三話 神父の故郷
※
最初に感じたのは耳が痛くなるような静けさだった。
「ここが……アルジェント遺跡……」
今から千年前。軍事帝国アルジェントは、世界を牛耳るほどの強大な軍事力を持ちながらも、内部抗争の末に崩壊した。
そして今ここに残っているのは栄華の残影……と、呼ぶべき代物ではあるのだが。
「あっはっは! いやあ、ここには何年ぶりに来たかなぁ……覚えてないけど、すっかり瓦礫とゴミの山だねぇ」
神父様が大笑いしながら、近くの建物に登って見下ろす。経過年月を考えれば、ここにある全ては歴史的価値があるものばかりなのだが、吸血鬼からすればゴミでしかないらしい。
「ねえ、ジェズアルド。きみは何年ぶりに来たんだい? あれだけ派手にやらかした場所だもの、流石に覚えているだろう?」
ニンマリと笑いながら、神父様がジェズアルドを見下ろす。
ジェズアルドが一体、ここで何をやらかしたというのか。神父様の言い方のせいで興味をそそられたものの、ジェズアルドは答えなかった。
彼は何も聞こえていないかのように、ゆっくりと辺りを見回して、
「ここは……そうだ、あそこに行かなければ……あの方との約束を……」
「え、ちょ……ちょっと、先生? どこに行くんですかー?」
シスが呼び止めるも、ジェズアルドは聞く耳を持たず。振り返ることすらせずに、ふらふらとした足取りでどこかへ行ってしまった。
「先生……大丈夫かなぁ。それに、約束ってなんだろう。神父さま、何か知ってますか?」
「約束ねぇ……ま、いいさ。ジェズアルドは今回、戦力にカウントしてないし。自分の身くらいは守れるでしょ」
心当たりはあるようだが、結局話してくれなかった。
シスはジェズアルドを追うべきかと悩んでいたが、やがて決心したかのような表情で自分の頬を軽く叩いた。
「そ、そうですね……先生を信じます。よし、では神父さま。わたしたちは何をしましょうか! あ、ヴィクトルの居場所を透視しましょうか!?」
「うーん、それでもいいけど……せっかくだから、私たちも少しお散歩しよう。私も寄りたいところがあるし、色々と話しておきたいことがあるからね」
飛び降りてくるなり、そう言って歩き出す神父様。シスはまだ迷っているようだが、やがて神父様の後について行く。
この辺りにはヴィクトルどころか、鳥や虫すら居ないようだ。警戒は怠らないようにしつつも、俺も二人を追いかける。
不意に、視界が大きく歪んだ。
『キュリロス神父、あなたは人殺しだ』
「え……」
誰かが、神父様を呼んだ。いや違う、これは罵倒だ。
誰が、神父様を害するのか。考えるだけで、はらわたが煮えくり返るほどの怒りを感じるのだが。
同時に、夢だとわかる。あるいは過去の記憶か。そういえば、吸血鬼になったばかりの頃にも同じものを見た覚えがある。
「寄りたいところって、どこですか?」
「私が生まれ育ち、そして管理していた教会だよ。私はこの国の生まれなんだ」
「え、そうなんですか⁉ なんか、意外です!」
いつのまにか、神父様とシスが和やかに話をしていた。俺は目を擦り、遅れないように小走りで追いかけた。
でも、過去の記憶はこびりついたままだ。
『私は神の意に従い、迷える人々を救っているだけです』
『殺すことが、神の救いだと⁉ おれの娘はあなたに悩みを相談すると言って、そのまま帰ってこなかった! あなたが殺したのだろう』
『人聞きが悪い。私は彼女を、神のもとに送って差し上げただけ。不治の病がもたらす苦しみから解放しただけ。それなのに、どうして責められなければならないのか』
「レクスさんは知ってたんですか? 神父さまがアルジェント国の出身だっていうこと」
「え、あ……初耳、かも」
「そうだっけ? 私は生まれも育ちも、このアルジェント国だよ」
俺の方を振り返りながら、のんびりと話す二人。過去と今が、ごちゃごちゃになりそうで、脳が悲鳴を上げ始める。
「だって、ここは人間の国だったんですよね? こんな場所で生まれたなんて、神父様でも大変だったんじゃないですか?」
「んー、別に大変なことなんてなかったよ。だって、私は吸血鬼と言っても真祖だし……あ、もしかしてシスちゃん。ジェズアルドから真祖のことを何も聞いてないのかな?」
「えっと……派閥とか血族とか、そういうお話なら聞いたことがありますが」
「ふうん……ま、彼なら言わないか」
それじゃあ、教えてあげよう。まるでクローゼ村の子供たちを相手に授業を始めるように、神父様は話を始めた。
「私は嘘偽りなく、このアルジェント国で生まれ、すぐに小さな教会へ預けられた。両親は二人とも軍人だったらしく、忙しくて子育てなんて出来なかったんだろうね。もっとも、この国では軍人とは誇り高い役目だから、子育てを放棄する親は少なくなかった。ああ、この辺の話はどうでもいいか。とにかく私は孤児として育てられたんだ、その頃はまだ人間だったからね」
「……え、神父さまが人間だった?」
神父様の話に、シスが唖然としていた。俺も衝撃を受けはしたが、彼女ほどじゃなかった。
そもそも、吸血鬼はどのようにして生まれるのか。方法は二つ。人間のように子供を作るか、俺のように人間に血を与えるか。でも、それだと説明がつかないことが一つある。
果たして、『真祖』はどこから誕生するのか。
「私は子供の頃に神の声を聞いたんだ。この世界に居る人間は全て愛おしく、大切な我が子である。しかし、愚かな堕天使に世界の主導を奪われた。だから世界には争いや病が蔓延している。この声を聞くことが出来る子は、他の子が苦しまないよう我がもとへ導いてやってほしい……ってね」
「だから神父様は、その通りにしたんですよね」
神父様に聞こえたという神の声が本物か、それとも彼の幻聴なのかはわからない。でも、それが幼い彼の心に深く刻み込まれたことに間違いはない。
千年もの間、歪んだ救いを与え続ける吸血鬼にしてしまうほどに。
「そうとも、私は神の代弁者であり代行者だ。大勢救ったとも。あの頃は今のような力はなかったから、大変だったなぁ。殴るのは力がいるし死ぬまでに時間かかるし、切ったり刺したりするのは血で汚れるし。毒は簡単だったけど、使いすぎると教会の経営が傾くし。何より大変だったのは亡骸の処理だね。あれは大変だった。それにある時、面倒な出来事が起こってね……なぜもっと早く吸血鬼にしてくださらなかったのかと、神に百回は問いかけたよ!」
「つまり神父様は……元々人間だった、ということですか?」
「うん、そういうこと。私だけではないよ。真祖の吸血鬼は全て、人間だったんだよ」
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