第一章 下僕の人生

第1話 貧乏人

 僕はなぜだか興奮していた。なぜ興奮しているのか思い出そうとするが、一つも思い出すことができない。だが、恐ろしいものを見ていたような気がする。

 後ろに気配を感じて振り返ると、大人の女性が一人立っていた。痩せこけていて、いかにも貧乏のように見えた。女性は顔をほころばせると、何も言わずに、僕の手を取って歩き始めた。きっと彼女は僕の母さんなのだろう。

 母さんはしばらく歩くと、今にも崩れそうな家の中に入って行った。ここが家なのだろうか。

 家の中はスカスカで、何もないと言い切ってもいいほどだった。唯一あるものと言えば一輪の花だけ。母さんは、その花を僕によこしてきた。

「ごめんね」

 母さんはやさしくて、悲しそうな表情で微笑した。

 僕は母さんの顔をまじまじと見つめると、花の方に目をやった。この花をどうすればいいのだろうか。

「母さん、これをどうすればいいの?」

 母さんはとんでもないとばかりに目を開いた。しかし、すぐに微笑して、花を千切っていった。

「ちょっと待ってて。千切れば食べやすいでしょ?」

 ――食べやすい?もしかしてこれを食べろというのか?

 とんでもないと言わんばかりに、千切られた花を投げ飛ばした。

 すると、母さんは絶望した表情でうつむいた。

「そうよね。こんなもの食べられるわけないわよね。毒のある花なんて……」

 ――毒のある花?

 頭に血が上ってきた。目の前にいる母さんを殺してしまいたかった。

「なんで僕を殺そうとしたの!?」

 僕は母さんの服の襟首をつかんで問い詰めた。母さんを睨みつけると、母さんの目の中から僕が僕を睨みつけてきた。そんなに問い詰めるなと威嚇していた。

 僕は襟首を離して、震えてしゃがんでいる母さんを見下ろした。飼い主を恐れる動物のようだ。母さんは震える声で、僕の目を恐る恐る見上げて土下座した。

「ごめんなさい……ごめんなさい……」

 無様な姿だった。母親が息子に向かって土下座してまで謝るとは。僕は調子に乗って母さんの腹部を蹴り飛ばした。

 母さんは腹部を抑えて泣き始めた。僕を生んだ人が、こんなに弱いものだと思うと馬鹿らしく思えてきた。

「息子の僕に負けるなんて恥ずかしいと思わないの?」

 僕は嘲笑いながら言った。

「どうせなら、死ねば?」

 母さん、いや、僕を生んだだけの貧乏人は地面に張り付いて号泣した。まさかこんなに悲しむとは思っていなかった。しかし、僕はこれぐらいで止めたりはしない。もっと言ってやる。

「僕がもし死んでたら、お前も死ぬんだよなぁ?」

 貧乏人は大きく頷いた。

「もちろん‼私は、私は……」

「嘘を付くな!」

 僕は貧乏人の背を思いっきり殴った。貧乏人は痛みをこらえようと唇をかんでいた。それが僕をもっと苛立たせた。

「僕が死んだらお前も死ぬ?そんなの自分が死んでから言えよ」

「それなら……」

 貧乏人が花に手を伸ばすのを見て、俺はその手を踏みつぶした。

 ――簡単に死なれてたまるか。

 貧乏人は悲鳴を上げて腕を抑える。

 すると、建物の中に誰かが入ってきた。

 振り返ると、そこには鎧をした金髪の青年が剣を構えて立っていた。僕の方に剣を向けている。

「なぜ僕を狙う?」

 青年は何も言わずに僕を睨みつけた。話を聞く気はないらしい。それでも僕は今の現状を話すことにした。

「この女が、僕に、毒のある花を食べろと言い出したんです。そりゃあ誰だって怒りますよ。逆に、怒らない人なんていますか?」

 青年が微かに表情を変えたのを見逃さなかった。

「あなたも思いますよね?だから、僕はこの女に意趣返ししていたんです」

 青年は相槌を打って剣をしまった。そして僕に向かって礼をした。

「申し訳ない。私は考えを早まっていたようだ。それで私は……」

 青年は向きを変えて貧乏人の方を見た。

「この女を痛めつければいいのだな?」

 貧乏人の真っ青な顔が、更に青く変わった。そして固唾を呑んで立ち上がった。

「私は、私は……!」

「黙れ!」

 青年の声が響き渡る。苛立ちを抑えるためにしていた僕とは違い、青年は本気のようだった。

 青年が手を上げると、自分よりも五歳くらいの少女が二人、すたすたとやって来た。一人は緑色の髪で、もう一人は赤髪をしていた。

「ルナ、レナ。この少年を城に送ってやってくれ」

 二人の幼女は頷いて、僕に近づくと、両手を掴んで城まで連れて行ってくれた。


 城まで着く途中に色々なものがあった。荷台を引く馬だったり、魔法を操る老人だったり、珍しいものをたくさん見ることができた。

「馬が荷台を引いている」

 僕がそう言うと、二人はクスクス笑い始めた。苛立ったが、その笑う顔がとてもかわいくて、暴力まではいかなかった。それに、暴力をしてしまえばあの青年が怒る事だろう。もしかしたら殺されるかもしれない。だから、苛立ちを抑えて言った。

「どこがおかしいのさ」

 二人は同時に首を振って、更に、同時に言った。

「私たちにとってこれは当たり前だから、馬車を珍しそうに見るあなたがおかしかったの」

 僕は、苦笑した。確かにこの情景は当たり前のものなのだろう。でも、今までの記憶の無い僕には、この情景は珍しいものにしか見えなかった。

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