六話 失望
「そんな、一体どうして」
「アンタにはもう興味無いし、何の思いも無い。貰った指輪も捨てたわ。もう何年も手紙の返事を出さなかったから、アンタの方もとっくに切り替えてると思ったけど。意外と執念深いのね」
鼻を鳴らして、ライラは俺から視線を逸らす。
確かに、手紙を何通出しても返事は来なかった。忙しいのだろうと思い込むようにしていた。でも違った。違ったのだ。
彼女の裏切りと、自分の浅はかさが思考にひびを入れる。
「ふーん、要するにライラの元カレってやつ? 何だよライラ、この村に知り合いなんか居ねぇって言ってたじゃねぇか」
「どうでもいいって言ったのよ」
「冷てぇなぁ? こういう時って挨拶しなきゃいけねぇんじゃねぇの? オレ達付き合ってまーすって。なあレクス、お前もそう思うだろ?」
粘着質な笑みを浮かべるヴィクトルに、俺の中で何かが弾けた。今のライラは、五年前とはまるで別人だ。
どうして、こんなにも変わってしまったのか。何が……いや、誰が彼女を変えたのか。厭らしく笑いながら、大きな手がライラの腰を抱き寄せる。
……ライラに触るな!
考える前に、身体が動いた。
「お……、は」
「あ? 何か言ったか?」
「お前は、ライラに何をした!!」
硬く握りしめた拳を振り上げ、目の前にある笑みを目掛けて殴りかかった。そうだ、この男だ!
こいつが! こいつがライラを無理矢理に! ゲスな笑みを崩したかった。思い知らせてやりたかった。
それなのに、
「クハッ、何だそのひょろひょろパンチ」
「ぐっ、あぁ!?」
実力差は明らかだった。ケンカすらしたことがない俺が、歴戦のヒーローであるヴィクトルにかなう筈が無い。
簡単に避けられた上、代わりにヴィクトルの拳が俺の鳩尾にめり込んだ。内蔵が圧迫され、骨が軋む。重い一撃に堪えきれず膝をついた。
息が出来ずに、再び激しく咳き込む。歯を食いしばれば鉄錆の味が広がり、暗転しそうになる意識を必死に繋ぎ止める。
俺のこんな姿を見ても、ライラは何も言わない。
ただ、まるで死にかけたドブネズミを見下ろすかのような、そんな冷たい視線を俺に向けるだけだ。
「うぅ……ぐ、あ」
「ほら、これで終わりにしようぜ? ただの人間、それもお勉強大好きなインドア派が俺に勝てるわけねぇだろ。それに、ライラとも釣り合わねぇ。人間とダンピールは違う。お前なんかじゃ、ライラは満足出来ねぇ。そうだろ?」
「でも……俺は、ずっとライラのことを思っていたんだ」
彼女が居たから、今まで頑張ってこられた。彼女のために努力してきたのに。
こんな男に、全部メチャクチャにされてしまうなんて。悔しくて、溢れそうになる涙を堪えるために地面に爪を立てる。
そんな俺を見下ろすライラが、苛立たしげにため息を吐いた。
「みっともないわね、レクス。ヴィクトルの言うとおりよ。アタシ、アンタじゃダメなの。ヴィクトルじゃないとダメなの」
「で、でも――」
「ねえレクス、アンタがヴィクトルに勝てることって何かある?」
ライラの言葉に、空気がしんと静まり返る。
「エスパーダ大学を目指してるって、手紙に書いてあったけど……ヴィクトル、アンタもあの大学の卒業生だったわよね?」
「んー? ああ、そうだぜ。今年でオレは二十三だから……卒業したのは丁度十年前だな」
「じ、十年前って」
「博士号も持ってるぜ? 専攻は吸血鬼学。研究者になるつもりはねぇけどな」
そういえば聞いたことがある。ヴィクトルは剣術だけではなく、勉強の面に置いても優秀な彼は十歳の頃にエスパーダ大学へ編入し、飛び級で卒業した。
見せつけるように、指を折りながら数えるヴィクトル。彼の腕に身を預け、しなだれかかりながら、ライラが目を細めて笑う。
