第2話

 ぼくがチンパンジーと接触してこのインタビューを録音したのは今から3年前だ。そのころはまだビルディングはマイナーな文化だった。いま案山子を語る以上、ヒューマノロジーの話題を避けて通ることはできないだろう。

 都内に白と黒のコウモリ傘のようなしまもようの案山子が目立つようになったのは一年前くらいだろうか。ビルダーは自分の案山子にタグと呼ばれるサインを彫り込む。しまもようの案山子にも「humanology」というタグがあった。

 あえて断言するが、ヒューマノロジーの描き出した世界像は古臭い二元論に過ぎない。

 人間たちは霊性を高めて神的存在に近づいていくものと物資的快楽を追い求めて動物的存在に近づいていくものに二分される。ヒューマノロジーの落とした多数の案山子は高度な霊性を有する「光の子」と、人間を堕落へ導く「闇の子」の対立を表現している。ヒューマノロジーが教義を表現する手段として案山子を選んだことに元来特段の深い意味はなかっただろう。ヒューマノロジーは案山子以外にもアニメや漫画やミュージカルを通して布教を行っており、彼らにとって案山子は一部の若者に人気のポップカルチャーという位置づけでしかなかったと思われる。しかし一二・七事件を期に案山子の位置づけはヒューマノロジー自身の内部で大きく変わった。

 知らない人は少ないだろうが念のために解説しておく。12月7日、修学旅行でS区へ訪れていた小学生100人近くがヒューマノロジーの案山子の中を通り過ぎる際、吐き気やめまいを訴え病院に運ばれたのである。なかには激しくけいれんしている児童もいた。当初は不気味な案山子による集団ヒステリーという報道もなされたが、ぼくの調べた範囲では「集団ヒステリー」というのは明確な定義のある言葉ではないらしい。現在では、午前11時の光を浴びて明滅する斜線を注意深く眺めてしまったことを原因とする光誘発性発作と呼ぶのが正確とされている。子供の脳は視覚的な刺激によって強い負荷がかかるとてんかんに似た発作を引き起こすことがある。精神医療の分野ではこのことは古くから知られているが、被害の規模は今までになく大きかった。

 ヒューマノロジー幹部はすぐにマスメディアの取材に応じ、吐き気やけいれんは子供たちが霊性に目覚めるにあたっての「好転反応」であるという回答を繰り返した。

 光誘発性発作はビルディング・カルチャーとはなんら関係がない。単にヒューマノロジーの制作した案山子が医学的に不適切だったに過ぎない。しかしその後、案山子の撤去はこれまでより積極的に行われるようになった。もともと路上に案山子を設置する行為は道路交通法などの既存の法律で取り締まることが可能だった。

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