49. 出産するソフィア

(カラシン視点)

 

 俺とソフィアが魔族の国の王都に越してきてから10ヶ月。俺達は幸せに暮らしている。ソフィアのお腹には俺の子供がいる。オーガキングが慌てて呼んでくれた人間の産婆の話では、あと半月ほどで生まれるそうだ。ソフィアは毎日自分のお腹を撫でながら、最高にうれしそうな顔をする。俺は父親になる自覚はまだ湧いてこないが、このしあわせな生活がいつまでも続けば良いと切に願っている。


 だが、ある日俺達の暮らしに大きな変化がやって来た。我家にオーガキングを始めオーガ族、アラクネ族、ラミア族、ドワーフ族、エルフ族、そして人間族の族長が訪れたのだ。人間族の族長はもちろん開拓村の村長だ。突然のことに何事かと訝しんだが。家の中に通されたオーガキングと族長は、ソフィアの前で全員が土下座した。ソフィアが慌てて俺の後に隠れる。


「あ、頭を上げて下さい。何事ですか?」


と背中にピッタリとくっ付いたソフィアが俺の肩越しに問いかけると、オーガキングが口を開いた。


「ソフィア様、お願いがございます。このマルシの後継者になってもらえないでしょうか。」


 オーガキングの依頼の余りの内容にソフィアは口を開けたり閉じたりして答えられないでいる。ソフィアがオーガキングの後継者!? それは、次の魔族の王になれと言う事だ。


「どうしてそのようなことに?」


とソフィアに代わって問いかける俺に、オーガキングが答えを返してくれる。先日作成した黒死病の治療薬も関係する人間の国との交渉が昔のボルダール伯爵領、現在の王の直轄領で行われることに決まり、精霊王との約束で、オーガキングがそこへ出向くには後継者を決めておく必要があるのだそうだ。族長達との話し合いで全員一致で決まったのがソフィアだと言う。


「ソフィア様以外の者では部族間で軋轢が生じます。ソフィア様しかいないのです。ソフィア様は精霊王様の御子であり、かつ今まで黒死病を始め、さまざまな病気から国民を救ってくださいました。先日はドラゴンをも従えてお見せになったとお聞きしております。ソフィア様であればここに居るものはもちろん、国民にも反対するものはいないでしょう。」


「む、む、無理です。で、出来っこありません。」


「ソフィア様、大丈夫です。ソフィア様が王に成られるなら族長達が全力でお支えするそうです。」


「む、無理です。それでも、無理です。」


「ソフィア様しかいないのです。どうかお願いします。」


と言いつつオーガキングが再度頭を下げる。


 するとソフィアは俺の後で屈んで完全に俺の陰に隠れ、俺の上着の裾を両手で握り締める。なんか以前にもこんなことがあったなあと懐かしく思ったが、次の瞬間血の気が引いた。ソフィアが、


「カラシン、お腹が痛い...。」


と言い出したのだ。慌てて振り返ると苦しそうに顔を顰めている。産気づいたのか? 生まれるのはもう少し先だと産婆からは聞いていたが...。おれは急いで部屋に居たカミルに産婆を呼んで来る様に頼んだ。ソフィアが俺の上着から手を放してお腹を抱えて蹲る。顔は蒼白で汗が噴き出している。それを見たオーガキング達が焦った様に顔を見合わせた。


 しばらくするとカミルと産婆が部屋に飛び込んできた。産婆はソフィアに駆け寄るとソフィアの様子を診察しながら、いくつか質問をしている。それからこちらに振り返り、


「うまれます。おとこは、へやから、でてください。」


と魔族語で叫んだ。この産婆は王都に来てから熱心に魔族語の勉強をして話せる様になった。周りとコミュニケーションが取れないと、いざという時に不安だからと言っていたが、頭が下がる。


「私にも手伝わせてください。」


とエルフの族長が口にする。オーガキングと残りの族長達が急いで部屋の外に出る。俺も後に続く。産婆だけでなく、カミルとエミル、それにエルフの族長も居るのだ。心配だが後は任せるしかないだろう。


「カラシン、申し訳ない。俺の所為だ。」


と、オーガキングが心底申し訳さなさそうに言う。族長のひとりが小さな声で、


「ソフィア様に何かあったら、俺達全員、精霊王様に殺されるな。」


と独り言を言うのが聞こえた。縁起でもない! と怒りを込めて振り返るとドワーフの族長だった。俺の視線を受けて、ドワーフの族長はバツが悪そうに「すまん」と口にする。


「マルシ様、申し訳ありませんが、後継者の件、今は無理です。時間をいただけますか?」


と俺が言うと。


「もちろんだ。俺は一旦引き上げる。男は役に立たない。ソフィア様が無事に出産されることを心から祈っている。」


と言って族長達を引き連れ家から出て言った。


 ひとりになると不安が心を苛む。予定日より10日以上早い。やはりオーガキングの後継者の話がストレスになったのだろう。もしもソフィアに何かあったら...と思うと大声で叫びだしたくなる。回復薬は出産時には使えないと聞いているし...。バカ野郎、何を考えてやがる。ソフィアは大丈夫に決まっているじゃないか! すぐに笑顔で生まれたての子供を抱いて俺に見せてくれるに決まっている。「カラシン、あなたの子供よ。」と言って、と自分に言い聞かせる。くそう、ソフィアとお腹の子供の為なら俺はなんだってする。だから力を貸してくれと神に祈る。


