第1話 助けられちゃってすみません!?
それは暖かい、ある春の日の午後のことだった。
「うわああああっ! わざとじゃないんですよ~!?」
人々でにぎわう商店街の一角を涙を流しながら走り抜ける少年が一人。
少年はくすんだ灰色の短髪をふり乱し、絶叫を上げながら石畳が続く商店街の中を右へ左へと逃げ惑うが、土地勘がないことが災いしたのか、気づくと路地裏の行き止まりに追い詰められていた。
「てめぇなぁ、わざとじゃないで済んだら世話ねぇんだよ!」
筋骨隆々と言えばまさしくこのことだろう。
おびえる少年の全身に影を落とすほどの体躯を持つ巨漢は、拳を振り上げると少年の後ろをふさぐ壁を思いきり殴りつけた。
「ひいっ」
頬をかすめた拳から伝わってくる風圧と煉瓦製の壁が少し砕けるほどの威力をその身に感じた少年は、情けない声を上げてへなへなと地面にうずくまった。
「弁償代、50万ゴールド。しっかり払ってもらおうか」
男は少し煤のついた自身のズボンのすそを少年の眼前につまんで見せる。
「50万ゴールドなんてそんな額っ・・・・・・。それに、すれ違いざまにちょっとかすっちゃっただけじゃ――」
「つべこべ抜かすんじゃねぇやい! お前なぁ、兄貴が金で許すって言ってるうちに払っといたほうがええで?」
いかにもチンピラといった風な小男が巨漢の陰からひょっこりと顔を出し、少年の胸ぐらをつかみながらそんなことをいう。
「おい兄ちゃん。お前さぁ、そこの坂の上にある《マルノス魔術学院》の新入生だろ? それ、新一年生の制服だもんなぁ?」
「うっ・・・・・・」
巨漢の男が言う通り、少年は世界有数の
学校から指定された時間に遅刻しそうになった彼は、不運にも街のごろつきに難癖をつけられ、こうして追いかけられていたのだった。
男は少年の髪をつかみ上げ、その青く透き通った瞳をのぞき込んで口元をにやつかせた。
「あそこの学校はかなりの金持ちが通うおぼっちゃま学校って話を聞いたことがある。なぁ、親呼べよ。入学式ってことは一緒に来てるんだろぉ?」
親、その一言を聞いて、男たちに少年は初めて『言葉』を発した。
「ダメ、です。それはできません・・・・・・」
声をかすれさせながらもなんとかそういった少年だったが、次の瞬間、鈍い痛みが腹部を襲った。
「っぐ」
男が蹴りを放ったのだ。
足は少年のみぞおちの深くまできれいに突き刺さり、少年の体はガラクタのようにはじけ飛んで後ろの壁にたたきつけられた。
「ぅ・・・・・・あ」
肺の空気を強制的に吐き出させられ、悶絶する少年の頭を再度つかみ上げた男は人差し指と中指の二本を立てて少年の額に近づける。
「じゃあしょうがねぇな。あんましなめられてるのもむかつくし、お前のめん玉もらっていくことにするわ。結構高くつくんだぜ、これが」
男が口角の彫をさらに吊り上げ、笑みを深めたその時だった。
「あなたたち、そこで何をしているの!」
空気のくすんだ裏路地の一角にはあまりにも場違いな透き通ったその声に、男たちは思わず後方を向いた。
「あ――」
男の股下からその姿を視界に収めた少年は、しかし、それ以上の思考をすることができなかった。
腹部を蹴られた痛みよりも、自分が追い詰められている窮地よりも、助けを求める声よりも、その『少女』のもつ『可憐さ』のほうが圧倒的に優先度が高かったのだ。
少年と同じ制服に身を包んだ少女は、その腰まである美しく透き通った赤髪を後ろに流すと、同じく宝石のように輝く紅の双眸でもって男たちをにらみつけた。
「っ! いやだなぁ、遊んでただけですよ。遊んでただけ」
そううそぶく男を赤髪の少女は疑わしげに見つめる。
ふと、先ほどまでそこにいたはずの手下らしいチンピラが姿を消していることに少年は気が付いた。
まさか一人でこの場を去ったわけではないだろうが・・・・・・。
少年の疑問はすぐに解けた。
「へへっ、後ろがお留守だぜぇ!」
木製の空箱を振り上げたチンピラがもの陰から飛び出し、少女に殴りかかろうとする。
「あぶな――」
やっとの思いで少年がのどから声を絞り出した、その直後だった。
「それ、燃えていますよ」
「へ?」
なんとなしに少女が小男を一瞥した瞬間、ごう、と空気を熱風が震わせ、突如として巻き起こった業火が小男の全身を包み込んだ。
