第九章 喫茶店

その喫茶店があるのは彼女の通う高校から少し距離があるとのことなので、俺たちはちょうど良く来たバスに乗り込んだ。

 バスに揺られること約3分。乗ってから2つ目のバス停で、彼女が降りるボタンを押した。

 料金を払ってバスを降りる。そして、俺は彼女が左に足を向けて歩き出したので、大人しくその後ろについていく。

 少し歩いて行くと、小さな雑木林が現れた。そのちょうど真ん中には人1人が通れる程度の小道ができており、彼女は慣れた様子でそこを歩いていく。

 一列に並んでしばらく歩いていくと、やがて人の手が加わっているように見える小さな畑が現れた。畑には様々な野菜が実っている。

 その畑から少し距離があるところに、小さな一軒家が建っていた。その家の引き戸のそばには、趣のある木製の看板が掲げられている。

「ここだよ」

 そう言って、彼女は迷わずに引き戸を開けた。すると、中から「いらっしゃいませ」という女性の声が聞こえた。

 俺は戸惑いながらも彼女と同じようにして店内に入る。

 中に入って、俺は予想以上に広いことに驚いた。木製の机に学校で使われている椅子で1組となっているようで、それが5組あり、それ以外は座敷が大人数2組は入れるような空間がある。

 座敷の奥には、墨絵で山々や松などが描かれた掛け軸が1つかかっている。うぐいすいろを主体とした座敷に、鮮やかな紫の座布団が良く映えている。

 店内の照明は小洒落た洋燈がぽつぽつと天井にぶら下がっており、それが適度に明かりを灯していた。

 店全体を見渡していると、彼女がにこにこと笑っているのに気づく。

「なんだ?」

「いいお店でしょ?」

 それに、俺は頷く。

「落ち着いていていいな」

 俺の言葉に、彼女は満足そうに何度も頷いた。そして、おもむろに奥の方へと行くと、声を張り上げる。

「弥生さーん、今日のおすすめってなんですか!?」

 驚いて彼女の元へと行くと、彼女は暖簾の向こうへと問いかけていた。

 少しして、その返答が返ってくる。

「おかず系はひよこ豆のカレー。飲み物は冷抹茶、微糖入り、無糖。お菓子は薄皮饅頭と、シフォンケーキです!」

「ひよこ豆のカレー…」

 想像してしまい、俺の腹の虫がひときわ大きく鳴り響いた。その音が暖簾の向こうでも聞こえたのか、くすくすとおかしそうな笑い声が聞こえてくる。

「それじゃあ、ひよこ豆のカレー1つと薄皮饅頭1つ」

 おかしそうに笑いながら、彼女が注文すると、「かしこまりました」という声が返ってきた。

「よし、とりあえず座ろっか」

 そう言って、彼女は小窓の近くの席へと座る。俺も少しためらいながら座った。

 座ってからほんの数秒後、俺たちの目の前に水が2つ置かれた。思わず反射的に「ありがとうございます」と言ってしまったが、どう考えてもおかしいことに気づく。

「え、ちょっと待て。今誰が水持ってきてくれた?」

 平然と出された水を飲んでいる彼女とは裏腹に、俺は困惑しながら辺りを見渡す。と、すぐに暖簾の近くに立っている少年に気づいた。

 紺の作務衣に短めの前掛け、癖のない茶色の髪はは少し短くつんつんとしている。若草色の瞳が興味津々に輝いていた。10代半ばくらいだろうか、俺と目が合うと人懐っこい笑顔を浮かべた。

「いらっしゃい。彼女が連れを連れてくるんは珍しい。どうぞごゆるりと」

 ぺこりと軽く頭を下げて、少年は暖簾をくぐって奥へ行ってしまった。

「…あいつ、人間じゃねぇよな?」

 一応確認してみる。と、彼女は頷いた。

「あの子は若葉。かまいたちだよ。今はここでバイトみたいなのをしてるんだ。人懐こくていい子だよ」

 なるほど。それで水を置く時に姿が見えなかったのか。かまいたちは風を操れるため、動きがとても素早い。若葉はその特性を生かしていつも水を置いているのだろう。

「でも、急にやられると驚くから最初は普通において欲しかった…」

 苦笑する俺に、彼女は面白そうに笑った。

「若葉はいたずら好きだからなぁ。仕方ないよ。それに、気配でちゃんと気づかなきゃ。いざという時危ないよ?」

 ごもっともな意見だ。返す言葉もなく俺は言葉を詰まらせた。

「精進するよ…」

 乾いた笑い声をあげて、俺は水を飲んだ。

「あ、そういえば君は部活とかやってるの?」

「やってる。剣道部だよ。あんたは?」

「私は長刀部。さっきの高木奏くんも同じ部活だよ」

 ということは、高木も腕力は結構あるのか。もしも俺が彼女を泣かせたりしたら殴ると言われたから、一応それなりの痛みは覚悟しておこう。もっとも、泣かせるような真似はしないつもりだが。

 1人納得して頷いている俺を不思議そうに見ながら、彼女は首をかしげた。

「剣道強いの?」

「俺か?」

 それに、彼女が頷いたので、今度は俺が首をかしげる。

「どうだろうな…少なくとも、弱くはない。はず。そういうあんたは?」

 まぁ、あの刀さばきを見れば一目瞭然だが。

「長刀は得意だよ。多分そこそこ強い方だと思う」

 確実に部内で一番強いだろうなと結論づけて、俺はもう一度水を飲んだ。

「そういや、あんたのあの剣筋やらなんやらは、やっぱりお師匠さんに教わったのか?」

「うーん、教えられというか…剣術で師匠から教わったのは刀の力の向きくらいかなぁ?あとは自分でどうにかしなさい、って言われたから、蒼と相談しながらやってる」

「なるほど。んじゃほぼ自己流か」

 それでよくあそこまでちゃんとした「形」になったものだと、俺は感心した。俺も一応刀を使うときもあるが、どうしても剣道に近いものになってしまう。きっと、彼女は良くも悪くも鷹揚な人なので、それが功を成して型にはまらないものができ上がったのだろう。

「俺ももっと頑張るか」

 ため息を一つついた俺に、彼女は柔らかく微笑んだ。

「でも、そういうのはやっぱり人それぞれだから、焦らずゆっくりとだよ?」

「肝に命じておくよ。ありがとう」

 笑って水を飲んだところに、再び突然机の上にひよこ豆のカレーと、薄皮饅頭が置かれた。

「あ、ありがとう」

 少し驚きながらも、俺は礼を言った。それに、姿を見せた若葉がにこやかに笑った。

 それを見届けて、俺は目の前に置かれたカレーを見つめる。

 つやつやとした白米に、輝くたっぷりのひよこ豆の入ったカレールー。空腹にしみる匂いに、勢いよく手を合わせた。

「いただきます!」

 木製のスプーンで一口分すくい、それを口に入れる。

「う、美味い…!!」

 スプーンを握りしめ、俺は悶絶した。程よいぐらいに辛味のあるルーに、ほくほくのひよこ豆がとてもよく合っている。きわめつけは白米だ。水分量が絶妙で、何か味が付いている。

 一方で彼女もまた薄皮饅頭を食べて幸せそうに微笑んでいた。彼女の手の中にある饅頭も、つやつやとしていて美味しそうだ。中の餡は真っ黒なので、きっと黒胡麻だろう。

 思わずじっと見つめていると、彼女がそれに気づき饅頭を差し出してきた。

「一口食べる?あ、でもカレーには合わないか…」

 苦笑する彼女に俺は一瞬迷ったが、差し出された饅頭にかぶりついた。どうやら予想は当たっていたようで、餡の味は黒胡麻だ。程よい甘さでとても美味しい。

「これも美味いな。ありがとう」

「どういたしまして〜」

 にこやかに笑う彼女に、俺もお返しするために自分のカレーを一口分すくって彼女の口元へと運んだ。

「こっちも食うか?」

「それじゃ、遠慮なく」

 嬉しそうに笑って、彼女はカレーを頬張る。

「わぁ、美味しいね!」

 飲み込んでから、満足そうに笑う。

「だよなー。俺もびっくりした」

 なんだか嬉しくて、俺も笑う。と、いつのまにかすぐそばまで来ていた若葉が苦笑した。

「あんたら随分仲良いなぁ。恋人同士か?」

 その言葉に、俺たちは同時に硬直した。たしかに、何も考えずに当たり前のように食べさせ合いをしていたが、普通出会って間もない同世代の男女は、こんなことやらないだろう。

「な、なんかごめんね?」

「いや、こっちも」

 気まずい空気が流れる。若葉が、居心地の悪そうに頭をかいた。

 それに俺たちは苦笑する。どう返せばいいのかわからない。

 微妙な空気が流れる中で、暖簾から1人の女性が姿を現した。

 栗色の少し癖のある鎖骨まで伸びた髪を左側に1つにまとめ、山吹色の着物を着て、袂は邪魔にならないように襷がかかっている。前掛けは若葉と同じ短く黒い。瞳は白と青色だ。今でいうところの、オッドアイである。

 女性は俺を見ると柔らかく微笑んだ。

「いらっしゃいませ。彼女のお友達?」

「えっと…たぶん?」

 友達かどうかはわからない。果たして俺たちの関係はなんなんだろうか。

「私は一応、友達だと思ってたんだけど…」

 首を傾げていた俺に、彼女が困ったように笑った。

「あ、なら友達だ」

 頷いて、俺は女性に笑った。

「友達です」

「ふふ、そうなの。仲が良さそうで何より。私は弥生。この店の店長で、主に食事を担当しています。よろしくね?」

「よろしくお願いします」

 軽く会釈をして、俺首をかしげる。

「あの、弥生さんはなんの妖なんですか?」

 それに、虚をつかれたような顔をした。

「あれ、聞いてなかったの?私は雪女とかまいたちの合いの子よ」

 なるほど。だから瞳の色が左右で違うのか。

「へぇ、じゃあ料理には便利ですね」

 俺がそう言うと、弥生さんは笑った。

「そうね。硬いお野菜は風である程度は切れるし、冷凍庫は必要ないわ。おかげで色々節約できて助かってる」

 やっぱり、商売に節約はつきものというわけだ。それは人間も妖も同じか。そういえば、高天原であった目玉の妖も、何か商売をしていると言っていた。今度また高天原に行った時に少し寄って行こう、と心の中で決めてから、俺はいそいそとひよこ豆のカレーを食べることを再開した。


 食べ終わった後サービスだと言って出された冷やし抹茶を飲みながら、俺たちは他愛のない話をしていた。ちなみに、本来なら高木もここについてくる予定だったそうだが、長刀部の部長にお前だけは残れ、と軽く脅迫を受けたそうだ。正直、彼が来れなくなってよかったと思ってしまったのは許してほしい。

