千葉 単探端譚

伊場 敬@あれんすみっしー

第0話 発端・千葉市内


 皆さんは、お住まいの都道府県の「端」の地を訪れたことはあるだろうか。

 東端、西端、南端、北端のうち「一か所だけなら行ったことがある」という人なら多いかもしれない。では、その四か所を「全て訪れた」という人は、日本国内にどのくらいいるだろうか。


 これから僕は、一人で千葉県の四つの「端」を巡ろうと思う。


 僕は生粋の千葉県民だ。千葉市で生まれ育ち、今も市内に住んでいる。義務教育も高等教育もすべて県内で受け、挙句の果てには勤務先も県内だ。生まれてこの方、生活の拠点が千葉から出たことは一度もない。

 そんな具合だから、地元への愛着もかなり強い。マリーンズやレイソルが勝つと心が晴れやかになる。「東京じゃない癖に東京と名の付く場所が多すぎる」などと県内外から罵られても、そんな所もまた愛しく感じる。千葉駅から東京方面に通勤する人も大勢いるのは事実だが、千葉市民だからといって面と向かって「千葉都民」呼ばわりされたら、僕は間違いなくムッとするだろう。

 しかしそんな僕でも、つい最近までは県の端を訪れたいと考えたことは一度もなかった。千葉と一口に言っても、県内は台地や山地で隔絶されている。地元の千葉市や西側の東京寄りの地域はよく知っていても、その他の地域は未知の世界だった。僕は旅行には向かない性格をしている。旅の楽しさを掻き消すほど強大な臆病と絶望的な体力不足により、見知らぬ場所に行くと心身共にヘトヘトに疲れてしまうのだ。きっと少し前の自分だったら、仮にそんな計画を考えついても、何かと理由をつけて諦めてしまったに違いない。


 事情が変わったのは、社会人になって三年が経った頃。発端は高校時代の同窓会だった。何となく行かなくてはならない気がして足を運んだら、大火傷を負う羽目にあった。

 同じクラスだったいけ好かない同輩達は、専ら東京の有名企業に勤めていた。入社数年でプロジェクトリーダーを任された奴。テレビにも出演する有名人と一緒に仕事をした奴。二十代にして会社を起業したなんて奴もいた。彼らは汚れた都心で、忙しそうだが楽しげに、仕事をしたり生活したり、写真を撮ったり遊んだりしている。彼らはそんな日々の暮らしを自慢気に見せびらかし合っていた。

 翻って僕は、地元の無名の中小企業に就職した。もちろん愛すべき地元で働けていることは嬉しく思っている。しかしその生活は色褪せたものだった。仕事で大きな失敗をやらかす訳でもなく、かといって劇的な成果を収めるでもなく。降格もなければ昇進もなく。ごくたまに上司に褒められたり叱られたりしながら、ただ「ニートにはなれない」という義務感だけでお金を稼いでいた。そこには何の目標も、何の熱意も、何の夢も無かった。

 とはいえ、僕はそんな自分の人生に納得しているつもりだった。今勤めている会社だって、自分で選んだ会社だ。有名人と仕事をする機会も無ければ、起業できる程の熱意も能力も無い。しかし、少なくとも自分の身の丈に合った生活ができている。何となく仕事が億劫な日も、就業時間の十分前には職場にいるし、必要なら残業だってする。そんな暮らしをコツコツ続けていけば、きっとその先には「幸せな未来」が待っているはずだ、とぼんやりと思っていた。

 そんな僕にとって、同輩達が並べた暮らしは毒以外の何物でもなかった。学生時代の彼らはいつも騒いでいて、だらしなくて僕よりも成績が悪かったはずだ。それなのに、今や彼らは東京で、希望に満ち溢れた一流の生活をしている。彼らの姿は吐き気がするほど輝やいて見えた。自分の送っている生活が泥のように見えた。心の中のどこかで奴らのことを羨ましく思っている自分が許せなかった。頭がおかしくなりそうだった。

 たまらなくなった僕は、開始から一時間足らずで会場を抜け出してしまった。這う這うの体で逃げ帰り、同窓会なんて二度と行くもんかと固く決心したのだった。


 数少ない高校時代の友人たちは仕事や進学で散り散りになってしまい、同窓会にも来なかった。遊び相手も話し相手もいない僕は、同窓会から数日間、一人で悶々とした日々を送っていた。僕は自分自身を正当化したくて躍起になった。「あいつらは東京に魂を売って、見栄えだけは良さそうな暮らしをしているけど、中身がまるで空っぽじゃないか。あんな薄っぺらい生き方より、僕みたいに千葉で慎ましく生きている方が絶対に良いんだ」と信じたかった。しかし、心に巣食う嫉妬と劣等感は、いくら退治しても心の奥底から這い出し、僕を丸飲みにしようと鎌首をもたげて来る。

 どうしたらこの悔しさが晴れるだろうか。自分の生き方を強く肯定するには、どうすれば良いだろうか。

 ぐるぐる思考を巡らせているうちに、僕はもっとになりたいという考えに至った。僕はきっと「千葉で真面目に暮らしている自分」にもっと自信を持つ必要があるのだろう。しかし県内には行ったことのない地域がまだたくさんある。東京都市圏の一部としての千葉しか知らない様では、そう豪語するだけの気概など到底持ち得ないと思ったのだ。

 そこで思い立ったのが「端巡り」だった。県の四隅を全て踏破すれば、筋金入りの千葉県民の一員になれるだろう。それに、目的地を巡るうちに県内の様々な地域がどんな場所か体験することもできる。良いこと尽くめだと思った。

 インターネットで詳しく調べてみると、四か所とも千葉駅から日帰りで行けそうな場所だった。もはや躊躇ってなどいられなかった。


 湿気た僕の心に、小さな火が灯った――

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