第十七章 夢、再び

廃墟からでると、入り口から少し離れた場所に暁が腕を組んで立っているのを見つけた。なんだか心なしか、とても不機嫌そうに見える。目も暁色に変わってるし、ありゃ相当怒ってるな。

「おーい、怒ってますか〜?」

 一応確認のために暁の目の前まで移動して、俺はその顔の前でひらひらと手を振ってみせる。当然、それに相手は苛立ちを増したように柳眉をぴくりと動かした。

「あ?」

 うわぁ。ここまでこいつが怒ってるの、初めて見た。今の感じからして、きっと口調もいつものようなおちゃらけているものではなくなっているだろう。

 俺はこいつの暁色の瞳が好きだが、今のそれは怒りに染まっている。正直恐怖心しか抱かことができない。けど、きっとここまで怒りをあらわにしているのは俺のためだというのはわかるので、我慢だ。

「おー、めっちゃ怒ってるな。珍しい」

 苦笑して言うと、気分を害したのかふんとそっぽを向かれてしまった。うーん、これはどうすればいいのか。

「悪かったな」

 小さな声ではあったけど、はっきりと。なにかを詫びる時に使う言葉を言った。

「え」

 それが信じられなくて、俺は目を丸くして自分の耳を疑った。あの暁が謝った。というか、なんで。

「なんで?お前なんか俺にしたの?」

 頭の思考能力が完全に馬鹿になったまま、率直に疑問をぶつける。それに、暁はとても嫌そうに顔を歪めた。ああ、よほど言いたくないんだな。

 しばらく見つめていると、やがて居心地の悪さに我慢できなくなったのか、無言で隠行した。

「あ、逃げやがった」

 むっと顔をしかめると、それまで静観していた彼女が苦笑する。

「まぁまぁ。一応彼も式神として、主である君を守れなかったことに対して、少なからずの負い目を感じてるんじゃない?」

「えー、あいつがぁ?」

 本当に、心の底からそんなことはないと断言できる。暁には申し訳ないが。というか、そもそも俺がそう思う理由は今までのあいつの俺に対する態度や対応からである。つまりだ、暁の自業自得だ。

 胡乱げに目を細めている俺にもう一度苦笑して、彼女は廃墟を見渡す。

「それにしても、この廃墟の周りに張ってある結界、すごいね」

 感心したように何度も頷いている彼女に、俺も頷く。

「たしかにな。俺じゃ一生かかってもこんなん張らないわ」

「一生、っていうのは言い過ぎな気がするんだけど…」

 困ったように微笑んだ彼女に、俺は苦笑する。

「まぁでも、それだけ厄介な結界だってことで」

 それに、彼女も頷く。

 けど、あの翳とかいう男は一体なんだったんだろうか。口ぶりからして、あいつは俺のことを知ってるようだった。それなのに、俺の記憶には一切あいつは登場しない。心当たりは皆無なのだ。

 考えていると、目の前に俺の手よりも一回りほど小さな手がひらひらと踊った。それに、我に帰る。

「大丈夫?」

「ああ。少し考え事をしてただけだよ」

 そっか、と呟いて彼女は不意に思い出したように首をかしげた。

「そういえば、すごい今更だけど。君の式神くん、名前なんていうの?さっきは聞ける雰囲気じゃなかったから」

「暁」

 それに、彼女は納得したようにぽんと手を打った。

「瞳の色、でしょ?」

「ご名答。あいつ、元の瞳の色は金色なんだけど、怒ったり戦うときなんかは暁色に近い赤になるんだ。それが、俺は好きで同時に綺麗だとも思ったんだよ」

 初めてあった時、金色に輝く瞳が綺麗だな、と思った。けど、その後にまぁ色々あって、あいつがとある妖に対して怒りを覚えたことがあった。その時、目の色が変わって綺麗な暁色に染まったのを見て、「ああ、こいつの名前は暁にしよう」と、ごく自然に思ったんだ。本人に名前を教えた時、たぶんきっとまんざらでもないような顔をしていたと思うので、嫌ってはいないと思う。というかそう願いたい。

「へぇ、でもいい名前だね。彼に合ってる」

 朗らかに笑ってそう言う彼女に、俺は嬉しく思って笑った。

「そう言ってもらえると嬉しいな。本人がああだから、少し不安で」

「あはは、まぁちょっと分かりづらいかもね。でも、よくあんな…少し言い方が悪いけど、大物を式神にできたよね」

 それに、俺も頷く。

「それは俺も不思議なんだよなぁ、自分のことなんだろうけど。なんかよくわからんが、出会って数分で暁に「あんたの最期、見てみたい」とかいう、わけわからん口説き文句を言われて、今に至る」

 当時を思い出して、俺は目を眇める。改めて思い出すと、本当に意味がわからないよな。というか、ふつうに失礼なような気が…。

 途中まで考えて、やめた。今更そんな過去のことを考えても仕方ないし、俺が死ぬのはまだ先だろうしな。たぶん。まぁ、ゆっくりでもいいから暁を知っていけたらいいよな、うん。

「よしじゃあ帰るか」

 それに頷いて、俺たちはその場を離れた。


 あと少しで森から出る、というところで俺はとても大事なことを思い出し、自分で血の気が引いていくのがわかるくらい、焦りを感じた。

「………部活!」

 呟いて、俺は顔を片手で覆った。完っ全に忘れていた。やばい、さすがにもう今から行ってもすぐに終わるだろう。いや、もう今日は仕方ないだろう。朝っぱらから変な奴に攫われて、眠らされて。俺はちゃんと部活に行こうとしていた。だから許してほしい。誰にだよ、とは思うけど。

