宇宙戦艦ストライク号の沈黙


薄紫の光があたりを照らし上げる。スティックライト、化学反応で光る電池いらずの灯だ。ここは宇宙戦艦ストライク号の主制御室。光を失ったモニターやコンソール上のスイッチとボタンが早くも廃墟の雰囲気を漂わせている。俺鈴木はため息をつくと制御室の穴から下へコードの束を伝わって”泳いだ”。泳いだという表現は間違いじゃない。今この船には人工重力がかかっていないんだ。装置が停止しているから。


今から3分前。俺たちは突如現れた2匹目の”宇宙電気毒クラゲ”の追撃を受ける羽目に陥った。通常攻撃は効かず、捕まったら全ての電子機器をマヒさせられ、エネルギーを吸い取られるという難敵だ。自らの動力源を全て絶ち、奴には囮の魚雷を追いかけさせるという”死んだふり作戦”で辛くも追手から逃れる事に成功した俺達だが、その代償として動力源と主電源の喪失という非常に深刻な状況に置かれているのだった。


制御室を抜けると、居住ホールに出る。8畳くらいの広さの立方体の部屋で、ホールと言うのは大げさかもしれないがこの艦では一番広い空間だ。言ってみれば一人艦長つまりこの俺鈴木の私室なのだが、当の俺は今なぜかどういうわけか通路で寝起きしており、ここは事実上”彼女”の場所になっている。理由はオレにもよくわからないが、とにかくなぜかどういうわけかそういう事になっているんだ。その部屋の片隅で同じくステイックライトの光が揺らめいている。宇宙生活者らしい短髪の黒髪にウェストがキュッと締まった上下のツナギを着た、今の部屋の主がゴソゴソなにかを格納ロッカーから引き出している。「これ着ろスズキ。すぐに氷点下になるぞ」


白い息を吐きながらチュン・チュンチュン中尉は俺の方へ宇宙服を押しやった。人工重力の束縛がないがゆえに宙を飛んできたその真っ白の手足が生えた寝袋?といった趣のモコモコを俺は受け取る。とほほ、なんだろな、この感じ。沈没間際の客船で救命胴衣を手渡される乗客ってこんな気持ちになるんだろうか?


宇宙服、か。着るのは先日ビクトリー号の一件があって以来だな。俺は磁石靴が付いた宇宙服に足を突っ込み袖を通し気密ジッパーを引き上げた。これで氷点下の室温や無重力下でもなんとか活動できるだろう。ヘルメットは一応被るが、バイザーは閉じない。艦内は今はまだ辛うじて人間が生きて行ける環境を保っているから。だけどそれも時間の問題で、いずれここは死の宇宙空間になる。そうなる前に俺たちは生き延びるため、なんとしてでも、この完全に沈黙したムーン級潜空突撃艦を 


  復 活 さ せ な く て は な ら な い 


「スズキ 時間1秒は 命の1秒」同じように宇宙服を着たチュンが言う。

おうそのとおりだ。ありがとよ。俺は宇宙服の袖についたデジタル時計のボタンを押してタイマー機能を呼び出した。「ゲームオーバーまで何時間あると見る?チュン中尉」俺は尋ねた。彼女は答えた。「無重力はとりあえず仕方ない。氷点下の室温も宇宙服でどうにかしのげる。問題は、空気。換気システムが止まってる。酸素濃度が下がって炭酸ガスが増加していく。そうなったら呼吸できない。ヘルメットを閉じて宇宙服の酸素ボンベで呼吸する事になる、それも長くは持たない。6時間がいい所だと思う」そして切れ長の目が伏せられた。「でも実際はその更に半分、たぶん・・・3時間」小さな声でつぶやいた。


「そうだな」俺は頷いてタイマーの数字を180分に合わせる。「宇宙戦艦は元来1人乗りだ。でもいまストライク号には2人いる。空気の使用量も2倍・・・」そこでチュンが唇を噛んでいるのに気が付いた。ししししし し ま っ た !!

