こちら長藁探偵事務所
熊坂藤茉
四十代既婚子持ち男性素行調査報告書
「最近、父の様子がおかしくて……書斎にこもりっきりで出て来ない日が続いたり、かと思ったら“ちょっと出掛けて来る”と言って日付が変わるまで帰って来ない日もあるんです」
平日の日暮れ時。困り果てた顔でやって来たブレザー姿の少年が、カップに注がれた紅茶に映る己の顔を見つめ、酷く思い詰めた様子で話を続ける。
「父が母以外の人に惹かれてしまったとかなら、両親の間で話し合って今後を決めてもらえばいいと思うんです。でも、もし何かよくないことに巻き込まれてたら、父だけでなく周りの自分達まで大変なことになってしまうので……もらい事故とか
「お願いします、探偵さん。父の素行について調査して下さい!」
――ここは長藁探偵事務所。ペット探しから見合い相手の素行調査まで、諸々請け負う街の零細探偵社。本日の
「事情は分かりました。それでは契約書類の作成に移りましょう。昨今は探偵業法や個人情報保護だで色々書かないといけませんので」
「探偵さんって大変なんですね……」
「正直この仕事辞めてバイト生活した方が気が楽――失礼、話が逸れました。では契約書類が書き終わりましたら、お父上のここ一ヶ月程度の行動パターンをこの表に埋めていただきます。それと、資料として顔写真もお預かりしますね」
「はい!」
契約締結に伴う様々な約款を説明しながら、少年と共にこつこつ書類を書き進める。何とか書類を作り終え、写真を受け取って調査対象の行動パターンを埋め始めたのだが――
「これは聞きしに勝るしっちゃかめっちゃかでは?」
「そう、しっちゃかめっちゃかなんですよ」
溜息を吐きながら、少年が筆記具から手を離す。推定就寝時間が午前三時の日もあれば、そもそも書斎から出て来ないまま朝になる日もあり、外出状況に至ってもぐちゃぐちゃだ。確かにこれは、趣味に目覚めたばかりの若者の如きしっちゃかめっちゃかぶりだろう。主に健康面とかが心配になる。
「母はあまり父の行動について気にしてないどころか『父さんは大人なんだからほっといていいのよ』なんて言ってますが、やっぱり気になって……探偵さん、よろしくお願いします!」
ここだけ聞くと家族想いの孝行息子だが、先程「もらい事故とか嫌だし」と口にしていたのを聞いた身としては曖昧に笑って返しておこう。気持ちは正直分からんでもない。
「承りました。案件が案件ですので結果を出すのに時間を必要としますが、お父上について調査させていただきます」
営業スマイルで告げてみれば、少年は安心したかのように顔をほころばせた。――さあ、お仕事の始まりだ。
* * *
――などとやる気を出したのが、今から一ヶ月程前の話。今日も尾行を続けているが、これまでの状況にどうしたものかと頭を抱えていた。
一週目。書店で買い物をしているのを確認。何を買ったかは事前にプレゼントラッピングをされていた物を棚から出す形だった為に不明。レシートも持ち帰りの為なし。
二週目。会社帰り、カラオケ店の前で数名の若い男性に取り囲まれ、対応に困っていた様子を見せる。そのまま彼らと入店したのだが、部屋を事前に取っており一部が迎えに来た形だったようで、部屋の場所と中の様子は不明。(店員に「入店手続きが済んでいない者は駄目だ」と止められ尾行失敗。無念)
三週目。派手な髪色の若い女性と手芸店で買い物。どちらが支払いをするかで揉めていたようだが、最終的に折半していた。購入品は合皮を含めた布数種とレジン液複数で、駅まで送り届けたところで別れたが、身体接触は特になし。荷物は女性が持ち帰った。
四週目。出勤退勤以外の外出なし。依頼主によれば、家では書斎にこもっていたとのこと。
何なのだこの行動は。調査対象が四十代前半ということを考慮したとしても、接触していた若い男性や女性は部下ではなさそうだし、そもそも密かに撮影した写真を依頼主に見せても「知らない人です」との答えが返って来ている。
「これは本格的に何らかのトラブルに巻き込まれている可能性を考えるべきだろうか」と思案した結果、本日は依頼人と共に尾行となった。休日だが母親は友人との用で外出しており、父親も出掛けるようだから留守番するくらいなら尾行に混ざりたいとのこと。複数人での尾行は成功率が落ちるのだが、追加料金を払うと言われれば、
「どこに行くのかな……こっちの方に知り合いがいるなんて聞いたことないけど……」
「可能性として考えられるのは、これまでの行動の中で特に怪しかった、若い男性や女性との接触でしょうか」
