第五章 夢

 案内された部屋に入って、布団やらなんやらの説明を終えると彼女は出て行った。

 一人になって、ひとまず布団を敷き終えた俺は、そのままその上に寝転んだ。

「どっと疲れた…」

 深くため息をつき、照明に手をかざす。

「なんだかなぁ…無頓着」

 なにが、と聞かれれば、彼女が、と答える。だって、自分が後一年で死ぬと知って、彼女はとても他人行儀な態度をとったのだ。まるで、どうでもいいように。

 俺はほんの数時間前に彼女に会ったばかりで、当然ながら彼女のことをよく知らないし、彼女も俺のことを知らない。だから、こんなことを思うのはおかしなことなのかもしれないが。

「もっと…自分を大切にしてほしいもんだなぁ」

 なんて考えるのは、お人好しだろうか。

 もう一度ため息をひとつつき、俺は目を瞑り意識を手放した。



 俺は、制服で深い森のような場所に立っていた。ああ、これは夢だ、と。なんとなく、そう思った。

 妙にはっきりとした頭で、俺は辺りを注意深く見渡す。周りには特に変わったものはなにもない。あるのはたくさんのそびえ立つ木々だけだ。

 ふと、俺は不思議に思って首をかしげる。なぜ、こんな暗闇ではっきりと周りのものを判別できるのだろうか。暗視の術もかけていない。ここまで目が慣れるまで、術も使わずに俺はずっとここにいたのだろうか。まぁ、いくら疑問に思っていたとしても、答えは帰ってくることはない。

 どうやらここでの俺の体は行き先か、あるいはなにをすべきかをわかっているようで、意識は現実のままのものの、体は勝手に歩いていく。

 少し歩いていると、少し開けた場所に出た。いや、開けたというよりも崖のような場所に出た、というべきか。下はどうなっているのかはわからないが、風が吹きさらす音が響いていることから、きっと深い谷のような状態になっているのだろう。

 崖の突発した大きな岩肌に、彼女が同じく制服で立っていた。月明かりに照らされた彼女の髪は、心なしか銀色に輝いて見える。

 俺が彼女に声をかけようとしたところで、彼女は不意に振り向いた。その彼女の瞳を見て、俺は息を呑む。彼女の瞳が、青緑色に変わっている。髪の色も、やはり気のせいなどではなく銀髪だ。

 彼女は俺と目が合うと、いつものように微笑んだ。

「驚いた?面白いでしょ、この変わり様」

 と、少し切なげに目を細め微笑む。

 その時、少し強い風が吹いた。彼女の髪がなびく。顔にまとわりつく髪を払う彼女に、俺は目を細めた。

「いや…普通に綺麗、だと思う」

 それに、彼女はふっと少し複雑そうな笑みを浮かべる。

「それは、ありがとう」

 一体、彼女は今、どんな気持ちでその言葉を返したのだろうか。きっと、今の「ありがとう」は心そこからの声ではないだろう。彼女がなにを考えているのか、夢でもわからない。いっそ、聞いてしまおうか。

「…なぁ、あんたは今、なにを思って礼を言ったんだ?」

 俺の問いかけに、彼女は笑って首をかしげる。

「さぁ、なにを思ったんだろうね?私にもわからないや」

 可愛らしく笑って、彼女は月を見上げた。

「私は…この月が嫌いなんだぁ…。あまり良くないことを思い出す」

 上を向いていた上に少し距離があったため、彼女の表情はうかがえなかったが、その声はとても切ないものだった。が、それもつかの間、彼女はふわりふわりと、喰えない笑みを浮かべて危なげなくその場で回り続けるだけの踊りを始めた。

「はぁ…俺はあんたがわからないよ」

 少し呆れた声音になってしまったのはご愛嬌だろう。目をすがめた俺に、彼女は可笑しそうに笑った。

「あはは、それはごめんね?」

「絶対に悪いと思ってないだろう」

 それに彼女は今度は答えず、笑みを深めただけだった。これは肯定ということだろうか。わからん。

 眉間に皺がよった俺を見て、彼女は音もなく俺の前に飛び降りた。まるで重さがないように。

「ふふ…あんまり、気にしないほうがいいよ?」

 それは、言外に「あまり詮索するな」と言われたようなものだ。笑い声もいつもと違うものになっていた。

「悪いが、俺は一度気になったら止まらないたちなんでね。それは無理だ」

 俺も負けじと、少し挑発的なことを返す。すると、彼女は微笑を浮かべながら肩をすくめる。

「それは残念。後悔しても知らないよ?」

 忠告はした、と。彼女は笑った。忠告もなにも、俺は彼女を守るって決めた時から、面倒ごとに巻き込まれる覚悟はできてる。

「そりゃどうも」

 ある意味での脅迫をさらりと受け流した俺に、彼女は困ったように笑う。

「案外頑固だねぇ。あんまり頑固だと、いろいろ大変かもよ?」

「よく言われる。俺としては、こんなことされてもあんまり驚かないくらい、結構柔軟な頭してると思うんだけどな?」

 少し人の悪い笑みを浮かべた俺に、彼女は苦笑した。

「あれ、ばれちゃってた?もしかして、こういうこと前にもされたことある?」

「ないね。けど、あんたたちは色々規格外だ。人の夢に入り込むのなんて、簡単だろうなと思っただけ」

 そう、彼女は俺の夢に勝手に入ってきているということだ。もしくは、この夢の空間自体を彼女が創り出しているかだ。

「なるほど。なんというか、君は頭がいいよね。視野も広いし」

「お褒めに預かり光栄だよ。にしても、今のあんたはどういう状態だ?」

 まさか、生身の体のまま夢の中に入っているということはないだろう。

「ああ、離魂術を使ってるの」

 それは、とても難しい術だと、昔男が言っていた。「出来るやつはきっととんでもないほどの霊力を持っているんだろうね」とも。

「なるほど。つまりあんたは薄々分かってはいたけど、相当な霊力を持ち合わせている、と?」

「自分でそれを認めるのは少し抵抗があるけど、そうだね」

 苦笑まじりに頷く彼女に、俺は肩をすくめる。

「んで、わざわざ魂切り離して人の夢に勝手に入る、もしくは新しい夢の空間造ったのは、今みたいな忠告をするためだけか?」

 少し意地の悪い言い方をしてしまったのは許してほしい。同年代にここまでの実力差を見せつけられて、悔しがるなというのはが無理な相談だ。

 目を半目にする俺に、彼女は困ったように眉を寄せる。

「まぁ、そうと言えばそうだね。あとは…巻き込んじゃってごめんね、って謝りに来たの」

 それに、俺は思わず目を丸くした。

「いや、明らかにあんたが巻き込んだんじゃなくて、俺が勝手に巻き込まれたんだろ。謝られる筋合いはないな」

「そう?ならよかった。少し気がかりで」

 ほっと肩をなでおろす彼女を見て、俺はため息をついた。なんだか、形容しがたい遣る瀬無さを感じるのはなぜだろうか。

「なんというか、あんた強いくせに結構臆病だよな」

 いや、臆病というのは少し違うだろうか。なにしろ、あの美少女の本気の怒りを前にしても、全くひるむ様子がなかったのだから。

 ところが、彼女は俺のその言葉に、驚いたように目を丸くした。そして、小さく笑う。

「君は存外、鋭いねぇ。たしかに、私には臆病なところがあるかもしれない」

 意外にもあっさりと自分の短所を認めてしまった彼女に、俺は困惑した。こういう時、どう反応すればいいのかわからない。そもそも、自分で言ったくせに。

 戸惑う俺に、彼女はおかしそうに笑う。こっちは必死になってかける言葉を探しているというのに、そんなにおかしそうに笑わないでほしい。

「あはは、君は面白いね。表情がころころと変わって百面相みたいだ」

「それは褒めてるのか?けなしているのか?」

 俺の言葉に、彼女は少し思案するそぶりを見せたあと、にこっと笑った。

「褒めてるよ?」

 なんだかあまりその言葉を信じられないのだが。

「まぁまぁ、そんな顔しないでよ。本当だってば」

 ひどいなぁ、と彼女はなおもおかしそうに笑っている。全く、その態度が疑われる原因だというのはわかっていないのだろうか。

 軽くため息をついて、俺は肩をすくめる。

「んで、素っ気ないようで笑いが、もう用がないならさっさと解放してほしいんだが?」

 さすがに今日は疲れた。自分の中の視野や世界観が広がるのは大変好ましいことだとは思うが、それでも。今日1日で処理し切るのは骨が折れる。せめて寝ている間くらいはゆっくりさせてほしいのだ。

 俺の思いを察したのか、彼女は苦笑し目を細めた。

「うん、そうするよ。それじゃあ、また明日…って言っても今日か。おやすみ」

 そう言って、彼女は一つ、柏手を打った。それに合わせてその空間がぐにゃりと歪む。彼女の姿が消え、俺が完全に意識を手放す前に、俺はかろうじて、彼女に「おやすみ」と返すことができた。

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