Re:port 5.5/ミキは絶対

 ナオくん(とお達)とのデートを終えた夜。

 私は、趣味界ホビジョンに聳え立つ巨塔に呼び出された。



「うっ……」

 見渡す限りの、本、本、本。

 無数の本棚から発せられる存在感、威圧感に押され、私は早くも、この窮屈でしかない場所を抜け出したい気持ちになった。

 別に、部屋が寒かったり狭かったりするわけじゃない。

 ただ、この、四方八方、地面から屋上まで本棚がズラーーーーーっと並べて広げられている、この景色が苦手なだけだ。

 何より……ここは説教部屋としても、悪名高いからだ。



 うーん……今回は、どんな用件かなー。やっぱ、ビフレストがらみかなー。

 リアにさえ、あんなに苦言を呈されたもんなー。4人には、バレないようにお願いしてたんだけどなー。

 流石さすがにヒョイヒョイ行き過ぎたかなー。関係無いけど一瞬、ラブライ◯過ぎったなー。

 そりゃあ、『ずら』と『本』と来れば、ねぇ……。



「ひっ!!」

 ギギギッ……と、巨人でも通るのかってレベルで大きな門が開かれ、入って来た部屋の主の手の振りに合わせ、バタンと締められた。

 そして、色んな雰囲気に当てられビクビクしていた私を、この場で際立って物々しいオーラを発するフミが、睨んだ。



「……来ていたのか。

 お前が俺より先にるとは思わなんだ」

「い、いやー……。

 ことと次第によっては、ってゆーかー……」

「……ふん。お前も多少は成長したというわけか。

 そろそろ俺も、理性おまえの代理の任を本格的に解く頃合いかもしれんな」

「あ、あはは……。

 お褒めに預かり、恐悦至極にございまする……」

 ……よもや、このせかいにリアよりも偉そうな相手がるとは、最初はてんで思ってなかったなぁ。

 ていうか私、本当ホントに古参ってか初代だよね? みんな、知ってるよね?

 いや、別にリスペクトとかまでは求めてないけど、もう少しこー、なんてーかさぁ。



「ん?」

 態度に困り、隠すためにも右手首(のビフレスト)を触っていると、その感触が不意に無くなった。

 そして、気付けば私の目の前に立っていたフミが、自分のを右手に装着した状態で、ビフレストを見せびらかして来た。

 ……奪われた?



「返してっ!!」

 それまで殊勝なスタンスを貫いていた私は、即座にビフレストを強奪した。

 意外にも、フミはすんなりと、特に拒む色も無く取られてくれた。そして、空いた右手で本を生み出し捲り出した。

 今日も今日とて、考えが読めない。不気味だ。これだと、何か尋問されてるみたいだなぁ。何かだなぁ、自業自得とはいえ。

「ミキ。お前はビフレストについて。

 いや……ブレストが外界げかいに行く。

 それについての説明のあらましを、リア達から受けたか?」

「うぇっ!?」

 大して意に介してなさそうな反応に意表を突かれつつレモ○みたいな声を発し、手遅れなのを百も承知で、私は敬語なんぞ使い出した。



「え、えと、まぁ……一応?

 はい……」

「なるほど。本質には至ってない、か……。

 本当ほんとうに……我が主は、どこまでお人好しなのだ。

 ここまでじかに、ブレストに影響を及ぼそうとは……」

 カッ、カッ、カッと音を出して明後日な方向へ歩き天井を仰ぎ、キュッと靴を鳴らし一旦、本を閉じ振り向くフミ。



「よかろう。ならば、俺が語らん。状況が状況なのでな。

 このまま野放し、看過など到底、出来できん。

 事態は一刻を争うのでな」

「え」

 あ、あれ? なんかフミ、妙に物分かりい? 話が早い? なんで?

 いつもはもっと、偏屈ってか、関係無い所までガミガミ説教するくせに。

 それほどに危険な状態って、何?



「時に、ミキ。

 我等が主とお前が共にさい

 主は、どこか疲れた様子ようすではなかったか?」

「え?」

 フミに誘導され、私はナオくんと会っていた時を回想した。

 ……言われてみれば、確かに不調だったかも?

 なんてーか……普段より自信なさそうってーか、活気が無かったってーか……。



「……うん」

「では、リアに会っていた時はサボタージュを望んではいなかったか?」

 ……そういや、ニ倍疲れてそうではあったな。

 てっきり、強烈なのに連続で絡まれたからかとばかり。



「……うん」

「では、フー……リラクゼーション担当に会っていた時は、眠気や疲れを忘れてはいなかったか?」

 ……確かに、急にシャッキリしてた。フーたんの可愛さに魅了されてハイになってたのかと。

 関係無いけど今、仏頂面のフミが初めて可愛く思えた。

 そっかぁ……『フーたん』って呼べないのか。恥ずかしいんだ。あれが正式名称だしなぁ。

 真面目まじめだから、省略したり改名したり出来できないんだなぁ。



「ぎゃっ」

 余計かつ不名誉なことを考えていたからか、フミは紙飛行機を作り私のおでこに飛ばして来た。

 く〜っ……書籍担当だけあって、こういうのも作れるのか……。紙ではあるしなぁ……。

 にしても前言撤回、やっぱり長ったらしいなぁ……。



「結論を言おう」

 数秒後。頭を襲う痛みが治まった頃、そうフミが切り出した。



「ミキ。

 お前が現在、行っているのはすべて、まったもって無意味、そして裏目に出ている」

 ピタッ、と。一瞬、私の動きが止まった。

 それまで脱線したことばかり考えていた私の心と脳内が、シリアス一色に染められた。



「……なんで?」

 静まり返った図書館の塔。

 しばらく考えても理解出来できず、私は最短ルートに入らざるを得なくなるレベルまで追い詰められ、フミに掴みかかる。

なんで……!! ……なん、でぇっ!!」



「お前は我等、通常のブレストとは根本的に似て非なる存在であるