八話 千年前に置き去った思い出


 勝てると思った。自分が本気を出すほどの相手ではないと思っていたし、今でも本気を出すほどの相手ではないと確信している。

 だが、想定外だったことが二つある。


「おいおい、イキったわりにはこの程度かよ」

「ふむ……以前にも、あなたのような人と関わったことがある気がするのですが。その義肢、当時とは比べ物にならないくらいに性能が上がっていますね」


 左手を軽く握ったり開いたりしながら、僕は素直に感心した。中指と薬指が折れたのか上手く動かない。

 想定では、本気を出さずとも義肢を破壊することくらい容易いと思っていた。でも、アレスの義肢は僕が考えていたよりも遥かに性能がいい。破壊するよりも先に、こちらの肉体が先に悲鳴を上げた。

 さらに問題なのが、自分が思っていた以上に力を出せなくなってしまっていることだ。


「そういえば吸血鬼、テメェの名前をまだ聞いてなかったなぁ?」

「……ジェズアルドと申します」

「ジェズアルド? ……ああ、その名前なら知ってる。テメェは教会の中で、だって伝わってるんだぜ」


 アレスが肩を回しながら、唇を舐めて嗤う。これまでの戦闘で彼の義肢は、多少傷ついたものの動作に問題はないようだ。

 対して、自分はどうか。右手は無事だが、左手は少々力が入れ難い。足は折れてはいないようだが、なんだか思うように動けない。

 改めて思い知る。自分がどれだけ衰えてしまっているのかを。


「ある時は、人間を誑かして組織を壊滅させたとか。またある時はテロリストを唆して、国を一つ潰したとか? 色々とえげつないことしてるんだってなぁ?」

「……さあ、覚えていませんね」

「それなのに、教会はテメェがどういう吸血鬼なのかを把握できていない。だから、テメェをとっ捕まえれば、こんなしみったれた研究所の警護から昇進できるかもしれねえなぁ!」


 欲望に血走った目を見開き、アレスが突進してくる。単調な動きだ。僕はそれを避けて、隙を突いて左の義足から破壊しようと蹴りを放つ。

 でも、届かなかった。


「遅ェ!!」

「ッ――⁉」


 巨体に似合わない俊敏な動きで阻まれただけではなく、鋼鉄の拳が腹にめり込む。肋骨が何本か折れる音が、鼓膜を震わせる。

 マズい。壁に叩きつけられ、そのまま倒れ込む。すぐには起きられず、思わず呻いた。

 息が、出来ない。肺がみしみしと軋むのがわかる。


「ハッハァ! ざまあねぇなあ、ジェズアルド! さて、と。テメェはしばらくそこで大人しくしてな。まずは、上に逃げたヤツらだ。男の方はさっさと殺すとして、女の方はどうやって遊ぼうかなァ」


 声が出せない。リノリウムの床に爪を立てるも、上体すら起こせそうにない。

 このままでは、シスたちが。何とかアレスを止める手はないかと探していると、アレスの方が先に足を止めた。

 こつんと、何かが彼の靴の先に当たった。


「んー? なんだ、コレ……メガネ?」

「そ、それは」


 最悪だ。咄嗟に自分の顔を触るも、そこにある筈の眼鏡がない。アレスが眼鏡を持ち上げると、僕と見比べながら訝しげに目を細めた。


「そういえば、ジェズアルドはメガネをかけた吸血鬼だって聞いたことはあるけど……なんだ、このメガネ。度が入ってねぇじゃん」

「か、返して……返してください……それは、大切なものなんです」


 僕は鉄錆の味を噛みしめながら、必死に手を伸ばした。でも、届かない。痛みも何もかも、どうでもいい。でも、あの眼鏡だけは駄目だ。

 それだけは死守しなければならない。


「大切なもの? ……その辺の店で売ってるような安物に見えるけど」

「お願いします……返してください、その眼鏡だけは」

「ふうん……じゃあ、本気で取り返してみろよ」


 ニヤリとねばついた嘲笑を顔面に張り付けたアレスが、僕に見せつけるように眼鏡を握る。その瞬間、背筋が凍てついた。

 彼がそのまま力を籠めれば、眼鏡なんて簡単に折れてしまう。


 そんなことになったら!


