第1話 南端・野島崎


 カレンダーにぽっかり空いた春の大型連休。

 その内のある一日、ついに僕は「端巡り」の第一歩を踏み出した。


 手始めに向かう先は南端。千葉県の最南端は野島崎のじまざきという場所にあるらしい。太平洋に突き出した房総半島の最先端の部分にある岬だ。そこには灯台が立っており、中を登って上部の展望台に行けるようだ。灯台を訪れたことは無かったし、高い場所もあまり得意ではないが、今日は挑戦してみようと思っている。折角南端を訪れるのに、目玉の灯台に登らないのも可笑しい気がするからだ。


 千葉駅からJRの特急に揺られること一時間半弱。辿り着いた館山駅は、想像よりうんと大きくて立派だった。地上に降りるにはかなり長い階段を降りなくてはならない。出口を間違えて引き返すのにも一苦労しそうだ。僕は入念に向かう出口を確認した。

 東口を出ると、広けた楕円のロータリーが姿を現す。その隅に野島崎へ向かうバスの停車場があった。近くの営業所の券売機で乗車券を買ってしばらく待つと、年季の入った大きなバスが到着した。前の入口から車内に入ると、狭い中央の通路の左右に前方を向いたシートがずらりと並んでいる。それはまるで観光バスのような造りで、横向きの優先席がある千葉市内の路線バスに馴染んでいた僕にとっては新鮮だった。

 走る度にビリビリ振動する窓の向こうと、前方に小さく表示される次のバス停の名前と、目的のバス停を調べたスマートフォンを三角食べにしながら、バスに揺られること三十分以上。野島崎の最寄りのバス停は唐突に出現した。そこは空き地の草むらの間に住宅が疎らに立つ、長閑な一本道だった。建っている家はどれも立派で住み心地が良さそうだ。それだけのお金持ちが住んでいるのだろうか。それだけ良い家が建てやすいお値段の立地なのだろうか。

 その後の道程にはほとんど困らなかった。バス通りから灯台の先端が顔を覗かせていたからだ。スマートフォンの地図アプリで自分の位置を確かめながら、僕はバス通りを逸れ、脇に伸びる路地に入った。

 狭い路地を潜り抜けた先に、小さなロータリーが見えた。そこには「白浜野島崎園地」と書かれた小さなモニュメントが立っていて、車もたくさん止まっている。飲食店や屋台が並ぶロータリーから一本の坂道が伸び、その奥に白亜の灯台がどっしりと鎮座していた。ここが本日の目的地だ。

 時刻はもうすぐ午後一時だったが、格別お腹が空いていなかった僕は、先に灯台に向かうことにした。


 灯台の門は坂を上がった突き当りにあった。

 膨張色の灯台の存在感は抜群だった。バス通りから遠巻きに見た時とは打って変わって、近くで見るとかなりの迫力がある。しかし高い塔やビルを下から見上げた時のくらくらするような感覚は無い。高所が苦手な僕にとって、それは非常にありがたいことだった。

 入館料を払った後、手始めに灯台の敷地内にあった資料館に足を運んでみる。展示は灯台の役割や日本の灯台の歴史に関するものだった。灯台についての知識がそこまで無かった僕にとっては、なるほどためになる内容だと思った。野島埼のじまさき灯台が日本で二番目に古い灯台だという情報には心底驚いた。実物を前にしても、そんなに古い灯台には見えなかったからだ。もっとも、震災や戦争を経て何度か倒壊・修復されいるらしく、今の灯台には明治時代の面影は残っていないのだろう。

 資料館を出た僕は、いよいよ灯台の麓に向かった。一つ深呼吸をして小さい灯台の入口に足を踏み入れる。その内部には螺旋階段が上へ延々と続いていた。階段の幅は狭く、2人の大人がすれ違うと肩がぶつかりそうなくらいだ。階段には段数が書いてあるものの、窓は一切ない。自分が階段のどの辺りにいるのか全く見当もつかないまま、僕は一歩一歩足を進めていく。体力の乏しい僕は、上り始めて早々に息が切れてきた。幸い後ろに控えている人も前方から階段を下りてくる人もいなかったから、マイペースに上ることができた。

