八話 裁きの槍
神父様が右手を頭上に上げる。すると、まるで見えない手から受け取ったかのように、彼は一本の槍を握った。彼の身長よりも更に長い槍は、柄から十字の刃の先まで紅い。
震え上がる程に禍々しく、涙が出そうになるくらいに神聖。
「し、神父様が吸血鬼だって!?」
「きゃああ!!」
「早く逃げろ、殺されるぞ!!」
悲鳴を上げ、我先にと逃げ出そうとした住人達。躓いた老人を踏み付けた者まで居た。
だが不意に、見えない手に地面に引っ張られるように、全員が沈み込むようにして膝をついた。
「な、なんだ……身体が、足が動かない」
「残念だ。神はきみ達をお見捨てになった」
神父様が静かに言った。その声にはいつもの温かみは無い。
全身を押し潰すかのような空気。まさに人間達に対して、立ち上がることすら赦さない神の眼差しのよう。
「私は何回も……いや、何十回、何百回と繰り返し教えた筈だよ。この世を作ったのは神であり、人間は神の慈悲と庇護の下でようやく暮らしていけるのだと。それなのにきみ達人間は、科学で神を侮辱した。もうきみ達に神の加護は届かない。神に代わって、私が断罪する」
神父様が槍を掲げる。切っ先から生まれた深紅の光が不気味な魔法陣となり、皆の頭上に浮かび上がった。
科学では証明できない超常現象。人間達は喉が裂ける程に声を張り上げ、必死に懇願した。
「ああ、そんな……お願いします、神父様! なんでもしますから、どうか命だけは助けてください!」
「娘はまだ十歳なんです! まだ何も知らない無垢な子供で、親もまだ必要な歳なんです!」
「ごめんなさい、ごめんなさい神父様。必要ならばお金でも何でも差し上げます。ですからどうか、赦してください」
大人達が子供のように泣きじゃくり、何度も謝罪を繰り返した。子供の頃から世話になった皆が、悲痛な表情を浮かべて神父様に赦しを請う。ほんの数時間前の俺がこの光景を見たのなら、俺も皆と同じように彼の前で跪いていただろう。
でも、今の俺の心は冷え切っていた。どこまでも自己中心的な大人達に。
そして神父様も、もう笑っていなかった。
「……はあ、人間は本当に愚かだ。たった今、私が言ったことさえ理解出来ないのか」
「それは、どういう――」
「神の意志は揺るがない。既に審判は下された。せめてその魂が、悪魔にかすめ取られることが無いように、速やかに死を受け入れなさい」
そして、罰は下された。頭上の魔法陣から雨のように降り注ぐ光の刃が、次々に村人達を貫く。
「が、あぁ……目が、潰れ」
「いたい……いたいよ、おかあさん」
「ああ、ルネ……そんな」
老人も、子供も。男も女も関係ない。この場に居る者だけではなく、光の刃は家屋さえ貫いて全ての村人を虐殺した。
しかし神父様の宣言通り、俺だけは光の雨に打たれることはなかった。
「私はきみ達が忌むべき吸血鬼。だからきみ達は私ではなく、神に赦しを請うべきだった」
槍を下ろして、神父様が悼むように言う。農村の空気は血生臭くなったものの、断末魔は途切れて次第に静寂を取り戻していく。
地面は一面の紅に染まった。転がる石も、雑草も全て真っ赤。
視界いっぱいに広がる地獄の中心。夜闇の中であるにも関わらず、十字の槍を携える神父様は何よりも美しい。
「ぐっ……て、めぇ。よくも、やりやがったな」
「おや、まだ生きていたのかい? さすが、科学が生み出した最高傑作とやらはしぶといね」
絞り出すような声はヴィクトルのものだ。彼も刃の雨に打たれたようだが、致命傷は免れたらしい。血塗れになりながらも剣を抜いて、よろめきながらも立ち上がっていた。
ライラも同じように立ち上がり、神父様を睨む。しかし先程までの気迫はなく、畏怖と焦りで瞳が揺れている。
「神父様……あなたは十年前、年老いた前任者に代わってこの村に来た。アタシは孤児院暮らしだったから、アナタのことはよく見ていた。でも……吸血鬼だったとは、今まで知らなかった」
「私は会った瞬間にわかったよ。ライラちゃん、きみがダンピールであることをね」
「それなら、どうして何もしなかったの? 子供とはいえ、ダンピールは吸血鬼の天敵でしょう? それなのに、アナタはアタシを殺すどころか首都に送り出した。吸血鬼を殺す術を身に付けさせた。それは、なぜ?」
なぜ! 大粒の涙を流しながら、震える手で銃を構えて、ライラは叫んだ。
「どうして……どうして今、村の人達を殺したの!? 殺すなら、村に来た時に殺せば良かったじゃない! 今までの十年は、アナタにとって何だったの!? 人間を飼い殺していたつもり!? 答えて!」
「ふむ、ライラちゃん。きみは誤解しているよ」
くすりと、神父様が笑う。
「私は吸血鬼である前に神父。神父の役目は、神の愛玩物であるきみ達人間を正しく導くこと。それは千年前、私が人間だった頃から変わらない。しかし科学のせいで人間達の目は眩み、神の威光が霞んでしまった。だからこそ、神はご自身の力を示す為、従順な下僕である私に永遠の命と、この槍を与えてくださった」
自らの胸に手を添え、神父様がうっとりと笑う。
「ずっと我慢していたが、私は決めたよ。きみ達のような存在が居る限り、いや……科学という思い上がった代物がある限り、神は力を取り戻すことが出来ない。だから破壊する。癌と同じように、病巣を切除しなければならない。この村のようにね」
「チッ、狂ってやがる。吸血鬼のくせに、神だの教えだの、どうかしてやがる。テメェも結局は他の吸血鬼と同じように、虐殺を楽しみてぇだけだろ」
「きみなんかに否定されたくないな。私が間違っているならば、神が私に罰を下されることだろう。神の
歌うように言葉を紡ぐ神父様に、ヴィクトルが吐き捨てる。確かに、神父様は狂っている。
昔から変わった人だと思っていたが。吸血鬼ならば、尚更おかしい。吸血鬼が神に傾倒することなんて、果たしてあるのだろうか。
「さて、お話は終わりだ。これ以上長引くとレクスくんが死んでしまう。ああ、念の為にきみ達の顔は潰さないようにしないと。見せしめ……というのは趣味ではないが、死体が誰かわからなくなってしまっては、意味がないからね」
神父様が俺を一瞥してから、槍を構える。口調は柔らかだが、声色は冷たく無慈悲なものだ。先程までの彼は、夜中でも急病人が居れば必ず駆け付けるような優しい人だったのに。
今の神父様は、無慈悲にヴィクトル達を殺すだろう。
そこまで考えて、俺は、自分の心が醜く歪んでしまったのを思い知った。
「う、うぅ……! 魔法に、『血色の槍』だと!? そんなこと、あり得ない! 七体目の真祖など、存在する筈が無い!!」
「オルセン!?」
奇声を上げながら、オルセンが銀色のナイフを構えながら神父様を目掛けて突進する。血走った目には、先程までの高圧的な気迫はない。
勝負にならないことは、戦いに関してまるで素人な俺の目にも明らかだった。
「――が、は」
「まずは一人。準備運動にもならないね」
三日月型の紅い閃光が、オルセンの上半身を斬り裂いた。鮮血が勢い良く迸り、俺の頬にまで飛んでくる。
くぐもった声を漏らして、オルセンの巨体は地面に倒れた。刃を濡らす血を払って、神父様が笑う。
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