「やめて、ください」

「さっきの一言、カチンときてたんだよなぁ。だから、本気でかかってこいよ。壊されたくないのなら、オレを殺して取り返してみろよ!」


 ぐっ、とアレスが手に力を籠める。身体の悲鳴を無視して、僕は無理矢理に身体を起こした。

 でも、そこまでだった。


 ぱりん。硝子が割れる甲高い音が、聞こえた。


「あ……」


 何が起こったのか理解するのに、時間がかかった。でも、視線だけは反射的に音の方を向いていた。

 その音は、眼鏡のレンズが割れた音ではなかった。


「――テメェは、ガハッ⁉」

「おや、その眼鏡はジェズアルドのだろう? 恐ろしいことをするものだね、きみは」


 返してもらうよ。アレスの手から、眼鏡がするりと抜き取られる。鋼鉄の指先は僅かに動いたが、眼鏡を取り返すどころか触れることすら出来なかった。

 たとえサイボーグであれど、深紅の槍に心臓を一突きにされれば停止せざるをえないらしい。


「何をしようとしていたのかは知らないけど、返してもらうよ」

「テメ、真祖……! 不意打ちなんて、卑怯じゃねぇか」


 アレスが自分を貫く槍から逃れようともがくも、槍はびくともしなかった。彼がまだ生きていられるのは、全身のほとんどが機械仕掛けだからだろう。

 でも、それも長くは保ちそうにない。


「卑怯? なんだい、真祖は正々堂々と決闘する格闘家だとでも思っていたのかな。見ての通り、私は神父だ。私がすべきことは決闘ではなく、神の代わりにきみたちを罰すること。裁きに不意打ちなんかない。神が罪を認めた時に下されるのさ」

「は、ハハ……なるほど、狂信者……か」


 どす黒いコールタールのような血を吐きながら笑ったのを最後に、アレスは今度こそ事切れた。

 電源の切れた、壊れた人形。神父はアレスの巨体を物ともせずに槍で持ち上げると、そのまま無造作に亡骸を投げ捨てる。

 彼の目は、すでにアレスを見ておらず。自分の槍をべったりと塗らす血の油っぽさに、あからさまに顔をしかめた。


「げえー! 見てごらんよジェズアルド。サイボーグの血って汚いね。ベッタベタだよ、最悪」

「あなた……普通に階段を上がってくることも出来ないんですか?」

「助けてあげたくせに、ずいぶんな言いぐさだねぇ!」


 きい! と神父が反論する。まさか槍を投げて二階の窓を破壊し、跳躍してそのまま窓から飛び込んでくるとは思わなかった。

 若いって、凄い。


「で? ジェズアルドともあろう者が、ずいぶん手酷くやられたじゃないか。いい気味だねぇ、清々しいねぇ! いいものを見られたから、囮にしたことは許してあげよう」

「それよりも、眼鏡を返して返してください」

「それよりもって……はいはい、返すよ。シスちゃんに見られなくてよかったね」


 差し出された眼鏡を受け取る。よかった、壊れていない。堪えきれず、ほっと息を吐いた。

 本当によかった。この眼鏡が無事で。


「ところで、レクスくんとシスちゃんはどこに行ったんだい?」

「二人なら、上の階に行きましたよ」

「そう」

「……行かないんですか?」

「彼が無事なのはわかるからね」


 自分の隷属を迎えに行くのかと思いきや、神父が向かったのは研究室の中だった。アレスとの戦いで研究室は大破、瓦礫の山である。

 それでも、彼は瓦礫を押し退け中へと入って行った。何か欲しいものでもあるのだろうか。気にはなるが、今の僕は回復に専念するしかない。

 少し眠るだけでも違う筈。僕は目を瞑るも、すぐに槍の柄に小突かれて起こされた。


「……何ですか」

「いやあ、静かになったから死んだのかなーって思って」


 悪びれなく言いながら、ゴンゴンと小突いてくる。性悪神父め。うんざりと目を開けると、目の前に血液が入ったパウチが差し出された。


「……これは?」

「それだけの大怪我、睡眠だけじゃ足りないでしょ。研究用の血液が結構残ってるから、好きなのを飲むといいよ」


 無意識に、喉が鳴った。獣の如き本能が、血を欲している。元々消耗していた上に、この怪我。保存血液は生き血と比べれば栄養価は低いが、選り好みをしていられる状況ではない。