「あー…悠人になんて説明すれば…というか、その前に部長に殺される…」

 なんの連絡もなしに部活に来なかった。これはもう、事情を知らない人からすればふつうにさぼりだろう。

「うーわー、泣きたい!」

 叫びながら、俺は思わずすぐそばにあった木に握った拳を打ち付ける。ミシミシという音とともに、手に激痛が走った。それに、俺は悶える。

「いっ…たっ…!」

 当たり前なのかもしれないが、ものすごく痛い。もう本当に泣いてやろうかな。

「だ、大丈夫?」

 彼女が慌てて悶えている俺の背中に手を添えてくれた。今はこの優しさがいつもよりも身にしみる。今日は厄日だな、絶対。

「…今日、部活だったの?」

 恐る恐るといった様子で聞いてくる彼女に、俺は苦笑まじりに頷いた。それに、彼女はあちゃー、とでもいいそうな顔をする。

「うん、まぁ…仕方ない、としか言いようがない」

 気の毒そうな顔で、彼女は言う。

「だよなぁ…そうなんだよなぁ。あー、よし。もう潔く明日の部活で部長にしごかれる覚悟をしておこう」

 意を決してぐっ、と拳を握る俺に、彼女は大きく頷く。

「うん、その粋だよ!」

 なぜだか体育会系のノリで俺たちはお互いに頷きあった。

 そして、俺は苦笑まじりに首をかしげる。

「今日のこと、悠人に話した方が、いいのか。それがわからないんだ。あんたならどうふる?」

 再び歩き始めながら、俺は聞いた。それに、彼女は少し考え込むように俯いてから、顔を上げる。

「私だったら、話すかな。たぶん、話さないでいても私が何か隠し事をしている、っていうのはすぐにばれると思うし。それに」

 苦笑して、彼女は俺を見る。

「武原くんもいってたでしょ?俺には隠し事はするな、って」

 その言葉に、俺は小さく笑った。

「だよなぁ。うん、今日のこと悠人に話してみるよ。心配はかけるかもしれないけど、それも悪くない」

 気分がすっきりして、とても清々しい。もしかしたら、俺は気負い過ぎていたのかもしれない。

「よし、じゃああんたを送り届けてから悠人の家に行ってみるよ。たぶんちょうど今頃、部活が終わって解散してるはずだろうから、時間的にもぴったりだ」

 それに、彼女は笑って頷いた。


 彼女を家に送り届け、別れたあと、俺はそのまま悠人の家に向かった。

 呼び鈴を鳴らすと、悠人の母親が出た。

「こんにちは、おばさん。俺です。悠人いますか?」

「あらあら。悠人なら今さっき部活帰ってきたばかりよ〜。ちょっと待っててね」

 切れた後、中からおばさんの悠人を呼ぶ声がかすかに聞こえてくる。それから少しして、慌てたような足音ともに玄関が空き、悠人が出てきた。

 眉間にしわが寄っているのを見るからに、きっと怒っているのだろう。

「お前今日部活さぼってなにやってたんだよ!?」

 心配したんだからな!と、勢いよく指を刺され、俺は苦笑した。

「悪かったよ。ちょっと色々あってな。本当はちゃんと行こうとしたんだぞ?」

 少し、迷ってから。俺は気まずそうに目をそらしながら、口を開く。

「話、聞いてくれるか…?」

 一向に返事がない。不安に思ってちらりと目を向けると、とても驚いたように口をぽかんと開け、なんとも間の抜けた顔をしている悠人の姿があった。

「え、そんなに驚くようなことか?」

 さすがにそれには驚いて、俺は思わず胡乱げに眉を寄せてしまった。それに、ようやく我に帰った様子の悠人が大きく何度も頷いている。

「当たり前だ。お前今まで、よっぽどのことがない限り、絶対他人を頼ろうとはしてこなかっただろうが。それがなんだ、急に」

 その言い草に、俺は不服にに思って顔をしかめる。そんな風に思われていたのか。心外だ。

「なんだよその言い方。俺に頼られるのは嫌なのか?」

「いや、んなわけないだろ。むしろ嬉しい」

 真顔で恥ずかしいことを言ってのけた悠人に、なぜか俺の方が照れくさくなってきて顔を背ける。

「よし、ひとまず中入れよ。部屋で聞く」

 その言葉に、俺は小さく頷いた。


 部活をさぼるほどになってしまった理由を包み隠さず全て話し終えると、悠人はたっぷりと3回、大きく深呼吸をしてから「はぁ〜!?」と、叫んだ。まぁ、そりゃそうだろう。俺だって最初そうだった。

「なんだそいつ、頭おかしいのか!?」

 鼻息荒く叫んだ悠人の言葉に、俺は大きくなんども頷く。

「まったくもって、同感だ。もはやあれは変態と言っても過言でもないと思う」

「だよな〜。にしても、お前本当にその翳とかいう男と面識ねぇのか?記憶違いじゃなく?」

 確認するように重ねて聞いてくる悠人に、俺は自信を持って大きく頷いた。それは断言できる。

「そうか。うーん、本当に心の底から、謎だな」

「謎だ」

 それから俺たちは、ああでもないこうでもないと色々と翳について話し合ってみたものの、結局答えは出ないまま俺は悠人の家を出た。悠人は、帰り際「俺ももうちょい色々考えてみるわ」と、言ってくれた。それに、俺は礼を言ってから、相談してみて良かったと、心から思った。


 家に帰って夕飯を食べ、風呂に入った後、俺はなんだかひどく疲れを感じて、布団に寝転んだまま意識を手放した。


 次に目の前に広がっていたのは、純和風の日本庭園だった。えー、また夢か。いや、別に夢を見るのはいいのだが。今回のは明らかに俺だけの夢ではないような気がする。最近夢殿、というか夢に侵入されることが多いような。

 軽くため息をついて、俺はふと違和感を感じて自分の体を見下ろした。気のせいか、地面がいつもよりも近い気がする。

 なんだか嫌な予感がして、俺はちょうど近くにあった池に身を乗り出した。映し出された俺の姿は、いつもの17の姿ではなく、だいたい9つか10歳くらいの、少年姿の俺だった。きっと、この姿にはなにか重要な理由があるのだろうが、それでも複雑な気分だった。

(自分で言うのもなんだが)もちもちな頰に、ふにふにとしている手のひら。しかも、今の季節ではあまり考えられない半袖短パンという服装から、ここでの季節は夏だということがうかがえる。そこまでは、わかった。が、たった1つだけ、どうしてもわからないことがある。それは、この場所だった。

 いや、景色からしてどこかの家の庭園だというのはわかるのだが、そうではなくて。俺の記憶の中に、こんな庭園はなかったはずだ。夢というのは、自分が訪れたことのある場所、もしくはみたことのある場所しか映し出されないものなのだ。それは他人が干渉していたとしても、例外はない。他人と自分の共通している景色ならばまだわかるが。

