37th Memory Vol.3(キルギス/オシ/7/2020)
頂上まで改めて登る。途中、目につく洞窟はすべて探索したが、めぼしいものは見つからなかった。男は消沈しつつも、こんなもんだろう、とは思っていた。もとよりさほど期待はしていない。ゆえに、滅入る気持ちもかすかなものだ。
頂上にはすでに少女とメイドが待っていた。待ち合わせ時間は決めていたが、まさか時間ちょうどにいるとは……少女一人だとあり得なかったろう。男は苦笑する。
手を挙げ、少女とメイドに示すと、不意にメイドがスマートフォンを取り出し、どこかへ電話をかけ始めた。
「もしもし警察ですか。急いで来てください。
「誰が性犯罪者だ!」
男はメイドからスマートフォンをひったくった。当然だが通話は繋がっていなかった。
かと思ったが、本当に電話をかけていた。画面には102と表示されている。キルギス警察への電話番号だ。男は黙って通話を切る。
「ハク様は少し目を離すと、すぐ女の子を拾ってきてしまいますね」
「おまえが俺のなにを知ってるんだ。誤解を招く言い方はやめろ」
男の手に纏わりついていた幼女は、身軽に男の背に飛びついた。褐色の肌に無造作に伸ばした赤茶色の髪。瞳の色はすべてを飲み込むかのような漆黒だ。少女より一回り幼いであろうそんな幼女が、貧相な――まさしく貧しいのであろう服装で、少女とメイドを警戒している。
「あー、なんだ。これ、古代兵器パララ、らしい」
男は困惑した様子で言葉をひり出した。
「これってなんやねん。古代兵器なめとんか、ワレ」
「なんだか訛りのあるロシア語でございますね。キルギスの方も訛りが強いですが、それともやや違うような……。日本でたとえるなら、関西弁のようなものでしょうか」
「まあ、念のため、似非関西弁とでも言っておこう。……おい、このメイドにもおまえの力を見せてやれ」
男が背負った幼女に言うと、幼女は自慢げな表情で男から飛び降り、メイドの正面に立った。メイドは幼女と目線を合わせるため、腰を落とす。
幼女はいたずらっ子のような顔でサイズの合わないシャツの、両袖をこすり合わせる。速く、とても速く。それを終えると、袖からわずかに人差し指を出し、メイドに向けた。
「えいっ」
メイドの手の甲に、その指を近付ける。
ぱちん。とかすかな音が漏れた。
「にへへぇ」
幼女は鼻の下をこすり、得意げに笑う。
「これは……静電気、でございますか」
珍しいことに、メイドも困惑した表情を見せた。
「ああ、……静電気、だよな。やっぱ」
男はボルサリーノを深くかぶり、表情を隠した。だが垣間見える口元は、困惑しているような、消沈しているような、照れているような、複雑な感情を表していた。
*
とりあえず連れてきた――着いてきたものは仕方がない。男は幼女も含めて四人で昼食を採ることにした。
広げられた弁当は、弁当というほど生易しいものではなかった。ローストされた羊肉。ひき肉と細かく刻んだ野菜をスパイスで炒めたもの。チーズや薄く切った生野菜。ドライフルーツ。各種ソース。そしてナンというパン。メイドが言うにはそのまま食べてもいいが、ナンに具を挟んで食べてもいいという。
「サンドイッチみてえなもんか」
「さようでございますね。私としましては、ドネルケバブや、ギリシャのギロスをイメージしてみました」
水筒から紅茶を注ぎつつ、メイドは言った。
少女はすでにリスと化している。そして幼女は、口を開いたまま物欲しそうに固まっていた。ご丁寧によだれまで垂らしている。
「早く食わねえとなくなっちまうぞ」
男は幼女に言った。
「ウチも食べてええの?」
男の顔色をうかがう幼女。当の男はナンとチーズをちびちびと食べている。
「もちろんですよ、パララ様」
答えたのはメイドだった。淀みない所作でナンに肉と野菜を取り、ソースをかける。「苦手な食材はございませんか?」と微笑み、幼女に差し出す。