 ……でも、


「……いりません」

「きみ、自分の状況わかってるかい? こんなザコに遅れをとるくらいに消耗している上に、その怪我。死ぬまではいかないだろうけど……今、気を失ったらそのまま休眠するかもよ」

「構いません……、眠った方がマシです」

「きみが眠ったら、誰が『あの子』を護るのかな?」


 心臓を鷲掴みにされたかのような感覚。咄嗟に動こうとするも、槍に押さえつけられており身動ぐことすら出来ない。


「気づいて、いたんですか」

「安心しなよ、きみの隠し事に干渉するつもりはないから。それに、個人的にはきみの死は喜ばしいことだけど、シスちゃんが悲しみそうだし、レクスくんも結構懐いてるからねぇ」


 仕方ないなぁ。神父が僕の目の前でしゃがみ込み、槍を消した。

 そしておもむろに、僕の服を掴んだ。


「な、何をして――い、いったぁ!」

「へえ、きみもそういう声出せるんだ。意外だねぇ。えーっと、左腕は折れてるね、これ。指も何本か駄目になってるし、肋骨も何本か折れてるかな。でも背骨と股関節は無事っぽい。右足は骨は無事だけど、皮膚と肉はぐちゃぐちゃだ」


 神父は新しい玩具を手に入れた子供のような笑顔で、僕の身体を好き勝手に弄る。その手に労りなど欠片もなく、触れられる度に激痛が走る。

 気絶した方が遥かにマシだ。そう思いながら耐えていると、やがて満足したのか神父の手が離れた。


「ま、こんなものかな。血を飲みたくないって言うなら仕方がない。人間の医療でどうにかしてあげるよ。でも覚えておいてよね。傷は塞がるだろうけど、このままではきみの力はどんどん弱くなっていく。その果てに待っているのは休眠か、それとも飢餓か……どうなろうが私の知ったことではないし、そこまで面倒を見るつもりはないからね。私としては、その前に血を飲んで回復してくれる方がラクでいいんだけど」

「ええ、わかっています。でも、僕は約束を破るわけにはいきません。もう二度と、あの子を裏切るわけにはいかないんです」


 この約束は目に見えないが、この身を縛る鎖だ。しかし鎖は細く、錆付き、今にも切れてしまいそうな程に脆い。僕が少しでも暴れれば、鎖は呆気なく粉々に崩れてしまうだろう。

 だから僕は、鎖を壊さないように護るのだ。それで僕自身がどれだけ傷つこうが、構わない。


「うわっ、何だ今の爆発音。上の階からみたいだけど……おや、二人とも。無事で何よりだよ」

「神父様! よかった、無事だったんですね」

「先生!? 先生、大丈夫ですか!」


 上の階から降りてきたレクスとシスが、すぐに僕たちに気がついて駆け寄ってきた。

 よかった、二人とも無事だった。彼らの話によると、上の階に液体燃料を撒いて火を放った。火の手はすぐに建物全体へ広がるだろう。

 とりあえず、これで全ての目標を達成できたということか。


「もう用はないし、さっさと帰ろうか。ジェズアルド、立てるかい?」

「これが立てるように見えるのなら、あなたの目は節穴ですね」

「うわあ、口だけは元気だ。仕方ない、今夜は大サービスだよ。神の寛大な施しに感謝し噎び泣くことだね!」


 神父が動けない僕を肩に担ぐ。先ほど自分で僕の肋骨が折れてるって言ったくせに、まったく配慮されていない手際のせいで感謝どころか恨みしか湧かない。

 いっそのこと、このまま寝てしまおうか。そう考えた時、不意にアレスの亡骸が視界に入った。


 ――ありがとう、■■■。お前が居てくれて、幸せだった――


「…………?」

「先生、どうしました?」

「え……いえ、何でもありません」


 心配そうなシスに呼ばれて、我に返る。

 それは、ほんの一瞬。記憶とも、思い出とも呼べない残滓。どうして思い出したのか、それは一体誰で、どういう関係の人だったのかは思い出せそうにない。

 ただ、とても大切な人だった。外に出て、神父が転移魔法陣を作動させるのと同時に安堵し、僕は今度こそ寝てしまおうと意識を手放した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る