第十六章 救出劇

特にすることもなく暇を持て余していた私は、感じたことのないほどの強く、荒々しい邪気に近い神気を感じて、思わず反射的に体を強張らせた。それと同時に、清廉が顕現する。いつになく剣呑な面差しの清廉に、私が固唾を飲んだ、次の瞬間。目の前に、琥珀色の髪に、暁色の目をした鬼が現れた。

「貴様、あの小僧の式神か。我が主に何用だ。内容によれば、即刻その首、跳ねてくれる」

 険しさのみにじむ声音。清廉が私の式神になってから結構経つけど、この式神がここまで嫌悪を露わにしているのは初めてだったはずだ。そんなにも、彼の式神であるこの鬼神は危険なのだろうか。

 鬼神は、不機嫌さを一切隠そうともせずに、清廉に対して嘲笑を浮かべた。

「はっ、戯言を。貴様ごときがこの俺に傷をつけられるとでも?自惚にもほどがある。身の程をわきまえろ」

 あちゃー、そんな言い方したらだめでしょ。それにしても、主である彼と正反対な性格してるな。こりゃ彼も生意気だった言いたくもなるよね。

 それはさておき、私もその言葉は聞き捨てならないんだけどな。

 怒りに眉間のしわをこれ以上ないくらい深くしている清廉の隣に立って、私は腰に手を当てた。

「…ちょっと、いきなり現れたくせにうちの式神を馬鹿にしないでくれる?この子は強いよ」

「そうか、それなら訂正してやる。そんなことは今どうでもいいのだ」

 どことなく焦りをにじませる声音に、私は眉を寄せた。そういえば、この鬼神の主である彼がこの場にいない。

「あの子に何かあったの?」

「とにかく、極めて遺憾の意に尽きるが、今回は貴様の手を借りてやる。感謝しろ」

 どこまでも上からな鬼神に、私は苦笑した。これは、彼も苦労する。

 隣で怒りに震えている清廉の肩をぽんと叩いて、私は仕事道具がまとめてある巾着を手に持つ。

「それは光栄ですよ、鬼神様。それで、彼はどこ?」

「ついてこい」

 険しい顔をしながら隠行した清廉を華麗に黙殺して、鬼神はどこまでも不機嫌に、偉そうに私の前に立った。


 部活開始時刻になってから、もう一時間は過ぎている。それにもかかわらず、あいつは来なかった。ただ単に寝坊しただけならいいのだが、昨日のことがある。もしかしたら何かあったのかもしれない。心なしか嫌な予感がするのだ。

 険しい顔をして悶々と悩んでいると、後ろから面越しに何かに強く打たれた衝撃が走る。

 驚いて振り向くと、そこには部長がいた。

「何してる、武原。防具をつけたなら素振り100回。お前だけ1000回にしてやろうか?」

 防具越しに見える口元が笑っている。俺は、慌てて素振りを始めた。

 無事でいろよ。

 心の中でそう願って、俺は素振りに専念した。


 私はものすごい速さで疾走する鬼神に、必死についていく。よほど急いでいるのだろう。こちらのことなど一切気にかけていない。もしくは、このくらいついてこれて当たり前、とでも思われているのかな。だったら買いかぶりすぎだ。まぁ彼に限ってそれないか。

 でも、ここはどこだろう。生まれも育ちもこの地だったけど、今走っているこの森の存在は初めて知った。たぶん、術で創り出された空間なんだと予想をつける。森に入るとき、なんとなく違和感を感じたからね。

 それから少し走っていくと、やがてひらけた場所に出てそこにもう使われていないことがわかる廃墟が建っていた。

「ここだ」

 そう言って、鬼神は初めて私を振り向いた。息を整えている私に、彼は目を細める。

「…人間には、少し早かったか」

 その言葉に、私の中の闘争心に火がついた。

「ううん、全然。余裕だったよ」

 笑って言えば、なんだかつまらなそうな顔をされたので釈然としない。

 と、私が口を尖らせている間に彼は建物の中に入ろうと足を踏み出した。その瞬間、青白い静電気のようなものが起こり、彼を弾き返す。心なしか、一瞬鬼神の顔が苦痛に歪んだように見えた。

「ちっ…あの男、煩わしいことこの上ない術を使いやがって…」

 忌々しげに舌打ちし、鬼神は私を睨んだ。

「おい、小娘。貴様この結界をどうにかできないか」

 そう言われて、私は建物に近づき、手を添えた。

「…できないこともないけど、時間がかかるかも。すごく複雑な結界が張られてる」

 この結界を張ったのは、誰だろうか。かなりの使い手だ。これでは鬼神が入らないのも頷ける。

 それにも、鬼神は舌打ちをした。

「本当に、あの子はこの中にいるの?」

 一応、確認のために建物内の気配をたどってみる。が、中にも結界か呪いがかかっているのか、うまく掴めない。

「それは確かだ」

 力強く頷くのを認めて、私は頷いた。さすがにこの状況で嘘はつかないと思うので、信じられる。

「わかった。この結界、たぶん式や式神だけが入れないようになってる。だから、あなたはここで待ってて。みんなも」

 私がそう言うと、鬼神は渋々といった様子で頷いた。私の式神たちも、何もいってこないと言うことは異論はないのだろう。

「じゃあ、行ってくるね」

 言い残して、私は廃墟の中に足を踏み入れた。


 彼を術で眠らせてから少ししてから、僕は侵入者に気づいた。この気配は…最近彼の周りをうろつき始めた目障りな少女だね。きっと、あの邪魔な鬼神が少女に助けを求めたんだろう。さぞ屈辱だったろうな、自尊心の高いあの鬼神が、たかが少量の蛟の血を持つ人間の少女に助力を乞うのは。

 けど、なんにせよあの少女は目障りなことには変わらない。嘘でも、あの少女が弱いとは言えないからね。手強い相手だと言うのは変わらない。まぁ、僕ももちろん簡単に引き下がるつもりなんてさらさらないんだけどね。だって、ようやく彼をそばに置くことができるようになったんだから。

 健やかな寝息をたてている彼にちらりと目を向けて、彼がきちんと眠っていることを確かめる。大丈夫、術は効いている。

 目を細めて、僕はその場を後にした。


 廃墟に入ってから、私は言いようのない違和感を感じて、らしくもなく身をすくませた。なんだろう、この肌を刺すような冷たい空間は。今まで払ってきた妖たちが創り出した縄張りの中の空間が、可愛く思えてくる。

 でも、結界を張れるということは、きっと相手は同業者なんだろうけど。それにしては随分と力が強い。というか、ただの人間業とは思えない。私のように人間だけど、人間じゃないものの血を持つ人、だったりして。

 そう考えて、私はため息をついた。

「あー、もう。なんで陰陽師同士で喧嘩しなきゃならないのかな!」

 師匠が聞いたら、きっと「甘いことを言わない!」と、叱られるであろうことを言う。そして、両手を上げた。

「えーい、面倒だからさっさと終わらせて帰ろう」

 言いながら、私はそこらへんに転がっていた小石を蹴飛ばした。カン!という乾いた音が響く。

 その次に、足音が響いてくる。人の足音だ。私は警戒に身を強張らせる。まだその足音の主は少し離れた場所にいるようだけど、ものすごい霊力を持っていることがわかる。とても厄介な相手だ。

 無意識に緊張していたのか、肩に力が入っていたのに気づき、大きく深呼吸を一つする。よし、大丈夫。きっと師匠よりは弱いはず。

 もしも相手が師匠よりも強かったら、私に勝算なんてなくなる。けど、霊力だけなら私と互角程度だろう。

「頑張ろう」

 意を決して拳を握ったところで、足音の主が姿を見せた。それは1人の男の人だった。一見普通の優しそうな男の人のように見える。けど、口元は笑っているのに、向けられる目の奥は全く笑っていない。冷たく、氷のような瞳。

「はじめまして、可愛らしいお嬢さん。今日はなんの用があってこの場にいるのかな?」

 その問いかけに、私は微笑んでから言う。

「はじめまして、誘拐犯さん。なんの用があって、とあなたは今聞いたけど、あなたは私の目的なんて分かってるはずだよね?」

 こういう時は、なげられた質問には答えずに、逆にこちらが質問で返すのが一番いい、と昔師匠に教えられている。実際使ったことなんて今までなかったけど、無駄な知識ではなかったようだ。さすが師匠。

 私の問いかけに、男の人は目を細めた。

「なるほど。どうやら君の師も随分と優秀な人のようだね」

「それはどうも。師匠を褒められるのは純粋に嬉しいよ」

 お互い、にこにこと笑い合う。もちろん、相手の力量や考えを見定めるために。

「一つ質問があるんだけど、答えてくれるかな?」

 と、私が聞いた。それに、相手はかすかに頷く。

「答えられることなら、構わないよ」

「ありがとう。どうして彼をさらったの?」

 ずっと、疑問に思っていたことだった。最初は私をおびき寄せるために彼をさらったのかと考えたけど、だったら彼の式神である鬼神がわざわざ私のところに来たりなんてしない。きっとこの男の人自身の式かなにかが知らせに来るだろう。それに、この男の人は私に興味がなさそうだ。その上、本人は無意識なんだろうけど私に対する「邪魔者」というような、敵意が隠しきれていない。

 きっと、この人の目的は彼1人だろう。だからこそ、どうしてそこまで彼を必要とするのかがわからないのだ。彼には失礼かもしれないが、彼は普通よりも少し強いくらいの陰陽師で、普通の男の子だ。狙われる理由がわからない。

 私の問いかけに対して、男の人はうっとりと目を細めた。まるで、恋する乙女のように。正直にいうと若干引いてしまった。

「僕にとって彼は特別で、唯一無二の存在なんだよ。ようやく、彼と一緒に居られる準備が整ったんだ。だから」

 一度言葉を切ってから、彼は呪符を取り出した。

「邪魔をするものは、全部許さない」

 凄絶な笑みを浮かべて、呪符を掲げる。そこから、まばゆい光が溢れ出す。

「砕破!」

 その光を、言霊で打ち消そうとする。けど、どういうわけか言霊は生じず光は強まっていく。

「えー…」

 思わず苦笑して目を眇めると、すぐ後ろからふふ、という笑い声が聞こえて、反射的に足を後ろに蹴り入れる。

「うわ、野蛮だなぁ」

 そう言いながらも、ひょいと軽々しく蹴りを避けられる。あー、腹立つ。

「今のはどういう仕組み?」

 どうして言霊が生じなかったのか。まぁ、薄々分かってはいるけど。

「ふふ、君も入った時から気づいているかもしれないけど、この建物にちょっとした細工をしてあるんだ。僕以外の人物の言霊や、軽い術は反故になるように」

 それまた厄介な。と、私は眇めた目をさらに深める。予想以上に面倒だな。というか、本当になんでこんな腕の立つ人に気に入られてるの、あの子。そりゃ、彼はとてもいい人だとは思うけど、そこまで執着するものだろうか。

 再び失礼なことを考えながら、私はひとまず体術で彼の相手をすることにした。動きやすい服で良かったと、心底思う。

 一応攻撃はあたりはするけど、いまいち。当たる直前に、彼が一歩体を引いて衝撃を緩和させれいるからだ。

 思わずため息をついてしまいそうになるくらいの、身のこなし。本当、今まで戦ってきたどんな妖よりも厄介で、やりづらい。

 と、真横から空を切る音がして、私はとっさに彼から身を引いて、間合いを取った。

 それまで私が立っていた場に、彼の回し蹴りがかすめる。

 危なかった。我ながらいい反射神経。

 自分で自分を褒めてから、私は構える。

「…うん、ちょっと休戦」

 と、彼は唐突に脱力した。それに、なんというか拍子抜けをして、私も構えるのをやめる。

「正直、術さえ封じちゃえば弱いかな?って見くびってたよ。ごめんね?」

 それに、私はむっと顔をしかめる。まさかそんな風に思われていたとは。心外だ。

「…まぁ、別にいいけど。少なくとも、今のあなたはその考えを改めたってことでしょう?」

「ご名答。でも、負けるほどではない」

 それにも、私は眉間にしわを寄せる。たしかに、術が使えないというのは痛手ではあるが、体術だけでもこっちだって負ける気はしない。それとも、彼は本気を出していないとでもいうのだろうか。

「先ほど、僕は言ったと思うんだ。この建物にの言霊や軽い術は反故になるようにしてある、って」

 その言葉に、私ははっとする。つまり、彼自身は術や言霊を使えるということだ。

 それに気づいた時にはもう遅かった。体がまるで縫いとめられたように動かない。目線だけで注意深く周りを見渡す。なるほど、床に何かうっすらと陣のようなものが描かれている。私はまんまと誘い込まれたというわけだね。悔しいけど、全然気づかなかった。これは師匠にばれれば殺される。

「ごめんね、大人しくしててくれれば、怪我はさせないよ」

 申し訳なさそうにいう彼の表情には、余裕が滲んでいる。よし、そろそろ頃合いかな。こっちだって、やられっぱなしなのは性に合わない。

「この身、人にあらず」

 周りの空気が一度大きく振動する。それにより、彼の仕掛けた術が解かれた。彼の目が大きく見開かれるのが視界の端をかすめた。

 動けるようになって、私は一つ柏手を打って、両手で印を結ぶ。そして、呼吸を整え大きく息を吸い込んだ。一本の白く、なんの装飾の施されていない質素なかんざしを掲げる。

「謹んで勧請致すことを宣言する。これなるは八百万の神々の依り代となりうるもの。神酒により清め、きよめられしこの装飾に、なにとぞお宿りくださることを願い奉る!」

 瞬間、かんざしがまばゆい光を放ち始めた。それに、私はほっと肩をなでおろす。

「よかった、ちゃんと成功した。こういう場所で神を勧請するのは、さすがに初めてだったからね」

 言いながら、私は柄の白い日本刀を構える。ああよかった。蒼と同じ日本刀だ。これなら使いやすい。なんの神が降りてきてこれたのかは、刀を使ってみてからじゃないとわからない。まぁ、それは仕方ないからいいけどね。

「さて、形勢逆転かな?」

 にっこりと笑うと、彼は面白そうに笑った。

「そうこなくちゃ。よかった、まだ楽しめそうだ」

 意外にもあまり驚かれなかったことに少し悲しく思ったが、そこはもう気にしないようにした。

 私が刀を横に薙ぎ払うと、刀身から風の刃が出てきた。どうやら今回は風神が降りてきてくれたらしい。だったら、志那都比古神しなつひこのかみだな。日本の神で風神は志那都比古しかいない。

 風の刃は迷わずに彼の元へと飛んでいく。彼は当然それを避けようとしたが、風の刃は彼を追いかけ、やがて肩をかすめた。おぉ、さすがに高性能。やっぱり術や自分の霊力で作り出した刃とは比べ物にならないね。

