第2話 憂衣渉


アイドル。

みんなを魅了する力強い存在。

こんな僕でもなれるかな。

暗闇の中に居た僕を救ってくれた、あの人みたいに。



第2話 憂衣 渉



その話は突然舞い込んできた。


☆ ☆ ☆


諸々の家庭の事情で両親と離れて祖父母と暮らす事になった僕は、当時かなり暗い人間だった。

元々の人見知りに加え、人間不信までこじらせてしまっていたから、中学校では孤立してしまっていて。いじめこそ無かったけど、友達なんて1人もいなかった。

そんな時に出会ったのがテレビの音楽番組に出演していた有名な歌手の歌声。

のびやかで、自由で。それでいて力強さを感じるその声に、僕はあっという間に魅了された。

「僕もあんな風に歌ってみたい」

そう思う様になるのに時間はかからなかった。

歌を習いに行くお金なんてないから、独学で。

練習場所に選んだのは、誰もいなくなった放課後の音楽室。

無い勇気を振り絞って使用許可を得たひと時の楽園で、僕は毎日練習に明け暮れた。


歌っている間は無敵の気分になれた。

いつもの弱い自分なんてここには居ない。

確かな自信を感じることができる。


授業が終わってから日が暮れるまでなんてあっという間で。毎日やっても物足りないくらい、どんどん歌にのめり込んで行った。


人前で歌おうとは思わなかった。思えなかった。

歌っている時以外は、結局気弱な僕のままで。舞台の上に立つ自分を想像したり、趣味の絵に描いてみたりしたけれど。

そういう時に決まって顔を出すのは、人見知りで、恥ずかしがり屋で、陰キャな、弱い自分だった。


こんな自分が人前で歌うなんてとんでもない。


まるで言い訳のように、呪文のように、頭の中で繰り返される言葉。僕の一歩を遠のかせるには十分だった。


歌うことは辞めなかった。

どんなに嫌なことや不安なことがあっても歌っている間は忘れることができたから。自分に自信が持てたから。きっと今のままが一番いい。



半年が過ぎた。

その日の放課後も僕はいつものように音楽室で歌っていた。

いつものように1人音楽室へ行き、いつものように軽く発声練習をして、いつものように歌い始める。何もかもがいつも通り。ルーティンワークをこなしていた中で、ふと廊下に視線をやったのは本当に偶然だった。


男の人がこちらを覗いている。


心臓が飛び出るかと思った。こちらは他に誰もいないつもりで声を出しているのに覗きなんて。というかどう見ても不審者だ。

先生を呼ぶか?いや、廊下に出るのはまずい。高速回転する頭とは裏腹に、フリーズする身体。歌うことなんかとっくに忘れて、どうやって逃げるかを必死に考えていた。


「何だ、もうやめちまったのか」

声をかけられて初めて不審者(?)が音楽室に入ってきていた事に気がついた。

ガラが悪い。やっぱり不審者……?しかし教室に入って来てくれたおかげで脱出経路は確保できそうだ。出入口は2つ。あの男から遠い方から廊下に出られれば、先生を呼びに行ける。

タイミングが重要だ。落ち着いて、いち、にの――

「なあ」

「うひゃあああああ!!!」

「はぁああ?!」


本日2回目の心臓に悪い衝撃。


「急になんて声出すんだよ……。さっきから黙ってるし、腹でも痛いのか?」

「いや、あの」

「腹痛いなら便所行けよ?」

「そうじゃなくて」

「そういや今日はもう歌わないのか。まあ腹痛いなら仕方ないよな」

「だから違っ」

「歌ってるとこを見たかったが仕方ない出直すか」

「あの!!!」

「どうした、治ったか?」

「そもそもお腹痛くないですから!貴方どちら様ですか?不審者?先生呼びますよ!?」


はっと我に返った時には時すでに遅し。

どうしよう……不審者を刺激してどうする……。目の前の男も突然の事に驚いたのか目を見開いてるし……あれ?今が逃げるチャンス?


「くっくっくっ……」

え、怖。不審者ってこうなの?開き直られたら笑い出すの?