「おおきに! ねーちゃん!」
幼女は満面に笑んで、ナンを受け取った。小さな口を最大まで広げて、一息に噛みつく。
「はぐはぐはぐ」
擬音を漏らす。
「むぐむぐむぐ」
少女が対抗して、声を漏らした。
*
ぎっしりと具の詰まったナンを、幼女は三つもたいらげ、やがて眠ってしまった。男の膝に頭を預けて。
「あらあら、ハク様によく懐いてらっしゃいますね」
慈愛に満ちた表情でメイドが言う。幼女の口元のソースを拭き取りながら。
男はどうとも応えなかった。しかし、どちらかというと面倒くさそうな表情をしている。
「それで、これ、どうするつもり」
少女が言った。こちらも比較的ネガティブな表情だ。その視線は、男の膝の上に主に、注がれている。
件の幼女は呆けた顔で、わずかにアホ毛を揺らした。
「十中八九、こいつが古代兵器パララだってことはねえな。……だが、少なくとも古代兵器パララのことを知っていた。なら、なんらかの関わりがあるのかもしれねえ」
男は自身の膝にかかる重みに目を落とす。見た目はただの幼女だ。おそらく十歳前後。ならば仮になにかの関わりがあるにしても、話を聞くのはこいつの親やその他親族だ。男はそう思った。
「どうぞ、ハク様」
言われて男は顔を上げる。見ると、メイドが具材を挟んだナンをひとつ、男に差し出していた。
「ハク様、あまり召し上がっておられないでしょう? おひとつとっておきましたので、どうぞ」
「それを言うならおまえは紅茶しか口にしてねえだろ。おまえが食え」
男が言うと、メイドは少し目を見開いた。
「気付いてらっしゃいましたか」
「そりゃ気付くさ、馬鹿にしてんのか。目の前に座ってんだぜ」
メイドは少しの間、目を閉じ、「失礼致しました」とつぶやく。
「私のことはお気になさらず、どうぞ召し上がってください。私は普段から、食べられるときに過剰に食べておりますので、空腹ではございません」
男はメイドの目を見る。こいつはこういうやつなんだろうな、と理解する。長くメイドとして務めてきた者の思考だ。つまり、面倒くせえやつ、なのだと。
「毒見だ、半分食べろ。そうしたら残りは食ってやってもいい」
男は言った。少なくともそれは本心だったが、メイドをまったく気遣っていないと言えば嘘になる。そしてそれが、余計なお世話で、押し付けがましい自己満足だということも、解っていた。
メイドはまた少し目を閉じ、言った。
「かしこまりました。……間接キスですね」
男が反応を返す前に、メイドはナンにかぶりついた。妖艶な笑みを男へ向ける。
*
幼女が目覚めると、そこは見慣れない空の色だった。体を包む熱は、暑すぎず寒すぎずちょうどいい。だから目覚めても、まだ夢見心地だった。
「どこや、ここ」
「お目覚めですか、パララ様」
見ると、キチンとした格好の女性が自分にかしずいている。「ふあ?」と変な声が漏れた。
「ねーちゃん!? え、どこなん、ここ?」
「お食事のあと、ぐっすりと眠っていらっしゃいましたので、失礼ながら、私たちの宿泊している宿にお連れ致しました」
首を垂れたままメイドは言う。
「か、金ならないで!」
警戒心が蘇ったのだろう、幼女は両袖をこすりながら、メイドを睨んだ。
メイドは頭を上げ、くすりと小さく笑った。ベッドの上の幼女に視線を合わせるため、腰を落とす。
「ご心配には及びません、パララ様。お帰りでしたらいつでも、お宅までお送り致します。ですがお帰りの前に、我が主人にお会いいただけますか? パララ様にお話があるようですので」
「にーちゃん? そや、にーちゃんどこ行ったん?」
「お隣の部屋にいらっしゃいます。ご案内致しましょう」
メイドは立ち上がり、右手を広げ、ドアの方を示した。
幼女はまだわずかに警戒していたが、ベッドから降りる。メイドの方を何度も振り返りながら、隣の部屋に向かった。
*
「なんなんだよ。なに拗ねてんだよ」
「拗ねてなんかないわ。可愛いわたしは、可愛くそっぽを向いているのよ」
「そういうのを拗ねてるっていうんだよ。なにが気に食わねえ?」
「強いて言えば、ハクの顔かしら」
「顔面はどうしようもねえよ!」
隣の部屋は、騒がしかった。
「失礼致します。ハク様、ノラ様」
「失礼致しますじゃねえよ! まずノックをしろ! そして鍵かかってんのにどうやって入った!」
「ノックは致しましたが、ご返答がありませんでしたので。それと、私の開錠スキルはご存じのはず」
メイドはピックとテンションを得意げに晒した。男は思い返す。そういえば今朝目覚めたとき、部屋に少女とメイドがいたことを。昨夜もちゃんと鍵を閉めていたはずなのにも関わらず。
男は叫び疲れてうなだれた。床に膝をつき、頭を抱える。
「にーちゃん!」
男は幼女から体当たりの追撃を受ける。痩せ細った体は骨ばっていて意外と痛い。
体を起こすと、肩に重量を感じる。とても軽い、わずかな重量を。
「パララか。起きたんだな」
男は背後に向けて言った。起き上がって視界に入る少女の顔は、やはり不機嫌そうだ。
「うん! にーちゃん、起きたで!」
幼女は男の首元に頬をこすりつける。なぜだか男には気を許しているようだ。
「それで、改めて話がある、パララ」
男が言う。言うと幼女は「あー、解っとる、解っとる」と男の耳元に唇を寄せた。
「結婚式の日取りやろ? ウチはいつでもええで」
男は世界が凍りつく音を聞いた。少女の顔は怒りの形相に変わり、メイドは静かにスマートフォンを取り出す。
「もしもし、警察でしょうか。……これはシャレにならん」
崩壊した言語で、メイドは冷たく、言葉を紡いだ。
*
正座させられた男に冷たい視線が四つ、落とされていた。
誤解が解けてもなお。
「やから、ウチの家系のしきたりやねん。その本を持つ者に生涯添い遂げるって。つまり結婚やろ?」
幼女は少し照れたように、両頬をおさえながら言った。
「たぶん違うよ、パララちゃん。それはね、きっと、『パララ』を持つ者に、力を貸すって意味だと思うんだ、おにーさんは」
冷や汗を垂らしながら、男は壊れたラジオのような話し方で言った。さきほどから目が泳ぎっぱなしだ。なにも悪くないのに悪者になった気分を男は味わっていた。
「ええやん、べつに。一生一緒なのは変わらへんし。ウチのかーちゃんも、同じようにその本を持ったとーちゃんと結婚したって言ってたで」
「うんうん、そっかあ。じゃあさ、とりあえずご両親に会わせてくれるかな? ほら、ご挨拶もあるし。ああ、いやいや、結婚のご挨拶とは違うけどね?」
男は言った。動揺していても巧みに両親との会合を取り付けようとする。『パララ』の件も、結婚の件も、大人と話せれば解決できるだろう。
だが、幼女は口を噤んだ。黙りこくって、涙を流す。
「なにを泣かせているのですか、ハク様」
恐ろしい形相とドスのきいた声で、メイドがにじり寄ってくる。
「え、俺が悪いの? すまん! ごめん! 泣き止んでパララちゃん!」
もうすでに男の精神は追いつめられ、破綻していた。責められる言葉に抗う術を忘れているのだ。
「ううん。ごめんな、にーちゃん。……とーちゃんもかーちゃんも、もうおらんねん」
幼女は鼻を垂らして、そう絞り出した。
「すまん。悪いことを聞いた」
男は我を取り戻し、幼女に言った。
「だが、結婚はできねえ。おまえを連れて行くわけにもいかねえ。……生活の面倒はみてやるから、それで勘弁してくれねえか?」
男がそう言うと、幼女は男の背で涙と鼻水を拭った。文句を言いたかったが、こじれそうなので我慢する。
「……じゃあ一個だけ、お願いがあんねん」
幼女は今度はその場のみんなに向けて言った。
「山を越えて、東に行きたいねん。そこまで連れてってや」
恐れも甘えもなく真剣な表情で、幼女はそう頼んだ。
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