五話 山の中にある屋敷
「それでジェイクさん、一体どうしたんですか?」
「はい。お恥ずかしいことに、トラックが急に動かなくなってしまいまして。もう十年近く乗ってるオンボロなんで、ガタがきたのでしょう」
「うーん……確かに、これは業者さんにお願いした方がいいかも」
神父様がトラックの周りを歩きながら、車体を注意深く観察している。燃料が漏れている様子はないので出火の危険性はなさそうだが、エンジンが故障してしまっているらしい。
がっくりと肩を落とすジェイクさんが、困り顔でトラックの荷台を見やった。
「そうですよね……はあ、参ったなぁ」
「私達もリトに行く予定だから、町に戻るなら一緒にどうですか? 大事な荷物があるなら、多少は載せられますし」
「それはありがたいのですが……実は、今日中に届けたい荷物がありましてね。中は小麦粉や砂糖といった食料品と、石鹸などの日常品なので、すぐに悪くなるようなものじゃないんですが、早めに届けたくて」
そう言うと、ジェイクさんが指をさした。届け先はリトの町とは反対方向の、俺達が来た道から少し外れた山の方のようだ。
「あの山の中腹に、屋敷が一軒建っておりましてね。そこに若い女の子と、寝たきりの老人が二人で住んでいるんですよ」
「女の子と寝たきりの老人ですか」
「ええ。女の子は、レクスさんより少し年下だと思います。遊びたい盛りだろうに、とても優しい娘さんなんです」
「へえ……そのご老人というのは?」
「さあ……どうやらとても偏屈な方のようで、ほとんど姿を見たことがないんです。一度だけ、一階の寝室の窓が開いていたことがありましてね。ほんの一瞬だけ……それも、ベッドで眠る人物の手しか見えなかったのですが、あの血の気のない手は忘れられません。きっと大病を患っていらっしゃるのでしょう」
ジェイクさんの話を纏めると、人里から離れた屋敷に住む二人の為に定期的に食料品などを配達しているのだそう。
今日も配達に行くつもりだったが、途中でトラックが停まってしまったというわけか。
「それなら、私達が代わりに荷物を届けてあげましょう。私の車なら、山道なんてものともしませんから」
「神父様!?」
「いえいえ! 神父様達にご迷惑はかけられませんよ」
神父様の申し出に、ジェイクさんだけじゃなくて俺までぎょっとしてしまった。神を信じる人にはとことん甘いとはいえ、明らかに踏み込み過ぎだ。
大体、壊れ物が荷物にあったらどうするんだ。あの運転では絶対に壊れる。粉々になる。
「気にしなくていいですよ。急ぎの用がある旅というわけではありませんから。ね、レクスくん。神父は指導者だ。困っている信者が居たら、手を貸してあげないと駄目なんだよ」
「それはそうですけど、俺達の目的は――」
「それに、見る限りそんなに遠くないし。そのお屋敷まで寄り道しても、夕方には町に着くさ」
駄目だ、神父様の気持ちは変わらない。まあジェイクさんも、その屋敷に住むっていう二人も俺の復讐には無関係なのだ。
手助け出来るなら、そうすべきだろう。ジェイクさんも迷ったようだが、神父様の熱心な申し出に折れて、申し訳なさそうに荷物を差し出してきた。
「助かります、神父様。荷物はこちらです。代金は次の配達の時に纏めて頂きます、と伝えて貰えますか?」
「ええ、わかりました。ジェイクさん、本当に乗って行かなくても大丈夫ですか?」
「はい。これでも体力には自信がありますから。歩いて町まで戻って、トラックは息子や仲間達となんとかします。リトにお寄りの際は、ぜひわたしの店に寄ってくださいね」
何度もお礼を言いながら見送るジェイクさんに手を振り返しつつ、俺達は車に戻って来た道をUターンして山道を目指すことになった。
……ジェイクさん、神父様の運転を見て同乗を断ったのかもしれない。正しい判断をしたと、俺は心の中で彼を賞賛した。
※
「それにしても、こんな山の中でわざわざ暮らすなんて……変わった二人ですね」
預かった荷物を出来るだけ無傷で渡す為に抱えながら、俺は神父様の方を見た。道と呼べるものはちゃんとあるものの、やはり道路に比べたら凸凹が多くて腰が痛い。
荷物の中に壊れ物がないことを祈っていると、神父様が頷いた。
「確かに、特に若い女の子にとっては不便でしかないだろうね」
「町に近い方が安心だし、便利だと思いますけど」
クローゼ村での生活も便利だとは言えなかったが、周りに人が居たおかげでなんとかなっていた。でも、こんな山中ではいざという時に誰かに頼ることも出来ないではないか。
「あ、ここかな。なるほど、古いけどなかなか立派なお屋敷だね。たった二人で住むには大きすぎると思うけど……」
そうこうしている内に、目的地へと到着する。小高い丘の上で、二階建ての屋敷が背の高い木々に隠されるようにしてそこにあった。
道はガタガタだったが、屋敷の周りは意外にも綺麗に手入れされているようだった。こじんまりとしたものだが、花壇まである。
人が住んでいるのは、間違いないだろう。先に行く神父様に続いて、俺も荷物を抱えて車を降りた。
「すみませーん、お届け物ですよー」
神父様がドアノッカーを叩きながら、家人を呼ぶ。だが、何度呼んでも返事は来ない。
「……留守、かな」
「ええ⁉ まさか、そんな」
「そうだよね、ジェイクさんが来ることはわかっていた筈だし……」
不思議そうに、神父様は後ろに下がってもう一度屋敷を眺める。そして何を思ったのか、山頂へと続く道の方に目を向けた。
「ふむ、それじゃあ少しこの辺りを見て来ようかな。薬草やキノコでも探してるのかもしれないし」
「え、ちょっと神父様」
「入れ違いになると困るから、レクスくんはここで待ってて。十分以内には戻ってくるよ」
ニッコリと笑いながらそう言い残して、神父様は散歩にでも行くかのような足取りで山道を登って行ってしまった。
……まあ、確かに。こんな山奥で暮らすなら、山の恵みに頼らざるを得ないだろう。俺は荷物を玄関の端に置いて、すっかり凝り固まった身体を伸ばした。パキパキと、固まった筋肉が解れていく。
穏やかで静かな空気に緊張も解れかけた、その時だ。
「……あれ? あ、窓が開いてる」
不意に、大きな布が擦れ合う音が聞こえてきた。音の出処を探すと、裏手にある部屋の窓が一箇所だけ開いていた。そこから見えるカーテンが風に吹かれて大きく揺れている。
もしかして、あの部屋に誰か居るかもしれない。俺は無意識に足音を忍ばせながら、開いている窓へと近づいた。
そして、見てしまった。
「すみません、お届け物があるんですけど――なッ!?」
悲鳴を上げそうになって、俺は反射的に口を手で押さえた。ここは寝室だろうか、揺れるカーテンから見えたのは真っ白なシーツと清潔感のあるベッド。
そしてベッドに横たわる人物の、死体を思わせる程に血の気の無い真っ白な手だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます