二話 ジェズアルドの話

 シス達が住んでいる屋敷は、立派な外観の割にはとても平凡なもののようだ。

 山で摘んできたのであろう野花が花瓶に生けられており、窓際にも小さな鉢植えがいくつもある。シスが作ったのだろうか、カラフルなパッチワークがちらほら見られる。

 置いてある調度品も、シンプルで使い勝手を重視したものばかりで高価なものは見当たらない。温かい空気が流れている場所だ。

 不躾だとは思いつつ見回していると、俺はリビングへと通された。ジェズアルドが奥のソファに座って、俺は向かい合わせのソファに座る。

 シスは少し迷って、「お茶を淹れてきますね、先生」と言ってキッチンの方へ行ってしまった。

 俺が既に神父様の血しか飲めないことは、ちゃんと伝わっているのだろうか。不安に思っていると、ジェズアルドが話を始めた。


「さて。神父からある程度の話は聞きました。きみは故郷の村で、酷い仕打ちを受けたそうですね」

「え……あ、はい」


 ゆるりと長い足を組むジェズアルドに向き合う。神父様もそうだが、目の前の彼も凄まじく整った容姿の持ち主だ。

 黒で統一された服装に、古びた眼鏡。そしてお洒落というよりは邪魔だからと言った風に結ばれた紅い髪。どちらかと言えば見た目には無頓着らしいが、それでも持ち前の美貌を曇らせる要因にはならない。

 ただ、彼の顔に表情は無い。先程怪我を負ったはずなのに、既に何でもないように振る舞っている。力が強い吸血鬼ほど治癒力も高いことから、彼は純血であることに間違いはないだろう。

 神父様のおかげで忘れていたが、吸血鬼は人間の敵なのだ。ジェズアルドが一体何を考えているのかわからないが、油断しないでおこう。

 

「そして、大怪我を負ったきみは神父の隷属になった。教会へ罰を与えるという、神父に協力する為に」

「それだけじゃありません。俺はライラとヴィクトル、そして教会に復讐する為に隷属になったんです」

「ヴィクトル……!?」


 震える声が鼓膜に届く。思わず声の方を振り向くと、シスが目を大きく見開いてそこに立っていた。

 その手にはティーセットが載せられたトレイ。シスは何事もなかったかのように俺達の方に歩いてくると、テーブルに紅茶のティーカップとクッキーの皿を静かに並べた。


「はあ、復讐……ですか。そんなことの為に、あなたは穏やかに死ぬ権利を手放したのですか」

「そ、そんなことって」


 シスにお礼を言って、ティーカップを手にしてジェズアルドが言った。紅茶を口にするだけで絵になるが、俺が見惚れることはなかった。

 踏みにじられた憎悪から、鮮血のような憤怒を噴き出す。


「復讐は何も生まない、と聞いたことがありますが。僕はそう思いません。復讐は、悲しみを生みます。僕はきみより、あの神父よりも長く生きています。その中で僕は、多くの復讐劇を見てきました。復讐に狂った挙げ句、世界中から恨まれて最後は孤独に死んでいった者も居ました。きみも、そういう最後を迎えたいのですか?」


 抑揚をつけずに、淡々とジェズアルドが語る。無意識に、俺は両手を膝の上で握り締めていた。

 そうだ。俺がやろうとしている復讐は、言い換えれば殺人行為だ。クローゼ村でそうしたように、神父様はいとも容易く大勢の人間を殺すだろう。

 そして、俺は手を貸すと言った。このままでは俺は、ろくな死に方をしないだろう。野垂れ死にか、返り討ちにあうか。


 それは、なんて、


「それは……なんて、俺に相応しい最後なんだろう」


 そうだ。俺は、別に誰かに褒めて欲しいだなんて思っていない。同情なんかいらない。

 俺はただ、俺を辱めたやつらに復讐したいだけだ。見下していた俺の手にかかってどん底に落ちて、死ぬ。

 その瞬間のやつらの顔を、俺は見たいのだ。


「……はあ。決意は変わりませんか。どうも言葉での説得というのは難しい」

「ジェズアルドさん。あなたはどうして、俺に復讐をやめさせたいんですか?」


 ため息を吐くジェズアルドに、思わず問いかけた。俺が何をしようが、この人にはなんの関係もない筈なのに。


「それは、血の伯爵夫人マダムの動きが活発になってきたからですよ。神父からは聞いていないんですか?」

「えっと、何を」

「吸血鬼の支配体制が変わったってことだよ」


 割り込むように言いながら、シスが俺の隣にちょこんと座った。


「少し前までは串刺し公が、吸血鬼全体の舵取りをしていました。しかし今は夫人に代わりに舵を握った状況です。彼女は串刺し公よりは平和的なので、下手に刺激しなければしばらくは平穏な日々を過ごせるでしょう。そして、教会もまた休息を必要としている頃合いでしょう。要するに、しばらくは静かな毎日を遅れるので何もしないでいただきたい。とくにあの神父……真祖が動くとあれば、教会だけではなく夫人も敵に回すかもしれません」


 ジェズアルドが眼鏡を押し上げながら言った。そういえば、クローゼ村で遠隔とはいえ血の伯爵夫人が神父様に接触していた。

 あれは、牽制だったのか。


「基本的に僕は、人間にも吸血鬼にも肩入れはしません。戦争が起ころうがどちらかが絶滅しようが、両者の道行きの障害になるつもりはない。ただ、僕には護らなければいけないものがあります。今、大きな戦乱が起こったら困るんです」

「先生……」


 シスの声が揺れる。ジェズアルドが俺を止めようとしたのは、彼女のためなのか。

 でも、彼を制したのは他でもないシスだった。


「でも、今の教会は凄く疲弊していますよね。だったら、教会に復讐するなら今しかないかも」

「え?」


 思わず彼女を見ると、小さな両手がスカートをギュッと握り締めている。

 小さく震える肩は、怒りを噛み締めているようにも、涙を堪えているようにも見える。だが、俺が見ていることに気がついたのか、パッとスカートから手を離してヒラヒラと手を振った。


「え、えっと……そう、キュリロス神父様は、どんな状況であったとしても、一人だったとしても構わず教会に突撃しそうだなっと思って」

「そう、一番の問題はそこなんですよね。あの男は説得が通じるタイプではない。止めるには殺すか、百年は動けないように痛めつけるか」

「ほほう? 先生、その言い方は神父様よりも自分の方が強いって言い方ですね?」

「……まあ、僕には奥の手がありますしね」


 視線をそらすジェズアルドに、シスがニマニマと気味の悪い笑顔を向けている。

 無表情のせいで、最初は冷たい人だと思っていたが。シスとのやり取りを見ていると、実は優しい人なのかもしれない。

 湧き上がる好奇心が、俺の口から言葉となって飛び出してくる。


「あの……ジェズアルドさんとシスは、どうして一緒に暮らしているんですか?」

「……やっぱり、気になる?」


 投げかけられた質問に、シスが頬を指でポリポリと掻きながら気まずそうに笑う。ジェズアルドは、相変わらず無表情のまま。

 話し始めたのはシスだ。


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