伊吹さん、立つ。

富升針清

第1話

「新宗教?」

「そうなんっすよ。ヤクザが宗教をプロデュースなんて、世も末っすけどね」

「全く前例が無いってわけでもないからな。昔からある手法だとも思うし、まだ世紀末には八十年あるぜ? 何処も世も末じゃないだろ」

「そう言うところが矢田先輩モテないんだと俺は思いますよ」

「何でだよ!」

「何事もタイミングってあるんですわ。愛想笑いも、マジスレも。片寄ってもダメだし、全てでもダメ。先輩もあるっしょ? お前のこれはこのタイミングじゃねぇーんだよ、って思う時」


 それが地上最強に上手いのは伊吹雅仁と言う魔王だろう。


「ある、かも」

「女の子の多くは、そのタイミングがシビアなんっすわ。俺とか矢田先輩のタイミング妥協範囲が、仮にこのバーカウンターの椅子だとしましょう」

「……池田はこんなに心広くないだろ?」

「タイミングー。言い出すタイミングー。仮にしといてくださいって言ってるっしょ? で、大体矢田先輩が好きそうな女の子タイプのタイミング妥当範囲はこれ」


  そう言って、池田は矢田のタバコを一本取り出し丸い部分を向ける。


「……音ゲーじゃん」

「おとげー?」

「最早、それ音ゲーだろ」

「いや、知らんですけど。たまに本当に矢田先輩バグりますね。何っすか。呪いっすか?」


 そう言いながら、自然流れで池田は矢田のタバコを咥え火を付けた。



「だから、タイミングって大事なんっすよ。自衛の為にも」

「自衛?」

「そー。前の宗教の話に戻りますがね、タイミングって俺たちみたいなカスでも決められるんすよ」


 池田莉人がそう笑った。

 彼の職場は褒められた職業ではない。金の為なら何でもする。チャラそうな見た目とは裏腹に頭は切れ、それを良くない事に使っているのは矢田も知るところだ。

 しかし、莉人には莉人の事情がある。

 他人が正義感だろうがなんだろうが、首を突っ込めない事情があるのだ。


「……碌な事してねぇな。碌な死に方しねぇぞ」


 矢田は顔を顰めながら池田を見た。

 確かに、首を突っ込めない事情があるのは分かるし、理解している。しているが、それを手放しで受け入れられる程、矢田は人間が出来ている訳では無いのだ。


「まだ死ぬ予定がないんで、それは死ぬ予定があった時にでも考えますわ」

「馬鹿野郎」

「それこそ、タイミングっすよ。自分のタイミングを他者に握らせるからこそ、死ぬ奴が多い。そう思いません?」

「思わねぇし、握らねぇし、握らせねぇだろ。普通は」

「そんな矢田先輩みたいに良識ある善良ぶってる良い人なんてそうそう居ないっすよ。だからこそ、新宗教の需要がある。金になりますよ。クソみたいに」

「嫌な話だな。不安を煽って不幸になるタイミングを他人に決められるなんて、地獄だろ」

「幸せにはしてくれないっすからね。昔からある意味のある信仰ならまだしも、今し方出てきた人間を祀る信仰なんて、種も仕掛けもありまくる。仕込んでるのは俺だけど」

「畳では死なねぇな」

「俺ん家畳ないんで。問題ねぇですわ」

「タイミングー。マジレスのタイミングー。お前が言い出したんだろうが」

「別に矢田先輩のタイミング合わせたところで何もないですもん。矢田先輩がクソ美女ならわかりますけど、デブで男やないですか」

「デブ関係ねぇだろ! 男だけで十分だろ! そこは!」

「すみません。矢田先輩といると安心しきって自宅だと思っちゃって」

「絶対思ってねぇし」

「いやいや、本当ですって。しかし、人間は何でこんなにも不安に弱い生き物なんですかね?」

「人間だけじゃねぇだろ。不安を恐るのは動物の本能だ」

「矢田先輩、後ろに伊吹先輩の生き霊が矢田先輩の右手を仕切に触ってますよ」

「おい、やめろ」

「めっちゃ触ってますよ。めっちゃ高速っす。多分、そのうち煙出ますわ」

「逆に見たくなるレベルの嘘やめろ!」


 怖さを通り越して、逆に興味が出てくるレベルだ。


「……初歩的な事をすんなや。寄りによって、伊吹ですんなよ」

「一番矢田先輩には効果あるかなって。貴方を恨んでる人よりはいいっしょ?」

「伊吹よりも俺を恨んでる奴の方が俺の中では好感度が高い」


 矢田は鼻で笑いながら自分の右手の表裏を見る。

 何の変哲もない肥えた手だ。


「使い古された嫌な詐欺だ。利き手は怪我をする確率が高い。何か怪我をすれば、あの時ああ言われたと脳内で関係付け易く不安を煽りやすいからな。言った奴の事を信じてまう古典芸能だ」

「だけど、時間がかかり過ぎる。今じゃそんな詐欺聞かないっすわ。それよりも、もっと効率的で簡単な不安の煽り方があるんですよ」

「……それは?」


 そう言って、池田は矢田の後ろを指さした。


「矢田先輩の後ろに女がいる。凄い形相で睨んでいる。貴方に酷い恨みを持っている。その女は、仕切りに貴方に殺されたと言っている。貴方のせいで死ぬ事になったと。貴方、何をしたんですか? 彼女は言ってますよ。見つけた、人殺し。……ってね」


 そう言って、矢田の肩を池田は力一杯掴んだ。


「……」


 驚きの余りか、矢田は池田を見たまま固まってしまった。

 余り表情が豊富な先輩ではない矢田が、こんなにも分かりやすいとは、違う面で驚きだと池田は思う。


「あ、ビビりました? 嘘っすよ。嘘。人間生きてりゃ恨みなんて死ぬ程かいますからね。この嘘に心当たりがない奴なんていない。例えば、昔、学生時代。からかってしまった奴の今を知る由もない。でも、心の何処かにひっかかって、それが呼び起こされる。後ろめたい奴は全員、心当たりに手当たり次第していくっすよ。こっちがわざわざ解説なんぞ付けんでも、勝手に関連付けて怯えて、助けを求める。おめでたいもんでしょ? 人間のクソみたいな頭はさ」

「池田……」

「この前も、見学に来た女に電話やったらスイッチ入っちゃって。仕切りに、先生ごめんなさいとか、何とかちゃんごめんなさい。言い始めちゃって。はっ。何やったんだか。表面だけ繕ってても、皮を剥げば皆んな赤が黒ですって。人間って何でこんなに汚くてアホなんですかね」

「お前の後ろにいる男が凄い形相で睨んでるぞ」

「矢田先輩、そういういいですって。俺は人間型の魔王知ってますもん。霊とかなんて雑魚ですわ」

「酷い恨み持ってそうでも?」

「はっ! 恨みなんて買ってなんぼっすわ。睨んでるだけの雑魚に何が出来んだよ。ヤレるもんならヤッてみろってね!」

「だ、そうだぞ。伊吹」

「……え?」


 池田が振り返ると、其処には出張中の筈の伊吹の姿があった。


「ひぇ……」

「良かったな。睨んでるだけの雑魚じゃないようだぞ」


 自分が狩る側の人間だと錯覚している時。

 また自分も人間でしかない事を思い出すのだ。

 そう、池田の様に。

 

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