第十九章 過去の記憶

ああよかった。今回は小さくなってない。

 意識が覚醒してから最初に思ったことがそれだった。ほっと肩をなでおろしてから、俺は辺りを見渡す。

「真っ暗だな」

 だが、不思議と恐怖心は感じなかった。さてどうしたものかと考え込んでいると、目の前に丸く白い空間が浮かび上がる。突然のことに目を丸くしていると、やがてそこに小さい頃の俺が、あの夢で見た日本庭園の中に入っていく姿が映し出された。なるほど、これは俺の記憶か。それをあの男は術で視点を変えて、俺に映像として見せているのだ。

「本当、器用なやつだよな…」

 あまり認めたくはないが、やはりまだあの男には敵わない。

 なんだか複雑な気持ちになって顔をしかめていると、小さい頃の「オレ」が、何かに導かれるように蔵へと移動していく。

 やがて蔵へと到着して、オレが壁に耳を立てて何か小さな音を聞いているかのような仕草をし始める。きっと、俺が夢で体験したように青年時代の翳がオレに助けを求めているんだろう。

 そして、オレは夢での俺と同様に蔵の入り口を探す。少しして、オレが蔵の門にたどり着き、びっしりと貼られた呪符を見て胡乱げに首をかしげている。まぁ、そうなるよな。幼き日の自分に賛同して、俺はうんうんと頷く。

 それから、オレは全身の力を使って門を自分が通れるくらいまで開くと、その隙間からするりと中に入っていった。

 そこで、一瞬映像が消え、すぐにまた映し出される。オレは蔵の中に入り、足元を注意深く見ながら慎重に進んでいく。やがて、ぽっかりと不自然に空間が空いていることに気づいたオレが、顔を上げる。そこには案の定、あの夢の青年…「カゲ」が座っていた。

 庭に灯るわずかな灯りに照らされて、カゲの面差しや他の細やかな部分があらわになる。

 すすか何かで薄黒く汚れ、痩せこけた頰に肉のない骨と皮だけの手足。血色の悪い白い肌には青紫の血管が浮き上がっていた。まるで棒のように細い体を、ぼろぼろの薄く白い衣がかろうじて守っている。琥珀色の瞳には光が一切灯ってなく、絶望や哀しみ、憂いと言った負の感情のみが滲んでいる。想像以上にひどい状態だったカゲのその姿に、俺は絶句した。

 オレはカゲの姿をじっと見つめている。カゲが、突然現れたオレに少し戸惑ったような顔をしていた。

『あんた、ここにとじこめられてるのか』

 舌ったらずの口調で、オレが聞く。え、今まで無音映像だったのに。これからの記憶が、よほど重要なのだろうか。

 そう考えて、俺はこれからのオレとカゲのやりとりにより一層耳を澄ませる。これでなにか聞き逃しでもすれば、笑えない冗談だろう。

 オレの問いかけに、カゲはかすかに頷く。それを認めて、オレはごそごそとズボンのポケットの中に手を入れ、何かを探し始める。やがて、ポケットから何かを取り出した。

『やる。はらへってるだろ?』

 ずいっと、少し照れ臭そうに頰を染めて、顔を背けながら、オレはカゲに飴とチョコレートを1つずつ押し付ける。それに、カゲは困惑したようにオレの手のひらの上にある2つの駄菓子と、オレの顔を交互に何度か見つめる。

 せわしなく、迷っている様子のカゲに、オレはしびれを切らしたのか、呆れたようにチョコレートの包みを剥がし、わずかに空いているカゲの口に放り込んだ。

 カゲは反射的に口の中に入れられたチョコレートを噛み砕き、ゆっくりと咀嚼していく。その様子を、オレはじっと見つめる。やがて、カゲが嬉しそうにふわりとかすかに笑った。

