6th Treasure Vol.5(日本/新潟/8/2020)
やっと孵化したか。と、幼年はとりあえず、一息ついた。だが、気は抜けない。
(あのメイドも『異本』を扱えるのか。最初から使わなかったのは驕りか、それとも、なにかしらの縛りがあるのか)
幼年は考える。だが、深追いはしない。
どちらにしろ、最悪の事態を想定して戦略は練るべきだ。ならば、少なくともこの先、『異本』は使い続けることができるのだと思っていた方がいい。
(問題はハルカだな。あの様子じゃ自力での脱出はできないだろうし。俺やカナタの能力じゃ、そう簡単に掘り起こせない)
せめてリミッターを外せれば……。思うが、それは『オヤジ』から規制されている。三人で一回、一つ目まで。それをハルカ救出のために使うのか否か。少なくともメイドには、自分たちに大きな危害を加える様子はないようだし、急いで助ける必要はないかもしれない。
(リミッターという点では、決めとかなきゃいけないな)
だが、気乗りしない。結果の見えている討論など、気乗りするはずがない。
*
『キャアァァス!』
甲高い声でフェニッ――ヤキトリが鳴く。じりじりと焦げる熱。目が眩むほどの輝き。圧倒的な存在感は、認識を超越して、確かにそこに聖獣がいることを示していた。
これは、世にも珍しい具象化系の『異本』。しかも空想上の生物を呼び寄せるとは、相当高位の『異本』に違いない。
『グウゥワアァァ!』
ヤキトリが空を仰ぐようにして翼を広げた。なにかをするつもりだ。メイドは構える。
『クウゥゥ!』
炎だ。広げた翼を纏う炎が、熱量を増した。そして、大きく羽ばたく。風とともに、熱。炎の嵐が吹き荒れる。
「くっ……!」
メイドにとってのその場での最優先事項は『ジャムラ呪術書』を守ることだった。それは主人からの貸与品だ。命に代えても守り抜かなければならない。
だから間違いのないように抱きかかえ、広範囲の炎から逃げるため、大きく地面を転がった。足元を熱風が撫でた。
「……これは?」
かすめた足を検分する。火傷のようなじんわりと刺す痛みがあるが、熱傷の跡がない。見ると、嵐の通り道は、いくらかの草木が薙ぎ倒されている。にも関わらず、燃えているものはひとつもない。
「ハルカを解放してください。燃やしちゃいますよ」
「…………!!」
メイドは不意の言葉から距離を取った。
距離を取って、相対する。間違いなく移動している、女児とヤキトリ。
「もうお一人の『異本』でしょうか」
メイドが問うでもなく言ってみると、女児は驚いたように目を見開いた。
「シュウがいるの、気付いてたの」
呆気なく教えてしまう女児に(ばかやろう)と、幼年は心の中だけで言った。まあ、自分の存在自体はばれているだろうと察してはいたが、このままじゃ、余計なことまで言いかねない。
「ハルカ様もカナタ様も、お二人とも同じように
メイドは今度は、意識して語尾を上げ、疑問符で問うた。
「ふん。残念でした。『神々の銀翼と青銅の光』は、瞬間移動だけじゃない。もっといろんなことができるんですよ」
幼年は声にならない叫びをあげた。わずかに集中を解いてしまう。
気が乱れた。と、メイドは確認。具体的な位置までは掴めないが、そんなことより、気を乱したということは、女児の言葉が真実だということ。それが一番の収穫だ。見えない相手の正体が、徐々に掴めていっている。
「さて、本当にもう、おねむの時間でございます」
本当の本当に、
*
少女が一人、ダンジョンのような廊下を走っていた。どこから伸びているかも解らない蔦。コンクリート固めの道。照明もまばらな、薄暗い廊下だ。
「なんで、よりによって、こんな時間に」
一人呟く。少し前の会話を思い出す。
「どうしてメイちゃんは追い返すの? 本は来るもの拒まず、でしょう?」
あの部屋。若者が背を向け、書き物を続ける、その部屋に少女は乗り込み、開口一番、そう尋ねた。
「なんだい、藪から棒に。……本は来るもの拒まずだろうが、人間は人間を忌避するものだよ。ぼくが拒むんだ」
「あなたもロリコンなのね」
「そうだね。だから早く、帰った方がいい」
少女の悪態にも若者は動じず答えた。
いま、この得体のしれない若者と問答している時間はない。少女は部屋にかかった時計を見る。もう日付をまたいで、三十分ほどが経っていた。
「そこの時計、時間あってる?」
「さてね。そんなことは知らないよ」
「もういい!」
少女は駆け出した。とにかく夜中だ。それは間違いない。
「お願い。間に合って……」
ダンジョンを乗り越え、扉を開ける。湿った空気。わずかな熱風。騒音。
少女は一瞬で判断して、また走り出した。
