六話 遭遇


「だ、誰ですか?」

「うわっ!?」


 背後から声をかけられて、飛び上がる程に驚いてしまった。俺は慌てて声の方を振り向いた。

 玄関から来たのだろう。緩くウェーブがかった銀髪を青いヘアバンドで押さえている。宝石のような紅い目に、雪のような肌。シンプルなワンピースを着た、可愛らしい少女だ。


「あ、あの! 俺は、その荷物を……り、リトの町の近くで、ジェイクさんって人に会って」

「え……ジェイクさんって、雑貨屋の?」


 怪訝そうな少女に、俺は繰り返し頷く。彼女の目が、俺の身体を射抜くように睨んでくる。

 いや、違う。彼女には全て見透かされたのだ。


「で、でも。あなた、吸血鬼ですよね?」

「な……なん、で」

「吸血鬼が、何の用ですか? わたしに、じゃないですよね……もしかして、先生に用事が?」


 おどおどと俺の顔色を窺う彼女に、思わず身構える。彼女の言葉は気にかかるが、考える余裕がない。焦燥感に息が吸えなくなる。

 ジェイクさんには誤魔化せたのに、どうして彼女には正体がバレたんだ!?


「シスさん? どうしました、そんなところで」

「ッ!?」


 次に聞こえてきた静かな声に、骨の髄から震え上がるようだった。

 おかしい。ジェイクさんは、この屋敷に住んでいるのは少女と寝たきりの老人だと言っていた。少女とは、目の前に居る銀髪の女の子のことだろう。

 でも、それならこの男は誰だ。


「あ、先生! えっと、お客さん……みたいです」

「お客さん、ですか。これはまた、随分と血生臭い方のようですが」


 窓からひらりと飛び降りて、その男は俺の後ろに立った。一つに結われているが、腰まで届く長い紅髪。穏やかな物言いとは裏腹に、まるで首元にナイフをあてられているかのような威圧的な声。

 恐る恐る振り向く。眼鏡越しではあるが、神父様と同じ血色の瞳が俺を見下ろしていた。


「き、吸血鬼……なんで、こんなところに」

「それはお互い様かと。それに、あなたからは別の吸血鬼の匂いもします。隷属のようですね。主人はどうしました? 迷子ですか?」


 静かな口調で話しながら、吸血鬼の男が歩み寄ってくる。敵視されているわけではないようだが、相手が相当強い力を持つ吸血鬼だということが嫌でも伝わってくる。

 逃げなければ! 踵を返して逃げようとするも、男に腕を掴まれてしまった。黒革の手袋を嵌めた手は力が強く、俺の力ではどうやっても振り解けそうにない。


「は、離せ!」

「離して欲しいなら、ここに居る理由を説明しなさい。このまま腕を圧し折られたくないなら、素直に言うことを聞いた方がいいですよ」

「ちょ、ちょっと先生、流石にやりすぎでは。その人、悪い人じゃないみたいですし」


 みしりと嫌な音を上げる腕に、思わず呻く。少女があわあわと慌てながら男を説得しようとしているが、彼に手加減する様子はない。

 俺がこのまま何も言わなければ、男は構わず俺の腕を圧し折るだろう。吸血鬼になったとはいえ痛覚は変わらないし、男の機嫌を損ねれば殺されるに違いない。


 でも、不思議と怖くなかった。


「先生、危ない!」


 男がハッと息を飲んだ次の瞬間、真紅の斬撃が彼に襲いかかった。俺を捕らえていた手が紅い槍に斬り裂かれ、鮮血が地面に散る。


「残念、浅かったか。私の大事な弟子を脅かすその腕、斬り落としてやろうと思ったのに」

「神父様!」

「ッ……油断した」


 髪と瞳を紅に変え、槍を携えた神父様が俺を庇うように躍り出た。ほっと安堵するのと同時に、神父様の姿に自分の身体を流れる血が熱くなるのを感じる。

 隷属は主人のものであり、死ぬまで主人に仕えるもの。目に見えない血の絆を改めて思い知った。


「ごめんよレクスくん。ここに吸血鬼が居る気配には気づいてたんだけど、まさかこんな大物が居るとは思わなかった。あと、普通に山の中で迷って戻るのが遅れちゃった」

「そ、そうですか」


 ……感動して損した。


「先生! 大丈夫ですか!?」

「近寄らないでください、シスさん。あなたを庇う余裕はありません」


 顔を青ざめさせ、駆け寄ろうとした少女を男が止めた。右腕の肘から手の甲まで大きく裂けており、夥しい出血もしているが、痛みなど感じていないかのように男の表情は変わらない。