 のそのそ進んでいくと、やがて小さな踊り場のような場所に辿り着いた。そこには鉄製の梯子状の階段が据え付けられており、平な天井の一角に空いた穴へと伸びている。どうやらこの先に展望台があるようだ。僕は息を整えてから、階段の最後の難関に挑んだ。

 足を踏み外さないよう慎重に梯子を上った先は、狭いドーム状の空間だった。灯台のライトの真下にあたる部分なのだろうだ。中心には巨大な鉄製の機械が陣取っており、上の台座のような部分に載る大きなレンズがちらりと見えた。

 階段を登ってすぐの場所の壁に、開け放しの小さな扉がある。この先が展望台のようだ。

 思い切って扉の外に出ると、僕は息を呑んだ。

 目の前に無限があった。

 押し寄せては砕ける白波の泡立つ海。世界で最も広い海が、水平の先まで広がっていた。ここから海をずっとまっすぐ泳いで行ったら、どこに辿り着くのだろうか。水平線をじっと見つめるうちに海に吸い込まれてしまいそうだった。今日は雲が厚くすっきりしない天気だったが、そんなことはどうでも良く思えた。僕は今、地球が想像の何億倍も大きいことと、自分の体が想像の何兆倍も小さいことを、全身で思い知っているのだ。

 恐る恐る眼下を見おろすと、丸い岬の形がはっきりと視認できた。波がせわしなく体当たりする黒っぽい岩岸。その内側の緑の中に、白い一本の歩道が通っている。その上を歩く人々は米粒のようだ。上空を吹く強い風が、僕の黒いパーカーと恐怖心を煽った。僕はぶるりと震えて、あえなく頭をひっこめた。


 展望台は灯台の外壁を囲むように、ドーナツ型の通路になっている。もう少し違う方角の景色も見てみようと左を向いたその時。

 トン、と左腕に衝撃が走る。誰かの腕が僕の腕にぶつかったのだ。僕も相手も、ほぼ同時にすみませんと声をかける。相手は三十代くらいの痩せ身の男だった。年季の入った淡い紺のジーパン。爽やかなベージュのワイシャツの上に、カーキ色のジャケットをスタイリッシュに着こなしている。首には十字架のネックレス。胸元のポケットには高そうなグラサンが畳まれて挿っている。

 いかにも遊び慣れていそうな男だと思った瞬間、その勘が正しかったことが証明された。彼の後方から「も~、気をつけてよ~」という声が聞こえたのだ。二十代くらいの若い女性が、彼の手を握っていた。背中まで垂らした黒髪と、白亜のワンピースを靡かせ、茶色の瞳をキラキラさせている。その視線は雄大な景色でも矮小な僕でもなく、ずっと男に注がれていた。男は僕に会釈をすると、まるで何もなかったかのように彼女の腰に手を回し、彼女の視線を受け始めた。やがて二人は、展望台の出入口に吸い込まれるように消えていった。

 気を取り直して、ゆっくりと展望台の通路を歩き始めた。岬はどの方向もとても良い眺めだった。しかし、移動するときは今度は人とぶつからないよう注意しなくてはならない。狭い展望台の通路には何組もの観光客がいた。幼稚園児くらいの娘を抱っこして景色を見せる父親、手すりから身を乗り出すようにして景色を眺める男子高校生グループ、ぽつぽつと言葉を交わしながら静かに景色を見つめる熟年夫婦…僕は彼らの間を、そろりそろりと慎重にかいくぐった。

 展望台を丸一周した後、僕はついに灯台を降りることにした。景色を一巡り堪能して満足したし、疲労のゲージもかなり溜まっていた。僕は来た時と同じように、足元に細心の注意を払いながら、えっちらおっちら階段を下った。上る時は違って、今度はかなりの人数とすれ違った。その度に僕は立ち止まって、身を片側にぎゅっと寄せた。すれ違ったのはカップルや家族連ればかりだ。自分のように一人の客がいれば避けるのも楽なのにと思ったが、そのような客とはすれ違わなかった。

 やっとの思いで灯台の外に出ると、ふうと溜息をついた。棒きれになった足からワーニングのブザーが聞こえる。思えばバスを降りてから歩きっぱなしだ。不意に灯台の上から見えた歩道の周りにベンチが点々とあったのを思い出した。ひとまずそこで休憩しよう。僕は真っ直ぐ灯台の敷地を後にした。