なんか彼女が乗り込んできたのを責めてる感じに聞こえてしまったぽい?俺は慌てた。「ち、ちがうんだチュン、そういう意味じゃ」

「そういう意味ってなんだ?私何も気にしてない」

いやいやその声その表情、明らかに落ち込んでるじゃないですか。

握りしめた拳がプルプル小刻みに震えてるじゃないですか。

「君には、ホント感謝してるんだチュン中尉」

「うそつけ 厄介者だと思ってる」

「そんなことないよ!」

「・・・・・・」

それきり気まずい沈黙が場を支配した。


はあ・・・こんな時。俺は天井のモニターを見上げた。

画面は真っ黒、LEDも消えている。

「E子がいたら・・・”こら~人間ども!”って言ってくれるのにな」

思わず口をついて出た言葉に、チュンは弱弱しく笑ってうなずいた。

「すまない 不貞腐れてる場合じゃない」

「時間を無駄にした 動き出そう スズキ」

おうそのとおりだ。ありがとよ。





為すべきこと、それはこの宇宙戦艦という名の”巨大システム”の復旧だ。

今これは予期せぬ電源遮断というアクシデントで強制終了がかかった状態になっている。・・・なに?だったら”主電源レバー”を元に戻せばいいだろうって?

・・・素人かね君たちは。こいつはスマホやパソコンとは違う。何万ものプログラムが複雑に絡み合った電子脳髄ともいうべき存在なんだ。電源を戻して元通りならとっくにやってるよ。だが残念ながらそうはいかない。一つ一つのプログラムを正しく組み合わせて正しい順番で起動していかないと正常に動作しない。それどころかデータや機械が破損して再起不能まである。本来こういうのは造船所とか整備ドックで慎重に行われるべきなんだけど・・・いうなれば俺たちは”戦場で脳外科手術”をやろうとしてるって事になるな。


「スズキ 紙マニュアル出す 復旧手順を確認する」チュンが言った。

か・・・み?まにゅ・・・ある?俺は一瞬逡巡し、首をひねり、顎をかしげ、

そして思い出し、腹の奥から氷の塊がこみあげてくるのを実感した。

「当然 だって今電子マニュアルは参照できな・・・!」続けるチュンは

俺の蒼白化した顔面を見て「ま、まさか・・・ない?作っていない?」

彼女の顔もひきつった。「な・・・なわけないじゃん!作って・・・ますよ?

もちろん」小鳥のように裏返った声で俺はさえずる。鋭い眼差しの彼女を直視できない。


紙マニュアル。宇宙戦艦の取扱説明書。本来は電子マニュアルしかない。

それは出港時に最新バージョンがネットワーク越しに艦のコンピューターへ

ダウンロードされる。そして外宇宙へ向かう一人艦長の最初の仕事が、

この大量の電子データを「自らの手で紙のノートに書き写すこと」なのだった。

なにそれ?!なんでプリントしないわけ?いくら宇宙の旅が暇だからって

そんなクソ仕事やらすなよと思ったものだ。一応統合軍本部の言い分としては

「手書きする事でマニュアル内容が記憶できる。長期航海期間中の認知機能低下も

防げる。万一の事態に備える事は重要である」なんだが、それって認知症を防ぎたいお年寄りが「写経」するようなもんじゃん!くっだらね~と思っていたが、


今まさにその万一の事態に直面しているってわけか。電子マニュアルは停電した艦に飲み込まれたまま取り出せない。紙に記された情報が命綱になっている。


し、しかし、アレを読むのか?アレを見るのか?ぐずる俺を「あるのかないのか?はっきりしろ!スズキ!」チュンが一喝した。学校の先生に宿題提出の件で怒られている中学生の様に「あ、あります、よ?出します、よ?」しぶしぶ俺は室内ロッカーの一角を開いて分厚い辞典ほどもあるルーズリーフの帳面を5冊引き出し、恐る恐るチュン先生に提出する。「これだけ?ホントは10冊以上行くはず!」呆れた表情のチュンに、「い、いや省略していいかな~という箇所は飛ばしたりしたから…」

しどろもどろに俺は答えた。

「そんなに省略できるはずない 大事な所飛ばしてるかも」ステイックライトで照らしながら眉間にしわを寄せ、チュンは帳面をめくっている。1ページ、2ページ、そのペースはどんどん早くなりしまいには雑にパラパラとめくる感じになっていった。俺は宇宙服のまま正座のポーズで宙に浮かんでいる。

最後に限られた酸素を大量に消費しそうな巨大な溜息をチュンはついた。「スズキ」「ハイ!なんですか?」俺は正座のまませめて返事は元気よく答える。


「 字 が 汚 す ぎ  読 め な い 」


・・・言われると思った。


「それになんだ?このバカな落書きは?」軽蔑120%の冷たい眼差しが俺を串刺しにする。おそらく余白に描いたアレだ。取説キャラクターイラストに"ヒゲ"とか"ほっぺに渦巻き"を描き足したり、股の下に"う●ち"を描いて「ブリブリ」と吹き出しをつけてあるやつだ。「だ、だって息抜きにそれくらいやらなきゃやってられないよぉ」口を尖らせる俺に「本文より多いぞ! スズキ歳いくつだ?」「28歳」

「こおいうのは10歳で卒業しろ!」「ですよねっ」ううっ恥ずかしくて死にそう。


「あとこれ なんだ?」彼女は帳面を開いてその部分を見せた。

ノートの間にテープで貼り付けられた薄い紙を。げ!見つけちゃいましたか!

