三章

思考

一話 滞在準備

 神父様の申し出は想定外だったが、更に想定外だったのはジェズアルドの返事だった。


「二階の部屋が空いてるので、使いたいのなら勝手にしてください。ただし、一階の鍵がかかっている部屋には絶対に入らないでください。もしも部屋に勝手に入ったら、その時は刺し違えてでも本気で殺します」


 物騒な取り決めはあったものの、滞在自体は許可してくれたのだ。神父様は滞在費が浮くとか、正体を隠さずに済むとのびのび喜んでいたが。

 案内された部屋に荷物を置いて、見渡す。二つのベッドに、窓と机だけのシンプルな部屋だ。元々は客室だったのかもしれない。


「大丈夫かな……こんな、押し入りみたいな真似」


 さっきまで殺し合いになりそうな雰囲気だったのに、ていうか実際に神父様はジェズアルドに敵意剥き出しだったんだけど。そんな相手を屋敷に招くだなんて。

 罠、かもしれない。


「うーん、大丈夫だと思うけど。吸血鬼の人達って、わたし達と価値観が違うというか……寿命が長いせいか、色々と後回しに考えることが多いから」

「なるほど……え?」

「うわあ! ご、ごめんなさい。さっきも同じパターンで驚かせちゃったのに」


 ごめんなさい! とドアのところで頭を下げる少女。ナイフの代わりに、シーツを持っている。


「いや、大丈夫……えっと、きみは」

「あ、わたしはシスって言います。あなたは、レクスさん……ですよね?」

「そ、そうだけど」

「シーツを持ってきました。このお部屋、お掃除したばかりなんですけど、普段は使ってなくて。空気の入れ替えもするね」


 ぎこちなく笑いながら、シスが部屋に入って窓を開けた。それから手慣れた様子でベッドメイクを始めた。

 俺のことを怖がっている、というよりは単に人見知りをしているように見える。

 だが、彼女の存在も気がかりだ。


「あの、神父様は?」

「下で先生とお話ししてるよ。吸血鬼なのに神父様って、変わってる人ですね。でも……レクスさんは、服装だけみたいだね」

「な、なんで」


 まただ。また、彼女にはバレた。言動でわかったのかもしれないが、彼女と出会ってからまだ一時間も経っていないのに。


「あの、えっと……わたしのこと、気持ち悪いって、思ってる?」

「い、いや」

「ごめんなさい。わたしは、その……ダンピールで、戦いはそんなに得意じゃないんだけど、『透視能力』があるの。人や物の記憶が視える、っていうか。視よう、って意識していなくても、視えてしまうことがあって。レクスさんの場合が、そうなんだけど」


 シスがたどたどしく、言葉を選ぶように説明する。ダンピールの中にはヴィクトルやライラとは異なり、科学では説明出来ない特殊な能力を持つ者が居ると聞いたことがあるが。どうやら彼女がそうらしい。

 透視能力。俺の素性がバレたのは、その能力のせいなのか。俺の過去を知ってしまったことに負い目を感じているのか、シスは深々と頭を下げる。


「本当に、ごめんなさい。わたし、ずっと先生とここで暮らしてるから、他の人とお話することがほとんど無くて」

「ちなみに、きみが視えた俺の過去って、どういう感じで視えてるの?」

「えっと、新しい記憶ほど映画みたいに鮮やかに視えるの。だから、あなたが故郷の村でひどい目に遭って、キュリロス神父様と隷属の契約を交わしてっていうことは、視えちゃった」

「……驚いた。本当に視えるのか」


 不思議なことに、知られたことへの気まずさよりも、彼女の能力に興味をそそられた。そして、俺が自分の過去に全く執着しなくなったことに驚いた。

 村での記憶も、ライラとの思い出もどうでもいい。思い返す度に沸き上がる憎悪さえあれば、復讐には十分だ。


「あ、あの、レクスさん」

「ちょっと聞いてよレクスくーん! あの人ってば、人使いが荒すぎるんだけど!」


 ドスドスと荒々しい足音と共に、ムスッとした表情の神父様が部屋に入ってきた。シスが居ることは知っていたのか、彼女には笑顔を向ける。


「ああ、シスちゃん。面倒をかけて悪いね。レクスくんときみは歳が近いみたいだから、仲良くしてあげてね。この子は意味もなく女性に襲い掛かるようなオオカミじゃないから、安心したまえ」

「は、はあ」

「神父様……俺に何か話があるんじゃなかったんですか?」

「あ、そうそう。そうだった」


 目を点にするシスをそのままに、神父様が再び不機嫌そうに腕を組みながら口を開いた。


「流石にタダでお世話になるのは気が引けるから、何か足りないものがあるなら調達して来ようかって聞いたら、あの人なんて言ったと思う? 『久しぶりに赤ワインが飲みたいです』だって!」

「そ、そうですか」

「えっと、そういえば赤ワインって神さまの血って考えがありますよね。だから、吸血鬼の皆さんもお好きだって先生から聞きました」

 

