第十五章 誘拐

朝、私は珍しく休日だというのに学校があったら目覚ましがなる時間に起きた。我ながら早起きに自画自賛してから、私服に着替える。着替えてから、なんだかまだダラダラしていたくて、布団に寝転んだ。早起きしたならダラダラしない!と、お母さんに叱られるかもしれないけど、まぁどうにかなるよね。

 昨日の戦い、すごくやりやすかった。今考えてみれば、同年代の陰陽師と一緒に戦うっていうのは、何気に昨日が初めてだったんだ。大体は私1人で…いや、1人じゃないか。蒼やほかの式神たちと一緒に仕事をしていたから。なんだか術で援護されるというのは新鮮な感覚がした。

 彼はきっと無意識だったのだろうが、なんとも絶妙なところでいつも援護をしてくれた。1人でやるよりも、断然はやく終わった正直助かった。奏や春乃もいたし、あまり相性が良くなかったからな、絡新婦とは。

「あー…強くなりたい」

 もっと、強く。苦手も相性の悪さも、関係なくなるほどに。誰にも負けないような、強さが欲しい。

 きっと、これを彼や式神たちが聞いたら、渋い顔をしてそれ以上強くなってどうするー!とか、言われるだろうけど。

 周りからの評価はさておいて、私はもっと強くなりたいんだ。せめて、この世代では一番強くなりたいな。師匠には今のところ、敵う気が全くしないから、そのうちどうにかして勝とう。まぁでも、この残された1年の間に勝てなきゃだめなんだよね。あー、そう考えると厄介…というか、面倒かも。この呪い。

 正直言って自分が本当に呪われているのか、ちっともわからない。だって、何にも体に変化がないんだもん。特に息苦しくなったり、あざができたりとかもしてない。信じられないくらい今まで通りなんだよね。でも、呪われたのは確かだと思うしなぁ。不思議なこともあるもんだよね。別に、死にたい、っていうわけじゃないんだ。でも、特段生きたい、とは思わない。そりゃ、私を助けてくれた蛟の女の子とはもう一度会いたいし、なにより、死ぬのは怖いんだけど。でも、陰陽師という仕事をしている以上、覚悟はしてあるんだ。いつか、こうなる日がやってくるって。まぁ、こんなに早くくるとは思ってなかったけど。早すぎて、全く実感がない。

 でも。

「短い時間しか生きることが叶わないのなら、いっそ笑っていた方がずっといい」

 もしかしたら、これからとても辛かったり、悲しい想いをするのかもしれない。それでも、笑っていることができるのならば。

「それはもう、この上ない倖せだよね」

 そう呟いて、私は口元に笑み浮かべた。


 俺は部活に行くために家を出た。そのはずだった。だが、どういうわけか、俺は知らない廃墟にいる。正確には、なんだかよくわからない、毛むくじゃらの妖に拉致されたのだが。

「…はは、夢だったりして?」

 乾いた笑い声を上げたが、それも虚空に響いて消える。ちなみに、手足がご丁寧にがっちりと縛られていて、身動きが取れない状態である。もしかしたら言霊で解けるか、と思って使ってみたが、縄になにか呪いまじなでもかかっているのか、鋭い痛みが走って終わった。正直、やらなきゃよかったと後悔するくらいには痛かった。

「暁…おーい」

 かくなる上は、と。切り札である暁を喚ぶ。だが、なんの反応もない。いや、いくら生意気で不従順なやつであろうが、一応仮にもちゃんとした式神の契約を結んでいるんだ。主である俺の呼びかけに応えないということは、普通ならば絶対にありえない。

「…ふざけるなよ?今回は本気でまずいと思ってるから、出てきてください」

 ものすごく不服ながらも、この状況で出てきてもらえないのはとても困るので、敬語で頼んでみる。だが、一向に姿を見せる気配がない。それどころか、近くにいる気配が微塵も感じられない。

 あー、これはあれだな。たぶん、部屋…もしくは建物に、なんか式神が入れない、それか出てこれないような術がかかってんだろうな。てことは相手は同業者か。

「面倒くせぇ…!」

 思わずため息混じりに本音を言うと、かすかに足音が響いた。それは、徐々に大きくなっていく。

 それに若干焦りを感じて、俺は背筋を伸ばした。

 やがて、足音の正体が姿を見せる。現れたのは、眼鏡をかけた青年だった。服装は至って普通。春らしい若草色のTシャツにジーンズという、今の時期に着ることが多いものだ。柔らかな色合いの茶色い髪に、それと同色の切れ長の瞳。見たところ、二十代前半から後半頃だろう。

「…あんた誰?」

 全くもって面識のない青年に、俺は思わず怪訝そうな顔をして首を傾げた。

 それに対して、彼はにこっと笑う。

「さぁ、誰でしょう?」

「はぁ?」

 つかみどころのない笑みを浮かべたまま、青年は首を傾げた。いや、知らねぇから聞いたんだろうが。こいつ阿呆か?