「おぎゃぁ~、おぎゃぁ~、おぎゃぁ~」


 時間が止まっている様に感じられたが、遂に部屋の扉が開き、エミルが笑顔で顔を出した。


「カラシンさん、おめでとうございます。男の子です。母子ともに元気ですよ。」


 その声を聴いて膝から床に崩れ落ちる。良かったと思った途端涙が溢れる。それからエミルに促されてソフィアの待つ部屋に入る。ベッドに横たわったソフィアが俺に笑顔を向けて来る。そして、ソフィアの横には清潔そうな布に包まれた我が子がいた。


「よく頑張ったな。」


と俺が声を掛けると、ソフィアが上半身を起こして赤ん坊を大切そうに抱き上げる。ソフィアと同じ金髪で、目は俺と同じ緑だ。


「カラシン、ありがとう。カラシンこの子を私にくれた。私、とても幸せ。」


と言う。


「それは俺のセリフだよ。」


と俺が返す。ソフィアとこの子が居れば、他には何も要らないと感じる。ありがとう、ソフィア...。こんな幸せな瞬間が俺の人生にあるとは思わなかった。すべてソフィアのお陰だと思う。


エルフ族の族長からも祝いの言葉を言われる。族長はその後すぐに出て言った。一刻も早くオーガキングに知らせるという。


 翌朝になると、オーガキングと族長達が祝いの言葉を伝えに再び我家を訪れた。


「ソフィア様、ご出産おめでとうございます。」


と述べるオーガキングにソフィアが言う。


「マルシ様、ありがとうございます。昨日は失礼しました。マルシ様の後継者の件、私で良ければ受けさせていただきます。」


 それを聞いてオーガキングだけでなく族長達も一気に顔がほころぶ。ソフィアは口調からしてしっかりしていて、昨日俺の後ろに隠れながら対応していた時とは大違いだ。昨日と比べて変わり様に驚いたが、それが母になったと言う事なのだろう。実は昨日ソフィアから相談されたのだ。俺達の子供は魔族の国で生きて行くことになる。だったらこの子のために魔族の国を守りたいと言う。もちろん俺も同じ気持ちだ。ソフィアは、オーガキングの後継者になると言うのは確かにとんでもないことだが、それが魔族の国のためというならやってみると言う。それなら、俺は全力でソフィアをサポートするだけだ。


「ソフィア様! ありがとうございます。これで安心してアルトン山脈の西に赴くことが出来ます。ソフィア様なら大丈夫です。多くの国民がソフィア様を慕っております。」


「マルシ様、ありがとうございます。ただ後継者になるのを引き受けるに当たったひとつだけ条件があります。私がマルシ様の後継者になるのは、マルシ様が戻って来られるまでとしてください。やはりマルシ様の後はマルシ様のお子様がお継ぎになるのが一番ですから。」


 ソフィアの言葉を受け、オーガキングは複雑そうな顔をしたが、しばらくして、


「分かりました。ソフィア様のおっしゃる通りにいたします。」


と返した。これでソフィアはオーガキングの後継者になったわけだ。期間限定とは言えとんでもないことになった。万が一オーガキングにアルトン山脈の向こう側で何かあれば、自動的にソフィアが魔族の王になると言う事だ。ソフィアが王になる。昨日オーガキングが来るまでは考えてもみなかったことだ。


 その日からソフィアの体調が回復するまでしばらく店を休むことにしたのだが、カミルとエミルの話では、町では沢山の人達にソフィアへお祝いの言葉を伝えてくれと頼まれたそうだ。もっともオーガキングがアルトン山脈の西へ出向くという話も伝わっているからお祝いムード一色ではない。ソフィアが後継者に指名されたという話も同時に噂となって広がっているらしい。

 

 ちなみに、俺達の子供の名前はサマルとした。ケイトと俺が育った孤児院の院長の名だ。俺達孤児を親身になって世話をしてくれた先生だ。ソフィアに頼まれて俺が名付けた。俺達の子供は元気だ、ソフィアの乳を飲み、良く泣き、よく眠る。ソフィアも出産3日後には体調が回復した。


 それから一月後、いよいよオーガキングがアルトン山脈の西の直轄領に向かうことになった。ソフィアと一緒に見送りながら、どうか無事に帰ってくる様にと祈った。

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