俺の話 2

 甲高い女の子の声が聞こえてきたのはそのときだった。


「最近、恐いよねー、ほら、今日も女子大生、殺されたっていうじゃん……」


 携帯電話にむかって、あたりを気にした様子もなく大声をあげている。

 今日のニュースで、女子大生殺しは一件しかないことを俺はすでに確認していた。

 つまり、いま彼女が話しているのはまず間違いなく「俺の犯行」だ。


「でもなんで人とか殺すんだろ? シメてボコるとかならわかるけど……うんうん、そー、ナイフとかでなんか死体とか切り刻まれてるらしいし。ほんと、犯人、頭おかしいんじゃねえの? マジでわけわかんねー」


 なんで殺したかって?

 その理由を説明するにはね、お嬢さん、ずいぶんと長い時間が必要になる。

 ついでにいえば、ナイフでざっくざっくと死体を切り開いたのは、そのほうが……。

 次の瞬間、甲に変化が生じた。

 ごつい生真面目そうな顔が、ふいにだらしなくゆるめられる。

 甲の視線の先には、一人の少女の姿があった。

 髪は軽く脱色しているが、全体としては地味な印象だ。

 人目をひくほどの美人ではないが、そこそこ顔立ちは整っている。

 なんとなくぱっとしないダッフルコートの下に、高校の制服を着ていた。


「ごめんなさい、おそくなっちゃって……」


 少女が、甲に話しかける。

 事情を理解した途端、甲に対してどす黒い怒りがこみ上げてきたが、俺はなんとか怒りをこらえた。

 いまは過去のことを思い出している場合ではない。

 なにしろ仕事中なのだ。

 ゆっくりと深呼吸して、俺は冷静さを取り戻した。

 浮気調査の場合、調査依頼人が浮気の疑いをかけている人物を「甲」と呼称する。

 これに対し、浮気相手は「乙」と呼称するのが通例だ。

 しかし、まさか乙が現役女子高生とは。

 一体、どんな出会いがあったのだろうか。

 甲がナンパしたのか、はたまた出会い系サイトでお知り合いになったか。

 そもそもこれは自由恋愛ではなく援助交際ということも考えられる……。

 もしこれが援助交際だったら面倒だな、とふと思った。

 甲が乙だけではなく別の相手にも「援助」すれば、乙だけではなく新たに丙だの丁だのまでが出現するかもしれないからだ。

 だが、いまは馬鹿なことを考えている場合ではない。

 移動を始めた甲と乙のあとを追う必要がある。

 奇妙な視線を感じたのはそのときだった。

 そちらに目をやると、ハチ公口前の人混みのなかで、一人の制服姿の女子高生が携帯を片手になにやら話し込んでいた。

 顔には驚きの色が浮かんでいる。

 亡霊を見るような目で、俺のことを見つめていた。

 早口でなにか携帯にむけて喋っているが、その内容まではわからない。

 一体なんだというのだ?

 しかし、いまは時間がない。

 俺は甲の背中を追って歩き出した。

 月曜とはいえ、やはり人手は多い。

 人々の波をぬうようにして、甲と乙とは歩き続ける。

 ハンバーガーショップ。

 居酒屋。

 カラオケ。

 ドラッグストア。

 色とりどりに輝く看板。

 少女たちのつける香水の匂い。

 冬着で蒸らされた人々の汗の匂い。

 排気ガスと、なにかが腐ったかのようなあるかなしかの繁華街特有の臭気が街に満ちている。

 甲と乙は、仲良く歩道を歩いていた。

 一見すると、仲の良い親子のように見えなくもない。

 浮気調査では、甲と相手との関係性は非常に重要となる。

 確かにいま、甲は女子高生と一緒に歩いているが、だからといってそれが果たして業界でいうところの「異性関係」がどうなのか、まだ軽率には判断できないのだ。

 もしここで二人で手を組んでいたり、あるいはかなり親密に体をふれあうような行動をとった場合、両者には「弱異性関係」が認められる、ということになる。

 これから「弱」がとれて晴れて「異性関係」があると認められるには、決定的瞬間を抑える必要がある。

 だが、その瞬間はかなり近いのではないか、と俺は考えていた。

 二人は道玄坂を登り、ラブホテルの密集する円山町界隈へと向かっていたからだ。

 そろそろ、俺も慎重にならねばならない頃合いだった。

 浮気の場合、一般に甲が乙と待ち合わせするときが、まず第一の注意ポイントである。

 乙と出会うまでは、やたらと警戒的になる甲が多いのだ。

 だが、今回の甲の場合、待ち合わせはハチ公口前の人混みのなかでもあり、こちらに気づいた様子はなかった。

 第二警戒ポイントが、ホテルに入る前である。

 当たり前といえば当たり前の話だが、浮気をする甲には精神的な負い目がある。

 特にホテルに入る際は、性的な興奮とともに伴侶に対する罪悪感が強くなるのだ。

 その罪悪感は過度の警戒心へと変わる。

 円山町のホテルのネオンがぎらつく頃になると、俺は甲との距離をいままでの十メートルほどから倍近くへと開けた。

 すでにあたりには腕を組んだカップルがちらちらと見受けられる。

 甲の自宅から勤め先、そして帰宅という本来の甲の行動パターンにあわせて、俺はいかにも勤め人らしいネイヴィーブルーのスーツを着ていた。

 ホテル街をスーツ姿の男が一人でうろうろしているというのは、いかにもまずい。

 どうやら同時方向にむかっている若い大学生らしいカップルがいたので、さりげなくその後ろをついていった。

 甲からみれば、カップルを向こうにいる俺の姿は見えづらいはずだ。

 甲が高校生の少女を連れたまま、すっと一軒のホテルに向かっていった。

 この時間であれば、まだ空き室はそこそこあるはずだ。

 一度、ホテルに入れば、最低でも三十分はなかにいることになる。

 甲はやたらと積極的な乙に引き込まれるようにして、煉瓦を模した壁の瀟洒なデザインのホテルのなかへと入っていった。

 五分ほど待ったが、出てくる様子はない。

 これでほぼ、決まりといってもいいだろう。

 もはや甲と乙とは弱異性関係とはいえない。

 立派な異性関係が二人の間で成立した。

 あとはお楽しみをすませた直後の二人の写真を撮影するだけだ。

 依頼人は、報告書を読んでどんな顔をするだろうか。

 事と次第によれば、甲と依頼人は離婚するかもしれない。

 この俺の行いによって、一つの家族の運命が変化することになる。

 だが、これこそが俺の仕事なのだ。

 それに、いまさら一つの家庭が壊れるかもしれないなどとよけいな心配をしても仕方ない。

 俺は昨日も、人を一人、殺して一つの家庭をすでに破壊しているのだから。

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