五話 裏切り


「このクソガキ! ヴィクトル様とライラ様の部屋の前で何をしていた!?」


 痛みとショックで起き上がれない俺は、見知らぬ男に引き摺られるようにして階段を降りると、そのまま外へと放り出された。丸太のような腕から逃れることが出来ず、俺はまるでゴミのように地面に転がるだけ。

 教会軍の軍服がはち切れんばかりの鍛えられた肉体に、腰元の拳銃。袖や胸元には勲章が煌めいており、かなり偉い立場の人間であることがうかがえる。

 年齢は四十代前半くらいだろいか。男の声に、村の人が何事かと心配そうな面持ちで集まってきた。


「れ、レクス!? どうした、何があったんだ?」


 顔面を真っ青にして駆け寄ってきたのは、宿屋の主人であるジョッシュさんだ。どうやら買い物に行っていたらしく、果物がいっぱいに入った紙袋を抱えている。


「ジョッシュさ……ゲホッ、ゲホ」


 事情を説明しようにも、痛みで咳き込んでしまって上手く喋ることが出来ない。

 そんな俺を見下しながら、男がジョッシュさんを睨みつけた。


「レクス? それが、このガキの名前か」

「は、はい。あの、オルセン様、レクスが一体何か」

「コイツはヴィクトル様とライラ様の部屋を盗み見していたのだ。一体何を企んでいたのかは知らんが、この件は教会への背信行為と見なす」


 そうか、この男がオルセンだったのか。

 オルセンはざわめく野次馬を鋭く見回してから再び俺を見下ろすと、地鳴りのような低い声で言った。


「貴様らのような田舎者でもわかっているだろう? お二人はダンピール、科学の英知によって生まれた我々人間の救世主である。そんなお二人の何を探ろうとしたのかこの場で白状せよ。場合によっては、この村を連座とする」

「連座!? れ、レクス! お前……何をしたんだ!?」


 連座。その一言だけで、周囲の空気が一変する。ジョッシュさんは顔面を青から赤に買えると、紙袋を放り投げて俺の胸ぐらを掴んで無理矢理起こした。

 普段は穏やかなジョッシュさんの、見たこともないような剣幕に背筋が凍てつくようだった。


「この、バカ野郎! 早く白状しろ! レクス、全部白状して謝罪するんだ!」

「お、俺は何もしていない。ただ、ライラを見ていただけで――」

「嘘を吐くな! わからないのか!? このままでは、この村は連座だ。教会の加護が受けられなくなれば、村の資金繰りが苦しくなって生活出来なくなる。それに、吸血鬼が襲ってきた時に教会が助けてくれなくなる。村の住人全員が殺されるかもしれないんだぞ!?」


 ジョッシュさんが声を荒げると、住民達からも悲鳴が上がる。確かに、この村は教会の支援によって保たれているようなものだ。

 教会の人間の機嫌を損ねれば、クローゼ村の人間は生活出来なくなる。

 貧しさに飢えて死ぬか、吸血鬼に殺されるか。突き付けられた恐怖に、この場に居る全ての住人達が俺を見た。

 いや、睨み付けたと言った方が正しい。


「謝れレクス! 早く謝罪しろ!!」

「親無しのお前をずっと世話してやっていたというのに、なんてことをしてくれたんだ!」

「謝りなさいレクス! ああ、オルセン様! どうかこの村を見捨てないでください!」


 まるで雨の中に居るようだった。浴びせられる罵倒が思考をずぶ濡れにして、汚物を見るかのような視線に全身が冷え切ってしまう。


「違う! 俺は何もしていない! ダンピールの二人をどうにかしようなんて考えたことなかった。そもそも、二人がこの村に来ていることすら知らなくて――ぐッ!?」

「口答えをするな! 謝罪するんだ、早くしろ!」


 突如、額に痛みが走る。地面に転がる拳大の石。誰が投げ付けてきたのかはわからない。知ろうとも思わない。皮膚が裂け、溢れる血で右目が塞がれてしまう。

 日常が脅かされる恐怖は理解できる。吸血鬼の恐ろしさも勉強した。

 でも、どうして誰も俺の話を聞いてくれないのか。それが一番怖くて、悔しい。


「おい、オルセン。そんなに大声出さなくても良いだろ、村中に響き渡ってるぜ?」


 不意に、聞き覚えのある声がオルセンを呼んだ。よく通る声は嘲笑を孕んで、ねっとりと厭らしい。俺は反射的に顔を上げた。

 背が高く、引き締まった体躯はオルセンとはまた異なる逞しさ。朝日のような金髪に、彫りが深い顔立ちに血色の瞳がぎらついている。腰に差されているロングソードが、彼が何者であるかを示している。

 ダンピール――人間でありながら、吸血鬼を屠る力を持つヒーロー。ヴィクトルだ。乱れていた服は正されているが、ところどころにシワがある。

 そして、ヴィクトルの後ろにはライラの姿もあった。何も言わず、何の表情も見せない彼女に、俺は思わず息を飲んだ。


「ヴィクトル様、しかし――」

「ジョッシュさん……だったか? アンタのオヤジさん、騒ぎのせいでオロオロしてたぜ。ここはもう良いから、行ってやれよ」

「は、はい」


 猫でも追い払うように手を振るヴィクトルに、ジョッシュさんは俺の胸ぐらを離して逃げるように宿屋へと戻って行った。

 さて、とヴィクトルが俺とオルセンを見比べる。この場に居る全員が、彼の言葉を待っていた。

 年齢は大して変わらない筈なのに、堂々とした佇まいは圧倒されてしまう。


「レクス、で良いんだよな。オルセンが悪いことしたなぁ? ただでさえ血の気が多いのに、急に俺達の遠征に付き合わされて不機嫌なんだよ」

「ヴィクトル様、こいつは」

「ここの神父に頼んでいた書類が、廊下に落ちていた。おつかいにでも来たんだろ。でも、店番があのじいさんだったからな。オルセン、お前を探しに二階へ上がって、たまたま開いていたドアからお前が居ないかを確かめようとした。そんなところだろ」


 悪かったなぁ? ヴィクトルが俺の前まで歩み寄り、手を差し出した。ヴィクトルの寛大さに誰もがほっと安堵しているが、俺は騙されない。この男は胡散臭い。

 それにこの手は、さっきまでライラを――


「ドアを開けっ放しにしていたオレ達が悪かった。気づいてはいたんだが、結構からそのままにしてた。最近マンネリだったんだよ」

「あんた……ライラと、どういう関係なんだ」


 差し出された手を無視して、俺は自力で立ち上がる。そしてヴィクトルを睨みつけた。


「あ? 見てわかんねぇ? 戦場では相棒、プライベートではパートナー。通りの関係だ」

「そんなッ、だって俺とライラは婚約者で――」

「はあ、見てらんないわ」


 俺の言葉を遮る声。今まで沈黙を貫いていたライラが、緩慢な足取りで俺達の方へやって来た。

 燃えるような紅いボブヘアに、青色の瞳。女性らしい凹凸が目立つ姿からは、噎せ返るような色香が漂ってくる。

 浮き出た鎖骨にある痕が花のようで、俺は堪えられず目を逸らした。


「ライラ……」

「レクス、アンタまだそんな青臭いこと言ってたの? 悪いけどアタシ、ヴィクトルを選んだから」


 ヴィクトルの腕に、自分の腕を絡めるライラ。見せつけられる左手薬指には、俺が贈った指輪は無い。

 

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