閑話 とある生徒と教師の穏やかな一日
何の変哲もない、穏やかな春の一日。暖かく、柔らかい朝日に起こされる。昨日と同じように、今日が始まった。
――そう。今日も今日とて、『先生を笑わせようチャレンジ』の始まりである!
「おはようございます、シスさ――」
「おはようございますっ、先生! 見てください、この寝グセ。まるで、ライオンみたいじゃないですか!?」
わたしはベッドから起きるや否や、着替えどころか顔すら洗わずにそのままキッチンへと降りた。
朝食の用意をしているのはわたしの唯一の同居人であり、面倒を見てくれている先生だ。わたしよりも早起きなのに、今朝も髪の毛から爪先まできちんと整えられている。
そんな彼に、わたしは芸術的に仕上がった髪を見せつける。もともと細くて柔らかい髪質のせいか、毎朝枕が爆発でもしたのかと思うような寝グセに仕上がるのだ。
中でも、今日の寝グセは完成度が高い。我ながら爆笑モノだと思う。
だから、今日こそ先生が笑うところを見られるのかと思ったのだが。
「……シスさん。今朝のオムレツには、ほうれん草をたっぷり入れてあげますね」
「あー! ごめんなさいごめんなさい! ほうれん草だけは勘弁してくださいぃー!!」
一体何のつもりで用意していたのか、物凄い量のほうれん草を持ち出した先生の腕を掴んで必死に止める。先生のオムレツは大好きだが、ほうれん草は苦手なのに!
必死に泣きつくわたしに、先生が無表情のまま溜め息を吐いた。
「シスさん。あなたは今年で何歳になったんですか?」
「……十七歳、です」
「年頃の女性が、寝グセをそのままに寝間着姿で駆け回るとはどういうつもりですか? 僕は常々、あなたには淑女としての――」
「わーわー! 反省してますー! 今すぐ着替えてきますー!」
確実に長くなりそうなお説教を無理矢理遮ると、わたしは逃げるように先生から離れて洗面所に向かおうとした。
でも、その前に。すすす、ともう一回先生に近づいて、卵をかき混ぜる背中に嫌味の声をかける。
「……先生は吸血鬼なのに、何でそんなに早起きなんですか?」
「シスさんはダンピールなのに、どうして僕よりお寝坊さんなんでしょうね」
残念、嫌味すら跳ね返された。少しも表情を変えてくれない彼を少しだけ恨めしく思いつつ、わたしは今度こそ洗面所へと向かった
※
ライオンみたいになった銀髪を水とヘアバンドで押さえつけ、顔を洗って着替えも済ませて。不本意ながらもほうれん草たっぷりの朝食を食べさせられた後は、勉強の時間だ。
今日は数学と歴史。このお屋敷が人里から離れた場所にあることもあって、学校には通っていない。
ここで生活していく上では、勉強に必要性があるとは特に思わないけれど、先生が教えてくれるので楽しくこなせている。
勉強が終わったら、次は訓練だ。
「次はスペードのエース、最後はハートのキングです」
「素晴らしい、全て正解です」
テーブルに並べられたトランプのカード、ジョーカーを入れた五十三枚。先生が無差別にかつ、伏せた状態で並べられたカードの絵柄と数字を、わたしは全て言い当てた。
ダンピールは身体的に強靭であるだけでなく、『超能力』と呼ばれる力を持つ者も居る。
わたしがそうだ。
「『物理透視』の精度はかなり高くなりましたね。では、次は『過去透視』の訓練をしましょう」
「ふふん、望むところです。今日は何ですか?」
「こちらの銃です。既に故障しており、弾倉も抜いてあるので暴発の危険はありません。ですがとても古いものなので、ところどころ脆くなっているので気をつけて触ってください」
そう言って、先生がテーブルの上に置いたのは一丁の自動式拳銃だ。拳銃を見るのは初めてではないものの、その中でもかなり大型だということしかわからない。
そっと、グリップの辺りをなぞってみる。冷たい感触。誰かを傷付けることは二度としない。
銃の死骸、という表現が脳裏に過った。
「その銃のかつての持ち主の特徴を、挙げられるだけ挙げてみてください」
「はい、先生」
わたしは頷いて、銃に触れながら目を瞑る。すると、閉ざされた視界にぼんやりとした映像が見えてきた。
これが、わたしに備わった超能力。目の前にある物体だけではなく、物体を通して過去の出来事を視ることができるのだ。ふふん。
……まだまだ練習中だけど。
「えっと……男性、ですね。黒髪で、結構格好良い……でも、なんていうか、かなり変人……いえ、極端な性格だったみたいですね。味方のことは身を呈して護るけど、敵は誰であろうと倒す。それと、戦いもそうですが、この人は心がとても強い方だった」
透視というのは、普通に目で見る感覚とは異なる。この銃のように、魂無き物体は自分で考えることはしないが、持ち主の思いや癖を記録する。