*
「リミッターはカナタにちょうだい」
どこでもない空間へ向けて、女児は小さく言った。相対するメイドに聞こえないように。
(……俺が使うのが一番、都合がいいと思うけど)
幼年は心で答えた。それだけで言葉は伝わる。『神々の銀翼と青銅の光』は、対象の空間同士をあらゆる意味で繋ぐ。それは離れた距離をゼロ距離にまで縮めるワームホールにもなり、精神的に意識を通じさせ、テレパシーのような役割をももたせられる。
「ハルカが動けないいま、カナタがやるしかない。ハルカにあんなことして、ただじゃおかないの」
言って、女児はポケットから小さな指輪を取り出す。
その姿を見て、幼年は軽く肩を落とした。
(まあ、そうなることは解っていたから)
承諾ではない。これは諦めだ。
その意図を汲み取って、女児は口角を上げる。指輪を小指にはめた。
「いくよ、ヤキトリ。……蒼炎モード」
『カアァァア!』
言葉通り、ヤキトリを纏う炎が青く変わる。
*
青い炎を見て、メイドは即決した。
もう、猶予がない。指輪をはめる動作。その直前、口元が動いていた。おそらくもう一人と連絡を取っていたのだ。なんらかのやり取りの後の、その変化。まず間違いなく、ヤキトリは強化された。
どう強化されたかは未知数だ。だから、愚直な直進を選択する。対処は、見て、その場で瞬時に判断するしかない。
『ガアァァァァア!』
ヤキトリも直線で動いた。翼を広げ、巨大な一振りの刃のように、空間を薙ぎ切る。
メイドは姿勢を落とした。ヤキトリの高度は低い。地面すれすれにうつぶせても、躱しきれるか解らない。そもそも生物だ(たぶん)。ただの刃の一閃と違い、その軌道は柔軟に変化する可能性がある。かといって、広範囲すぎる。横に躱そうにも、前方への加速がつきすぎていて、避けきれそうにない。なら上方? いや、相手は飛べるのだ。身動きの取れない空中へ逃げるのは得策ではない。
だから、メイドは正しい道を選択した。直近の攻撃が頭をよぎったから。『ジャムラ』を抱え、大きく前転する。ヤキトリとの直撃は、
「実体――!」
が、
臀部から背中、後ろ半身が燃えている。間違いなく、炎を上げて。だが、構う余裕はない。ただ足を動かし、前へ。
『ジャムラ』を使うのは危ない。人体は腐敗する。そしてそのダメージは、そう簡単に修復できない。ローマで食らった、女の反射を思い出す。とっさに威力は落としたが、それでも爛れた、左手の小指と薬指。
だから、警棒でみぞおちを狙う。頭部は危険だ。打ち方を間違えれば簡単に再起不能にもできてしまう。メイドは慎重に、後遺症の残らない箇所を選び、振りかぶる。
*
飛んだ。
意識が飛んだ、かと思った。
瞬間で飛んだのは、意識ではなく、肉体。
高度二十メートルほどと確認。真下に青い炎が広がっている。つまり、XY座標はほぼ変わらず、上空へ飛ばされた。……いや、
「やっと見つけましたよ、シュウ様」
冷静に、メイドは確認した。位置的には女児よりさらに南南西に三メートルほど離れた位置。割と密に木々が立っている場所だ。その木の一本に登り、息を潜めている。
だが、そこからはまず、自身の心配だ。まだ燃えている背中。また、落ちたときの衝撃への対応。なにより、
「
その声は、確かにメイドの口から発せられた。
それからメイドは、マーガレットに編んだ髪を解き、燃えるメイド服を脱ぎ捨てる。
「そ、ら、よお!!」
叫んで、『ジャムラ呪術書』を天高く
「ちっ、ガキどもが。俺様の
両手で警棒を握る。落下速度を上げるため、空気抵抗を受け流すように、姿勢を尖らせた。
「あ~~~~! しちめんどくせえ!!」
という掛け声とともに、着地する。警棒で力いっぱい、女児の足元へ殴りかかった。
地面が揺れたような錯覚を抱くほどの音とともに、砂埃……というには広範な煙幕が展開される。
「そこだあぁ!!」
煙幕から飛び出す、銀色の光。身を動かす暇すらなく、幼年の顔から十センチばかり逸れた木の幹に、それは突き刺さった。半身を木に埋もれさせているが、見るからにそれは、先の尖っていなさそうな警棒だ。幼年は、おそるおそる、それを握る。……引き抜こうにも、まったく動かせない。
やがて、煙幕が晴れる。
「クソガキどもが! 何時だと思ってんだ! とっととそこに直れ!」
タイミングよく、空からなにかが、その女性のもとへ降ってきた。それを女性は、見もせずキャッチする。
「腐り殺すぞ、早くしろ」
その手に収まったのは、もちろん『ジャムラ呪術書』だった。
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