 そろそろ日が暮れるなというような頃、店の引き戸が静かに開けられた。入ってきたのはおそらく水天と呼ばれる妖だろう。

 長い銀髪をゆるく2つに縛り、天女のような服をまとっている。ところどころ見えている肌からは輝く鱗がのぞいており、瞳は透き通るような浅葱色だ。

 思わずじっと見つめていると、視線に気づいたのか水天がこちらを向いた。目が合うと、細めた。

「…この店に人の子がおるとはな。もっとも、一人は少し違うようだが」

 それに、俺は目を瞬かせ、彼女は苦笑した。

「あなたもここの常連さんなんですか?」

 首をかしげる彼女に、水天は薄く微笑する。

「ああ、この店は心地が良いからな。飯もうまく住処に近いので、よく来ているのだ」

 そう言って、水天はもう1つの窓際の席に座って外を眺め始める。きっと、そこが水天のいつも座っている席なのだろう。迷いがなかった。

 少しして例の通り若葉が水を置いた。水天はそれに驚くこともなく置かれた水を飲み始める。

「あの…ものすごく今更なこと聞くが、もしかしてここって妖専門店?」

 首をかしげる俺に、彼女は頷く。

「そうだよ」

 それに、俺はふむと頷くしかできなかった。世の中にはまだまだ知らないことがあるもんだ。

 やがて、彼女が最後の一口である抹茶を飲み干す。そして、立ち上がった。

「さて、そろそろ帰ろうか。日が暮れちゃったし、他の妖も来るからね」

 その言葉に、俺は立ち上がり会計を済ませるために足を向ける。

「あ、私も払うよ」

「いや、いいよ。今回は俺の昼飯に付き合わせただけだし、いい店を紹介してくれたお礼だ」

 格好もつけたいし。

うん、と一人頷いて、俺は会計を済ませた。

店を出る間際に弥生さんと若葉に礼を言って、俺たちはその場を後にした。


 私は彼女と彼女が友達だと言った彼を若葉と見送って、水天さんの注文を受けていた。

「…弥生よ、あの少女がかの有名なみずちの娘か」

 肩を並べて歩いている彼女と彼を見つめ、水天さんは抑揚のない声音で聞いた。

 それに、私はかすかに頷く。私が頷いたのを認め、水天さんはついと目を細める。

「そうか。未だ年若いというのに、苦労しておるのだな」

 若干の同情の混じった声音に、私は薄く笑った。

「そうですね。普通に考えればそうなんでしょうけど、彼女はそうは思ってませんよ」

 だって、彼女はいつも笑っているから。楽しそうに。見ているこちらが明るい気持ちになるように。

 自信を持ってそう言った私に、水天さんは小さく笑う。

「…ふむ。どうやらお前は相当にあの娘を気に入っているようだな」

「そうですけど、あまり余計なことをしないであげてくださいね?痛い目を見ますよ」

 かつての私のように。

「肝に命じておく」

 愉しげに笑う水天さんの注文を書き留めながら、私はもうすでに見えなくなった彼女たちのことを思い浮かべる。

 彼女が式神以外の「誰か」をこの店に連れてきたのは、彼が初めてだった。

 私は二人の幸せを密かに願い、心の中で指を組んだ。


 しばらくの間来た時と同じ道を歩いていくと、やがて少し離れた場所に青白い光が見えた。それに、俺たちは首をかしげる。

「なんだろう?妖かな」

 彼女が言うと、蒼が顕現した。そして、抑揚のない声音で聞く。

「…見てこようか」

「ありがとう」

 主である彼女が頷くのを認め、蒼は姿を消した。

「あんたの式神って、あんたによく懐いてるよな」

 羨ましい気持ちを乗せて見つめると、彼女は苦笑する。

「まぁ、そうだね。でも、ちょっと過保護すぎるところがあるから、そこが少し不服です」

 拗ねたように口を尖らせる彼女に、今度は俺が苦笑した。

「それだけ大事にされてるってことだよ。俺の式神なんてそんなん一切ないぞ」

 それに、彼女が複雑そうに笑う。

「そんなに君の式鬼は君のことをぞんざいに扱うの?」

「ああ、なんであんなに生意気なんだろうなぁ…」

 ため息を1つついたところで、蒼が再び姿を現した。

「三匹の白狐だった。おそらく弥生の喫茶店の客だろう。悪意は感じなかったので、このまま通って平気だ」

 相変わらず抑揚のない声音で淡々と言う蒼の言葉を聞いて、彼女は頭を撫で始める。

「そっか。ありがとう、もう戻っていいよ」

 そう言うと蒼は姿を消した。

「んじゃいくか」

 少しの間俺たちが歩いていくと、やがて青白い光を放っている白狐が三匹、一列に並んで歩いていた。

 先頭を歩いていた銀の鈴を付けた白狐が、俺たちを見て口を開ける。

「やや!何故このような場に人の子が。よもや道に迷ったか」

 むむ、と短い腕を組んでいると、後ろから銀の鈴を付けた白狐が口を開いた。

「兄上、あの小娘から妙な匂いがするぞ。ただの人の子ではないようだ」

 ぴっと白い手を彼女に向けている金の鈴を付けた白狐の後ろから、今度は赤い鈴を付けた白狐が口を開いた。

「兄貴たちは神経質すぎるんだよぉ〜。人間なんて放っておいて、早く若葉んとこに行こうぜ〜?おいら腹ぺこだ」

 会話を聞いている限り、どうやらこの三匹の白狐たちは兄弟らしい。白狐たちの会話に、彼女が顔を綻ばせた。

「可愛い…」

 その言葉に、俺は目を瞬かせ、白狐たちは耳をぴくぴくと動かした。そして、銀の鈴を付けた白狐が口を開く。

「や!そこな小娘よ、我らを可愛いと言うたか!?」

 わーわーと文句らしきことを言ってる白狐の言葉を無視して、彼女は目線を合わせるようにしゃがみこみ、にこにこと笑いながら銀の鈴を付けた白狐の頭を撫で始める。

「うふふ、可愛い」

 やがて我慢できなくなったのか、わなわなと体を震わせ、頭を思いっきり振り、彼女の手を払いのけた。

「だぁー!我の美しい毛並みを乱すでない!弥生殿に笑われるだろうが」

 言いながら、銀の鈴を付けた白狐が若干乱れた頭の毛並みを一生懸命手で整えている。あの柔らかそうな肉球で直るのだろうか。謎である。

「兄上、やはりあの小娘ただの人の子ではありません!」

 兄の頭に残ったのであろう彼女の匂いを嗅いで、金の鈴を付けた白狐が言う。

 だが、そんな様子に、特に気にした様子はなく彼女がにこにこと笑いながら首をかしげた。

「君たちは弥生さんのお店の常連さんなの?」

 それに、赤い鈴を付けた白狐が大きく頷いた。

「そうだよ!銀の兄貴が弥生殿に惚れてるから、ほぼ毎日通ってるんだ」

 うんうんと頷く弟の頭を、銀の鈴を付けた白狐がペシリと叩いた。

「たわけ!兄の恋情をそうやすやすと漏らすでない!!」

「痛いぜ兄貴〜!」

 叩かれた頭を両手で抑えて涙目になる弟を黙殺して、銀の鈴を付けた白狐はピンと背筋を伸ばした。

「小娘よ、貴様弥生殿の知人か」

「そうだよー。あなた、弥生さんのこと好きなんだ?頑張ってね」

 ふふ、と笑ってもう一度頭を撫でた彼女に、その白狐は「うぐ…っ!」という不思議な声を上げて耳を下げた。

 一方で、金の鈴を付けた白狐は、彼女を警戒しているようで毛を逆立てて弟を守るように威嚇している。

「貴様、何者だ。よくわからん匂いをしよって…!」

 そんな弟に、兄である銀の鈴を付けた白狐がため息をついた。

「やめておけ、金次よ。この娘はおそらく「蛟の娘」だ。我らでは到底太刀打ちできん」

 兄の言葉に、金の鈴を付けた白狐が愕然とする。

「な…っ!この娘が?」

 胡乱げに見つめられ、彼女は一瞬悲しそうに目を伏せた後、すぐになんでもなかったように笑った。

「ご名答。よくわかったね?」

 再び頭を撫でてくる彼女に、半端諦めたように息を吐きながら、銀の鈴を付けた白狐は口を開いた。

「…以前、弥生殿が話していたのだ。もしもこの小道で人の子か妖かわからぬ匂いの少女と出会ったら、其奴は「蛟の娘」だと。そして、出会ったとしても我らには危険なことを何もしてこないだろうから、通常通りに接してやってくれ、と頼まれた」

