吸血姫は王子の血を求める

ちかえ

吸血姫は王子の血を求める

 北の国の王子は唇に冷たい笑みを浮かべながら馬車に乗っていました。急いで走っているのでものすごく揺れます。でも、そんな事を王子は気にしませんでした。


「可哀想に。可哀想な姫君……」


 そう言う口調はちっとも相手を可哀想には思っていないようなものでした。


 王子の脳裏に十日ほど前にしたやり取りが思い出されます。


——必ず君の所にいくよ! だから待っていてくれ!

——ええ。もちろんです、北の王子様。ずっと、ずっと、待っておりますわ。


 愛らしく目をうるませながら彼の姿をうっとりと見つめる吸血鬼の姫君の姿が思い出されます。


 彼女は間違いなく王子の帰りを待っているはずです。乾いた喉を期待でいっぱいにして。


 吸血鬼というのは人の生き血を吸うという恐ろしい化け物です。

 でも、彼らには弱点がありました。それは生涯に一人の血しか吸えないこと。それでも人間自体にはまったく害のない事。『だから血を吸った人間は異性なら伴侶に、同性なら友人になるのよ』と吸血鬼の姫君が嬉しそうに言ったのを王子は覚えていました。彼女は『わたくしは』と言っていましたが、王族だけなんていう事はないはずです。


「愚かな姫君。そんな弱点を人間に教えるなど」


 王子は楽しそうにそうひとりごちます。


 吸血鬼たちはここ百年近くで大きく勢力を伸ばしていました。この周辺の国々は何故か王族がいなくなり、吸血鬼に支配されてしまいました。最初は南の国が、それから東、西の順に滅びていってしまいました。


 順当に行けば、次のターゲットは王子のいる北の国です。でも、そんな事を黙って許すわけにはいきません。


 なので、吸血鬼について北の王家はいろいろと調べました。とは言っても吸血鬼は秘密主義でそんな情報は流れてきません。しかし、諦めずに調査し、吸血鬼にも王家のような一族をまとめる者達がいること。その一番上の身分である『女王』に可愛いらしい姫君がいること。彼女の他には子供がいない事を聞いたのです。そして女王はその姫君をたいそうかわいがっている事を知りました。


 それで、北の国の王は王子に、その姫を籠絡せよと命令したのです。出来れば血を吸わせ逃げられないようにさせよ、と。


 なので、一月ほど前、王子は姫君がお忍びで遊びに来ているという場所に偶然を装って現れ、会話をかわしました。


 王子は女というものがそんなに好きではありませんでした。彼にとって女とは自分の寵を巡って争う愚か者としか思えないのです。だから、吸血鬼とはいえど、同じ『女』を落とすことなど楽だと思っていたのです。


 彼の予想通り、姫君は王子に夢中になりました。そして、先ほどの『弱点』も教えてもらったのです。


——わたくしはね、そういう運命の王子様が現れるのを待っていたのよ。貴方がそうなのね。嬉しいわ。


 夢見がちにそう言う姫君を、王子が優しそうな笑顔で見つめながら内心で嘲笑ったのは言うまでもありません。


 その後、王子は吸血鬼と会っている事を咎められ、城へ連れ戻されました。そして、昨日までずっと閉じ込められていたという事になっています。実際は王に首尾を報告し、姫君を『迎えに行く』準備を整えていただけなのですが。