「まぁ、あんたが誰かなんかどうでもいいや。とりあえず、なんであんたは俺を拉致ったんだ?」

 きっと、俺を拉致したあの毛むくじゃらの妖はこいつの式か何かだろう。

 警戒心と不信感を隠そうとは思わずに、俺は青年に聞いた。が、やはり青年はにこにことただ笑っているだけだった。うーん、この場合はどうすればいいんだろうか。そもそも今何時だ?これじゃ確実に部活には遅刻だな。

 まぁ、平日で彼女を迎えに行く前とかじゃなくてまだよかった。これなら他人にあまり迷惑はかからないだろう。

 なんてことを考えていたら、いつのまにか青年が間近に来ていた。俺は床に座らせられているので、彼を見上げる形になる。

「それで、俺になんか用?」

 目をすがめて聞いてから、俺は自分で「ああ、なんて生意気なんだろう」と考えた。どう見ても自分よりも年上、しかも手足を拘束されていた殺されてもおかしくないような状況で、どことなく上から目線で聞いてしまった。流石にまずかっただろうか。

 後悔の念を抱きながら、俺はちらりと相手の目を見る。だが、特段怒りを感じている様子は見られない。それどころか、喜んでいるような気が…。

 ありえない考えを払拭するように頭をゆるく振って、俺はさてどうしたものかと再び頭の中で考え始める。

 まずは状況整理だ。俺の今いる場所は、どこかは知らんがとりあえず廃墟。俺たちの他に気配がないからだ。それに、ところどころに埃がたまっているので、長らく人が住んでいないことがわかる。次に、身動きの取れる可能性だ。今のところは皆無と言っていいだろう。言霊は効かないし、関節を外して縄をすり抜けることも、硬く縛られているために無理だ。当然、足も同様である。本来なら頼りの綱である暁も使えない…というか、いないしな。最後に、俺を拉致したこの青年の実力は、きっと俺の倍だということだ。同業者ではあるだろうが、なんというか直感で。格上だと思ったのだ。まぁ、彼女や彼女の師匠よりかは弱いだろうが、それでも十分実力者だろう。なにせ、暁の侵入、または顕現を拒むことに成功しているのだから。

 と、改めて冷静な状況整理をしてみると、俺が置かれている状況がかなりまずいことだということがわかった。

…これ、改めて死ぬ覚悟しといたほうがいいな。

 俺の目が据わるのを見て、青年は口元の笑みはそのままに目を細めた。

「ずっと黙っているなとは思っていたけれど、何を考えていたのかな?」

「…状況整理」

 ぼそりと、俺は答えてやった。このまま黙っていてもどうにもならないと思ったからだ。

 俺の答えに、青年は今度は気のせいなどではなくあからさまに、嬉しそうに瞳を輝かせる。

「そう、そうなんだよね。君は、こんな絶体絶命とも思える状況で、あくまで冷静に物事を考えることができるんだ。本当に、面白い」

 ふふふ、と。男にしてはなんとも可愛らしい笑い声で、笑った。こいつ、頭大丈夫か。

 面食らって、きっとものすごく嫌そうな顔をしていたであろう俺に、青年は口を開く。

「先ほど、君は僕に聞いたよね?僕は誰だと」

 なんだか言い回しが回りくどく、若干苛立ちを感じたが、俺は黙って頷いた。純粋に知りたいからな。

「僕はかげ。僕はね、君をずっと見守っていたんだ。今まではあの鬼神が君のそばにいたせいで、僕は近づけなかったんだけどね?ようやく、僕はあの鬼神を退ける方法を見つけたんだ」

 にこにこと笑いながら、青年…翳は言う。正直言って、こいつの言っている意味がさっぱり理解できていない。暁がいたから、俺は今まで無事だったかの言い様だ。こいつは何者なんだろうか。「翳」という名も、とても不愉快だ。こいつの名付け親は一体どれだけこいつを恨んでいたんだろうか。忌み名としか考えようのない名だ。

「だから、早速君を式に攫わせたんだ。鬼神は君を攫おうとしていた僕の式を殺そうとしていたけれど、僕の式にも鬼神が触れられないように呪いをかけて、君を連れてきたんだよ。ふふ、彼の悔しそうな顔…今思い出しても滑稽だったなぁ」