よりによって"それ"を。「あ、あっそっそれは気にしないで。本文とも関係ないし・・・」目がクロールで泳ぎ続ける俺を「言え これは なんだ?」チュンは

暗い顔で鬼詰めしてくる。・・・これは逆らえない。


「じょ・・・じょせいの・・・はだかの・・・絵です」

俺は蚊の鳴くような声で白状した。


我々健全な男の子にとって残酷極まりない事に、宇宙戦艦にポルノの持込は許されていない。グラビアもせいぜい水着止まりだ。だから俺はその水着グラビアの上に薄い紙を重ね、女体輪郭を鉛筆で縁取りし、見えていない部分を自分で描き足したヌード絵を何十枚も描いていたのだった。つまり昂るオトコ心を芸術という形に昇華させていたんだよ悪いか!そこに隠したのは、使える真っ新な白紙が紙マニュアル用のそれしかなかったからなんだもん・・・。


「私の事も こんな風に 見てるのか?」嫌悪があふれ出る表情が俺を押しつぶす。

「そ、そんなことないよっ!だって・・・君・・・水着じゃないし」嘘だ。大嘘だ。確かに最初こそ水着グラビアを転写していたが、慣れてくるにつれ普通に服を着た女性の写真でもその下にどんなボディが隠されているか想像してヌードを描写できる超技術を260日の暇な航海の間に俺鈴木は会得してしまったのだった。したがって彼女も・・・・・・怒りの彼女と目を合わせられず、その首から下をチラ見する。


ふっくらと柔らかそうなバスト、キュッと締まったウェスト、張りのあるヒップ。

宇宙服の上からでも仕上がったボディがむっちりみっちり詰まっている事を想像させる。たぶんB90、W50、H94・・・・。


「最っっっっっっっ低!!! このド変態!!! 気持ち悪い!!!!」

絶叫と共に彼女はルーズリーフを俺に叩きつけた。

「もおやだ!私見ない!触らない!手伝わない!」

「船外鏡で表を見張る!あとはスズキやれ!」返事を聞かずに主制御室へもぐりこんでしまった。


・・・はぁ・・・だってしょうがないじゃないか。ここは一人乗りの宇宙戦艦だぞ。

誰かにこの帳面を見せるなんて思ってもいなかったんだから。




薄紫の心細い灯の下、関係ありそうなところを付箋でピン止めしながら、俺は自ら作成した”古文書”を解読している。・・・我ながらひでぇ字だ。だが確かに端折り過ぎなところはあるものの、俺手書きの”ストライク号取扱説明書”は要所要所はきっちり抑えてあった。よしよしえらいぞ260日前の俺。そしてどうにかなんとかシステム再起動チャートを書き上げることができた。腕時計を見ると・・・180分中90分が経過しているだって!?。早いよちくしょう。これはHP1までぴんぴん動けるTVゲームとは訳が違う。艦内環境はじわじわ悪化していく。おそらく150分を過ぎるころには二酸化炭素の濃度が上がって俺たちの活動を阻むだろう。頭痛、めまい・・・急がなくては。


バッテリ駆動のノート端末に仮想システム”なんちゃってストライク号”を構築し、

組み上げたチャートを読み込んで実行してみる。本番前のリハーサルって奴だ

・・・おっと参照エラー?プログラムF-45がA-98より先走っている?ウェイト入れるか。後は・・・その時!


「スズキ!」主制御室からチュンの叫び声がした。


その声には明らかな感情”恐怖”が含まれていたので、俺は(はて?シートかコンソールに”作品”を展示してたっけ?さすがにそこまでハレンチな事はしてないはず)とか考えながら主制御室に上ると、チュンが船外鏡を持ったまま呆然としている。顔色は真っ青だ、いやステイックライトのせいなんだけど、表情が尋常じゃない。

「たいへん」

「どしたの?」何も言わずに彼女は船外鏡を差し出した。

のぞいた俺の目に入ってきたのは・・・黒い塊。


「小惑星 進路上にある」


・・・な、なんだって?・・・そんな・・・。

今この艦には動力も電力もない。

加減速も、転進もできない。

このまま突っ込めば・・・


「衝突する」


チュンは震えを押し殺した声で言った。







つづく



















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