 神父様がくすりと嘲笑った。


「それにしても、こんな場所に隠れていたとはね……人里離れた山の中に病人が住んでいる、なんて話からして怪しいと思ってたけど」

「神父様、あの人のこと知ってるんですか?」


 思わず問いかければ、神父様は頷いた。同時に、男の表情が僅かに強張る。


「うん、もちろん。私は神父だからね。そして人間だろうが吸血鬼だろうが、神に仇をなす者は全て私の敵さ」

「神に仇をなす?」

「そう。憎たらしいことに、この男は神に愛されていたにも関わらず、私欲の為に神を侮辱した。そうだろう? 前は派手に動いていたくせに、最近は随分静かにしてたじゃないか」


 温厚な神父様にしては珍しく、棘のある言い方だと思った。怒り、というよりは嫉妬に近いように感じる。

 男の方を見ると、表情は変わらないもののどことなく焦っているようだ。彼の両手が、何かを探すように宙を彷徨う。

 ……神父様が槍を持つ時の動作と似ている。まさか、この男も神父様と同じ――


「てっきり死んだのかと思ってたよ。今まで何をしていたのかな、カ――」

「ジェズアルドです」

「……は?」


 まるで迷いを払うかのように両手を振って、無傷の左手で眼鏡を押し上げながらジェズアルドが言った。

 言い切った、と表現する方が正しいか。


「ジェズアルド? きみが?」

「僕がジェズアルドです。どうやら、あなたは人違いをしているようです。あなたが誰かは知りませんが、迷惑なのでやめてください」

「……ふうん。それなら私、きみと顔見知りなんだけど。千年前、私が吸血鬼になった時に」

「え……」

「右も左もわからない赤子のような私に、容赦なく叩きのめした挙げ句に踏みつけて高笑いしたくせに。覚えていないというのなら、それはそれで腹立たしいな」


 ぎくり、と肩を震わせるジェズアルド。対して、ニンマリと口角を上げる神父様。

 急に悪戯っ子みたいな笑顔になった神父様に、俺は堪らず聞いてみた。


「神父様、あの吸血鬼とお知り合いなんですか?」

「うん。彼が本当にジェズアルドならね。吸血鬼になりたての私をぶちのめした後、色々教えてくれた恩人だよ」

「恩人っていう割には憎しみが籠もった言い方ですね」

「でも、変だな……ジェズアルドという男は墓場だろうが戦場だろうが、三つ揃いのスーツを着て革靴で闊歩する洒落た人だったけど」

「……千年も経てば、服の趣味くらい変わりますよ」


 ジェズアルドがもう一度眼鏡を押し上げる。確かに、今の彼は手袋だけではなく、ハイネックセーターやスラックスまで全て黒一色だ。

 それはそれで、スタイルのいいジェズアルドに似合っているが。神父様が訴える特徴と一致しないのが妙に気になる。


「あ、そう。それで、私のことは本当に覚えてないのかな?」

「ええ。千年も前に会った人のことなど忘れました」

「やれやれ。まあ、いいか。殺したいのは山々だけど、今ここできみと殺し合うのは流石にしんどいからね。負ける気はしないけど、無傷で勝てる自信も無いし。きみが相手ではレクスくんを護る余裕はないし、そこでタイミングを見計らって私にナイフを刺そうとしているダンピールのお嬢さんも厄介だ」


 思わず少女を見ると、確かに小さなナイフを握っていた。しかし切っ先は震えており、顔も真っ青で怯えきっている。どう見ても、神父様どころか俺すら殺せそうにない。

 でも、彼女がダンピールであるなら話は別だ。


「とりあえず、レクスくんをいじめた仕返しと、はとりあえずこれくらいで止めてあげよう。きみを罰するのは、残念なことに私の役目じゃないしね」

「いじめた覚えはありませんが」

「お互いに護りたいものがあるようだから、ここは手を組もうよ。このお屋敷、二人で住むにはちょっと広すぎるんじゃない? 部屋、余ってそうだよね」


 槍を下げて、ふむふむと値踏みをするように神父様が屋敷を見上げる。


「実は私達、滞在出来る場所を探してるんだよね。というわけで、しばらく泊めてくれないかな?」

「ええ!?」

「……はあ」


 突拍子もない申し出をする神父様に、ナイフを取り落として驚く少女と、呆れたように溜め息を吐くジェズアルド。

 そして俺も……多分止めるべきだったのだろうけど。あまりにも急展開すぎて何も言えず、ただ成り行きを見守るしかなかった。

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