五章
英雄の失墜
一話 脅迫
楽園を襲撃してから二週間が経った。俺たちは休息と情報収集に努めていたが、世界の状況はガラリと変わっていた。
「あ、レクスさん。またラジオで教会のニュースが流れてるよ」
「そうか、何か新しい情報はあるかな?」
リビングのテーブルで、シスと共にラジオを聞く。彼女は朝食を食べながら、俺はお茶だけ飲みながら。最近ではすっかりお馴染みになった光景だ。
『メルクーリオでは特に、教会への反対運動が激化しているようですね。教会軍と反対グループの抗争による被害がどんどん大きくなっています』
『他の国でも、教会への不信感は募っているようですね。吸血鬼たちにこの隙を突かれるようなことがなければいいのですが』
『続いては、各地で告発されている非人道的な実験施設について、これまで明らかになった事実を纏めていきます』
「うーん、これといって新しい情報はないですね」
落胆したシスが、ラジオから興味を無くしてヨーグルトに舌鼓を打ち始める。確かに、教会への不信感は煽れたようだが、思っていたような結果にはならなかった。
次の一手を悩む……のだが、それよりも気になることがある。というか、それが気になって仕方がない。
「……おはようございます」
「おは……うわあ! 先生、髪の毛ぐっちゃぐちゃじゃないですか!」
以前までだったら、一番に早起きしていたのに。アレスとの戦いで大怪我を負ってから、ジェズアルドはずっとこの調子である。
一体どうやって結んだらそうなるのか、っていうくらいにボサボサの髪。足取りは覚束なくて、意識もずっと朦朧としているようだ。
それでも、ちゃんと眼鏡はしている。
「だ、大丈夫ですかジェズアルドさん。起きてます?」
「大丈夫……凄く、眠いだけです」
「わ、危ない!」
何とか支えて、ジェズアルドを椅子に座らせる。でも、やはり意識がしっかり覚醒していないのか座ってもぐらぐらしてしまい。
そのまま、テーブルに突っ伏した。顔面をぶつける直前に慌てて眼鏡を外したが、起き上がる様子はない。寝ているわけではないようだが。
「せ、先生……? 起きてます? ていうか、生きてます?」
「…………お腹が空きました」
ぼそぼそと呟かれる声に、俺はシスと顔を見合わせた。嬉しさと安堵で、二人でハイタッチしてしまう。
食欲が出てきたのは、それだけ回復してくれた証だ。
「待っててください、すぐにご飯作りますからね! あ、でもその前に髪を直した方がいいですかね。はわわ、手が足りない!」
「じゃあ、ジェズアルドさんの髪は俺が直すよ。村ではよく子どもたちのお世話をしていたから、大丈夫。味覚が壊れた状態で料理をするよりは、役に立てると思う」
「そ、そうですね。それでは、レクスさんにお任せします! せっかくなので、可愛い感じでお願いします!」
「え、可愛い感じ……?」
言い終わるや否や、シスが食べ終わった食器を持ってパタパタとキッチンの方に走って行ってしまう。
可愛い感じって、何だろう。
「あの、眼鏡はここに置いておきますので」
とりあえず眼鏡をテーブルに置いて、洗面所からブラシを持ってくる。途中でキッチンの方を振り返るが、シスは料理に集中しているらしい。
話をしても、聞こえないだろう……けど。
「あの、ジェズアルドさん……身体起こせますか?」
「うーん……」
駄目か。とりあえず俺はそのまま彼の髪紐を取って、絡まった髪をブラシで梳いていく。ボサボサだが、元の髪に癖がないのですぐにいつも通りサラサラになる。
でも、やはり少々艶がない。神父様が言っていたことを思い出す。
『我々の前に居るジェズアルドは自分が思っている以上に力を消耗している。本来であれば、休眠してもおかしくない状態だ。それなのに休眠どころか、血を口にすることさえ拒むとは、凄まじい精神力だ。それだけは流石の私も心から称賛するよ』
一体何が、彼をそうさせるのか。神父様はわかっているみたいだけど、教えてくれない。
それから、あの鍵のかかった部屋に居た人物。あの人は何者なのか。いや、吸血鬼で間違いないんだろうけど。今、ここに居るジェズアルドさんとはどういう関係なのかが全くわからない。
ただ、一つだけはっきりしていることがある。
『そちらに居るジェズアルドに伝えてください。僕の眼鏡を壊したり失くしたりしたら……これまでのトラウマを全て鮮明に思い出させ古傷を気が狂うまで抉ってから、縁を切ってあなたのことを捨てます、と』
ドア越しに聞いた、柔らかくも冷たい声。どうしてそこまで眼鏡にこだわるのかはわからないが……とにかく眼鏡に何かあったら、とてつもなく恐ろしいことが起こるのだろう。
忘れてはいないのだが、今のジェズアルドに伝えるべきかどうか悩んでしまい、結局言い出せていないままなのだ。
「ジェズアルドさん、食事の後もお休みになるでしょうから、緩めの三つ編みにしますね」
「はい、お願いします……」
意外にも返事があった。長い髪を三つに分けていると、返事にはさらに続きがあった。
「髪がそのままだと、シスさんを怖がらせてしまうので……」
「え、シスが? どういう意味ですか?」
「……それは」
「たっだいまー! おや、ジェズアルドってば起きたんだね。しかも髪の毛、なんか可愛い感じになっているじゃないか。レクスくんがやってあげたのかい? 上手だね」
「お帰りなさい、神父様」
ジェズアルドから答えが返ってくる前に、出掛けていた神父様が帰ってきた。るんるんとご機嫌で、俺が編んだ三編みを摘みしげしげと眺める。
「神父……今日はいつも以上に、うるさいですね」
「む、神の代弁者に向かってうるさいとは失礼な。今日は気分がいいので許してあげるし、健康診断もしてあげよう」
「あががが」
「ちょ、神父様! その首の曲げ方はマズいですって!」
神父様がジェズアルドの頭を両手で無理やり持ち上げ、自分の方に向ける。健康診断、というよりもトドメを刺しにかかっているようしか見えない。
何とか神父様の手を止めて、やっと一息ついた。
「ふうん、よく血を口にしない状態であの状態から持ち直したね。でも、肉体の損傷は治っても力の方はこれ以上の回復は望めないだろう。今のきみは純血どころか、貴族って言われてもおかしくないくらいだよ」
「構いません。階級にそこまでのこだわりはないので」
「そういう意味じゃないよ。ここまで力が落ちた状態で、またアレスみたいなのが襲ってきたらどうなるかってこと。きみに何かあったら、シスちゃんが悲しむと思うけどなぁ」
シスの名前を出しても、ジェズアルドは何も言わない。ついさっきまではシスのことを案じていたのに、この話題になると断固として意思を曲げない。
やはり、ジェズアルドにはシスよりも優先すべき存在が居る。そしてそれは鍵のかかった部屋で話をしたあの人物に違いないだろう。
「あ、おかえりなさい神父様。わたしがどうかしたんですか?」
「ただいま、シスちゃん。ジェズアルドにお説教していただけさ、そんなにだらしない姿を女の子の前で見せるもんじゃないって」
「二人が来る前のシスさんも、同じくらいだらしがなかったので問題ありません」
「あります! ていうか先生、そんなことレクスさんの前で言わないでくださいよ!」
突然の暴露に、リゾットを乗せたお盆をひっくり返すのではという勢いであわあわと慌て始めるシス。
どこにでもありそうな平穏。久しぶりの穏やかな時間を、自分でも不思議なくらい愛おしく感じてしまった。
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