『…あり、がとう』

 その言葉に、オレは満足そうに頷き、飴を差し出す。

『これもやるよ。あんたもうすこしふとったほうがいいぞ』

 小さな胸をそらして言うオレに、カゲは困ったように笑う。

『そうしたいのは、やまやまなのだけど。僕は、ここからでれないんだ』

 それに、オレは心底不思議そうに首をかしげる。

『なんでだ?あんた、かぞくにいじめられてるのか?』

『違うよ。僕の家族はみんな優しい人たちだった。この家の人たちは、きっと僕がここにいることを知らない。そもそも、僕が出ようとしても結界が張られていて、出ることができないしね』

 悲しそうに笑うカゲに、オレは目を瞬かせる。

『けっかいとかいうのは、よくわからないけど。おれといっしょならでれないか?』

 それに、カゲは意表を突かれたような顔をした。それは考えていなかったらしい。

 オレはそんなカゲの様子などお構いなしに、彼の細く骨ばった手を握り、引いていく。

『たてるか?』

『う、うん…』

 きっと、立ち上がるのも本当に久しぶりなんだと思う。けど、さすがにただの人間じゃないだけある。少しよろけはしたが、真っ直ぐに立ち上がった。

『よし、じゃあいくぞ』

 まるでお宝を見つけた子供が、それを持ち帰ろうと活き活きとしている時のようだ。俺にも、こんな時があったんだな、と、妙におやじくさい気持ちになった。

 カゲは、オレに手を引かれて戸惑いながらも歩いていく。

 やがて、入り口へとたどり着いたところで、カゲが足を止める。それに、オレは不思議そうに彼を振り向き、見上げた。

『どうしたんだ?でたくないのか?』

 オレの純粋無垢な問いかけに、カゲは苦しそうに顔を歪める。

『そうじゃない…っ。すごく、外に出たいけど…怖いんだ』

『こわい?』

 なにが、というように、オレは小首をかしげた。それに、カゲはとても辛そうな顔をする。

『僕の知っている人は、もう誰もいなくなってしまった。同時に、僕を知る人もきっともう誰もいない。僕は…生きていても、いいんだろうか』

 急に外へと出られる可能性が目の前に来て、困惑と喜び、戸惑いと不安がカゲの中でごちゃ混ぜに入り乱れているのだ。

 だが、オレはうずくまっているカゲの頭に、手をぽんと置いた。

『いいにきまってる。あんたがいきていていいかわるいかは、あんたじしんがきめることだ。だれもしからないし、もんくもいえないよ」

 やわらかく、全てを許してくれるような優しい笑みで、オレは言い切った。え、俺こんな小さい時からこんなこと言ってたのか。

 信じられない気持ちで俺はかつての自分を見つめる。下手したら現在いまの俺よりも大人で素直かもしれない。

 オレの言葉に、カゲは驚いたように目を丸くして、それからやわらかく、嬉しそうに微笑んだ。

『そう、だね。君はすごいなぁ…まだそんなに小さいのに、難しいことを考えて、出会ったばかりの僕のことを救い出してくれた』

 褒められて、オレは照れたように笑う。

『と、とにかく!はやくここからでようぜ。ほこりっぽくていられねぇよ』

 明らかな照れ隠しに、カゲはおかしそうに笑っている。カゲの瞳には、すでに光が灯っていた。

 それにほっとしたのもつかの間、これが門を出た後に、カゲが出ようとした瞬間、紅い火花が飛ぶ。オレが干渉していたとしても、カゲは出ることができなかった。

『そんな…』

 悲しそうに顔を歪め、今にでも泣きそうな顔をしたオレに、カゲは困ったように眉を寄せ、笑った。

『ふふ、ありがとう。君の言葉には充分救われたよ。後は自分でどうにかしてみるから、君はもう家にお帰り』

 しゃがみこんで自分と目線を合わせてくるカゲに、オレはとうとう目に涙をためて、泣き始める。それに、カゲがせわしなく目線を彷徨わせた。

『ど、どうすれば…』

 カゲが困惑しきっていると、少し距離がある場所からのんびりとした、現在の俺には聞き慣れた声が響いた。

『君が人間に攫われ、その人間たちに封じられ、監禁されている現人神?』

 突然現れた見ず知らずの学ランを着た男…といっても、この時の男はどちらかというとまだ青年と言える顔立ちをしている。に、声をかけられ、オレは警戒心満載で、カゲを後ろに守るようにして立ちはだかる。わー、勇ましいぞ。小さい頃の俺。にしても、あの男にもちゃんと学生時代というのがあったんだな。学ラン…にあわねぇ。