 そうして王子はこうして姫君の元へ向かっているのです。


 もうすぐ行くよ。君を連れ去って死ぬまで私の城に幽閉するためにね。それでお前も本望だろう、愚かなお姫様。


 心の中でそうつぶやきながら王子はほくそ笑んでいました。



***


「ああ、北の国の王子様。無事だったのですね。お会いしたかったですわ」


 いつもの場所まで行くと、吸血鬼の姫君は嬉しそうに王子に抱きつきました。ついでに首筋からちゅうちゅうと血を吸われるのは気に入りませんがそれも最後です。


「いつ飲んでも貴方の血は極上ですわね、さすがはわたくしの未来の伴侶ですわ」


 心底嬉しそうにそんな事を言います、その声にどこか暗い響きがあったような気がしましたが、王子は無視しました。そんな事は些細な事でしかなかったからです。


「そうだわ。わたくし、貴方に少しお話があるの。いいかしら?」


 小首をかしげ、そんな事を言って来ます。ここで断る事も出来ます。でも、彼女の最後の我がままくらい聞いてあげようと王子は思いました。


「では、こちらにどうぞ」


 吸血鬼の姫君が王子の手をとります。その声はやはりどこか冷たい響きがしました。ですが、そう思った時には王子は姫君と手が離せなくなっていました。


 王子は姫君に導かれるままに歩いて行きます。恐怖心が湧いてきますが、口からは何も出てきません。無言で歩きながら彼女の真っ白な手を見つめる事しか出来ませんでした。


 少し歩くと、そこは何故か室内でした。そこにたくさんの吸血鬼達がいます。姫君を見ると、彼らはゆっくりとひざまずきました。


 背後で大きな扉の音がしました。閉じ込められた。そう思った時にはもう手遅れでした。


「な、何なんだ!?」

「言いませんでした? お話があると」


 聞き分けのない子供に話しかけるような声で姫君がいいます。それはいつもの愛らしい愚かな少女とは雰囲気が違いました。


 嫌な予感がします。


「何をした?」


 王子はもう本性を隠さない事にしました。でなければこの雰囲気に飲まれて負けてしまいます。

 でも、姫君は態度を崩しません。いつもの愛らしい笑みを浮かべて口を開きます。


「だって貴方はわたくしの夫になるのでしょう。でしたら一緒に暮らさなければいけないわ」


 それで王子様にも何が起こったのか分かりました。


「そなた、私を騙したのだな!」

「貴方もそうでしょう。ここに来ていなければわたくしが貴方の馬車で北の王国に連れ去られていた。そして牢に閉じ込められ餓死させられていた。そうでしょう?」


 どうやら王子の作戦は見抜かれていたようです。


「そんな簡単にいくものではございませんよ、北の国の王子様。それでもこんな風に騙そうとするのはいいものではありませんね。だからわたくしがあなたを幽閉してあげるの。大切なおやつを逃すわけにはいきませんもの」


 食料扱いされ、王子の顔が真っ赤になります。こんな屈辱はありません。


「こんな事をしてただですむと思っているのか? 王族を幽閉してただですむと……」

「ええ、そんな事は思っておりませんわ。でも許されるわけにはいきませんものね」

「未遂だと?」

「ええ。たった今わたくしが防ぎましたでしょう。『北の国の王子様』」

「え?」

「お母様はあなたのお父様の計画を知ってたいそうお怒りですの」


 さて、今も北の王国は無事かしら、と楽しそうに言われます。


 つまり王国は吸血鬼の女王の率いている舞台に滅ぼされる予定だと言われているのです。


「さ、ゆるりと暮らしてくださいな。時期吸血鬼女王の王配様」


 その言葉と同時に周りの吸血鬼達が寄って来て王子を拘束します。


 王子は楽しそうに嗤う姫君を憎々しげに見つめることしか出来ませんでした。



***


「『運命の王子様』ね」


 吸血鬼の姫君は自室でそうつぶやきました。


 確かに彼は姫君の『運命の王子様』です。


 姫君が一人からしか血を吸えないのは嘘ではありません。母を除けば、王子以外の者の血を飲む事は許されていないのです。


 今まで吸血鬼は同じようなやり方で南、東、そして西の王国を滅ぼしてきました。最後の西の王国の人間の王太子は姫君の父親です。今は姫君の兄が収めています。王族と血がつながっているからか、それとも怖いのか、国民も何も抵抗しません。黙って支配に甘んじています。


「これでいいのですね、お母様」


 ここにはいない母に問いかけます。


 姫君は最初から北の王国を滅ぼすために育てられました。会わせてもらえる身内以外の異性は絵姿の北の王子だけ。母の手下の絵師が毎年王宮に潜入し、こっそりと肖像画を描いてくるのです。そうしていろいろと彼の様子を報告されるのです。


 好みだったのは幸いだった、と姫君は思いました。ずっとずっと会うのを楽しみにしていたのです。


 全部、計画のうちでした。北の王に情報を流すのも、王子との出会いも。あれは作られた『運命』なのです。


 そう考えると、少しだけ罪悪感が湧きます。でも、今更どうする事も出来ません。


 遠くで勝利の笛の音が聞こえます。母のものだ、とすぐ分かりました。


 とりあえず未来の夫に血を貰いに行こうと考えます。そうすれば嫌な気持ちも少しは晴れるかもしれません。


 彼の血はいつ飲んでも極上の味がするのですから。

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