 それに、彼女の白狐の頭を撫でる手が止まった。ちらりと彼女の表情を盗み見ると、彼女は柔らかく笑っていた。

「…そっか。弥生さんはさすがだなぁ」

 その呟きに、何故か銀の鈴を付けた白狐が誇らしげに胸を張った。

「ふん、何を今更。弥生殿は寛大なお方だ。貴様ごときがあのお方を理解しようなど、100年早い」

 鼻息荒く言い切った兄に、赤い鈴を付けた白狐が軽やかに口を開ける。

「銀の兄貴も無理だろうけどね〜」

 割と腹黒い末っ子である。俺が思わず吹き出すと、弟の言葉により傷ついたらしい銀の鈴を付けた白狐が、ギロリと睨んできた。

「貴様はなんだ!我は貴様のことは弥生殿から頼まれておらん。この娘の男か!?」

 その言葉に、俺は慌てて首を振った。

「いや違う。俺は彼女の友人だ」

「ふむ。貴様はただの人の子のようだな。だのに、我らが視えると」

 金の鈴を付けた白狐が俺を見つめてくる。それに、俺は居心地の悪さを感じて頭をかいた。

「まぁ、もちろん人間なんだけど。俺、一応陰陽師だからな?」

 若干の不満を込めていうと、赤い鈴を付けた白狐が目を丸くした。

「え、そうなの!?じゃ、おいらたちやばい!?」

 わたわたと慌て始める末っ子に、俺は小さく苦笑する。

「そんなことしねぇよ。さすがになんの見境もなく出会った妖全部調伏してたらきりが無い」

 俺の言葉に、末っ子はほっと肩をなでおろした。

「はぁ〜、よかった」

 そう言い終えたのと同時に、その腹からぐるるる、という情けない音がなった。

「…えへ、安心したら余計に腹が減った。兄貴たち〜、早く行こうぜ〜?」

 気の抜ける弟に、兄白狐たちは同時にため息をついた。

「…それでは、我らは弟の腹の虫がうるさくなる前に、弥生殿の店へ行く。また縁があれば会おう「蛟の娘」、その友人よ」

 そう言い残し、いささか疲れた様子で銀の鈴を付けた白狐が弟たちを連れ立って背を向けた。

 それを見送って、俺たちもまた歩き始める。

 そのあと、彼女は一言も話さなかった。俺はとりあえず、それに従う。何を話せばいいのかわからない。もちろん、聞きたいことは山ほどあったが。


 雑木林を出たところで、彼女が立ち止り、月明かりをまぶしそうに見上げた。

 そして、口を開く。

「何も、聞かないんだね?」

「…聞いて欲しいのか?」

 質問に質問で返した。正直言って俺はあまりこの行為が好きでは無いのだが、今回はあえてそうした。

 それに、彼女は困ったように微笑み、目を細める。

「そうだなぁ…わからない」

「それは、困るな」

 苦笑して、俺は同じようにして月を見上げる。純粋に綺麗だと思う。

「…君は「蛟」っていう妖…ううん、水神は知ってる?」

 再び歩き始めながらぽつりと、彼女はそう聞いてきた。それに、俺は頷く。確か、水と関係のある竜類か伝説上の蛇類の水神だったはずだ。中国の蛟竜などの日本名でもある、と昔男から借りた本に書いてあった。

「まぁ、さっきの白狐たちの話を聞いて薄々分かっているかもしれないけど。私はほんの少しだけその「蛟」の血を持ってる」

 きっと、半妖というわけでは無いのだろう。もしそうなのであれば、ほんの少しだけ、では済まされない。

「それで、大きな術を使う時とかは、髪とか目の色が変わるんだ。まぁ、普段の髪色もちょっと変わったけど」

 俺は彼女の言葉に少し納得した。夢であった時、彼女の髪は銀髪に染まり、瞳も青緑色に変わっていた。あれは、蛟の血の影響か。

「昔ねぇ、私蛟の女の子と友達になったんだ。でも、その時の私はその子が普通の人間の女の子だと思ってた。それで、ある日に私が大怪我しちゃって、血が足りなくなって死にかけたことがあったの。それで、その子は私を助けようとして、自分の血を飲ませたの」

 一度言葉を切ってから、彼女は笑った。

「そしたら、体がどうしようもなく熱くなって。そのまま私は高熱を出して寝込んだ。その子が、私を家の前まで運んでくれたらしいんだ」

 少し、悲しそうに、けど嬉しそうに笑う。

「それで、一週間後に目を覚ましたら、傷口が完全に塞がってて、代わりに髪の色が少し変わってた。私は、その子のところに行ったんだけど、その子は泣いて謝ったんだ」

 なんでだろうね?と、彼女は寂しそうに笑った。きっと、もう答えなんて分かっているはずなのに。

「その子は、私にもう会えないと言ったの。なんで?って聞いても、答えてくれなかった。それから、その子とはそれっきり。君の夢の中で見せたような、月の綺麗な日だった。私は、もう一度その子と会いたくて、陰陽師になったの」

 覚悟を乗せた笑みに、俺は息を呑んだ。彼女にとって、その子がとても大切なんだろう。

「あんたすごいな。俺なんて、あの男に攫われて、半分強制的に陰陽師にされたんだぞ?」

 俺の言葉に、彼女は苦笑する。

「それそれですごいと思うけど」

 まぁ、たしかに。同じく苦笑して、俺は拳を握った。

「よし、じゃあ俺もその子を探すの手伝う。どうせこれからずっと一緒にいるんだから、そうなるのは当然だろ?」

 そう言って笑えば、彼女は驚いたように目を丸くしてから、花が咲いたように笑った。

「ふふ、君も大概変わってるよね」

 それに、俺は不服そうに眉を寄せる。

「あんたには言われたく無いな」

「あはは、ごめんね?」

 否定するつもりもないのか、彼女は軽やかにぐるりと一回転する。そして、俺の目を見てきた。

「じゃあ、お言葉に甘えて探すのを手伝ってもらおうかな?」

「ああ、喜んで?可愛らしいお嬢さん」

 挑発的な笑みに対抗するように、俺は不敵に笑う。それに、彼女は楽しそうに笑った。

「ありがとう」

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