二話 秘密の結託


 声を上げたのはシノミヤ博士だった。全員の目が、彼女を刺すように見つめる。

 オレも彼女を見るが、目が合ったのも一瞬ですぐに目を逸らされてしまった。


「ダンピールが持つ強靭な身体能力と高度な回復力を底上げする『ダンピール強化剤』ですが、既に完成はしています。接種量や投与濃度など、実験は必要ですが」

「いい加減になさい、シノミヤ博士! ヴァレンシア教皇、許可されていない発言をお許しください!」


 シノミヤ博士の隣に座る、ヒステリーな女科学者が声を荒げた。オレとしては待ち望んでいた言葉だったのだが、他の人間は溜め息を吐くばかりだ。


「良い、気持ちはわからんでもない。じゃがなシノミヤ博士、そしてヴィクトルよ。ダンピール強化剤の使用は許可出来ん。検体がお前とライラしかおらん以上、安全性が確保出来んからな。お前達は我々の切り札じゃ。必要性のない危険に晒すことは、このわしが許さん。アトウッド博士、実験は凍結せよ」

「は、はい。もちろんですとも」


 さっきの腹が出たオッサンがびくびくと答えた。アトウッドという名前だったらしい。


「ヴィクトル、ライラ。二人はしばらく本部で待機せよ。勝手な行動は許さん」

「待てよジジイ、それじゃあ狂信者は野放しにする気かよ?」


 これで議論は終わりだと言わんばかりに、席を立つ教皇を睨む。だが、教皇は少しも動じずに見返してくるだけだ。


「十年もの間、あいつは神父になりすましてたんだぜ? 教会の機密を探っていた可能性だってあるだろうが」

「そうだとしても、田舎の神父が探れる情報などたかが知れている。それに、夫人が干渉したのなら、真祖であろうとも迂闊な動きは出来ぬ」


 その言葉を最後に、教皇は部屋を出て行った。他のメンツも逃げるように席を立つので、呼び止める気すら萎える。


「あーあ。どいつもこいつも腑抜けやがって……どうする、ライラ。お前が仇を討ちたいんなら付き合うぜ?」


 苦笑しながら背もたれに寄りかかって、オレはライラに言った。

 だが、ライラも同じだった。


「仇? 別にどうでもいいわ。あんな村、関係ないって言ったでしょ」

「ライラ、お前……それ、マジで言ってんのか?」


 思わず、立ち去ろうとしたライラの手を掴む。オレは彼女とは違って、生まれも育ちも教会だ。

 親の顔は知らないし、物心ついた頃から訓練の毎日だった。だから、故郷などというものを理解することは出来ない。

 それでも、彼女のクローゼ村への反応は異常だということだけはわかる。


「何よ、離してくれない?」

「生まれ育った村が、知ってる人間が殺されたんだぞ。少しは素直になれよ。オレはお前の――」

「それなら教えてくれる? アンタ、?」


 彼女の言葉は、まるで心臓を刺し貫く槍のようだった。ふっ、とライラが鼻で嗤う。


「アタシが何も知らないと思った? ヒーロー・ヴィクトルはかつて、自分の妹を捨てた。自分より優秀な妹が目障りだったアンタは、戦場に妹を連れ出して、襲ってきた吸血鬼に妹を差し出して逃げた。マスコミに流したら、アンタは大好きな取材を飽きる程受けられるわね」

「テメェ……それをどこで調べやがった」

「ヒミツ。まあ今更アンタがどんなことやってても、アンタがどうしようもないクズってことは変わらないわ。どんなクズでも、アタシにはアンタしか居ないわけだし」


 でも。ライラが鋭く睨んでくる。


「神父様……じゃなくて、狂信者の口を封じたいなら一人でやってくれる? しばらくアタシのことは放っておいて頂戴」


 オレの手を振り払うと、ヒールの音を響かせながらライラは部屋を出て行った。どうしようもない苛立ちが塵のように降り積もっていく。

 クローゼ村ではオレに懐くような素振りを見せていたが、首都に戻ってくるなりすっかり元に戻ってしまった。

 オレの思い通りにならない、ムカつく女。それがライラだ。


「……何なんだよ、クソ」


 誰も居なくなった会議室で、ゆっくりと立ち上がる。そして爆発した苛立ちをぶつけるかのように、ライラが座っていた椅子を蹴り飛ばした。

 ライラの態度はもちろん腹立たしい。だが、それ以上にシスだ。あいつが一番悪いのだ!


