第七章 学校
しばらく笑いあっていると、いつのまにか女性が面白そうに俺たちの姿を眺めていたのに気づき、俺たちはお互いに硬直した。
いや、いつからそこにいたんだ、あんた。
内心で突っ込みながらも、見た目は努めて平常心を保つ。
「ふふ、おはよう。朝から随分楽しそうだね?」
「おはよう、ございます。すみません、朝早くからうるさくして」
普通に忘れていたが、ここは自分の家ではなくこの
冷や汗をかく俺に気づいたのか、女性はおかしそうに笑った。
「ふふ、そんなに焦らなくても大丈夫だよ。賑やかなのは嫌いじゃない。それに、今日はましな方だからね?」
そう言って、女性は自分の弟子へと目を向ける。それに、彼女は申し訳なさそうに眉根を下げた。
「ごめんなさい…」
「なにが?」
話についていけずに、突然誤った彼女に首を傾げた。少なくとも、今の場面で彼女が謝るようなことはなかったように見えたが。
そんな俺に、彼女は非常に言いづらそうに口を開閉している。
「えっと、その…」
「この子は昔から、繊細な術を扱うのが苦手なの。だから、力の制御が下手で、よくこの道場を壊したり、周りにある木々をなぎ倒してしまったりしてて、それはもうすごい破壊音が鳴り響いていたよ」
何か面白い玩具を見つけたかのように面白そうに笑いながらそう話す女性に、彼女は気まずそうに俯いた。
「な、なるほど…」
今となっては考えられないようなその話に、俺は何度も頷いた。やっぱり、誰にでも苦手なことはあるんだな、としみじみと思ってしまう。彼女には申し訳ないが、俺は結構安心している。
「で、でも、今はできるようになったんだよ?たまに力加減は間違えるときはあるけど…」
弱々しく見上げられ、俺は思わず苦笑した。
「わかってるよ。むしろ、今もまだできてなかったら、色々大変だったろ、さっきとか」
もし本当は今でも制御ができていないのならば、きっと今この部屋はすでに吹き飛んでいる。当然、覗き見なんてしていた俺も命はない。
俺の言葉に、彼女は笑った。
「たしかに。でも、あれは結構威力を抑えてたからなぁ…」
なんだかとんでもないことをさらりと言われた気がするが、もうこの際無視だ無視。
「へー、そーなのかー」
棒読みで返答してから、俺は女性に首を傾げた。
「そういえば、今って普段俺たちが住んでる世界では何時なんですか?」
変な言い回しになってしまったが、ご愛嬌だろう。
「そうだなぁ…こっちの方が時の流れが遅いから、今のあっちはこっちでいうところ明日の昼間ってところかな?」
その言葉に、俺は血の気が引く想いを感じた。それはまずい。学校に完全に遅刻だ。
「す、すみません、ちょっと学校があるんで、そろそろ戻らないと…!!」
「あ、私もだ。あちゃー…」
学生二人揃って本来の日課を忘れるとはなんとも間抜けなことだが、今はそんなこと言っている場合じゃない。
青ざめる俺たちに、女性は苦笑した。
「じゃあ、私が近くまで送ってあげるよ。二人とも、学校の場所は?」
そう聞かれて、俺たちは素直に自分たちの学校の場所を教える。そこでわかったことが、彼女の通っている高校が俺の予想通り、隣町の高校だということだ。三年くらい前に制服が今時珍しいセーラー服に変わっていたはずなので、よく覚えている。
俺が学校の場所を言うと、彼女が少し思案した後に軽く驚いたように目を瞬かせた。
「君、頭いいんだねぇ。君の高校たぶん進学校だよね?」
しみじみと言われてしまい、俺はどう反応すればいいのかわからず小さく苦笑した。
「そりゃどうも」
でも、そう言う彼女の高校も普通に頭がいいはずだ。
なんとも複雑な心境でいると、いつのまにか女性がここに来る時に彼女が使ったような道を開いて、俺たちを待っていた。
「あ、すみません」
それに気づいた俺たちは慌てて女性の元へと近づいた。
「えっと…よろしくお願いします」
なんだか若干の気まずさを感じながらも、俺は頭を下げる。それに、女性はうなづいた。
そして、彼女も「よろしくお願いします」と言ってから、その空間へと入っていった。その後を俺も続く。
中は来る時とは違い、全くの暗闇だった。こんなに暗かっただろうか?
不安になった時、彼女が気配でそれを読み取ったのか、息を吸った。
「大丈夫だよ。今回はつなぐ場所を探しながらだから、こんなふうに暗くなってるだけだから」
その言葉に、俺なほっと肩をなでおろした。納得…というか理解はできてはいないが、大丈夫だというのなら大丈夫なのだろう。
少しして、光が見えてきた。そこで、俺は思い出したように声を出した。それに、彼女が首をかしげるのを見えた。
「どうしたの?」
「いや、提案なんだけど。あんたの高校もわかったことだし、俺はあんたを守るって決めたから、今日の朝は無理だけど、毎朝夕登下校一緒でもいいか?」
「へ?」
彼女の口からなんとも間の抜けた声が出て、俺は思わず吹き出した。
「あんたでもそんな声出すんだな…っ」
笑いが抑えきれず、肩を震わせている俺に、彼女は不服そうに眉を寄せた。
「失礼だなぁ。君は私をなんだと思ってるの?」
「さぁ?」
うまくはぐらかして、俺は首を傾げた。
「それで、登下校の件いいか?」
その問いかけに、一拍の間が空いて、彼女は小さく頷いた。
「んじゃ決まりで」
満足げに頷いた俺に、いつのまにか隣にいた女性がくすくすとおかしそうに笑った。
「あなた、存外積極的だね?」
その言葉に、俺は首を傾げた。どう言う意味だろう。
少し考えて、俺は徐々に恥ずかしくなってきて顔を赤くした。
「えっと…深い意味はない、からな?」
「う、うん。それはわかってる」
ぎこちない空気が流れる。どうすればいいのかわからず、困惑しているうちに俺たちは目的地に着いたのか、まばゆい光に包み込まれた。
目を開けると、見慣れた景色が広がっていた。どうやら、着いたのは俺の学校のすぐ近くにある公園のようだ。
「ここでいいかな?」
確認するように首をかしげる女性に、俺は大きく頷いた。
「はい。十分です。ありがとうございます」
「どういたしまして」
薄く微笑する女性に一度会釈をして、彼女へと向き直る。
「それじゃあ、放課後あんたの学校まで迎えに行くから、先に帰ったりしないでくれよ?」
念を押して言うと、彼女は苦笑まじりに頷いた。それを認めてから、俺は学校へと走った。
学校に行くと、まず最初に運の悪いことに担任に見つかり、軽く説教を食らってしまった。まぁ、どうせ後から説教を食らう羽目になるんだろうから、そんなに変わらないが。
説教から解放された後、教室に向かうと俺の親友兼幼馴染である、
「いってぇな!きて早々担任から説教くらって苛立つのはわかるけど、俺に八つ当たりすんなよ」
「いや、俺がいま一番腹が立ったのはさっきのお前の気色悪い笑顔にだよ。だから蹴られるのは当然の報いだ」
ふん、と鼻で笑えば、悠人は悔しそうに唇をかんだ。これは驚いた。自分の笑顔が気色悪いということに自覚があったのだろうか。だとしたらすごい。
埒のあかないことを考えていると、悠人が不意に首を傾げた。
「そんで、なんでお前今日遅刻してきたんだよ?」
それに、俺は若干の焦りを感じた。俺はこいつにも仕事のことを話していない。信じないなんてことはないだろうが、なんとなく話したくないのだ。
少し間を空けて、俺は苦笑した。
「普通に寝坊したんだよ。昨日夜更かししちまってな」
俺の答えに、悠人は怪訝そうに眉を寄せる。
「今の今まで?もう昼過ぎだぞ」
しまった。確かにそれは寝坊しすぎかもしれない。
「色々あったんだよ。なんでもいいだろ、別に」
気まずさを感じて目をそらすと、悠人はさらに疑わしげに見つめてきた。
と、そこでタイミングよく昼休みの終わりを告げる予鈴がなった。ちらりと時間割表を確認すると、次は移動教室だったのでそろそろ準備しないと遅れてしまう。
「ほら、授業始まるぞ。さっさと準備しようぜ」
逃げるようにロッカーのある廊下へと出た。それに悠人も渋々ながらついてくる。
「後でちゃんと聞かせてもらうからな?」
「…善処する」
低い声音に、俺は苦笑した。
午後の授業が終わった頃には、俺の腹は大変なことになっていた。ある意味すごいくらい腹が減り、ぐるぐると鳴り響いている。これはまずい。さすがに朝飯と昼飯を食べなかったのは無茶があっただろうか。
だんだん気持ち悪くなってきて、俺は彼女を迎えに行ったら彼女に何か買って食べていいかを聞こうと決めた。
そんなある意味どうでもいいことを考えていると、悠人が背中を叩いてきた。
「おいおい、どうしたなんか元気ねーぞ?そんなんで部活出れるのか?」
しまった。部活の存在をすっかり忘れていた。俺は剣道部に所属している。こんな状態で剣道なんてやったら、それこそ死ぬし、それ以前に今日は先約があるのだ。
「あー、悪い。今日は部活休むわ。用事があるんだ」
申し訳なく感じながら、俺は両手を合わせて顔の前に移動させる。
「了解。なんだよ、用事って。まさか…彼女でもできたのか!?」
「ばっ…そんなんじゃねーよ!!」
先ほどの道の中での会話を思い出し、思わず顔に熱が集まる。
そんな俺の反応に、彼はにやにやと下世話な笑みを浮かべた。
「その反応、彼女ではないにしろ相手は女子だな?おうおう、ついにお前にも春が来たか。今度どんな子か会わせろよ」
肘で小突いてくる悠人に、若干の苛立ちを覚えて、俺は顔をしかめる。
「うるせーなー。そんなんじゃないっての。だぁれがお前なんかに会わせるか!」
言い捨てて、俺は鞄を持ってそのまま教室を出た。出る直前に、悠人が何か言っていたが完全に無視してやった。どうせろくなことじゃない。
一つため息をついて、俺は足早に昇降口へと向かった。
師匠に学校の近くの池まで送ってもらってから、私は全力で走って学校に行った。ちょうどお昼休みの時間帯だったので、授業中に教室に入って注目を集める、ということは回避できてよかったと思う。
息を切らして座席に着くと、幼馴染である
「どうしたの?ずいぶん盛大に遅刻したねぇ」
春乃がよしよしと頭を撫でてくれる。それに嬉しくなって笑って、私は頬杖をついた。
「いやね、色々あってちょっと遅れちゃって」
「もしかして、仕事?」
奏が呆れたような声音で言う。それに、私は苦笑した。
「うん。まぁそうだね」
「ありゃ〜、あんまり無理しないでね?」
「あはは、ありがとう」
と、そこでタイミングを見計らったかのようにお腹が鳴った。そういえば、今日の朝は何も食べていなかった。あっちにいると時間感覚がおかしくなるから、それが困る。
「…俺の弁当食べる?」
奏が苦笑まじりに言った言葉に、私は大きく頷いた。これから授業なのだから、ちゃんと食べないと集中できない。腹が減っては戦はできぬ!と同じだよね。
「はるのもあげるよ〜」
そう言って春乃も奏とはまた違う可愛らしい包みのお弁当箱を掲げてくれた。
「ありがとう〜!」
これで、お昼は困ることはない。そういえば、あの子は大丈夫だろうか。きっと、私と同じようにお腹が空いているはずだ。まぁでも、さすがに何か食べてるよね、うん。
1人納得して、目の前に広がった美味しそうな食べ物に箸を伸ばした。
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