 灯台の門の脇に岬の公園への抜け道があった。岬の海岸沿い一帯が園地として開放されていた。上から見た通り、緑の芝生を突っ切る白い道の途中に、ぽつりぽつりとベンチが置かれている。僕は近くのベンチの端に座って、館山駅で買っておいた水のペットボトルを開封した。

 水を飲みながらしばらくぼうっと景色を眺めた。灯台に昇ってから何かと注意を払っていた反動で、自然と脳も節電モードに入ったらしい。波の音と海の香りが春の風に乗って、僕の体をするりと通り抜けていく。そのひと時はなかなか心地よいものだった。

 清々しい空気に浸っていると、不意に人の話し声が近づいてきた。声の主は一組の家族連れだった。「足疲れた~」という小学生くらいの娘の手を引きながら、「休憩しよっか」「あそこ座れそうだよ」と宥める両親。三人はまっすぐ、僕のいるベンチに向かっている。僕は反射的にベンチから立ち上がり、親子が向かってくる方とは反対の方向にそそくさと歩きだした。足の疲れは取れ切っていなかった。ベンチはそれなりの長さがあったから、横に詰めればまだ座っていられたかもしれない。しかし、親子のすぐ隣に居るのは何だか気まずいと思ったのだ。

 立ち上がった勢いで、僕は辺りを散策することにした。舗装された白い道を少し離れると、そこは波際の岩辺だった。砂の上に地層がむき出しの岩が乱雑に分布している。動きづらい岩の上をよたよた辿っていくと、陸の一番外側の黒い岩が見えた。岩には時折波が打ち付けて、白い飛沫を空中に飛ばした。

 岩間には潮だまりや大きな浅瀬もあった。もわりと広がる磯の香りが鼻に纏わりつく。浅瀬には外周の波に合わせて、小さい波が静かに寄せたり引いたりしている。中にはビーチサンダルの足を浅瀬に堂々と浸けているカップルもいた。まだ海水は冷たいだろうによくやるなあと思いつつ、僕は岩の上からその光景を眺めた。

 程なくして僕は道に引き返した。さらに進んだ所に「房総半島最南端の地」と書かれた石碑を見つけた。石碑の真後ろに灯台が見える。灯台は真下で見た時よりも一段と高く見えた。小高い丘の上に建てられている灯台を、丘の下から見上げる格好になるからだ。

 石碑の前では女子大生らしき二人組が記念撮影をしていた。一方の女がスマートフォンを持った右腕を斜め上に伸ばして、もう一方の女と顔を寄せ合っている。彼女らはそうして、しばらく色々なポーズで写真を撮っていた。世にいう「映える」写真を撮りたいのだろうか。ポーズからして、おそらくその写真は自分たちの顔がメインで、きっと灯台や石碑は二の次なのだろう。はしゃぎながらシャッターを切る彼女らの様子に、僕は思わず眉を顰めた。

 彼女たちが去った後、僕は自分のスマートフォンで静かに灯台と石碑を写真に収めた。自分の姿は一切写っていない。誰かに見てもらうためでも、どこかに共有するためでもない。南端を訪れた「証」としての一枚だ。


 写真を撮り終えて後ろを振り返ると、そこはちょうど岬の切っ先だった。いわば房総半島の南端の南端である。

 目の前に占拠する大きな岩。その上に小さなベンチが、太平洋に向き合うように据え付けられている。暗褐色の武骨な岩の上にちょこんと載せられた白いベンチはひと際目立って見えた。そういえば野島崎関連のを調べた時、このベンチの話題も目にした覚えがある。ここは人気のデートスポットらしく、夕方には綺麗な夕日が見えるそうだ。

 岩の上にはベンチを目指す一組のカップルがいた。男はベージュのワイシャツの上にカーキ色のジャケット。女は黒髪ロングに白いワンピース。僕はハッとした。彼らはついさっき灯台の展望台でぶつかったカップルだったのだ。

 男は軽々と先を登り、女の手を取っていた。女は登りづらそうにしていたが、その表情は晴れやかだった。男のエスコートが上手であることの証左なのだろうか。あるいは好きな人に優しくされて嬉しいのだろうか。いずれにせよ、まるで「モテる男のデート術」の教材ビデオを見せられているような気分だった。二人はやがてベンチに辿り着いくと、そこで一緒に写真を撮り、ベンチに腰掛け、しばらく肩を寄せ合っていた。

