Re:port 10.5/ミキの、労い

 あれから、かなりの年月が経った。

 ナオくんは、かろうじて一人娘を養えるくらいには有名になって。

 限り限りギリギリ専業作家として生きて行ける程度には運に味方されて。

 少しずつ、ネガティブな部分も改善されて。

 仲間が減ったり増えたりしつつ、一喜一憂しつつも、なんだかんだ毎日、楽しそうで。

 未来みきちゃんにまでイジられたり、奥さんともコントや喧嘩けんかを展開しつつ、どうにか離れずには済んで。



 私の方はというと。

 最初こそぎこちなかったけど、互いに謝罪と猛省、対話を済ませ、ハクもようやく受け入れられ、溶け込んで。 

 けど、担当が担当なので、満場一致で、ライキング入りはしない方向で纏まって。

 ハクがセーブしてくれるおかげで、それ以降、危ないブレストも生まれずに済んで。

 今ではすっかり毒舌、小生意気キャラとして定着しつつあって。

 姉、母親の私としては、肩の荷が下りた気分だったりする。



 そんなこんなで、ここに至り。

 私の目の前には今、待ち焦がれた相手が。

 ボロボロ、ヨボヨボになった、ナオくんがる。



 さきに私は、駆け出し、座り、彼を包んだ。

 心身共に傷だらけの彼を、少しでも癒せる、労えるように。



「……お疲れ様。

 ナオくんは……く、頑張ったよ……」 



 欲目でも、ましてや建前でもい。

 ナオくんは本当ほんとうに、本当ほんとうに、く頑張ったんだ。

 昔からは、想像にも及ばないほどに。



 原作も空気も読まない愉快犯による誹謗中傷、炎上の嵐。

 反抗期に突入し多感になった未来みきちゃんと、世間体の悪い職業による、微妙な親子関係。

 風評被害もい所な、明らかに崩壊した、恵まれないメディア・ミックス。

 キャスト、スタッフの、相次ぐスキャンダル発覚と、それに伴っての打ち切り。

 SNSをやってすらいないのに、彼を騙るアカウントやチャンネルの悪巫山戯ふざけによるバッシング。

 彼に嫉妬した当時のクラスメートにより挙げられた、虐めの暴露と、それ絡みの大騒動。



 そして、なにより。

 最愛のパートナーとの、死別。


 

 彼の人生で、断トツの不幸に見舞われた日。

 趣味界ホビジョンも、天変地異の真っ只中だった。

 後追いしようとする彼の自殺衝動を、どうにかハクが内側から押し留め。

 同時に私も、彼の理性と生気しょうげ、記憶の維持に専念。

 大切な人との絆を断ち切らせないよう、ユカリも尽力してくれて。

 そうやって、すんでの所で、しくも持ちこたえたのだ。



 ナオくんは、それすらも乗り越え、立ち上がった。

 夢さえ満足に見られず、私を始めとしたブレストにさえ会えないほどに、疲弊したまま。

 拠り所をいくつも失いながらも、残された家族、友人のために、幾ばくかの天命を、心火を全うせんとした。

 本当ほんとうに、強くなった。

 


