等価交換、足りないならば、根こそぎ奪え

位月 傘

 私を振った相手に監禁されてから六度目の目覚めの時点で、あ、そろそろ出ないとやばいかも、と考え出した。窓のない部屋は体内時計を狂わせ、心なしか体調も悪いような気がする。ベッド、それと一組の机と椅子だけが置かれた殺風景な部屋ではやることが無く、何も考えずに取り敢えず寝ていたけれど、時間を意識した生活を心がけておいたほうがよかったかもしれない。

 がちゃがちゃと鍵の開く音が聞こえて、すぐに重たそうな扉から男が入ってきた。手には食事と鍵で両手はふさがっており、なんなら私より細身かもしれない男はあまりに不用心だった。

 相変わらず彼は一言も発しないし、目も合わせようとしない。対称的に私はじっと彼の動きを注視する。あっ、今ちょっとこっち見た。こんな状況でもいつも問いかける言葉は一つだけだ。

「こんなことするくらいならもう付き合っちゃえばいいじゃん」

 初日は「は?」とだけ唖然とした顔で返してくれていたのに、今ではすっかり無視を決め込まれてしまっている。こんな状況でも、他の理由なんてなしに、ただ彼の声が聞けないのが寂しかった。そのうえ今日は自身の不調でちょっとだけ八つ当たりをしたくなってしまった。

「ねぇ、閉じ込めて放っておくなら、そろそろ外に出してくれても良いんじゃない?」

「――出たいなら、僕に頼むな。自分で出ろ」

 今度は目を逸らすどころか俯いてしまって表情は見えない。そんなに苦しいなら、最初からこんなことしなければいいのに。きっと私とは異なる思考回路を持っているのだ。まぁそんなことはどんな人だって同じなんだろうけど。

 さっさとやたらバランスの良い食事をわざとらしく机に置いて彼は出ていく。それがルーティン。そろそろ私の日常に組み込まれそうな光景だった。

 ただ今日は珍しく、扉の前でちらりとこちらに視線を寄こして足を止めた。私は彼に向けてにこりと笑みを見せる、一番美しく見えるように。こんなに綺麗に笑って見せてるのに、また顔を逸らされるし、そのうえなんだか辛そうな表情さえ乗っけているのだからやっぱり面白くない。

 こんな環境に身を置くことに耐えられなくなったのは、彼が先だったようだ。いつもだったらそのまま部屋を出て、鍵を閉めてしまうのに、今日は直ぐに逸らしてしまいそうなほど揺れる瞳をこちらに寄こした。

「きみは、早くここから出たいんじゃないのか」

「さぁ、どうだと思う?」

「外に出してくれと言ったのは君の方だろう」 

 いつも低い声で淡々と語られる言葉が、段々速く、責めるようなものになっていく。それでも彼の顔は怒気よりも焦りの色の方が大きい。ベッドから腰上げて一歩踏み出す。彼の方へではない。机の上のペン立てに手を伸ばし、掴む。不自然に殺風景な部屋は、視線を誘導させるためだったのかもしれない。

「私がこの鋏で貴方の事を刺して、逃げちゃうと思った?それとも硝子の食器で殴りつけるかもって?」

 ちょきちょきと鋏を動かしながら視線を投げる。別に私も彼もそのことに気づいたところで驚かない。だってこれはそうしてもらうために設置された舞台装置だ。お約束の展開、悪は滅され、誰もが憧れるハッピーエンドへ。私だって嫌いじゃない。でも同時に私は、私のヒーローをもう決めている。鋏はベッドの方へほうり投げた。なのに男は鋏でぷっつり糸が切られたみたいな顔をする。

「もういい、もういいから。さっさと部屋から出て行ってしまえ。きみのことなんて、どうでもよかったんだ、昔からずっと」

 弱った声はいっそ憐れだった。それでも、傷つけたいわけじゃあないけど、向き合ってほしい。じゃないとフェアじゃない。せめてあげた愛を返してくれなら、誠意だけでも欲しかった。

「ねぇ、好きよ」

 今まで幾度となく告げてきた言葉は、いつだって変わらない。音も、私の気持ちも。茶化して伝えたりなんて絶対にしない。だって本当なのだ、他の誰でもなく貴方に、私は恋をしている。

 男の視線は泳ぐ。その視線を捕まえて、私だけのものにしてしまえたら、最高の気分になれるだろう。

「ここまできて逃げるなんて許さない。私は逃げずにここに居るのだから」

「……さっさと逃げてしまえば良かったんだ、こんな陰気な男なんて、とっとと忘れてしまえば良かった」

 観念したように出した言葉から、私の告白が実際の十分の一くらいの熱量でしか届いていないのが分かった。それはなんだか、やっぱり非常に腹立たしかった。声を荒げるなんて下品なことはしない。だって彼は大声で話す人が苦手で、私も別に叱りたいわけじゃあないから。

「好きよ。私の事が好きって言ってくれるなら、ずっと閉じ込められてても許してあげるくらいには」

「でもきみは、僕に捕まえられててくれるようなひとではないだろう」

「もう、本気で言ってるのに。逃げられるのが恐ろしいくらいなら、あの鋏で歩けない様にしてしまえばいいのに」

「馬鹿なことを言う。それこそきみは、足が無くなったくらいで諦めるほど軟ではないだろう」

 ここに閉じ込めたのが彼では無ければ、たとえ武器が無くったって部屋から逃げていただろう。どんなにおしとやかを装ったところで、実際私はお転婆という言葉に収まるような可愛らしい人間ではないし、必要に駆られれば、きっと人だって殺せるだろう。

「そんな私がどうして逃げなかったのか、分からないふりをするのはもうやめて。好きなの、本当に。死んだっていいくらいに」

 自分が過激な人間だ、とは理解している。零か百かしかないのだ。大事な人は周りを犠牲にしても助けたいと思うし、興味のない人が死にそうになっていたってどうでもいい。もしかしたら、狂っているのかもしれない。

「きみは、ほんとうにばかだ」

 諦めたように、いっそ安堵したようにそう漏らす。誰かを突き放したいなら、徹底的にそうすればいいのに、それが出来ない甘い貴方が好き。冷徹になりきれない雰囲気が緩む瞬間の、困ったような笑みが好き。

「どうせ手に入らないなら、初めから手にしないほうが良いと思ったんだ。手に入ってもいつか零れ落ちてしまうなら」

「ひどい、私の愛は結構重いって評判なのに」

 重苦しい雰囲気が霧散したのをいいことに、茶化してそんなことを言う。なのに男はちっとも笑わないどころか、恨めし気に私を見遣る。また軽口の一つでも告げてやろうとしたのに、男の顔を見て、つい押し黙る。いつものような表情なのに、やたらと熱が籠っていることが気になった。

「きみは勘違いしているようだけど、そんなものちっとも重くなんてないんだ。それこそ何処かへ消えて行ってしまいそうなくらい」

 彼は一度だって私に触れたことは無い。踏み込ませない一線を引いて、冷静に物事を見て、どうにか第三者で居ようとしていた。可哀想なひと。私になんて優しくしなければ、舞台の上に上がらずに済んだかもしれないのに。

 今まではそう思っていたのに、今度は彼の方が私に憐憫を寄せているらしい。意味が分からなくてゆっくりと瞬きをする。彼の言葉を理解するのに、時間がかかる。

「僕の方が、ずっと重いよ。こんな男なんてと失望して、僕の目の届かないところに行って欲しかった。どうせ遅かれ早かれきみは僕に飽きるだろうと思っていたし、それなら終わりは早い方がいい」

 ちっとも彼を害そうとするどころか、逃げようとすらしないので焦ったのだろう。私は縛られるのが嫌いだと、正しく彼は理解していたからこそ困惑した。それどころか毎日愛を囁いて来るのだ。そんな可笑しな女、嫌いになられても仕方ないとすら思う。実際前も、その前もそうだった。

 必ずしも好意に好意が返ってくると信じてはいない。でも形が変わっても同じ熱量で何かが返ってくるとは信じている。私の愛が、畏怖となって戻ってきたとしても構わなかった。

 もしかしてこのスタンスに、彼は勘違いしたのだろうか。私は同じものを求めない。だから私が恐ろしくなって去ってしまった人たちも、別に追いかけない。それまで自己犠牲と言えるほど他人に身を粉にしていたのに、去ってしまった彼らに悲しむことすらしない私のことが、彼は今までの人達とは違う意味で恐ろしかったのだ。それまで自分に向けらていたものが、ある日突然跡形も無く消え去ってしまっていたらどうしようと。

「僕から逃げる勇気は、もうなかった。それにきみを捨てて行った奴らと同じになり下がるのだけは御免だった。その他大勢になり下がるなんて、耐えられなかった」

「びっくりした」

 思わずくすくすと笑う。眼の下に隈を作った顔色の悪い男は、怪訝な色を見せる。ちょっとだけ申し訳なかったけれど、それでもやっぱり笑いは止まらない。

「私の愛に、愛で返してくれる人がいるなんて、知らなかった」

 歓喜は瞳からぼろぼろと零れ落ちる。独りよがりであったとしても構わないと思っていたけれど、納得していたのではなく諦めていただけだったのかもしれない。もしかして、ずっと寂しかったのだろうか。

 彼は私の頬に触れて、伝う涙を掬う。初めて触れたその温度は、上気した肌ですら溶けてしまうほど熱かった。

「返ってくるだけだなんて安心するなよ、きっときみの倍の重さはあるんだから」

 人からもらう愛とは、どんなものなのだろう。甘いのか苦いのか、楽しいのか苦しいのか、想像するだけで夢見心地だ。その重さで圧死できるなら、本望だ。ただただ嬉しくて、思ってもいない言葉を吐く。ころころと笑い続けている姿から冗談だと一目で分かるだろう。

「そうしたら、初めて逃げる側になっちゃうかも」

「馬鹿言え、僕はきみほど優しくないよ」

 しかし男は一段と低い声を出す。到底恋人の戯れに対するようなものではない。甘さと、脅迫の色が隠しきれないそれを、昔からどうしようもないほど焦がれていたことにようやく気付く。

 そして遠慮のなくなった男からは、とうに掴んだ手を放してやるような慈悲は消えていた。彼の表情が歪んでいるのか、それとも視界が涙で滲んでぼやけているかなんて、もはやその答えに意味などない。どちらにしたって、同じことなのだから。

「もしそんなことしたら、地獄の底まで追いかけてやる」

 愛は等価交換だと信じている。もし彼の愛情に、私の気持ちが追い付かなくなったら、いったいどうなってしまうのだろう。地獄の底まで逃げた先で、私の足を躊躇なく切り落としそうな男が、たまらなく愛しかった。

 

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