「クソッ、クソ! クソが!! シス……テメェは本当にジャマな女だなぁ!」


 口にするだけでも疎ましい。シス。同じ親から生まれた妹。今から十年前、あいつが七歳の頃に事故で死んだ……教会の記録では、そう改ざんされている。

 だが、実際は違う。あいつはオレにとって邪魔だった。オレが得られなかった超能力を、あいつが持って生まれたのが悪い。


 だから、オレはあいつを見殺しにした。恐怖で動けなくなったシスを置いて、オレは逃げたのだ。


 ――あの時もオレは、を前に何も出来なかった。


「……いや、違う。あれは仕方がなかった。シスがグズだっただけだ」


 壁にぶつかって、ひしゃげた椅子を見下ろしていると、徐々に沸騰した思考が冷めていく。バリバリと金髪を乱暴に掻きながら、オレは会議室を出た。


「とにかく、狂信者……キュリロスだけは始末しねぇと。シスのことをバラされたら、ヒーロー・ヴィクトルは終わりだ」


 そうだ。今は戦況だの夫人のご機嫌とりだのはどうでもいい。ライラは捻くれているが、唯一の相棒であるオレを裏切ったりはしない。だから、今はとにかくキュリロスの口を塞げればいい。

 だが、どうすればいい。キュリロスは強い。オレがダンピールであっても、真正面からやり合うのは無謀だ。何かしらの策が必要だ。

 しかも、ライラは乗り気じゃない。彼女のご機嫌をとる余裕もない。

 それなら、どうすれば……考えながら、一旦自室に戻ろうと通路を歩く。

 すると、聞き覚えのあるヒステリーな喚き声が聞こえてきた。


「ちょっと、シノミヤ博士! さっきの発言、一体どういう意味よ!?」

「も、申し訳ありません。私はただ、少しでも前線の皆様に貢献出来ればと」


 オレは足を止めて、通路の影に隠れて様子を窺う。行き止まりにある休憩スペースで、二人の女が言い争っているらしい。

 一人はシノミヤ博士、もう一人はさっきのヒステリー女か。


「貢献? 思い上がりも大概にしなさい。今はとにかく目立つことはやめて。夫人の目はコウモリだけじゃない。この教会内にが居る可能性も否定出来ないの! 意味わかる? あなたが勝手なことをしたせいで、犠牲になる命が出るかもしれないのよ!?」


 ヒステリー女の剣幕に、シノミヤ博士が唇を噛んで俯いた。それだけで、彼女が本当に吸血鬼との戦いを終わらせたいと思っているのが伝わってきた。

 教会の人間の多くは、正義よりも利益を求めている。だから、教皇やヒステリー女みたいなやつらにとって、シノミヤ博士は煩わしい存在なのだろう。この様子では、彼女が田舎に左遷されるのも時間の問題かもしれない。


 それは、あまりにもったいない。


「よーっす、スミレちゃん。なんだよ、こんなところに居たのかぁ?」

「え、ヴィクトル様!?」


 出来るだけ馴れ馴れしく見えるように、オレはヒラヒラと手を振りながら二人の方に歩み寄った。

 ちなみに、シノミヤ博士とまともに話すのはこれが初めてだ。


「ヴィクトル様……? あの、彼女と何か約束でも?」

「そうそう。一緒に食事にでも行こうかと思っててよ。でも、忙しそうなら出直すけど」

「い、いえ! 失礼しました!」


 オレの意図に気づいたのか、ヒステリー女は顔を真っ赤にしてそそくさと立ち去った。

 残されたシノミヤ博士が、怪訝そうな目でオレを見上げる。


「……あの、ヴィクトル様。約束をした記憶はありませんが」

「じゃあ今から約束しようぜ。アンタが行きたいところに付き合うし、服でもメシでも全部奢ってやるよ」

「からかわないでください。仕事が残ってますので、これで――」

「アンタに頼みたいことがあるんだ」


 冷淡な反応は予想通り。こういう相手には焦らすよりも、さっさと手の内を明かした方がいい。

 ぴくりと、シノミヤ博士の眉が上がる。


「頼み……何でしょう?」

「ダンピールの強化剤、オレに試させてくれねぇかな? 資金が必要なら出すぜ。それに教皇……ジジイに何か言われたら、全部オレが責任とってやるよ」

「ああ、そういうことですか。しかし、ヴァレンシア教皇も仰っていたように、強化剤は安全性を確保出来ません。今の状況ならば、実験を強行する必要はないかと」

「でも、もしも強化剤を使ったオレが真祖を一人でも殺せれば、アンタの立場は格段に良くなると思わねぇか? 上手くやれば、専用の研究室を貰えるかもしれねぇぞ」


 シノミヤ博士が目を大きく見開く。期待通りの反応に、思わず吹き出しそうになった。

 やっぱりな。こういう女は、金や快楽よりも地位や名誉を欲しがる。オレがちょっかい出しただけでも、嫌味な上司を排除出来たのだ。


 これでまた一つ、駒が増えた。


「で、もう一回聞くけど。この後時間あるか?」

「ええ、もちろん。どこへでもお付き合いいたしますわ」


 艷やかな笑みを唇に飾るシノミヤ博士。オレは静かにほくそ笑むと、彼女の細い肩を抱いた。

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