「ぅあああああああああ!? 俺が、もっ、燃えてるぅ!?」
小男は空箱を地面に取り落とし、地面を転がりまわるが、炎が消える気配はない。
少女は興味なさそうに巨漢の男のほうに視線を戻すと、反して凍てつくような視線でその顔をとらえた。
「随分と暴力的な『お遊び』をしていたようですね。私もぜひ仲間に入れてもらいたいものです」
パチン、と少女が指を鳴らすと、一拍おいて男の口から火柱が吹き上がった。
「お!? おああああああっ!?」
あまりに突然の出来事に成すすべなく倒れる巨漢の男。
この世界では《魔術》と呼ばれるその力は誰もが使えて、しかし、『使いこなせる』のはごく一部である奇跡の力。
そして、少年には絶対に使えない力だった。
しばらくその様子を呆然と見ていた少年に、少女はゆっくりと歩み寄るとハンカチを差し出した。
「血が出ています。これを使ってください」
先ほどまでの冷たい視線はどこへやら、一転して優しく微笑む少女から言われるがままハンカチを受け取った少年は、ほおけたまま一通り出血した場所を拭き終わると、ふき取った自分の血液でぐっしょりと濡れた、元は白かった少女のハンカチに視線を落とした。
「あの、これ・・・・・・」
金糸で繊細な刺繍が施されたそのハンカチはかなり高価なもののように思われたが、この汚れではおそらく、もう使い物にならないだろう。
少女に助けてもらったといういたたまれなさと自分自身の情けなさ、そしてあまつさえ助けてもらったというのにハンカチを汚してしまったという申し訳なさの三重苦に圧迫されている少年の表情を見てか、それが元来の優しさというものなのか、少女はその白く透き通った両の手のひらで少年の手を包み込むと、そっと抱き寄せて己の胸の内に包み込んだ。
女の子特有のいい匂いが鼻腔をくすぐり、つややかな赤髪が少年のほほにもかかる。
「いいんですよ。きっとあなたに落ち度はありません。情けなくなんてないですよ」
その一言でようやく冷静さを取り戻した少年は、次に自分の今の態勢を顧みて、急いで体を引き離した。
「あ、ありがとう・・・・・・ございます。その、難癖をつけられてこっ、困っていたんです」
少年が顔を上げると、少女はにっこりと微笑み、少年の手を取った。
「さ、行きましょう。彼らはこの街で有名なごろつきですが、憲兵に調書を取られていると入学式に間に合わなくなってしまいます」
全身を煤だらけにしてぴくぴくと痙攣する二人の男を横目に、二人は表通りに戻る。
商店街は緩やかな丘の上に立つ《マルノス魔術学院》への道に沿って店を展開しており、坂のふもとである二人のいる場所から頂上までは十分ほどかかる。
「私はセレーナ。君は?」
「ぼ、僕はレイ。レイ・アスタルテといいます」
少女――セレーナは「レイ君、ね。うん。いい名前」と小さくつぶやくと走る速度を上げた。
手を握られていたレイは急なスピードアップに引きずられそうになりながら、何とかその後ろについていく。
「ちょ、ちょっと待ってください。どうしてそんなに急ぐんですか? 入学式にはもう間に合う時間なんじゃ・・・・・・」
急がなければいけない、とはいいつつももう十分くらいの余裕はあったのだ。
そんなレイからの問いにセレーナはこともなげに答えた。
「ごめんね。私、新入生代表挨拶任されてるから本当はもっと早く来ないとだったの」
「え!? し、新入生代表・・・・・・!?」
レイの額をつう、と嫌な汗が伝った。
《マルノス魔術学院》において新入生代表挨拶とは、厳しい入学試験を首席で通過したエリートの中のエリートが任される重役。
そして大体の場合、その重役を引き受ける名誉を受け取るのは古くから続く魔術の名門の子息なのだ。
普通の一般市民ならば今すぐひざまずいても、特に疑問を持つものはないというレベルである。
が、レイの冷や汗の意味はその『一般的』なものとは少し違った。
「はぁ、さっそく不運だ・・・・・・」
「? 何か言った?」
レイが漏らしたつぶやきに聞き返したセレーナに、レイはぶんぶんと首を振って否定するのだった。
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