第8話 ルーロス城脱走 前編

「僕はこの後牢から脱走するのか?」

 セルナはもちろんと言わんばかりに大きく頷いた。

「この後じゃありません。今です!」

 そう言ってセルナは自分の牢の扉の鍵を解除して外に出た。

 僕は驚いて声も出すことができなかった。

「さあ、脱走しましょう!」

 すると、通りかかった悪魔がセルナに気づき、襲い掛かった。

「危ない!」

 僕はセルナの背後を指して叫んだ。

 しかしセルナは何のことか気づいておらず、すんなりと悪魔に背を切り裂かれてしまった。

 セルナの背中から大量の血が噴き出した。セルナは立ったまま絶望したような表情で俯いていた。

 大丈夫なはずがないのに、僕は大丈夫か訊いた。もちろん返事が返ってくることはなかった。

 悪魔はセルナを押し倒し、背に付いた傷から手を深く入れ込んだ。そして、腸を全て取り除くと、顔から順に食べ始めた。

 顔を食べる悪魔は、リンゴを丸ごと齧りつく人の姿に似ていたが、こちらの方がよっぽど恐ろしかった。リンゴは皆セルナと同じような思いをして食べられていくのだろう。そう思うと身体の震えが止まらなくなった。

 これから数日間はリンゴは食べられそうにない。いや、リンゴだけじゃなく、全ての食べ物が食べられそうにない。

 悪魔がにやりと笑いながら僕を見た。それは本当に悍ましい姿だった。

「お前はずっとこいつと話してたよなぁ。どんな関係なんだ?」

 汗が留まらない。答え方によっては僕も食べられることになるかもしれない。なら黙っていようか。だが、答えなかった場合は拷問されるかもしれない。

 僕はセルナの遺体から転げ落ちた本をちらりと見た。僕はこの本の通りの出来事に出会うはずなのだ。

 僕は本を指差した。

「その本を読めばわかるはずだ。二ページ目の前半部分を見てみろ」

 僕が先ほど読んだ本のページは二ページ目だが、後半しか読んでおらず、前半部分は読んでいない。

「読み上げてくれ、僕に声が届くように」

 悪魔は少し唸っていたが、本を取り上げると読み上げた。

「彼は悪魔にわざと『僕を食べてみろ』と挑発した。それにまんまと乗ってしまった悪魔は、彼の牢の鍵を開けてしまう。悪魔が片手になっている隙を狙い、彼は襲い掛かった。体中を殴るがなかなか悪魔は倒れてくれない。彼は体中の体力をほとんど消費して、悪魔の胸に手を突き刺した……」

 悪魔はそこで読むのを止めてしまった。よく見ると、悪魔は体中を震わせていた。

「この悪魔っていうの、俺だよなぁ?」

 僕は鼻で笑って頷いた。

「冗談じゃねえ。こんなガキにやられてたまるか!おい、牢から今すぐ出てこい」

 悪魔はむくれた様子で牢の鍵を解除して扉を開いた。今悪魔は扉を片手で持っていて、自由に使える腕は片方だけだ。今襲い掛かれば僕が完全に有利だ。

 僕は興奮して、体を震わせながら悪魔に襲い掛かった。

 悪魔は目を大きく開いて僕の拳の一発を食らった。悪魔の体は意外に軽く、少し力を入れただけで三メートルは飛んだ。

 悪魔は苦笑して立ち上がった。先ほどまで小柄な体系だったのに、立ち上がった瞬間に筋肉質な体系に変化していた。

「俺はお前の作戦にまんまと引っかかったわけか。まあいいさ。俺の本気を見してやるよ!」

 僕はよけることができずに、悪魔の一発を腹に食らってしまった。腸の位置が変わったような気がする。

 目を開けると、いつの間にか悪魔と十数メートルの距離になっていた。一発殴られただけでこんなに飛ばされると思うと恐怖しかない。これを顔面に食らったら気絶どころで済まないだろう。

「なんでだよ。本だったら僕がアイツの胸を突き刺しているはずだろ?」

「う~ん。私が入ってきちゃったから物語が変わっちゃったのかもしれないですね」

 背後を振り替えると、セルナが元気そうに立っていた。

「お前、死んだはずじゃ?」

 セルナは頬を膨らませて僕を睨んだ。

「神は下級の悪魔ごときでやられませんよ」

 僕は色々聞こうと口を開いたが、セルナが人差し指を立てて僕の口を閉ざした。そして微笑した。

「まずは悪魔を倒してからです」

 自分の耳が熱くなっているのを感じた。彼女に惚れてしまいそうだった。

「ほら、早く」

 セルナに促されて僕は悪魔と向かい合った。悪魔は赤く染まった目で僕を睨みつけている。

 今更だが、僕は何も武器を持っていない。

「ねえ、何か武器を持ってたりしない?」

 セルナは呆れたように言った。

「私は神なので、普段武器を持つことはありません。それに、私はまだ生まれて一週間しか経ってない赤子なので蘇生以外の能力は持っていません」

 僕にとってセルナの言葉は絶望しかなかった。

 僕は武器も持っていないし、すぐ隣にいる神様も攻撃能力を持っていない。完全無防備の状態である。

 ――こうなったら、本の通りにする他ない。

 僕は悪魔と向かい合ったまま、セルナに言った。

「もし僕が悪魔に殺されたら蘇生してほしい」

 セルナが不安気に頷くのを見て、僕は悪魔に突っ込んでいった。しかし悪魔の方が足が速かった。突っ込んでくる僕を、余裕をかましながら避け、僕の右腕を引きちぎった。

「おや、お前の大事な右腕が千切られてしまったなぁ。残る左腕も千切ってやろうか?」

 悪魔はにやにやと笑っていた。小柄な状態のときとは違って、速さも強さも僕には敵いそうにない。

 右肩から大量の血が噴出している。今にも気を失いそうだ。だがそれを一生懸命こらえて悪魔を睨んだ。

 そしてもう一度悪魔に突き進んだ。もう死んでしまうと思っていた。すると、遠くからセルナの声が聞こえてきた。

「蘇生の精霊アスピオス様、私の願いを叶えてください。腕千切られた少年の腕を回復させてください」

 セルナが唱えた途端に僕の右腕は回復した。それだけではなく、体力も回復されていた。これならば悪魔の胸に突き刺すことができるかもしれない。

 僕は悪魔の振り下げられた腕を避けて、悪魔の胸にある大きな傷に手を突っ込んだ。手は傷の中に食い込み、手には心臓が触れていた。しばらくはドクッドクッと動いていたが、倒れた瞬間に心臓は止まった。

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