「強力な吸血鬼を殺す度に、使い切れないくらいのボーナスが教会から支払われる。誰よりも強くて、勉強も出来て、お金もある。レクス、アンタには何があるの? 言ってみなさいよ、口に出せる度胸があるならね」
「おいおい、やめろよライラ。田舎の人間とダンピールを比べるなって」
「あはっ、ごめん。ムカつきすぎてどうにかなりそうだったのよ。だって、今更こんな田舎のかび臭い宿屋に泊まるなんて思わなかったし、それに……途中で邪魔されちゃったから」
自分の下腹を撫でるライラに、ニヤニヤと厭らしい笑みを浮かべるヴィクトル。二人から伝わる、ねばつくような雰囲気に、俺の中で何かが崩れ落ちた。
彼女との思い出も、約束も、夢も。今までの努力ごと、全て壊されてしまった。もう何も考えられない。考えたくない。
それなのに、現実はどこまでも非情だ。
「あーあ、かわいそうに。レクスはずっとライラのために勉強していたのになぁ?」
「でも、ライラの言うこともわかるわ。レクスとヴィクトルだったら、ヴィクトルの方が圧勝でしょ。頼りがいも、お金も」
「レクスはライラとは違う。勉強が出来るだけの、ただの田舎者だ。身の程を知らなかったってことだな」
クスクス。野次馬から聞こえる嘲笑。娯楽の少ないクローゼ村の皆にとって、今の俺はさぞ刺激的な悲劇を演じているように見えているのだろう。
誰も助けてなんてくれない。同情すらしてくれない。このまま家に逃げ帰ろう。俺は悔しさに歯を食いしばって立ち上がろうとした。
その時だ。
「レクスくん!? 大丈夫かい、一体何が」
「お、オルセン殿! 村の皆まで、どうしたのですか」
驚きに目を見開く神父様と、真っ青な顔であたふたと周りを見回す村長さん。どうやら騒ぎに気がついて駆け付けて来たらしい。
「ひどい出血だ。見させて貰うよ、痛むかい?」
神父様が膝をついて、血でべったり濡れた俺の前髪をかきあげて傷を見つめた。
その手があまりに温かくて、優しくて。凍え切った心がほぐされ、今までよりも熱い涙が止まらない。
「し……神父、さま」
「かわいそうに、一体誰がこんなことを。とにかく、すぐに処置をしよう。立てるかい?」
「待ちなさい、キュリロスくん」
俺を立ち上がらせようとした神父様を止めたのは、村長さんだった。
駆け寄ってきた村人の一人に何かを耳打ちされた村長さんは、オルセンとヴィクトル、そしてライラに向かって膝をついた。
「こ、この度はレクスが……村の者が、ご迷惑をおかけしました。この通り、お詫び申し上げます。償いが必要ならば応じさせて頂きます。どうか、この村をお見捨てにならないでください」
「ふむ……ヴィクトル様、いかがしましょう?」
「そうだなぁ……ライラの珍しい顔が見られたから、オレとしては気にしてねぇけど。何も罰は無し、じゃあ示しがつかねぇからな。罰金一千万ユランくらいで良いんじゃねぇの」
「い、一千万ユラン!?」
村長さんが声を荒げる。一千万ユランだなんて、この村では一軒家を買ってもお釣りがくる大金だ。
下手したら、村は自壊する。だが、拒めば連座として更に大きな罰が与えられるだろう。
村人達が不安そうに見守る中、唇を噛み締めながら村長さんが頭を垂れる。
「わ……わかり、ました。すぐにご用意します――」
「払う必要はありません」
緊張と諦めの空気を裂くような声が、夜の帳の中で響く。
皆が驚愕に目を見張る中、堂々とした歩みでヴィクトル達の前に歩み出る神父様。
突然のことに、村長さんがその場から飛び退いて後退る。それくらい今の神父様からは、鋭い怒りが伝わってきた。
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