のお相手は、メイドと相場が決まっております」


 一瞥、空を見上げる。もう夜更けだ。日付が変わってしまったほどの時間帯。


「もうおねむの時間でございます、お子様方」


 言って、メイドは正面の女児に向かって警棒を掲げる。


        *


 しっとりと湿ってきた。雨、ではない。霧、というにも薄い。だが、肌が湿る感覚。


 メイドはそれを少しばかり気にした、が、戦闘中に多大な意識を向けるほどではない。


 意識を向けるべきは三点。


 一点目。正面。左手には肌色の『異本』。そして徐々に形質を変えていく右半身。身体強化系。メイドは確信する。特別大きな変化を遂げているのが右手、指先。その腕一本が鋭利な刃物のように、細く、薄く、尖っていく。


 二点目。背後。前方から視線を逸らせないから、うまく窺い知れないが、変わらず地面に黄色の『異本』を置き、手をかぶせている。効能はまだ不明だが、発動まで時間がかかるのか、はたまたカウンター系か。


 三点目。周囲。どことも知れないが、どこかにもう一人潜んでいる。気配は消えている。おそらく身じろぎすらせず、呼吸も最小限に。正統派で教科書通りの潜み方だ。『異本』を持つかどうかさえ定かではないが、持っていると思って行動した方がいいだろう。どちらにしても、潜んでいるというのなら、接近戦に弱いと予想できる。


 ならば。まず攻めるべきは後方――!?


「カナタに手を出すな」


 頬を伝う、体液。視覚の左を貫く、細長い、変容した女児の腕。


 瞬きすらしていない。それなのに、それは違和感程度でしか認識できなかった。

 瞬間で前方の女児が、目の前に……?


「くっ……!」


 警棒で打ち付ける。かあぁぁん! と、小気味よい音が響く。自身の視覚を信じるなら、その打ちどころは急所だった。だが、警棒を握る手の感触は、岩を叩いたかのようだ。


「あ……」


 だが、かかる重みは年頃の女児と同様の軽さ、吹き飛ばすほどではないが、弾き、数歩後退させることはできた。


 後方は、いったん置いておく。微塵も意識を逸らさぬよう、注視する。


 もう身体強化は完了したのか、その変質は止まっていた。見た目には右半身――主に右腕の強化。細く長く、鋭く尖らせ、一本の槍のような形状へと変化させている。考えるまでもなく、それで攻撃するつもりなのだろう。


 だが、顕著に変化が見て取れる右半身だけじゃない。メイドはさきほど、女児の左半身を打った。その感触から察するに、おそらく全身を硬質化させて防御している。


「皮膚の強化ですね」


 メイドは言った。形質を変えたのに、見た目には変化がない。十中八九、間違いないだろう。


 ただ問題は、あの高速移動。いや、瞬間移動・・・・だ。あれだけは皮膚強化では説明がつかない。


「正解正解。気付いちゃった? そう、『一角獣ユニコーンの被験者』は、皮膚を変化・硬質化させる『異本』。だけど、それだけじゃないのだわ」


 言って、女児は振りかぶる。

 がきいぃぃん! それは荒々しく、メイドに振り下ろされた。


        *


((単調だ))


 メイドと、そして隠れているもう一人・・・・・・・・・は、同じことを思った。


(なんか、改めてみると単調なんだな、ハルカって。……まあ、そりゃそうか)


 特別な訓練を受けたわけじゃない。たしかに、『異本』を持っている関係上、それを使ってケンカ以上に危険なケンカをすることはある。そんなとき、三人の中で一番強いのがハルカだ。それは、『異本』の特性も含めてではあるが、やはり戦闘のセンスがあるのかもしれないと思っていた。だが、そうではなかった。


 そう、幼年は確認した。


(逆に言うと、『異本』も使わず十二分に渡り合うあのメイドは戦闘慣れしている。少なくとも俺たちよりかは、はるかに)


 幼年は分析する。特攻系のハルカ。補助系のカナタ。その二人が、現場で戦う。


 そして幼年の役割は、後方支援。遠隔からの支援と、情報伝達。


(カナタの準備ができるまで、ハルカがもつかが勝負だな)


 幼年は左手に力を込めて、耐え忍ぶ。


 銀色の装丁。その『異本』を、握り締めた。


        *


 いちいち警棒で受けるのが馬鹿らしくなった。メイドは思案しながら女児の攻撃を躱す。


「大変大変! あーたーらーなーいー!!」


 空を切るだけの刃。受けてくれた方がまだましだ。無駄な大振りは、体力を使う。だが、そこは若さの特権だ。何十振りと空を切っても、まだ喚くだけの余裕がある。


 かあぁぁん! 何度も繰り返した音を聞く。みぞおちやすねなど、いくつか生命に支障のない急所を打ってみても、まるで痛がる様子がない。さすがに女児の顔を傷付けるのは躊躇われた。いくら攻撃されていると言っても、相手は女の子なのだ。それに、きっと彼女たちには、悪意がない。


 さて、どうなだめましょうか。メイドは思案する。言葉で説得するのも手だが、それが失敗した場合、無駄にした時間は、後方の女児や、隠れたもう一人の利するところとなる。さすがに三人の『適応者』を相手にしたなら、ただでは済まない・・・・・・・・


 もうほとんど見る必要もない女児の攻撃から、一瞬、視線を上げた。田舎の夜空だ。星が多い。……もう、いったい何時なのだろう?


「やれやれ、仕方ありませんね」


 メイドは観念して、取り出した。時間がない。


「ハク様、申し訳ありません」


 使わせていただきます。心で呟く。


 閉じられたダークパープルの装丁。『ジャムラ呪術書』。


        *


 最初からこうすればよかった。それは後になって思ったことだ。


「なにこれなにこれ? 動けないのだわ」


「腐敗を操る。つまりは、微生物を操るということでございます、ハルカ様」


 メイドはスカートの裾をわずかに持ち上げ、一礼した。


「土の主成分は二酸化ケイ素です。しかしこれは無機物であるため、分解できません。ただし、土壌中に含まれる他の有機物は微生物の働きにより分解することが可能です。それにより、土中に空洞を形成。簡易的な落とし穴ですね」


 メイドの言の通り、土中に埋まった女児。一般にイメージされる、穴が掘ってあるだけの落とし穴なら、深く掘らない限り脱出は容易だ。だが、腐敗――つまり微生物の分解作用を用いて作った簡易落とし穴は、土中に数多の空洞を作り、その場所を崩れやすくしただけ。その地に立つ者を、その自重で、土とともに・・・・・落下させる。結果、穴に落ちるというより、土に埋もれる形となる。


「申し訳ありませんが、他のお二人のしつけが終わるまでお待ちください。さて――」


 振り向いたメイドは、その視覚情報を疑った。


「ハルカになにするの」


 埋めたはずの女児……ではない。その片割れだ。だが、さきほどまでとは様子が違う。


 立ち上がっている・・・・・・・・。地面に座り込み、『異本』に手をかぶせていた姿は、もう立ち上がっていた。


 いや、そんなことはどうでもいい。問題は、女児の腕。


「『不死鳥フェニックスの卵』は、この子を孵化させる」


 右手に黄色の『異本』。そして、左手は、地面と平行に伸ばされている。

 その腕に止まっているのは、この世のものとは思えない、燃えながらに羽ばたく鳥――


「行くよ、ヤキトリ」


 フェニッ――ヤキトリ?



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