それは映像であったり、音であったり色々だ。この銃からはとにかく強い『意志』が伝わってくる。本当に色々なので、わたしはそれらを纏めて『視る』と言うことにしたのだ。
「なるほど。その人物の名前はわかりますか?」
「えっと、そこまでは……わかりません」
「そうですか。しかし、遺留品からそれだけ詳細な人物像がわかるというのは凄いことです。物体の経年劣化は、シスさんには関係ないようですね」
「あのー……この銃の持ち主の方って、先生のお知り合いですよね? わたしの透視、合ってます? なんか、この持ち主さんのことすっごく気になるんですよ。先生に負けず劣らずのイケメンに見えました。実際はどんな人だったんですか?」
勢いに任せて聞いてみる。でも正直なところ、わたしの透視が正解か不正解かなんて二の次で。
わたしはただ、先生のことが知りたい。彼は自分のことを何も話さないから。
……でも、
「そうですね……シスさんが視た通りの人物で合っていた筈です」
「本当ですか! それから? それから?」
「今日はこれで終わりにしましょう。明日はもう少し難易度を上げたものを用意しておきます」
「あう……」
眉毛一つ動かさないまま、先生は銃とテーブルに散らばったカードを集めて片付ける。手持ち無沙汰になってしまったわたしは、先生をじっと見つめる。
綺麗に整った顔立ちで、見た目は三十代前半くらいに見えるが、実年齢は不明。いつも古ぼけた銀縁の眼鏡をかけている。腰まで伸びた紅い髪は一つに結われており、いつも黒いセーターとグレーのスラックス、黒い手袋という地味な装いだ。
クールといえば聞こえはいいだろうが……彼はずっと、寂しそうな目をしている。わたしが精一杯ボケてみても、出会ってから十年間、笑ってくれたことは一度もない。
やっぱり、ダンピールとは一緒に居たくないのかな。自分がこうしてここに居ることに、急に申し訳なくなってしまう。
でも、涙で視界が滲みそうになった頃、先生がわたしを見て気まずそうに眼鏡を押し上げた。
「シスさん、僕はあなたのことを煩わしいとも、迷惑だとも思ったことは一度もありませんよ」
「え!? なな、何ですかいきなり! ていうか、なんでわたしが考えてたことがわかったんですか?」
「いえ、あなたが暗い顔をしていたので……銃の持ち主に関しては話したくないのではなく、話しが出来る程覚えていないんです。だから、シスさんは何も悪くありませんので、そんな顔しないでください」
ぱっ、と沈みかけていた気持ちが明るくなる。表情は変わらないものの、彼が自分の思いを言葉にするのは珍しい。
「……なんですか」
「先生、そういうことはキラキラの笑顔で言った方がいいですよ。絶対にモテます」
「モテなくて結構です。笑い方なんて、千年前に忘れました」
「ほほーう。ということは、千年前はキラキラしてたんですね?」
「…………」
あ、黙り込んでしまった。でも、これは希望が見えてきたのかもしれない。そう思ってガッツポーズを取りかけたわたしに、先生が目を細めて言った。
「シスさん。僕は、近い内にあなたが僕の元を離れて行くと思っています」
「え……それって、どういう意味ですか?」
「あなたが独り立ちする、という意味ですよ。あなたはダンピールである以前に、一人の人です。ダンピールとして前線に戻るのも、愛する誰かと添い遂げるのも、もしくは全く別の人生を歩むのもあなたの自由です。僕なんかに執着していないで、自分の道を好きなように歩みなさい。透視能力は、あなたが生きていく為の武器です」
もちろん。先生は続ける。
「シスさんが受けた仕打ちは、簡単に忘れられるものではないと理解しています。人間が許せないなら、許せないままで構いません。あなたを拾った責任くらいは、最後まで持ちますので」
「なんか、捨て猫みたいな扱いですね……」
でも、まあいいか。少なくとも、迷惑に思われていないならいい。
わたしはまだ、一人で生きていく自信がないから。もう少し、この生活を続けていたい。
「さて……これから何をしましょうか。午後の天気予報は晴れだったので、掃除や洗濯でもしましょうか」
「いいえ、これから雨が降ります。わたしは未来も透視出来るんです。お掃除とお洗濯は明日にして、今日は久しぶりにパンケーキが食べたいです」
「……仕方ない。ちゃんとお手伝いしてくださいね」
「了解です、ジェズアルド先生!」
わたしと先生は椅子から立って、キッチンへと向かう。この穏やかな日々が、永遠に続けばいい。わたしは神さまに願った。
でも、わたしは知っている。
神さまという存在は趣味が悪くて、いつだって人間で暇潰しをしたがるのだということを――
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