 感心していると、今度は彼が刀印を組んだ。

「一つ、空気を澱ませて」

 その言葉通りに、神を勧請したことにより潔られていたはずの空気が澱んだ。

 次に、柏手を一つ打つ。

「二つ、穢れを呼び覚ます」

 それから、もう一度柏手を打った後に、刀印を組んでそのまま五芒星を空中に描いた。

「三つ、彷徨う在るべき姿を失った亡者達を喚び起こせ!」

 彼の呪歌じゅかにより、五芒星の中からどす黒い、かろうじて人の形を保っている死者の魂が這い出てきた。正直言って気持ち悪い。

 思わず顔をしかめると、彼がおかしそうに笑った。

「君は陰陽師なのに、亡者を見てそんな顔をするんだね?」

 明らかに嫌味ったらしい言い方をされて、私は不快感をあらわにする。

「陰陽師だと言ってもその前に私は一応女の子だからね。見慣れてるとしてもあまりいい気分ではないよ」

「へぇ、そういうものなんだ」

 と、目を細める。一体この人は何者なんだろうか。今の口ぶりからして、彼は陰陽師ではないように思えてくる。でも、彼の使う術は陰陽術と酷似していた。

 考えながら、襲ってくる死者達を切り倒していく。最後の1人を倒してから、私は彼との間合いを一気に詰めた。そして、刀を彼の首元へと当てる。

「さて、あの子はどこ?さすがにこの状況ではもう何もできないよね」

 かちゃり、と音を立てて少し強めに刀を首に当てる。

 それに、彼は笑って両手を挙げた。降参、というように。けど、油断は禁物だ。刀は降ろさず、私は彼が答えるまでそのままでいた。

「彼はこの一つ奥の部屋にいるよ」

「そう…束縛」

 念のため言霊で彼を拘束して、私はあの子のいる部屋へと走った。


 俺は聞き慣れた声とともに体を揺さぶられ、うっすらと目を開けた。

「ん…」

「あ、起きた。よかった〜」

 ほっとした様子の彼女を前にして、俺はまだ不明瞭な意識を、どうにか覚醒させようと緩く頭を振った。

「…確か、翳とかいう男に攫われてここに…ん?なんであんたがここにいるんだ!?」

 ものすごく今更な気がするが、本来なら彼女は今日家でゆっくりしているはずだ。なのに、なんでこんなどこかもわからない廃墟にいるのだろうか。俺は攫われたからだけど。

「あはは、元気そうだね。安心したよ」

 質問には答えずに、彼女はいつものように笑った。

「あ、ああ。元気ではあるよ、手足は縛られてるけど」

 苦笑まじりの俺の言葉に、彼女は手に持っていた刀で縄を切ってくれた。

「ありがとう。ん?その刀、どうしたんだ?」

 蒼かと思っていたが、よく見ると違う。初めて見る刀だった。

 首をかしげる俺に、彼女は朗らかに笑う。

「ああ、ここ式神が入らないようになってるみたいだったから、かんざしを依り代にして、神を勧請したの。これ、元はかんざしだよ」

 と、どう見ても刀にしか見えないものを見せてきた。それから一拍おいて、俺は硬直した。

「え、勧請って…え?じゃあ、それは神ってことだよな?」

 できれば否定してほしい。頷かないでほしい。切実に。

 だが、無情にも彼女は頷いてしまった。さも当然のように。

「あー、そうか、うん」

 徐々に目が据わっていくのがわかる。つまりだ。俺は神に縄を切ってもらったわけで。

おもむろに一度立ち上がってから、俺は正座をして居住まいを正す。そして、土下座した。

 彼女が驚き目を丸くするのが、視界の端に見えた気がした。が、今はそんなの構っていられる余裕なんてない。

「お手数をかけて、申し訳ありませんでした」

 それから少しして、聞き慣れない声が響いた。それは刀から聞こえてくるようだ。

「良い。楽しませてもらった。その礼だ」

「…ありがとうございます」

 きっとこの神を楽しませたのは彼女なのだろうが、ここで何も返さないのは失礼だと思って俺は礼を言う。そして、顔を上げて彼女にも礼を言った。

「あんたも、状況はいまいちよくわからんけどありがとうな。たぶん、俺を助けに来てくれたんだろ?」

 首をかしげると、彼女は苦笑する。

「まぁね。でも、今回のお礼は君の式神くんに言ってあげてよ。私をここまで連れてきたのは彼だから」

「ああ、やっぱり君を連れてきたのはあの鬼神か。本当に、余計なことをしてくれたよね」

 部屋の入り口から、翳の声が響いた。彼女が警戒した様子で立ち上がる。俺も、縛られていた手前、睨みながら立ち上がった。

「よく眠れたかな?」

 にこにこと笑って、翳は俺に首をかしげる。

「ああ、おかげさまでね。ったく、よくもまぁ人をさらった挙句になんかわけわかんねぇ話をしてから眠らせてくれたな!」

 びっ、と俺は音を立てて翳を指差す。

「絶対に後悔させてやる!!」

「ふふふ、君に後悔されられるんなら嬉しいな。けれど残念なことに、僕は君に関することで後悔なんてしないと思うんだ」

 うっそりと目を細める翳に、俺は深いため息をつく。今結構思いっきり啖呵を切ったつもりだったのに、全く効果がない。なんだかもう、俺が何を言っても無駄なような気がしてきた。

「そーですか。そりゃすごい」

 わざと呆れを隠さずにそう返せば、翳はふふ、と再び嬉しそうに笑いを漏らした。

 彼女が、隣で苦笑している。まぁ、そうなるのも当然だと思った。

 俺はもう一度深いため息をつく。なんだかただ話しているだけのはずだというのに、どっと疲れた。早く帰りたい。

「なぁ、もう帰っていいか?疲れた」

 率直に言うと、翳は目を瞬かせ、彼女がおかしそうに笑った。俺は何かおかしいことを言っただろうか。

 首をかしげていると、翳がにっこりと微笑んだ。

「ごめんね、君を家に返すつもりはさらさらないんだ」

 その言葉に、俺はぽかんと口を開ける。は?今こいつなんつった?

「僕はね、君にはこれからずっとそばにいて欲しいんだ」

 にこにこと笑いながらとんでもないことを言っている翳の言葉を理解するのに、俺は結構時間がかかった。

 …つまりは、俺を監禁したいということか?