 神父様の剣幕に圧倒されつつ、シスがあたふたと話に割り込んできた。先程の争いがあったからか、少しでもジェズアルドのフォローがしたいのだろう。

 ただ、俺にはわかる。神父様が何に怒っているのか。


「それは違うよ、シスちゃん。あんな酸っぱくて渋くて頭が痛くなるような液体が、神の血であるわけがないだろう?」

「え、ええ?」

「神父様、見てるこっちが心配になるくらいに下戸ですもんね」


 以前、クローゼ村の会合でお酒が出たのだが、グラスの半分も飲まない内に真っ先に酔い潰れたのが神父様だった。介抱させられたのが俺だったから、よく覚えている。

 今にしてみれば、吸血鬼でもアルコールに弱いとかあるんだな。


「大体、吸血鬼だけではなく人間でも気軽にガパガパ飲める液体が神の血だなんておこがましいと思わない? 思うよね? 思いなさい!」

「は、はあ」

「ふふん。いつかその言い伝えごと教会を吹き飛ばしてやるとも……って、何の話をしにきたんだっけ。あ、そうそう。ジェズアルドが赤ワイン飲みたいとか言ってきたから、買いに行ってくるよ」

「え、今からですか?」

「うん。リトの町に売ってるみたいだから。と、その前に……どう、人間に見えるかい?」


 神父様が紅いままだった髪と目を戻して、俺とシスに笑いかける。まるで手品のような光景に呆気にとられつつ頷くと、髪を一度払って神父様が言った。


「よし、準備完了。じゃあ、ひとっ走り行ってくるとも」

「あ、それなら俺も」

「いや、レクスくんは留守番だよ。自分じゃわからないだろうけど、凄く疲れてる顔をしているからね。大丈夫、すぐに戻ってくるよ」


 俺の声を遮って、ひらりと手を振って神父様が部屋を出て行った。追いかけようか迷っているも、次第にエンジンの音が窓から聞こえてきたのでここは素直に休むことに決めた。

 ……疲れの原因の八割は、神父様の運転だしな。


「……なんか、凄い勢いのある人だね。最初の印象とは違うかも」

「ああ。クローゼ村に居た時でも、もう少し落ち着いた人だったんだけどね」


 呆然とするシスに同意しつつ、俺は肩へのしかかるような疲労にフラフラとベッドに腰を下ろした。

 吸血鬼だってことを隠さなくてよくなったから、テンションが上がっているのだろうか。

 ……あれ、そういえば。


「ねえ、シス……さん?」

「あ、シスでいいよ。わたしの方が年下だし」

「えっと、じゃあシス。きみ、俺の過去は見えたのに、神父様の過去は見えなかったのか?」


 思わず問いかけると、シスが気まずそうに視線を彷徨わせた。


「わ、わたし……視たくて人の過去を視てるわけじゃなくて」

「責めてるわけじゃないんだ。ただ、ちょっと気になってさ」


 俺が大学を目指したのは、ライラの為でもあったが、同時に吸血鬼への強い興味があったからだ。

 それに、考えてみると神父様の過去の話を聞いたことがない。シスの透視能力なら、彼の過去が見えたのもしれないと思ったのだが。


「ううん。最初は少しだけ、レクスさんと同じような記憶が見えたんだけど、すぐに何も見えなくなったの。開いていた箱が急に閉じられて、鍵をかけられた。みたいな」

「箱に、鍵?」


 わかるような、わからないような説明だ。

 俺がシスの言葉を何とか理解しようと思考を巡らしていると、今度は別の声が俺の耳に届いた。


「吸血鬼の中には、あなたの主人のように他者を力でねじ伏せる者も居れば、言葉や見た目で他者を魅了し惑わせる者も居ます。シスさんの説明から察するに、彼はシスさんの能力を瞬時に読み取り、自分の弱みや秘密を暴かれないよう防御の魔法を自分にかけたのでしょう。本当に、神父とは名ばかりの戦闘狂ですね」

「あ、先生。キュリロス神父から聞きましたよ。お酒が飲みたいなら、わたしがジェイクさんに伝えたのに」


 神父様とは対象的に、静かに部屋に入ってきたジェズアルドにシスが頬を膨らませた。

 それでも、彼はシスを見ながらしれっと言い放った。


「ああいう嗜好品は、たまに口にする程度でいいんです。ただ、あの人が居るとゆっくり話が出来ないと思ったので」

「話って」

「きみですよ、レクスくん。神父の目的は言われなくてもなんとなくわかりますが、きみの目的がわからないので。彼が帰ってくる前に、直接お話を聞かせて貰いますよ」


 下へどうぞ。まるで命令されているかのような声色でジェズアルドが言って、そのまま踵を返して部屋を出て行った。

 神父様を買い物に行かせたのは、そういうことか。


「だ、大丈夫だよ。先生、ああ見えて優しいから」

「……そうだといいけど」


 シスの後押しだけでは、不安は拭えないものの。ここで怖気づいていたら、教会に復讐なんて到底無理だろう。

 自分にそう言い聞かせて、俺は早足で部屋を出て階段を下りる。シスはおろおろしながらも、俺の後を追ってきた。

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