 ああだめだ。こいつは本当に壊れている。

「んで、あんたは暁を退けてまで、俺に何がしたいんだ?」

「んー?特には何も。ただ君がここに…僕のそばにいてくれればそれで十分なんだよ」

 絆されるほどの甘い顔で。とんでもなく気色悪いことを言いやがった。若干申し訳ないと思いつつ、俺はドン引きした。いや、むしろこれで引くなと言われるのは無理がある。

 押し黙ってしまった俺に、翳は特に気にした風もなくにこにこと笑っている。それに、なんだか徐々に腹が立ってきた。

「ふざけるなよ?俺はお前専用の人形じゃねぇんだ。さっさとこの拘束なくして俺を放しやがれ!」

 結構思いっきり、俺は怒鳴った。果たして、この変態に効き目はあるのだろうか。

 ないはずの光に眼鏡が反射して、翳の表情はうかがえない。逆にそれが恐怖だった。

 少しして、翳が自分で自分を抱きしめはじめる。

「嬉しいなぁ。さっきまではあんた呼びだったのに、今はお前って呼んでくれた。距離が縮まったのを感じるね」

 何をどう解釈したらそうなるのだろう。こうも前向き思考だと、いっそ清々しい。というか羨ましい限りだ。だが、今回だけは否定したい。

「いや違うわ!ただ単にお前が男だからだ。本当ならあったばかりなら男でもあんた呼びだが、今回は軽蔑の意味を込めてそう呼んだだけだ」

 勘違いするな!と、俺が睨むと、それすらにもうっとりと目を細める。

「いいね、その目。すごくそそられる…けど、少しだけ威勢がよすぎるかな?今はまだ、ゆっくりと寝ていてね」

 そう言いながら、翳は俺の顔の前に手をかざした。その瞬間、徐々に意識が遠のいていく。まずいと思ってはいても、抗えない。俺は、暗闇に意識を落とした。


 俺は生まれて初めて今、焦りというものを感じている。仮にも主である小僧が、厄介極まりない相手に攫われたのだ。

 俺が気まぐれで式神に降る前から、今では主となった小僧を気色悪いほど付け回している男がいるのには気づいていた。その男がただの人間ではないことも。その付け回されている小僧は男の存在には微塵も気づいていなかったが。

 俺は主であるにも関わらず、あの小僧が好きではない。とんでもないほど人が良く、阿呆だからだ。かつて、俺はあの小僧があの胡散臭い陰陽師に修行を付けられていた山にある、古い社に祀られていた。ある日悠々と山を散策しているところに、あの小僧はいきなりあの俺からしても胡散臭い陰陽師に拉致されてきて、その上なんの説明もなく人間にしては厳しい修行とやらを積まされる。そのような所行をされていたにも関わらず、あの小僧は怒りをあらわにしたことは一度もなかった。だから、俺は自分の意思も言えないようなつまらん餓鬼だと思っていた。

 ところが、やることがなく退屈な日に、唐突にあの小僧は俺の社にやってきた。そして、その前日に猪により倒された石碑を、無言で起こした。人間からすれば、かなりの重さだったろう。だが、小僧は無言で、泣き言ひとつ言わずにそれを立ち起こした。俺は正直石碑などどうでもよかったので、そこはあまり関心はなかったのだが。が、すぐそばで、まるで興奮を抑えきれないかのような吐息の気配を感じた。それに、俺は意識をそこに集中させる。すると、その場には1人の男が、小僧を見て目を爛々と輝かせていたのだ。それに、俺は驚愕した。それまで、男が潜んでいたことに気づかなかったのだ。

 俺に悟られないほどの力のある人間…いや、少し違うものに、俺は初めて出会った。その男に興味を惹かれるのと同様、それ以上に、そんな男を興奮させる小僧に、興味を持った。

 この小僧は、これからこのような化け物じみた人間とどのようになるのか。俺は、この時そう思った。そして、この小僧がどのように死ぬのか。とても興味深い。

 そう考えて、俺は小僧の前に姿を現した。案の定、小僧は突如現れた俺に驚き、硬直したようだったが、すぐに笑みを浮かべて言った。

「あんた、綺麗な髪とをしてるな。琥珀と金色だ。羨ましい」

 それに、俺は何が面白かったのか、声を立てて笑った。とにかく、その時の小僧の言葉がおかしくて仕方がなかったのだ。もしかしたら、こいつは自分の意思を言えないのではなく、言わないのかもしれない。

「あんたの最期見てみたい」

 今でも、俺のその言葉に対する小僧の間の抜けた顔は忘れられない。それほど滑稽だったのだ。

 それからほどなくして、あの胡散臭い陰陽師に手ほどきを受け、小僧は俺を式神に降した。正直人間の配下に降るなど億劫でしかなかったが、それ以上に小僧に対する好奇心の方が優っていたのだ。特に不満はなかった。

 小僧は俺を暁と名付け、必要に応じて俺を喚ぶようになった。といっても、あまりその回数はないが。ちなみに、名の由来は俺が戦闘の際や怒りをあらわにした時、瞳の色が暁色になるから、だそうだ。

 そして、俺が小僧の配下に降ってから、男は以前よりも距離を置くようになっていた。俺を警戒しているのだろうと、容易に想像できる。やがて、最近では男の姿を見なくなった。

 いわゆる、俺は油断というものをしていたのだろう。まさか、俺を退ける方法を見つけ出してくるとは思っていなかった。何故そうまでしてあの小僧に執着するのかはやはり謎ではあったが、一応は俺の主だ。それに、攫われたままでは死に様を見ることができない。

 忌々しい結界があるせいで、俺は小僧のいるかつて人間が造ったのであろう建物に入ることができない。

 考えた末、ひどく不満ながらもあの小娘の元へ行くことを決め、俺はその場を後にした。

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