九話 魅了


「こ、この!!」


 ライラが銃を構えて撃つ。しかし放たれた弾丸を軽々と避け、神父様が一瞬で距離を詰めて槍を振り上げた。


「ライラちゃん。きみが自分の力を吸血鬼を屠る為だけに使ってくれたのなら、私は何も咎めなかったとも。でも、自分の欲を満たす為だけに力を振るって他者を傷つけるのは駄目だと思うよ、人間としては」

「吸血鬼に何が――うぐッ!?」

「きみとレクスくんの結婚式、楽しみにしてたんだけどなぁ」


 残念だよ。まるで突風のような槍に、ライラの身体が木の葉のように吹き飛ばされる。

 彼女の手から、真っ二つになった銃の残骸が零れ落ちた。咄嗟に銃で斬撃を防いだのだろうが、無傷では済まなかったらしい。

 激しくせき込みながら突っ伏すライラ。かつて愛した人が殺されかけている。止めるべきなのはわかっている。


 でも、俺のライラへの思いは既に跡形もなく粉々に崩れている。もう彼女を護りたいとは思えない。


 それに、俺は神父様の強さにすっかり魅せられてしまった。

 

「テメェ……ぶっ殺してやる!!」

「きみなんかに私が殺せるかな?」


 数多の吸血鬼を屠ったヴィクトルの剣を、神父様の槍が難無く受け止める。力の差は歴然だ。

 舞い踊るように優雅でありながら、心を塗り潰す程の圧倒的な暴力。これだ、この力だ。


 


「くそっ! くそっ、クソがぁ!!」

「そういえば、さっき言ってた『悪夢』って何のことかな? きみは今までに数えきれない程の吸血鬼を殺してきた筈だよね。ヒーローと持てはやされる程の実力者であるきみが怖じ気づくなんて……前にも同じような目に遭ったことでもあるのかな?」

「無駄口叩いてんじゃねぇ!!」


 銀色と紅色の斬撃が何度も重なる。火花が散る程の激しさだが、神父様の笑みは崩れない。むしろ更に深みを増すばかり。


「そうだな、例えば――」


 おもむろにヴィクトルの手首を掴むと自分の方に引き寄せ、彼の耳元で囁く。他に雑音が無いせいか、それほど大きな声でもないにも関わらず神父様の声が俺の元まで届いた。


「例えば、、とか?」

「――――ッ!?」


 この一言が、ヴィクトルに大きな隙を生み出した。神父様が薄く笑うと、そのままヴィクトルの腹に膝蹴りを打ち込む。容赦の無い一撃に、ついにヴィクトルの動きが止まった。

 剣を取り落とし、その場に崩れ落ちたヴィクトルが血痰を吐いた。対して神父様は「やっぱりね」と言って嘆息した。


「やれやれ。本当に低俗な男だね、きみは。教会の情報を綺麗に抹消したつもりだろうが、過去に犯した罪を無かったことにすることなど出来ないんだよ」

「がはッ、ぐ……テメェ、どうしてアイツのことを」

「気になるかい? でも、お喋りは終わりだ。神の御前で全てを明らかにし、罪を償うがいい」


 立ち上がろうとしたヴィクトルの背中を踏み付けると、神父様は両手で槍の柄を掴み刃先をヴィクトルの項に向ける。


 だが、槍がヴィクトルにトドメをさすことは出来なかった。


『お待ちになって、


 聞き慣れない声に、神父様の槍がピタリと止まる。無垢な少女のようでありながら、淫靡な娼婦のようにも思える猫なで声が響く。

 だが、肝心の声の主がどこにも見当たらない。血を流し過ぎたがゆえの幻覚かとも思ったその時、一匹のコウモリが夜の暗がりから姿を現してひらりと宙で踊る。

 驚くことに、声はコウモリから発せられていた。


『初めまして、ごきげんよう。わたくしが何者か、おわかりかしら。名乗った方がいいかしら?』

「……貴女がまだ自分の名前を把握しているとは驚きだね、『血の伯爵夫人マダム』」

『まあ! わたくしのことをご存知でしたのね? 嬉しいですわ、七番目さま。新たな真祖の登場に同席出来なかったのは口惜しいですが、わたくしはあなたを歓迎いたします』


 血の伯爵夫人。その呼称に戦慄した。今現在、一番力を持っていると思われる真祖の吸血鬼だ。

 コウモリは吸血鬼の眷属と言われているが、ここに居るコウモリも夫人が操っているようだ。ひらりひらりと神父様の周りを飛び回りながら、コウモリを通して夫人がクスクス笑った。


『あなたがようやく表舞台に上がってくださるなんて、わたくし感激ですの。聞こえるかしら、わたくしの胸の鼓動。退屈な演目に加わった新たな真祖。ですがどうかお待ちになって。そこに居るダンピールを殺さないで』

「私はこの者たちに攻撃され、傷を負った。何よりも彼らは罪深い。死は彼らが負うべき罰だよ」

『ええ、ええ。知っていますわ。見ていましたもの。あなたの槍はとても美しく、見惚れてしまいました。檻に入れてずっと眺めていたいくらいですもの』


 でも、と夫人が続ける。


『彼らもわたくしの退屈を紛らわすための大切な役者……いえ、玩具オモチャですの。まだ新品で、ねじを巻いたばかりのかわいいお人形。綺麗に着飾らせて、踊らせて、踊りに飽きたら手足をもいで苦痛に歪むお顔を愛でる。これがお人形遊びの醍醐味ですの。くるくると踊り始めたお人形を、あなたは壊してしまうの?』

「彼らは人形じゃない。私には貴女の考えが理解出来ない」

『悲しいわ。それなら、お人形遊びは諦めて、鬼ごっこでもしようかしら。逃げるのはあなた。鬼はわたくしと、わたくしの頼もしい兵隊達。どこへ逃げようとも、隠れようとも必ず見つけてさしあげますわ。わたくしがあなたを捕まえるか、あなたがわたくしを殺すまで終わらない鬼ごっこ。あら、考えてみると楽しそうだわ!』


 夫人の声が可憐に弾む一方、神父様の顔はどんどん険しさを増していく。

 繊細に整った美貌にあるのは、氷のような冷たい嫌悪感。


「ああ、いけない。私は神に仕える身。人間や吸血鬼など関係なく、全ての迷える子羊を導かなければいけないというのに。あなたと話していると、欲望のままに殺したくなってしまう」

『あら、怖いお顔。でも……、それなら……』


 ふと、夫人の声が聞こえなくなる。いや、声だけじゃない。痛みも、何もかもがわからない。

 意識が薄れ始める。死がそこまで来ているのを感じる。神父様に呼ばれても、もう返事すら出来そうにない。


「……わかったよ、夫人。今回だけは彼らを見逃してあげよう。急いでるから、話はこれで終わりにして欲しいな」

『嬉しいですわ、七番目さま。わたくし、あなたと直接的お話がしたいの。今度招待状を送りますので――』


 言い終わる前に、コウモリは槍に貫かれて地面に落ちる。喋るどころか、ぴくりとも動かなくなった哀れな死骸を尻目に、神父様は俺の元まで駆け寄ってきてくれた。


「やあ、お待たせレクスくん。もう大丈夫だよ」

「神父様……俺、は」

「心配しなくていい。神はきみを見捨てたりしない、私が保証するとも」


 言葉も上手く紡げない俺に笑いかけると、軽々と横抱きの形で抱えられる。

 しかし彼の歩みを、ヴィクトルが枯れた声で呼び止めた。


「くそ……待てよ、テメェ」

「悪いけど、きみを殺すのはまた今度だ。夫人の大兵団を相手にするのは、流石に骨が折れるからね。まずは彼女からどうにかしないと」


 ああ、でも。神父様が口角をつり上げる。


「もしも死にたくないなら、今すぐ剣を捨てて神の教えを学ぶといい。なんなら教えてあげようか?」

「クソッタレが」

「心変わりしてくれることを祈っているよ」


 そう言って、神父様は今度こそ歩き出す。ヴィクトルとライラは身体を起こすも、俺と神父様を追ってくることはなかった。


 

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