 俺は理解に困って彼女に目で助けを訴える。彼女は困ったように笑って、首をかしげた。

「彼はあなたのそばにいるのなんて御免みたいだけど、どうする?」

 うわ、ずばっと言ったな。

 俺は思わず冷や汗をかいてちらりと翳を一瞥する。案の定、彼は冷ややかな笑みを浮かべていた。

「僕は君に聞いているのではなくて、彼に聞いているんだけどな?君は少し、黙っていてほしい」

 彼女のまとっていた空気が、一瞬で変わった。彼女の髪が徐々に銀髪に変わっていく。きっと、今の角度からでは見えないが瞳の色も変わっているのだろう。いつかの、夢であった時のように。

「ふふっ、今更な気がするけど随分な口の利き方だよね?それが負けた人の態度かな」

 冷たく凄絶な霊力がほとばしる。俺は思わずそれに身をすくませた。いや、普通に怖いだろ。これだけの強い霊力浴びせられたら。

 翳もまた、一瞬体を硬直させたように見えたが、すぐに平然とした様子になり、目を細めた。

「事実じゃないか。僕に君には何も言っていないのに、君がでしゃばっただけだろう」

「でしゃばった、ねぇ?彼は私に助けを求めてきたんだけど、それがどういうことだか、あなたにわかる?」

 それに、今度は翳からも彼女とはまた違う強力な霊力がほとばしる。もう、どっちがどっちの霊力なのかわからなくなってしまった。わけがわからん。本気で帰りたい、今すぐに。

 というか、なんできっとこのやり取りの中で中心の立場であるだろう俺の意思や意見を、この2人はがん無視するのだろうか。極めて遺憾の意に尽きるものである。

 そう考えて、俺は大きく息を吸い込んだ。

「そこの2人!なんで肝心な俺自身の意思や意見を無視すんだよ!いい加減にしないと本気で怒るぞ!!」

 俺の怒鳴り声はちゃんと聞こえたらしく、とたんに2人の霊力が収まっていく。ああ、よかった。これで肌を刺すような威圧感が消えた。

 ほっと溜息をついた俺に、彼女と翳は気まずそうに俯いている。なんか、この2人似てるな。

 彼女に対しては失礼なことを考えて、俺は緩く首を振る。いやいや、彼女は変態じゃない。断じて。

「それで、翳」

「なにかな?」

 これまた嬉しそうに笑って返事をする翳に、俺は苦笑まじりに言う。

「悪いが監禁されるのは御免だ。せめて今日は帰らせてくれ」

 話はそれからだ、と。俺ははっきりと言い切った。それに、翳はとても残念そうに眉根を下げる。

「そう…それはとても残念だ。わかった、君の望み通り、ひとまず今日は君を家に返すことにするよ。けど、きっとそのうち君は僕のそばを離れたくなくなるよ」

 意味深な笑みを浮かべて、翳は言い切った。どう言う意味だろうか。少なくとも今の俺にはまったくもってその意思はない。むしろ申し訳ない気がするが、もう2度と会いたくないと思っているほどだ。

 表情からそれを読み取ったのか、翳が初めて苦笑した。

「そんな顔をしないでほしいな。さすがに傷つくよ?」

 そう言われると、罪悪感が込み上げてくる。

「うっ…悪い」

 顔を歪めてそう謝ると、彼は嬉しそうに微笑んで手をひらりと振った。

「大丈夫。ふふ、やっぱり君は優しいな。僕はそんな優しい君だからこそ惹かれるんだ……それじゃあ、また近々会いにくるよ」

 その言葉に、俺は内心で絶対に会いにくんじゃねぇ!と叫んだ。やはり罪悪感を感じていても、嫌悪感は消えないし本心は隠すことはできない。

 おかしな奴に気に入られている自分に哀れんで、俺たちは去っていく翳の後ろ姿を見送った。

 それから少しして、彼女が刀をかんざしに戻した。かんざしから淡い金色に光る玉が上に登っていく。高天原に帰るのだろう。

「ありがとうございました」

 丁寧に腰をおって礼を述べている彼女に、俺も慌てて同じようにして頭を下げた。それに、かすかな笑い声が頭上に響いた気がした。

 光が完全に上に登りきった後、俺たちは顔を見合わせ、同時に苦笑する。なんとも不思議な奴だった。

「今日はわざわざ休みの日だったってのに、巻き込んじまって悪かったな。改めて、助けに来てくれたありがとう、助かったよ」

 俺が改めて礼を述べると、彼女はなんてことのないように笑って首を振った。

「大丈夫だよ。どうせ今日は暇だったし。無事でよかった。本当に、あとで君の式神くんにもお礼を言ってあげてね」

「ああ、そうするよ。あいつも多少は心配したんだろうし」

 あまり信じられないが、現に彼女がここに来れたのも暁が知らせてくれたからなのだろう。以外に優しいところがあるのだと、わりと失礼なことを考えながら、俺たちは廃墟を出た。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る