 どうでもいいことを考えて、俺は緩く首を振る。今はあの男の学ラン姿に驚いている場合ではない。すごい度肝を抜かれたのは事実だが。

 気持ちを切り替えて、映像に集中する。

 男…青年が、近づくたびに、オレがびくりと体を震わせている。そんなオレなどまるで眼中にないように、青年は悠然とカゲとオレに近づいていき、2人を見下ろした。

『で、そうなの?』

 冷たい視線に見降ろされ、オレは精一杯震えを隠そうと、腰に片方の手を当てもう片方の手で青年を指差した。

『な、なんだあんた!こいつはおれのともだちだ!あら…なんとかなんかじゃない!』

『あっそ。君には聞いてないから少し黙っていてね』

 どうでも良さそうにしっし、と手で払われてしまい、オレは大変傷ついた顔をしている。なんてひどいやつなんだ、あいつは。

 自分の小さい頃に同情しながら、ことの展開を見守る。

 カゲが、突然現れた青年に警戒心をあらわにしながら、ゆっくりと立ち上がる。

『僕が現人神だよ。その子は関係ない』

『そう。俺としてはその子はどうでもいいんだけどね。じゃあ、依頼により、あなたをそこから解放します』

 そう言って、青年はおもむろに右手を蔵につける。

『これより、この偽の聖域は意味を成さないものとする。砕破!』

 その声とともに、まるで硝子が割れ砕け散る時のような音が響いた。

『はい、もう出られるはずですよ』

 淡々と、感情のない声音に、カゲは戸惑いながらも足を一歩、門の外に出す。今度は何も起こらなかった。

『…出れた』

 本人が一番驚いている様子だ。一方で、先程から放って置かれていたオレが、青年に対して尊敬の眼差しを向けている。

『…なに?』

 居心地の悪さを感じたのか、青年が顔をしかめ首の後ろに手をやった。オレは、きらきらと輝く瞳を向け続けている。

『あんたすごいな!ぱりんって!あのうすいまくみたいなやつをいっしゅんでわってくれた!』

 興奮しているオレの言葉を軽くうけ流そうと目をすがめていた青年は『ん?』と、首をかしげる。

『今、「あの薄い膜みたいなやつ」って言った?君、結界が視えるの?』

 確認するように聞いてくる青年に、オレは不思議そうに首をかしげた後、素直に頷いた。

『みえるけど。あたりまえじゃないのか?』

 その言葉に、青年は一瞬驚いたように目を丸くした後、にやりと人の悪い笑みを浮かべる。

『へぇ、そうなんだ。ねぇ君、後もう少し大きくなったら、君のことを迎えに行く。そしたら、俺の弟子になる?』

 それに、オレはぱっと表情を明るくさせた。

『それって、あんたみたいなことができるようになる、ってことか?だったらあんたのでしになる!』

 邪気のない満面の笑みに、青年はとても満足げに笑った。

『よし、じゃあ決まり。でも、俺が迎えに行って、来たるべき日が来るまでは今日のことは忘れていてもらうよ。大丈夫、彼のことは悪いようにしない』

 安心させるようにやわらかく微笑んだ青年に、オレは素直に頷いた。それから、青年はオレの額に刀印を押し付け、何かをつぶやいた。

 そこで、俺の記憶は途切れたようで、映像が途絶えた。

 それから少しして、俺は目を開けていられないほどのまばゆい光に包まれて、意識を手放した。

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