二話 罠

 しかし、平穏は呆気なく終わりを告げる。


『緊急ニュースです! 先ほど、ヒーロー・ヴィクトルが血の伯爵夫人が率いる部隊と交戦中、行方不明となったとの情報が入ってきました』

「え、ヴィクトルが」


 まったりとした空気を、ラジオから聞こえる緊迫したアナウンサーの声が切り裂く。驚きの声を漏らしたのはシスだ。

 口元を両手で覆って、ラジオを見つめる。しばらく四人で耳を澄ませるものの、大した続報はないようだ。


「……神父様、どう思われますか?」

「うん、完全に罠だろうね」

「え、罠なんですか?」


 俺の隣に腰を下ろす神父様に、シスが真ん丸にした目を向ける。俺は彼女にも椅子に座るように促した。

 最初に口を開いたのは、神父様だ。


「私が各所で情報を集めたところ、近頃は吸血鬼との戦争が起こっている様子はない。昔から夫人はそうなんだ。彼女は血で血を洗う戦いよりも、自分の快楽を優先する」

「か、快楽ですか」

「そう。彼女こそが、この戦争を長続きさせているって言っても過言ではない。夫人が主導権を握っている限り、大きな争いは起きない。双方とも消耗した戦力を補充し、串刺し公との戦いに備えるんだ。恐らく、教会の上層部は夫人と手を組んでるんじゃないかな」


 神父様の話に、シスが複雑な表情で俯いた。

 吸血鬼は欲望に忠実に動く者。それを悪として戦う人間が、吸血鬼と手を組んでいる。考えるだけでも、吐き気をもよおす狡猾さだ。

 ……いや、そんなことはどうでもいい。


「それじゃあ、ヴィクトルの目的って何なんですか?」

「恐らく、神父様だ。神父様が自分に執着していると思っているからこそ、自分に有利な戦場におびき出そうとしているんだ。きっと、何か仕掛けてあるに違いない」


 神父様は自分を神の裁きを執り行う代行者だと自負しており、科学によって腐敗して教会を本来の姿に戻すべく破壊すると宣言している。

 そしてヴィクトルは、教会の英雄であり科学の結晶だ。逃げるよりも、準備万端の状態で迎えうつつもりなのだろう。


「そうだね。でも、たまにはお誘いに乗ってやってもいいかなぁ」

「え、行くんですか?」

「レクスくんの作戦のおかげで、人間たちの教会に対する不信感はかなり高まっているからね。ここでヴィクトルを処刑出来れば、教会の信用は地に落ちるんじゃないかな。おや、そういえばライラちゃんのことは何も言ってなかったね」


 さも興味もなさそうに、神父様が言った。確かにそうだが、別に彼女が居ようが居まいが関係ない。

 ヴィクトルは殺す。ライラも殺す。一緒に居れば、手間が省けるだけだ。

 そして出来ることなら、この手で直接殺したい。


「神父様、俺も行きます。連れて行ってください。足を引っ張るような真似はしないので」

「もちろん、構わないよ」

「あ、あああの! わたしも、一緒に行っていいですか!?」


 椅子が倒れるのではという勢いで、シスが立ち上がり手を上げた。

 彼女の姿に、村での子供たちのを思い出すが、すぐに首を振って追い出す。


「シス、本気か? 俺たちは、ヴィクトルを始末しに行くんだ。たとえ生き別れの兄妹であっても、感動的な再会は無理だと思うぞ」

「わかってるよ、レクスさん。わたしはただ、ヴィクトルに一つだけ聞きたいことがあるの。その答えが聞けたら……その後は、あの人がどうなろうが構わない」


 両手をキツく握り締めるシスに、何も言えなくなってしまう。彼女があまりにも、悲痛な表情を浮かべていたからだ。

 そこまで覚悟を決めているのなら、これ以上反対するつもりはない。神父様も納得したらしい。

 ……問題は、


「ジェズアルドはどうする? そんな状態じゃ、精々走るのが精一杯だろ。さすがに留守番しておいた方がいいと思うけど」


 神父様が意地悪な笑みを浮かべて、ジェズアルドの方を見やる。言うまでもない。未だに体力が回復しきっていない状態では、純血と言えど戦うことなど不可能だろう。

 そもそも、相手はダンピールであるヴィクトルだ。無理はさせたくない。誰もが……少なくとも俺とシスはそう思っているのだが。


「……アルジェント」

「え?」

「アルジェント、と言いましたよね、今」


 言っていない、と言いかけるのを遮るようにラジオからアルジェントという名前が聞こえてきた。

 どうやらヴィクトルが向かった戦場と言うのが、アルジェント遺跡なのだとか。


「アルジェントって、昔は凄く大きい国だったんですよね。本で読んだことがあります」

「うん。かつての名称は軍事帝国アルジェント。世界の軍事力を牛耳るだけでなく、色々とやらかしてくれた国だったよ」


 シスの言葉に、神父様が頷く。そういえば、アルジェント遺跡はなぜか度々激しい争いが巻き起こると聞いたことがある。

 人間どころか、吸血鬼も住めるような場所ではない筈なのに。気になるので神父様に聞こうとするも、先に切り出したのはジェズアルドだった。


「約束が、あるんです。あの場所で」

「あの場所で……アルジェントに、ですか?」

「そう、そうです」


 ゆらりとジェズアルドが立ち上がる。止めようと手を伸ばすも、彼の腕を掴むことは出来なかった。

 ぼんやりとした表情に、呻くような声。まるで夢を見ているのではと思ってしまうくらいに、今の彼は儚くて。

 それでいて、悲しげだった。


「行かなければ……『私』は決めたのです、あの方を守り抜こうと。ああ、それなのにどうして」

「あ、あの。先生? 待ってください、転んじゃいますよ!」


 一体どこへ行くつもりなのか、ふらふらと部屋を出て行くジェズアルドと追いかけるシス。

 やれやれ。呆れたように溜め息を吐いて、神父様も立ち上がった。


「これは参ったねぇ……気絶させてベッドに括り付けてもいいけど、意識を取り戻した時に正気に戻ってるとは思えないし。ジェズアルドも連れて行った方が良さそうだ」

「え、本気ですか神父様!?」

「まあね。少し散歩させるのも回復を促すには必要だから。あんな感じでも、自分の身を守ることくらいは出来る筈さ」


 神父様にそう断言されれば、俺はこれ以上反論出来なくて。結局四人で、アルジェント遺跡へ向かうことになった。


 ……ただ、この選択が間違っていることに、俺たちは気がつくことが出来なかった。

 いや、俺に関してはもう二つ、間違いを犯していた。

 ジェズアルドに眼鏡のことを言わなかったこと。そして、


「ふわあ……うーん、これ以上のないくらいにすっきりした目覚めです。お腹はペコペコですが、気分爽快。さて、早速眼鏡を取り返しに……あれ、どこに行きやがったんですかね、あの人」


 あの部屋の吸血鬼の目覚めが近いことを、予想しなかったことである……。

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