雲海のラグランデイツ

Clifford榊

第1話 海の底へ落ちる

 今日も眼下の海は真っ白で荒々しく蠢き形を変えていく。

 海の上を漂うのは僕たちが住んでいる浮島の一つ。

 そしてたくさんの浮島が集まって諸島を形作っている。

 僕たちは諸島の外には出たことがない。

 水平線の彼方まで海が広がり、他には空が見えるだけ。

 だから僕たちは世界はここだけだと教えられてきた。




「エルカ、遊びに行こうぜ!」


 今日も朝からミラルがやってくる。

 ミラルは今日も今朝から元気だ。

 ミラルのお母さんはミラルに「女の子らしく、落ち着いてほしい」と言っているけれど、僕は今のミラルが好きだ。

 ただ、僕が走るよりも早く手を引っ張るのはやめてほしいけど。




「今日は隣の浮島へ行く!」


「えー、子供だけで勝手に行っちゃだめだって言われてるじゃん」


「大丈夫!北の島は誰も居ないから入ってもばれない!」


「北の島には橋がかかってないよ」


「鎖を渡っていく!」


 浮島と浮島はバラバラにならないように、巨大な鎖で繋がれている。

 でも一つの輪が僕の身長よりも大きい鎖を渡るなんて無茶苦茶だと思う。


「それは無理だと思う」


「できると思えばできる!」


「それに海に落ちたら死んじゃうよ。今まで落ちて帰ってきた人はいないんだ」


「落ちなければ大丈夫!鎖にこうやってしっかり捕まって……!」


 ミラルが全身を使って鎖への捕まり方を説明している。

 でも僕は他のことを考えていた。


「……それよりも、凧を使おうよ」


「凧?」


「うん、橋が落ちたとき、他の島と連絡を取るのに使うんだ。普段は使わないから倉庫の奥にしまわれている」


「じゃあそれを取ってこよう!」




 僕たちは倉庫にこっそり忍び込んで、凧を探した。

 凧はすぐに見つかった。

 全部で三つ。


「なんで三つもあるんだ?」


「いざというときの予備用だよ、たぶん」


 僕たちはそのうち一つを一緒に担いで持ち出した。




 浮島の縁の林で僕たちは凧を組み立てていた。


「これでいいのか?」


「うん、あとはこのシャフトをこっちに引っ掛けてやればできあがりだよ」


 凧は簡単に組み立てられた。

 凧につないだロープを近くに生えている木にしっかり結びつける。


 凧には人が掴まるためのリングが取り付けられている。

 僕たちはロープで凧に体を固定すると、二人でリングを掴んで凧を抱え上げる。

 あとは凧が風を受けてくれれば僕たちを運んでくれるだろう。

 この時間なら北の島に向けて風が吹くはずだ。


 僕たちは風を待った。

 そして風が吹いた。


「エルカ、しっかり掴まってろよ!」


「ミラルこそ、離しちゃだめだよ」


 僕たちは凧を精一杯掲げ上げる。

 凧が風をはらんで、僕たちはふわりと浮き上がった。


「エルカ、あたしたち飛んでるぜ!」




 高度が上がるにつれて風はますます強くなり、凧はどんどん上昇していく。

 僕は不安になった。

 このままだと昇り過ぎてロープが足りなくなるんじゃないだろうか?

 眼下に広がる海の上に無数の浮島が並んで浮いている様子が見えるくらい高度が上がったところで、ロープがピンと張って衝撃を受ける。

 それでバランスを崩した凧は、くるくると回りながら風の中を滑り落ちていった。


 浮島の地面の高さまで凧はあっという間に落ちていった。

 でも凧はそのまま島と島の間をすり抜ける。

 地面にぶつかっていればたぶんそのまま僕たちは死んでいただろう。

 でも地面にぶつからなくても海に落ちれば同じことだ。

 凧はぐんぐん海に向かって落ちていく。

 さっきまで見下ろしていた浮島が僕たちの横を通過していく。

 もう島の底が僕たちの上に見える。

 そして僕たちは、白い海の中へと落ちた。




 僕たちは海の中をぐんぐん落ちていく。

 海は大量の水が溜まっていると聞いたのだけれど、どうも違うらしい。

 海の中を舞い散るたくさんの水滴が僕とミラルを叩く。


「エルカ、大丈夫か!?」


「僕は大丈夫だよ!ミラルこそ大丈夫!?」


 二人はきりもみしながら落ちていく凧に翻弄されながらも、なんとか意識を保っていた。

 水滴で凧も二人もすでにびしょ濡れだった。

 いつになったら海の底につくんだろうか?

 このままだと海の底に激突して、結局死んでしまうのかもしれない。

 僕はミラルの手を握った。


「なんだエルカ、怖いのか?」


 ミラルが僕を見る。

 その手は震えていたけれど、その瞳はいつものミラルのままだ。


「少しだけね。でもこうしてたら大丈夫だよ」


 そのとき強い衝撃が僕たちを襲った。

 凧のキャンバス地が裂ける音が聞こえる。

 何度も弾むような不思議な衝撃を感じながら、とうとう僕たちは土の地面の上に落ちた。


 地面は水が溜まっていた。

 あたりは暗く、上からは絶えず水滴が落ちてくる。

 ずっと上にはかすかに海が見える。

 でもあんなに真っ黒な海を見るのは初めてだ。


 突然僕たちを松明の明かりが出らしだした。

 ミラルと僕はお互いを守るように手を取り合った。


「子供か?どこから来た?」


 松明の方から声が聞こえる。

 その明かりに次第に目がなれてくると、そこには松明を掲げた男が立っていた。


「僕たちは海に落ちてその底まで沈んできたんだと思う」


「海?海なんて600リグルもここから離れているぞ」


「でもあたしたちはあの海に落ちて、ここまで沈んできたんだ!」


 ミラルが空を指差す。

 相変わらず海の水滴が上から振り続けている。


 松明の男は指差した先を訝しげに見て言った。


「あれは海じゃない。雲っていうんだ。空の上に浮かんで、今雨を降らせている。……おまえたち、まさか空から落ちてきたのか?」


 再び男が訪ねた。


「お前たち、名前は?」


「僕はエルカ。こっちはミラル。あなたは?」


「ほう、礼儀正しいな。俺はレイルズ。まあ、旅人……だな」


 僕たちは松明の男、レイルズに色々質問した。

 空の上には伝説の浮島、ラグランデイツがあると言われていること。

 僕たちはそこから落ちてきたのかもしれないこと。


 僕たちが浮島へ帰りたいというと、レイルズは少し考えた末答えた。


「どうせ俺はあてのない旅の途中だ、お前らに付き合ってやるのも悪くはないだろう」


 こうして僕たちのたは始まった。


 この物語は、僕とミラルが雲海に浮かぶラグランデイツを目指すために、レイルズと地上を旅するお話。

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