七話 深紅の吸血鬼

「お? アンタがキュリロスか。随分古くせぇ格好だからジジイかと思ってたんだが、女みてぇな顔してんな」

「話を逸らさないで欲しいのですが。レクスくんは怪我をしています。どう考えても被害者はこちらです。それなのに、お金を要求するのはおかしいのでは?」

「神父様、レクスはヴィクトルに」

「ライラ、お前は黙ってろ」


 自分に盾突く神父様が気に入らなかったのだろうか。ヴィクトルはライラから手を離し、彼女の肩を突き飛ばした。


「言うじゃねぇか、アンタ。教会の下っ端のクセに、ダンピールの俺達に歯向かうのか? 教会への反逆は厳罰。知らねぇわけじゃないだろ。オレ達に仕える立場なら勝手な言動は慎め」

「私が仕えているのはきみ達ではなく、神です。ダンピールだろうが何だろうが、罪を犯した者は罰せられる。それこそが神の定めし世界の理、欲深いきみなんかが覆していいものではない」

「ククッ、アッハハハ! いいねぇ、説教されたのは久しぶりだ!」


 腹を抱え、声を上げて笑うヴィクトル。だが、紅の瞳は少しも笑っていない。凶暴な肉食獣を思わせる目に、睨まれていないにも関わらずゾッとした。

 彼は大笑いしながら、ふらりとオルセンの方に身体を向ける。


「オルセンよぉ、コイツは罰していいよなぁ?」

「ええ。田舎の神父が一人居なくなったところで、教会は何も困りませんので」

「そうだよなぁ? それなら……手加減無しだ。オレを侮辱した罰だ、そのキレイな顔面ぶっ潰してやるぜ!!」


 ヴィクトルがステップを踏むようにして再び神父様に向き直ると、あろうことか彼の顔を目掛けて拳を振りかぶった。

 野次馬から悲鳴が上がり、俺は反射的に顔を背け目を瞑る。それでも鼓膜に鈍い音が届く。

 恐る恐る目を開ける。最初に見えたのは地面に落ちる紅い雫。

 次に、目を皿のように見開いたヴィクトルの顔だった。


「は? 何だ、今の手応え……まさか、テメェは」

「……口の中を切ったか。まったく、体裁を整えるためとはいえ不快だ。


 底冷えするような声は、紛れもなく神父様のもの。彼が何を言っているのかまではわからなかったが、ヴィクトルに殴られて怪我をしたのだ。

 神父様から流れる血を見た瞬間、俺は何も考えられなくなった。


「ッ、ヴィクトル退いて!」


 ライラの鋭利な声に、視線が引っ張られる。目に留まったのは、彼女が構える拳銃だった。

 宵闇に紛れて獲物を狙うかの如く静かに、禍々しい銃口。ライラが銃を構えている姿にも心を抉られるものがあったが、更に衝撃だったのは彼女が狙いを定める先だった。

 

 考える暇は無かった。


「危ない、神父様!!」


 気がついた時には駆け出して、俺は神父様を突き飛ばしていた。

 次の瞬間、乾いた発砲音と同時に右肩に凄まじい痛みが走る。


「ぐっ!!」

「レクスくん!?」

 

 ヴィクトルに殴られたものとは比べ物にならないくらいに、意識が吹き飛びそうな痛みだった。でも、もはや痛みなんかどうでもいい。

 崩れ落ちる俺を受け止めてくれた神父様を護れただけで、十分だった。


「神父……さ、ま。だい、じょうぶですか」

「喋らなくていい! きみはなぜ、こんな無茶を……最悪だ、弾丸が貫通していない。臓器や血管からは外れているが、このままでは危険だ」

「もう……もう、いいんです。神父様、あなたが無事なら。俺を認めてくれるのは、あなたしか居ないから」


 温かく、意外と力強い腕で抱えてくれる神父様の胸元に縋る。これまでの人生を思い返してみると、彼はずっと俺のことを見守ってくれていた。

 こんなことになっても、たった一人で俺の為に怒ってくれた。十分だ。これ以上は何も要らない。

 ……ああ、でも彼に懺悔しなければいけないことがある。


「ごめんなさい、神父様……俺は、今まで神なんて信じていなかった。あなたは毎日のように教えを説いてくれたのに、信じようとしなかった。それなのに、都合良く神を頼ろうとしました」


 傷口から血が大量に流れ出ていくのを感じる。撃たれた右肩はもちろん、既に手足の感覚が鈍り始めている。

 俺はきっと、このまま死ぬのだろう。


「ごめんなさい……きっと、神が俺を罰したんですね。自分のことしか考えなかった俺に裁きを与えたんだ。今更後悔しても遅いとわかっていますが、せめて謝罪だけでもさせてください」

「レクスくん……」

「クソッ、ザコのくせに邪魔してんじゃねえぞ!」


 ヴィクトルの悔しそうな声に、思わず笑ってしまう。彼の我儘を阻止してやったのだ、なんて気分がいい。

 でも、この時の俺は、まだ気づいていなかった。


「何だよ、オレは夢でも見てんのか? どんな悪夢だ、どうやったら目覚められるんだ?」


 ヴィクトルの顔から笑みが消え、怒りと焦燥が露わになっていたことを。


「レクスくん……きみは、愚かだよ」

「あはは、わかってます……すみません、神父様」


 静かに目蓋を閉じ、神父様が言った。そうだ、俺は愚かだ。自分で自分の命を投げ出すなんて、愚かとしか言いようがない。

 神父様が怒るのも無理はない。だから謝罪した。意識が途切れるその時まで懺悔すべきだと思い込んでしまっていた。

 でも今になって、俺の謝罪が無意味だとようやく知った。


「でもね、レクスくん。私はきみを賞賛しよう。きみは己の過ちを認め、自ら償おうとした。欲深き人間では考えられない程に眩しい、なんと清らかな魂だ! 喜ぶといい。きみは必ず、神の楽園で永遠の安らぎを得られることだろう」

「……え?」


 神父様の声が歓喜に跳ねる。どういう意味なのかと聞くよりも先に、神父様が自分の髪を耳にかけて屈む。

 視界が暗くなり、ふわりと柔らかい感触が額に落ちる。


 次の瞬間――

 

「ッう、あぁ!」


 まるで電撃のようなが、額の傷口から指先まで駆け抜ける。ほんの一瞬だったが、弾丸の痛みを塗り潰す程の感覚に目がチカチカするようだ。

 紅く濡れた唇を舐め、神父様が微笑する。


「……ふふ。とっておきの果実は、やはり十分に熟れさせてから楽しむに限る。ここまで我慢するのに苦労したよ」

「し、神父……さま。一体、何を言って」

「でも、私は同胞達とは違う。滴る果汁は魅力的だが、飲み干してしまうのは勿体ない。永遠を与えられた私の役目は、あくまで救済だからね」


 動けない俺を地面に寝かせて、神父様がゆっくりと長い髪をさらりと払った。

 夜風に靡く黒髪が深紅に染まり、優しい深緑の瞳は狂気の紅に変わる。

 

「この村に来て十年くらい経ったかな。千年を生きた私にとって、瞬きの間の出来事だった。人間のフリをして、神への信仰を取り戻そうと色々試してみたが、人間達は科学などという玩具を振りかざし神を否定するばかり。更には権力と暴力で他者を貶し蜜を啜る愚か者まで現れたとなれば、いくら温厚な私でも裁きの槍を振るうことを躊躇わないとも」


 でも、安心するといい。鋭い犬歯を口から覗かせて、深紅の吸血鬼キュリロス神父は楽しそうに笑った。


「レクスくん、きみだけはゆるしてあげよう」

 


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