僕の物語 3

 外出というのは、僕にとっては一種の苦行といってもいい。

 そもそも子供の頃から、僕はあまり活発なほうではなかった。

 外で遊ぶよりも、家にこもって一人でテレビゲームに熱中した。

 物心ついたころから、友達と会話する時間よりもゲームをする時間のほうが長かったように思う。

 もともと他人と会話するのも、友達をつくるのも苦手だった。

 小学生の頃も、友人はおろか、クラスのなかで会話を交わす相手も片手の指で数えられたほどだ。

 そもそも友人と知人というのがどう違うのかすら、僕にはいまだによくわからない。

 それほど人とのつきあいそのものが浅い、ということだ。

 いまにしてみれば、いじめに遭わなかったのは我ながら不思議というほかない。

 僕のように人付き合いの苦手な者は、たいていはクラス内でいじめに遭っていたものだ。

 僕はといえば、消極的にそうしたいじめに参加することで、自分がいじめられることを免れていた。

 我ながら卑劣としかいいようがないが、それが僕のように人間にできる数少ない保身術だったのだ。

 内向的ではあるが特に目立たない、地味で平凡な存在。

 そんな僕の中で奇妙な変化が起き始めたのは思春期をむかえてなんとか中学を卒業し、高校に入学してからだった。

 もともと僕は色白のため、恥ずかしい思いをしたりすると顔が真っ赤になる。

 そのため、高校一年のときについたあだ名が「リンゴ」だった。リンゴと呼ばれることは苦痛だったが、内気な僕は自分につけらたあだ名について不満をいうこともできなかった。

 実際、みんなも別に悪意があったわけではないと思う。

 もしそうであれば、僕はすぐに気づいたはずだ。

 子供の頃から研ぎ澄まされてきた僕のいじめを回避する防衛本能は、相手の敵意を敏感に感じ取る。

 もし学校で誰かにあだ名のことでからかわれたら、即座にそうとわかったはずだ。

 人の目を気にしながらも学校生活はなんとかこなしていたが、問題は学校の外、他者となんの関係性も成立しない空間だった。


(赤いよね……)


(てか、真っ赤じゃん)


(なんであんなに赤いのかな)


 そうした類の言葉に、僕は極度に過敏になっていた。

 自分の顔がリンゴみたいに赤くなっていて、みんなはそれを嘲笑っているのではないかという疑念にとらわれていたのだ。

 いまではそれが一種の対人神経症だとわかってる。

 だが、神経症というのは厄介なもので、自分が病んでいると頭では理解していても、それで苦痛から解放されるわけではないのだ。

 電車のなか、人混みを歩いているとき、あるいは店のなかでなにか買おうとしているときでも、僕は異常に他者の言葉に敏感だった。

 誰かが僕を笑っているのではないか。

 僕の顔は赤くなっているのではないか。

 一度、「赤い」という言葉を聞いただけで、心臓が激しく鼓動する。

 途端に体中からどっと汗が噴き出し、顔がかっと熱くなる。

 実際、こうした状態におかれていた場合、僕の顔は真っ赤になっている。

 そうなると、悪循環は止まらない。

 みんなが僕の顔が赤いのを笑っていると思いこむようになる。

 いや、本当に笑っているのかもしれない。

 そうだ、みんな僕の顔が赤いのを見て笑っているに違いないのだ。

 赤面恐怖と呼ばれる神経症の、典型的な症状だった。

 はたからみれば、あるいは馬鹿馬鹿しいと思えるかもしれない。

 自分の悩みの馬鹿馬鹿しさは、僕自身、よく理解しているのだ。

 顔が赤いからなんだというのだ?

 それでも僕は他人に顔が赤いと笑われることを恐れ続けていた。

 高校のときは、なんとか卒業まで乗り切った。

 通学以外で外出することはなく、黙々と家にこもって受験勉強を続けた。

 外に出て自分の顔の赤さをあちこちのトイレの鏡で何度も確認するよりは、人目にさらされない自室で受験対策に励んだほうがはるかにましだった。

 おそらくは幸運にも恵まれたのだろう。

 晴れて僕は第一志望の私立文教大学へと現役合格できた。

 だが、それからが地獄だった。

 大学というのは、わりと自由な空間である。

 少なくとも高校時代に比べればその自由度は格段に高い。

 いつも同じ面子のクラス単位で授業をうけるわけでもなく、大教室での講義などは誰かもよく知らない連中と一緒になる。

 キャンパスのなかをうろついているのはたいていが「他人」だ。

 これがいけなかった。

 どういうわけか僕の場合、ある程度の関係性がある相手に対しては、赤面恐怖はほとんど発症しなかった。

 だが、構内ですれ違うのはみな赤の他人である。

 高校と違って、常に「外出している」ような感覚だった。

 見知らぬ相手の視線に常に晒され続けるわけだ。

 高校のように小教室で真面目に授業をしているときはいい。

 だが、大教室で私語など当たり前という環境では、自然と周囲に聞き耳をたててしまう。


(赤いね……)


(真っ赤だよ、真っ赤)


 いわゆるカクテルパーティー効果というものか、とにかく「赤い」という言葉だけがやけにはっきりと聞こえてくる。

 二ヶ月が限度だった。

 しだいに僕は、学校を休むようになった。

 もともと大学の授業は出席の強制力が低いのも原因の一つかもしれない。

 学校に行くのは愚か、電車に乗るだけでも苦痛になっていた僕は、いつしか家のなかに籠もり始めた。

 気がつくと半年が過ぎ、一年が経っていた。

 なんとか前期の試験だけは受けたが、後期はすっぽかした。

 幾つもの単位を落とし、二年目に入ったが、そのころには僕は学校にいく気力すらなくしていた。

 神経症にくわえて鬱状態にもなっていた。

 大学の学生相談室でカウンセラーと話し、結局は近くの神経内科に通院して診察をうけるようになったが、基本的な状況は変わらず、気がつくと僕はいわゆる「引きこもり」になっていた。

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