「俺が忘れているだけ、か?」

 けど、だったら少しでも既視感を覚えるはずだ。それが一切ないということは、違うのだろう。どういうことなんだろうか。

 困り果てて、俺は頭をがしがしとかく。

それから辺りを見渡して、再びため息をついてから、俺はゆっくりと歩き出した。

 白砂利が敷き詰められた敷地には飛び石がゆったりと配置され、点々と並ぶ小さな灯りに池が照らされている。ししおどしから、カコンと乾いた音が響く。

 ずいぶん立派な庭だよな、本当。

 感心しながら歩いていると、やがて1つの大きな木造の蔵が視界を埋め尽くした。ぱっと見、とても古いものだというのがわかる。ここにきて、俺は初めて既視感を覚えた。それと同時に、かすかな頭の痛みが伴う。なんなんだろうか。

 顔をしかめて頭を抑えていると、蔵から物音がした。その次に、小さくか細い声で「助けて…」という声が聞こえてくる。

 それに俺は慌てて蔵の入り口を探した。もしかしたら閉じ込められているのかもしれない。それか、迷い込んで出られなくなったか。どちらにしろ、早く助け出したやらねば。

 それから少しして、ようやく俺は入り口を見つけ出すことができた。見付け出しはしたが。

 どういうわけか、蔵の入り口であろう門には、大量の呪符が貼り付けられている。おまけに大変立派な注連縄付きである。

「は?なんだこれ」

 さすがに予想外で、俺は目を瞬かせ、眉を寄せる。これでは開けられないかもしれない。けど、物は試しだ。

 俺は今では小さくなってしまった体を精一杯使って、札付きの門を押していく。すると、鈍い音を立てながら門が開いた。

「よし!」

 そのまま門を力一杯押していくと、ようやく通れるくらいの幅が開いてくれた。これで中なのやつを助けてやれる。

 嬉しくなって俺は蔵の中を突き進んでいく。少ししてから、離れたところからかすかな物音が聞こえてきたので、そこへと足を向けた。

「誰かいるのかー?」

 一応驚かせてはいけないと思って、声をかけてみる。無反応だった。

 やがて、不自然に空間が空いている場に出た。俺は、それまで小さなガラクタを踏まないようにするために俯いていたので、顔を上げる。

 そこには、1人の青年が座っていた。青年の手足は異様に細く、肌の血色もお世辞でもいいとは言えないほど悪かった。心配になって声をかけようとして、俺は口を開く。

 が、声が出ない。喉に何かが絡まったように息苦しくなって、俺はうずくまった。それに気づいたのか、青年が振り向く。が、顔を見ようとするに伴って、頭がひどく痛み、視界が暗くなっていく。

 そして、俺は激痛とともに意識を一度手放し、身を起こした。

「っ…!」

 目を覚ますと、そこは自分の部屋だった。体も元の大きさに戻り、頭の痛みや息苦しさも、嘘のように消えている。それに、俺はほっと息をついた。

「なんだったんだ…今の」

 冷静になって気づいたのは、背中に嫌な汗を書いていたということだ。気分が悪くなってきたので、来ていた服を脱ぎ捨て、新しいものを着る。ふいに部屋にかかっている時計に目を向けると、時刻は午前3時になるところを指していた。

「…起きてる、よな」

 呟いて、俺は携帯を取り出し、電話をかける。少しして、電話越しに軽薄で胡散臭い声が響いた。

「はいは〜い、何かあったのかな?可愛いお弟子くん」

 相手は、一応仮にも俺の師匠であるあの男だ。俺は、緊張によりいささか硬い声音で、口を開いた。

「あんたに聞きたいことがある。明日…というか、もう今日か。今日の夕方、会えるか?」

「…いいよ。いつもの山でいいかな?」

 男の言う「いつもの山」というのは、俺の修行場だ。それに、俺は見えていないとわかっていても頷く。

「ああ、わかった。じゃあ、また後で」

 一応断ってから電話を切る。

 もしかしたらあの男なら何か知っているかもしれない。昔、あの男に攫われる際、俺はおかしなことを言われたのを、今の夢を見て思い出したのだ。

『君は覚えていないだろうけど、約束通り迎えに来たよ』

 そう、男は少し切ない笑みを浮かべて言ったのだ。その意味を俺は理解…というか聞き出す前に、修行でしごかれまくったことにより、その言葉を言われたこと自体を忘れていたが。きっと、関係しているのだろう。

 夕方に備えて、俺はもう一度布団に寝転がり、眠りについた。

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