「あ、あの……」

「はははっ、悪い悪い。俺は不審者じゃねぇよ。くくっ、ほら……入校許可証」


首から下げられたものを見やすいように持ち上げられて、そこで初めてその存在に気がついた。……最初からそこに気づいていれば。騒いでしまった恥ずかしさと申し訳なさで、穴があったら入りたい気分だ。


「俺は七英學園で理事長をしている、英統越はなぶさとうえつという。知ってるか?七英學園」

知っているも何も。入学試験の倍率が何十倍だか何百倍だかで毎年ニュースになってる超有名な名門校じゃないか。え、この人理事長なの!?僕、あの七英學園の理事長さんに不審者なんて言っちゃったの!?

「……憂衣、渉です。先ほどはすみませんでした……。まさか人がいるとは思ってなくてびっくりして……」

「ああ、気にしてねえよ。俺も驚かしちまって悪かったな。お相子だ」

「ありがとうございます……。ところで英さん、七英學園の理事長さんがこんなところにどんな御用ですか?」

「ああ、すごく歌の上手い中学生が居るって聞いてスカウトにな」

「へぇ、うちの学校にそんな人が……」

スカウトだなんてすごい。誰かに聞かせたい訳じゃないけど僕も頑張らなきゃ。


「何言ってんだ?お前だよ、お前」

「へ?」

「憂衣渉。お前をスカウトしに来たんだ。さっき少ししか聴けなかったが、お前の歌唱力と表現力は並の中学生以上だ。磨けばもっと光る。七英學園で磨いてみないか?」

「七英學園で…」

「そうだ。七英學園で学んで……アイドルにならないか?」


アイドル。


……って、あのアイドル?

テレビで歌ったり踊ったり、ファンに手を振ったりしてる、あの?


「無理無理無理無理!絶対無理です!!僕なんかにアイドルなんてできっこないです!!」

七英學園理事長の目が節穴だって言いたいのか?」

「ひぇっ……!そんな事は……!でも無理です……!!」

「ははっ、分かった分かった。今日のところはもう帰る。また来るな」


それから1週間、英理事長は毎日音楽室にやって来た。

何度断っても、次の日にひょっこり現れて「今日は何歌うんだ?」なんて言い出す。そのうち僕の方も慣れてきて、ただ1人の観客を前に歌うことにも抵抗が無くなった。

「お前やっぱすげぇよ。独学なんだろ?うちに来ればもっと上手くなれるぞ?」

数日で気づいたが、この人どこかズレてる。偉い人ぶってない分話しやすさはあるから僕としては助かるんだけど。

「何か最初と比べて随分適当になってませんか?勧誘する気あります?」

「お前がつれないからだろ。俺はお前の声に惚れてるんだぜ?毎日毎日フラれて可哀想だろ」

本当に何言ってんだろこの人。


でも実は1週間前と比べて、僕の方にも心境の変化が起こり始めた。

ずっと自分に自信が無くて一歩踏み出すことができなかった僕。人見知りで、気弱で、僕なんかって最初から諦めてた。

でもこの人は、そんな僕の歌が聴きたいって言ってくれるんだ。他でもない僕の声を聴きたいって。今までそんな事を言ってくれた人はいなかった。ずっと教室でも家でも背景の一部みたいなもので。ずっとその他大勢のまま生きていくんだろうなって漠然と思ってた。

けれど、変われるんだろうか。

こんな僕でも。

あの日テレビの向こうで輝いていたあの人のように、いつかなれるんだろうか。


「……あの。こんな僕でも、アイドルになれますか。人見知りだし、気弱だし、今だって僕なんかが人前で歌っていいのか迷ってる」

「……絶対アイドルになれます、売れます、なんて言う奴は100%詐欺だからやめといた方がいいぞ?」

えぇーそれ今言う?と思ったけど。

だがな、と続いた言葉で僕の気持ちは固まった。

「アイドルになる努力を続けられる奴を育て、売り出すのが俺の仕事だ。そして、お前はその努力ができると俺が見込んだ男だ。『僕なんか』なんて二度と言うな」


「……はい!!!」



こうして僕は中学生ながらに飛び級で七英學園に入学する事となった。

思いもよらない出会いがあるのは、それから少し後の話。




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