 彼らの後ろ姿を見ているうちに、僕はふとあることに気づいた。

 野島崎に足を踏み入れてから、一人きりなのは僕だけだった。今日出会った人々を思い返しても、カップルだったり、家族だったり、夫婦だったり、友達グループだったり。単身でこの地を訪れている人は誰も見かけなかった。

 思えば僕はずっと一人だった。社会人になり、学生時代の友人と散り散りになって以来、僕はプライベートな時間を一人きりで過ごしていた。三年の歳月を過ごすうちに、いつしかそれは当たり前になっていた。この「端巡り」を決心した時だって、誰かと一緒に行くという選択肢は一切頭になかった。

 僕はずっと孤独だったんだ。そして、僕が孤独の沼の奥底に慣れて、自分が孤独だということを忘れていたんだ。それに気づいた瞬間、強い寒気を感じた。得体の知れない寂しさが、僕の心を押し潰そうとしている。僕は思わずぶるりと身震いした。

 僕が一人で悶えているうちに、カップルは岩から降りてきた。二人は百点満点の笑みをたたえ、手をつないで僕の目の前を軽やかに通り過ぎて行った。きっと彼らにとっての僕は、道端の石ころ同然なのだろう。いや、認識してすらいないに違いない。さっき僕にぶつかったことだって、もう今頃は忘却の彼方だ。

 その時、僕の心に一筋の火花が走った。同窓会で感じたあの悔しさと劣等感が、再び心を侵食し始めた。僕は衝動的に岩をどかどかと登り出した。

 岩は滑りづらかったが、急な傾斜と不揃いな凹凸が足を掬おうとする。何度もバランスを崩しそうになりながら、無様に岩を登った。やっとの思いで岩の頂上に着くと、僕はベンチの脇で腕を組み、岬の先端をギッと睨みつけた。

 ゴロゴロと無数に転がる暗褐色の岩に、外洋の荒波がせわしなく打ち付けている。それは率直に言って、誰か大切な人と一緒に見たいような格別な景色だとは思えなかった。ひょっとすると、夕日が見える時間にはもっと美しく見えるのかもしれない。あるいは、もっと晴れていたら更に綺麗に見えるのかもしれない。しかしあのカップルは、ここでとても楽しそうにしていた。この場所を楽しめない僕がいけないのだろうか?


 岩の下で見た二人の笑顔が網膜に焼き付いている。あの幸せそうな表情。ああいう顔を僕もしたい。その隣に誰かが居ても居なくてもどっちでもいい。何でもいいから幸福を感じたかった。確かに僕は体力も無くて気が小さくて、欠点だらけでちっぽけな奴だ。けれど、ちっぽけなりに一生懸命生きているじゃないか。それなのに幸せは、いつも彼らにばかり降り注いで、僕には一滴の分け前もありゃしない。こんなのおかしいに決まっている!

 不意に組んだ腕を解いて、手の先をパーカーのポケットにズボッと突っ込んだ。そしてポケットの中で、両の手の中指を立ててやった。それが今の僕にできる、精一杯の抵抗だった。


 気づけば時刻は三時前だった。灯台の前のロータリーにあった食事処で海鮮丼を食べ、トボトボと元来た道を引き返した。どこかで時間を潰して夕日を拝むことも考えたが、どうしてもそんな気分にはなれなかった。

 館山駅に戻って来る頃、腕時計は四時半を指していた。一時間に一本しかないバスを数十分待ったせいか、行きよりも時間がかかってしまった。帰るには少し早い時間かもしれないが、体力はとうに充電切れだった。僕は観念したように、館山駅の大きな階段をトボトボと登った。

 帰りの電車に揺られながら、僕は一日をぼんやりと思い返した。確かに野島崎は良い所だった。灯台からの景色は圧巻だったし、岬の公園も開放的で気持ちよかった。しかし心の中のもやもやがどうしても胸に引っかかった。旅先であれほどの孤独感と劣等感に苛まれるとは、夢にも思わなかった。


 端巡りを終える頃には、このもやもやは晴れているといいなあ。

 電車のシートの隅で、僕は静かに目を閉じた。

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