第四章 挑む心

 道場のような場所に移動した俺は、今更ながらさすがに制服でやるのは気がひけると思い、借りた道着を着て女性と向き合っていた。

 彼女と鴉は隅のほうで座っている。

 俺たちはお互いに礼をして、それぞれ構えた。

 緊迫した状況の中、俺は必死で考える。さて、どう考えても相手が自分よりも格上だった場合、どのように仕掛ければいいのか。

 そういえば、昔男が何か言っていた気がする。もしも格上と戦うことになった場合、一番最初にするべきことは逃げること。だが、それがかなわない状況ならば…。

「ただ全力で、自分の得意な攻撃を仕掛ける…」

 俺の呟きに、女性はにっこりと微笑んだ。

「うん、ご名答」

 言うが早いか、女性はそれまで立っていた場から一瞬で姿を消した。俺は動揺したが、すぐに目を閉じ女性の気配を探る。が、当然ながらすぐには見つからない。

 少しして、ようやくその気配を探り当てることができた。俺はその場に向けて術を向ける。

 だが、どうしてかそれは虚空に消える。通常ならば、何かいるのならそれに当たり対象を切り刻むというのに。

 代わりと言ってはなんだが…いつのまにか、女性が俺の後ろに立っていて、俺のうなじに刀印を当てている。

 たぶん、動いたら死ぬだろう。

 だが、さっき放った術にはもう一つ「仕掛け」がある。啖呵を切った以上、こちらとしても簡単に負けるわけにはいかないのだ。

 女性はそれに気づいたのか、静かに俺から離れた。

「へぇ、さっきの術…土の精霊が何人か混じってたんだね」

 自分に向かって飛んでくる金色に輝く衣をまとった小人たちを見て、女性は面白そうに口角を上げた。

 そして、それまで俺のうなじに当てていた刀印を口元に寄せ、小さく何かをつぶやいた。

 すると、精霊たちは唐突に動きを止め、床に落ちていく。よく見ると、それらは体を小さな水の泡で覆われ、苦しそうにもがいている。

 やがて力尽きたように、それらは金粉となって消えてしまった。

 そして、精霊たちを覆っていた水の泡たちは女性の手の動きに合わせ、合体して大きな一つの塊を作った。それをそのまま、女性は俺に向けて放ってくる。俺は慌てて障壁を築いたが、それもあっさり打ち砕かれ、水の塊は俺の顔面を直撃した。

「ぶっ…地味にいてぇ…」

 顔や髪についた水滴を頭を振って払っていると、女性がゆっくり近づいてきた。

「勝負あり、かな?」

「……参りました」

 流石にここまでやられてまだ続行しようとは思わない。

 潔く頭を下げる俺に、女性は頷いた。

「うん、まぁ…合格、かな?」

「なにが…?」

 その言葉の意味を測りかねて、俺は頭をあげ首を傾げた。

「ん?あの子を任せられるかどうかの話。あなたはもちろん、あの子よりも弱いけれど、冷静な判断力や自分の力量をしっかりと理解できてる。少なくとも、いざという時きちんと止めてもらえると思うから」

「はぁ…」

 なんだかあまり褒められている気がしないが。きっと褒められているのだろう。

 どうにも釈然としない様子の俺に、女性は苦笑する。

「とにかく、あなたにならあの子を任せられるよ」

 最後にぽんと肩を叩いて、女性は彼女の元へと足を向ける。

「さて、今日はもう遅いだろうし二人とも泊まって行きなさい。布団とかはあなたがあの子に教えてあげて」

 その言葉に、彼女は小さく頷いた。俺は、ん?と首をかしげる。

「遅い…って言っても、外はまだ明るかったような…?」

 俺の呟きに、彼女が答える。

「ああ、ここでは昼夜が逆転してるから、こっちが昼ってことは、あっちは真夜中ってことなの。だから寝ておかないと、慣れていない人は特に体が大変だよ」

 なるほど。確かに、俺や彼女があの美少女と戦っていたのは夕方だった。それから結構な時間が経っているはずなので、もう夜中になっていても別に不思議ではない。

 にしても。

「はぁ…今日は一気にいろんなことが起こりすぎて、どっと疲れた」

 ここに来て急に疲れを見せた俺に、彼女は小さく苦笑した。

「まぁ、仕方ないよ。そういえば君、ものすごく今更だけど傷だらけだね。大丈夫?」

 それを指摘されて、ようやく思い出したように傷が痛み始める。いや、むしろなんで今まで痛くなかったんだ。

 目をすがめて冷や汗をかきはじめた俺に、彼女が口を開いた。

「菖蒲、この子の怪我治せる?」

 すると、瞬く間に美女が目の前に現れた。

腰まで伸びる癖のない黒髪を耳よりも高い位置に縛り、少しだけ短めに切りそろえられた前髪。ふわりとした緩めの白と黄色の衣を身にまとい、瞳は萌黄色だ。

「はい。この程度の怪我、治すなど造作もありませんわ」

 薄く微笑む美女に、俺はぽかんと口を開けるが、対して彼女は満足そうに頷いた。

「じゃあお願い。あ、この子は私の式神の一柱ひとりで、菖蒲っていうの。怪我の治癒とかが得意だから、その怪我も簡単に直してもらえるよ」

「へ、へぇ…ん?あんた、式神何柱なんにんいるんだ?」

六柱ろくにんだよ」

 もはや圧巻の一言である。俺なんて一柱しかいないのに。しかも生意気だし。

 唖然と口を開けている俺を放って、菖蒲は俺の体に対して両手を添える。

 すると、瞬く間に傷が癒えていき、痛みが引いていく。

 菖蒲が離れた後、俺は怪我をしていた場所を重点的に動かしてみた。だが、痛みが全くない。完治していた。

「すげぇ…ありがとうな、助かった」

 俺が笑って言うと、菖蒲は緩く首を振り、俺たちに一礼してから姿を消した。

「あんたもありがとう。助かったよ」

「どういたしまして。こっちも、貴重なものを見せてもらったからそのお礼だよ」

 それに、俺は首をかしげる。貴重なものとはなんだろうか。

「師匠が人と勝負するって、あんまりないから。珍しいものがみれて、いい経験になったよ」

「なるほど」

 まぁ、ぼろ負けだったが役に立てたのならばよかった。

 うなづいた俺を認めて、彼女は満足げに笑う。

「うん。よし、じゃあお客さん用の部屋に案内するから、付いてきて」

 そう言って、彼女は踵を返し、出口へと足を向ける。俺は、そんな彼女の後ろ姿を追い、その場を後にした。

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