 そしてついに、その日が訪れた。

 ミキちゃんや孫、友人、親戚。

 沢山たくさんの人に看取みとられて。

 ナオくんは、粛々と、外界を去った。



 そうやって、天国ここまで来たんだ。

 縛りも支配も使命も消えて。

 ようやっと、記憶が引き継がれる形で、私と真面まともに、対等に話せる場所まで。



 過酷だった。

 誇張でも冗談でもく、過酷だった。

 特に、今日。

 意識が薄れるに連れ、復活も敵わないまま、何十年も連れ添った仲間達が、今度こそ消え。

 たった一人、私だけが置いて行かれた。

 あの日の恐怖の再来となった、ナオくんの命日が。



 苦しかった。

 見ていられなかった。

 喉も体もひしゃげそうなまでに、何度も何度も叫び、訴えた。

「逆効果でしかないと、「理性も気力も損ない、彼の死を早めるだけだ」と分かっていても、彼に直接、会いたくなった。

 そんな衝動に駆られても、必死に我慢した。

 少しでも長く、多く、彼のそばる人達の声を届けたかった。

 彼の命を、人生を、守ってみせたかった。



 彼の今際いまわの時を、そうして私は過ごしていた。

 この体を、世界を、使命を、禍々まがまがしく呪いながら。

 けど、それすらもまだ温かったのだと思い知った。

 彼の理性や気力、記憶を担当してこそいるものの。

 私は、彼の心の全てを把握しているわけではなかった。



 とどのつまり。

 彼は、私や、私の想像などより余程よほど、厳しかったのだ。

 それこそ、死の痛みと恐怖から開放された今でさえ、一言も発せられないまま。

 精神体となった今なら、見た目だって若かりし頃に戻せるのに、その調整すら出来できない、しようとさえ思えないまま。

 


 一歩も動けず、眼球すら移動せず、呼吸すら覚束ない。

 それ程までに、今の彼は疲労困憊、茫然自失としていた。

 きっと今、私に包まれていることさえ、認識出来できていないのだろう。

 


 当然だ。

 彼の興味の先は、一つ。

 いや……一人に、絞られているのだから。



「直希」



 後ろで待ってくれていた彼女が、愛しき伴侶の名を、静かに呼ぶ。



 それまで指一本、ピクリとさえしなかった彼の肉体。

 にもかかわらず、耳が反応。

 次いで、キャビアみたいに真っ黒だった両目に、徐々にハイ・ライトが灯り。

 干からびていた体が、活力を取り戻して行き。

 


「あ……。

 ああ……。

 ……あぁ……!!」



 辿々しいながらも、若返ったナオくん。

 焦点と視線の合った、愛する妻の元へ。

 ナオくんは、一目散に走って行った。



 ーー私の体を、すり抜けて。



 ……やっぱりか。

 そういうことだと思った。

 私は、ナオくんの心に巣食う精霊であり、間違っても人間ではない。

 そして今の私は、ビフレストで外界に降り立ったわけでもないし、夢の世界に存在しているんでもない。

 


 今の私は言うなれば、ナオくんの魂に付着していた、残滓ざんし

 成仏寸前の霊体のような物だったのだ。

 


 なんて、罰当たりなことを考えていたら、ほら。

 もう、体が透けて来た。

 まるで、ナオくんと別れた、あの日みたいだ。



 なんだ。

 別に、どこも不思議じゃない。

 ナオくんは、『私を認識していなかった』んじゃない。

 今の私こそが、『認識されない』状態にあっただけのこと



 ……本当ほんとうに。

 どこまでも、笑わせてくれる。



 泣く気力すらいまま、私は上を見上げる。

 無論むろん、そこには、空なんて広がっていない。

 なにい、真っ白な空間が、だだっ広く展開されているだけだ。



 ……神様。

 るのかどうかも、何故なぜ私を生み出したのかも分からない、神様。

 最後の最後まで、私に一方通行をい、しいたげた神様。

 あなたは、本当ほんとうに、最低で、悪趣味だ。

「最後だけは」と。

「ナオくんが死んでからは」と。

「未来では、きっと」と。

 そう信じていた私を、あなたは徹頭徹尾、嘲笑っていたんですね。

 まさか、ナオくんが死んでからのが辛いだなんて、思いもしませんでした。

 これ以上の地獄が、よもや天国で待ち構えていただなんて。



「ホンット……。

 ダメダメだなぁ、私は。

 さっすが……ナオくんに作られただけあるよね」


 

 自嘲しながら、私は二人を見た。

 結婚した当初の姿で、互いの健闘を称え、抱き合い、キスしている二人を。



 ……落ち込むな。

 別に、悪いことばかりじゃない。

 これでナオくんは、誰にも苦しめらなくて済む。

 誰にも酷いことをされないまま、平穏無事に、最愛の人と過ごせるんだ。

 もう、私が介入、介護する必要なんて、どこにもい。



 私は、役目を終えた。

 二人にとって、不必要な存在になった。

 これは、祝福すべき門出。

 ナオくんが立派に成長した、生き尽くした証左だ。



 これから二人は昔、新しい友達と共に、幸せに暮らして行くのだろう。

 まるで違う生活に苦労し、ゆっくりと慣れて行き、楽で快適な暮らしに違和感いわかんと罪悪感を覚え、行く行くは満喫するのだろう。

 その過程で、私のことも、いずれ忘れる。

 あるいはすでに、すっぽ抜けつつあるのかもしれない。

 私の体が消えかかっているのは、その兆しなのだろう。



本当ホントに……。

 無駄な命だったなぁ……」

  


 ちゃんと話せたのは3、4日だけ。

 その間だって終日、密着だったわけではない。

 トータルしたら、1日にも満たない。

 あとは全部、わたしの中だけ。

 届かないのを承知で私が、一方的に、思ったり、愚痴ったり、叱咤激励したり、泣いたり、実況したり、煽ったりしただけ。

 まるで、観戦でもしてるかのようだ。

 なんて切ない、せん無い生だったのだろう。



 自分の無力さ、無意味さ、無価値さに押し潰されそうになる。

 心なしか、透明になるペースが上がった気がした。

 


 そうだ。

 もう誰も、私のことを気に掛けてくれない。

 誰も、私なんて、覚えても、覚えててもくれない。



 本当ほんとうに……独りぼっちだ。



「ミキ」


 背景と同化しつつあった私を、優しく抱き締め、包んでくれた。



 振り返らずとも、取れる。

 再会したばかりの頃は、こんな風になるだなんて、考えもしなかった。

 私の妹で、娘。



「ハク……」

「そうだよ。

 ミキの、バーカ。

 ずっと呼んでるのに、気付かないでやんの。

 どんだけ、パパにご執心なのさ。

 正直、ちょっと妬いたぞ」



 悪戯いたずらに笑い、頬を小突くハク。

 後ろを見れば、顔馴染みのみんなが、一堂に介し、私を手招きしていた。

 見渡す限りの料理を並べ、各々おのおのの分野のセットを作り、装飾だらけにして。

 まるで、手ぐすね引かれてるような大歓迎振りだ。



 ……そっか。

 私、無駄じゃなかった。

 ちゃんと、意義が、居場所が。

 ご褒美が、ったんだ。



 私は、ナオくん達の方を見た。

 すでに、同僚たちとどんちゃん騒ぎをしていた。

 想像力だけで作れるらしく、次々に料理やジュースにあり付いていた。

 


 一様にして、満ち足りていて、うれしそうで、幸せそうで。

 そしてなにより……希望に満ちていた。



「……そっか」



 私は、保護者としての任を解かれた。

 もう、ナオくんのお世話は要らない。

 これからは、人間だけで、なんとでもやって行ける。

 精霊ブレストの力を借りずとも、平気だろう。

 そう思うと、自然と心が安らぎ、軽くなった。



 思った通り。

 私の、ナオくんに対する執着心は、あくまでも『母性』『プライド』『アイデンティティ』のみ。

 そこに、特別な好意などは内包されていなかったのだ。

 


 私は結局、やっぱり最後まで、ナオくんとは大して喋れなかった。

 でも、彼は今、すこぶる笑顔だ。

 残念ながら、その一員にはなれなかったけど。

 これまでの道は決して、平坦でもぐでもなかったけど。

 散々さんざっぱら、迷惑、困惑させたけど。

 その団欒まで辿り着けた一因に、私が含まれていたのなら。

 それだけで、私は本望だ。



 胸に手を当て、深呼吸し、立ち上がり。

 ハクと手をつなぎ、私はナオくんにげる。



「良かったね、ナオくん。

 もう、寂しがったり、苦しんだりする暇さえ無いね。

 これからも、みんなを大切に。

 末永く、お幸せに」



 今度という今度こそ、本当ほんとうにおしまい。

 金輪際こんりんざい、ナオくんたちには会えない。

 でも、他の言葉が見付からないし、見付けたくない。

 私達の関係を、寂しい、悲しいままにしておきたくない。



 だから、えて言うんだ。

 もしかしたらまた会えるかもしれない、その時を願って。



「……また、未来」 



 明るい言葉で締めて。

 ハクと共に、私は仲間達の元へと、笑顔でダッシュした。

 意識せずとも、振り返らずに。

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