七話 神と吸血鬼


 その日の夜。夕食の後、「少し用事を片付けてきます」と言ってジェズアルドが外に出掛けてしまった。

 それだけならいいのだが、なぜか「じゃあ用事の邪魔をしについて行こう」などと言って神父様も行ってしまったのだ。

 ……敵意を持っているわけではないようだが、神父様ってば妙にジェズアルドに突っかかるような。大丈夫だろうか。


「はあー、レクスさんは凄いねぇ。わたし……神父様のお話、三分の一もわかんなかったよ」


 後片付けが終わるなり、テーブルに顔を突っ伏すシス。神父様の授業が相当こたえたらしい。俺はジェズアルドから色々と有意義な話を聞けたが、シスはそうでもなかったらしい。

 でも、彼女の気持ちはわかる。相変わらずカソックを着せられているが、神への信仰心が高まったかというと首を横に振るしかない。

 神父様の相手をしてくれた礼というわけではないが、一杯のココアを彼女の前に置いた。ありがとうと笑うシスの前に座って、俺は神父様達が帰ってくるまで彼女と話をすることにした。


「それにしても、シスはなんで神父様に神様の話が聞きたいなんて言ったんだ?」

「うーん……神様に対して不満を持っているから、かなぁ。ねえ、レクスさんはどう思う? 神様は今、どこで何をしているのか」


 カップを両手で持ち上げ、まだ湯気が立つココアに息を吹きかけながらシスが言った。

 意外だ、と俺は思わず口に出してしまう。


「そもそもシスは、神という存在を信じているのか?」

「え、レクスさんは信じてないの?」


 大きな目を更に大きく見開いて、シスが驚いた。なぜ驚くのか。近年の科学の進歩により、神が与えた奇跡と呼ばれる現象の多くは神秘性を失ってしまっている。

 だから、若い世代ほど神の存在はおとぎ話の中のものだと思っている。俺も人間だった頃は信じていなかった。

 でも、今は少しだけ考えを改めた。


「故郷の村に居る頃は、神様なんて信じていなかった。でも、神父様が言ってたんだ。自分はかつて人間で、吸血鬼になったのは神に選ばれたからだって。その言葉が、俺がずっと抱いていた疑問の答えだと思った」

「疑問って?」

「吸血鬼は吸血鬼からしか生まれない。それなら、真祖の吸血鬼はどうやって発生したのか」


 今でもまだ判明していない、真祖の発生原因。教会があらゆる仮説を立ててきたが、そのどれもが何らかの根拠で否定されてきた。

 それこそ、神が関わっているとしか言いようがない程に。


「神父様は神に選ばれたと誇っているけど、見方を変えれば、吸血鬼は神に烙印を押された存在ってことだ。それが真祖の吸血鬼。どうして吸血鬼なのか、なぜ人間を遥かに凌駕する力を持っているのかはわからないけど」

「つまり……真祖は元々人間だった、っていうこと?」

「そう。そして、真祖こそが人間を吸血鬼にするという超常現象を成せる存在を明示している……つまり、神は実在する」


 シスの言葉に俺は頷く。吸血鬼についてはわからないことだらけだが、これで神父様が心底陶酔している理由の一端は明らかになった。

 神父様の存在こそが、神が実在するという証明なのだ。


「そっか……神様は本当に居るんだ……じゃあ、どうして兄さんは」

「シス?」

「あ、ううん! 何でもないの!」


 シスが誤魔化すように笑って、ココアを飲む。そういえば、シスには透視能力があるのだったか。

 普通に聞いてくる様子を見るに、乱用はしていないらしい。


「俺も質問していいか? ジェズアルドさんが隠してる部屋って、一体何があるんだ?」

「え、さあ……わたしも知らない。見たことないから」

「一度も? 子供の頃から一緒なんだろ」

「そうだけど、誰にも知られたくないことってあるし。それに、わたしは先生にあの部屋を見ないように『命令』されてるから」


 苦笑するシス。ジェズアルドが得意とする『命令』は、対象の言動を強制的に操る能力らしい。

 実際に見てはいないが、一種の洗脳だと考えていいだろう。ジェズアルドはシスのことを相当大事に思っているようだが、まさか秘密を守るために洗脳まで施すとは。

 ……どうにも、ジェズアルドの言動は極端に思える。


「あ、誤解しないで欲しいんだけど! わたしと先生は、とてもクリーンな関係です! 健全です!」

「なんだ、急にどうした」

「う、だって……吸血鬼、それも男の人と住んでるなんて、誤解されるかなって思って」

「あ、ああ……」


 どうしよう、気まずくなってしまった。でも確かに、シスとジェズアルドがそういう関係だったとしもおかしくない。

 しかも、シスはダンピール。自分を殺すかもしれない存在を、飼い殺すわけでもなく世話をしている理由はなんなのか。


「あ、もしかしてジェズアルドさんの用事ってそういう……神父様を本気で止めるべきだったかな」


 シスから血を貰っていないのなら、ジェズアルドは他の手段で血を飲まなければならない。

 今夜の外出もその為ならば、神父様は止めるべきだった。ていうか居候させて貰ってるのに、どうして神父様は迷惑をかけたがるのか。

 村に居た時からイタズラ好きな人ではあったけれど、誰かに迷惑をかけるようなことまではしなかったのだが。


「……個人的には、神父様も外出してくれて好都合だけどね」

「え?」

「わたし、レクスさんとお話したいことがあって。聞いてくれる、かな?」

「な、なに?」


 心臓が大きく跳ねる。シスが真っ直ぐに見つめてくる。ヴィクトルと同じ紅い瞳だが、彼の濁りきったそれとは全然違う。

 吸血鬼の瞳よりも明るく、澄んだ紅色。血よりも明るく、宝石よりも力強く輝いて。強い意志を映すその目が、俺を射抜く。


 そして、彼女は言った。


「わたしも、兄さんに……ヴィクトルと協会に、復讐がしたいです」

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