少年と共に尾行をし、彼の父が見知らぬアパートの前までやって来たのを確認する。私の調査でも、この周辺に調査対象と勤務先が同じだったり、得意先の人間が住んでいるという話は出て来ていない。そうなると、調査中に目撃した人物との密会という線が濃厚だ。浮気の線を考えるなら、例の女性の可能性が最も高くはあるが――
「――ビンゴだな」
アパート周囲に積み上げられたブロック塀の影から様子を伺えば、少年の父親が訪ねた部屋の扉から、派手な髪色の女性が姿を見せる。間違いなく、先日手芸店で支払いについて言い合っていた相手だ。
どこか恥じらう様子の調査対象と、それにからからと笑って返しているらしい女性。私の隣で息をひそめている少年の顔が、何とも味わい深いそれになっていく。
「若い子相手に鼻の下伸ばしてるんですかね、アレ。探偵さんはどう思います?」
「結論を出すにはまだ早い、とだけ答えましょう」
玄関前で話していた二人が、部屋の中へと入っていく。扉が閉められたのを確認すると、アパートの敷地内へと足を踏み入れた。
「部屋から出て来るまで、どれくらい掛かるのかが調査のキモになります。後は次のゴミ回収日に中身のチェックもやりたいところですが――」
「ああ、そういうのの有無を調べたり的な」
「っ、静かに。誰か来るようです」
外からの足音に気付き、眉間にシワを寄せていた少年の口を手で
「あの人達は……?」
「先々週、お父上をカラオケに連れ込んだ男性達ですよ」
そんな彼らが先程の部屋の扉をを叩く。まさかここが繋がるとは思わなかった。各々別件と思っていたが、これは
そう考えていると、扉が開き――先程とは別の女性が現れた。どことなく見覚えのある顔という印象を受けたが、即座に答えが示される。
「何で母さんがその部屋から出て来るの!?」
「あれ、やっほー息子。父さんの後でも付けてたの? そっちの人は?」
「た、探偵さん……」
「初めまして、長藁探偵事務所の者です」
やはり依頼主帯同は尾行成功率は落ちる。渋い顔をしそうになるが、見付かったからには聞き込みに切り替えよう。母親も関係者と判明したからには、聞くべきことがありすぎる。
「何々、先輩の息子さんですか? って、やだちょっとこの子も素材が凄くいい! 親子で揃えちゃうのもアリでは!?」
依頼主の母親の後ろから、先程の女性が顔を出した。その手には口紅を始めとしたメイク道具が握られているものの、その発色は彼女達の唇を彩るそれとは大きく異なっている。……いや、まさかそんなことは。
「ま、取り敢えず入るといいよ。父さんに会えば気が済むでしょ」
「そうだ、父さんに説明してもらわないと!」
男性達ではなく、今をときめく有名ゲームの美少女キャラクターに扮した、複数のコスプレ美女がいた。
「え、なにこれ」
「あー……」
流石にオチを察してしまったがもう遅い。美女の一人が依頼主に驚いた様子で口を開く。
「どうしてお前がここに!?」
「待って、嘘でしょこの可愛い人が父さんなの!?」
「美少女だけど父さんよー。それでこの人達は母さんの後輩。今はネットでの交流がメインなんだけどね」
「初めまして、後輩でっす! 先輩のダーリンが“アタシら側”に来たってんで、お手伝いさせてもらってまっす!」
洗いざらい聞き出した結果、この一件は浮気でも
部屋にこもってたのは原稿作業でうめいていただけで、彼らはサークル仲間であり、カラオケは打ち合わせで手芸店は衣装の素材の買い出し。母親経由でネット上の付き合い中心だったとはいえ、調査の線に引っ掛けられなかったのは、探偵として失格だ。しかし息子も親の趣味については知らなかったようなので、事前情報の欠如は仕方のない話ではあった。
だが、それにしたって。
『趣味に目覚めた若者みたいな行動』ってホントにそのまんまかよ!
口にはギリギリ出さなかったものの、最初に「まさかそんなわけはないだろう」と思ったものがズバリそのものだったというのは、一体どんなどんでん返しだ。真剣に事件性を疑った私は何だったのか。
「ええと、その、探偵さん……色々お騒がせしました」
「いえ、お代をいただければ問題ありません。後日支払いをお願いします」
営業スマイルを返しながら、アパートを後にする。依頼主も含めて今後の会議をするそうだ。……コスプレするオチになるんだろうなあ、きっと。
――以上、今回の調査はこれにて終了。長藁探偵事務所に、またトンチキな記録が増えることとなったのであった。
こちら長藁探偵事務所 熊坂藤茉 @tohma_k
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます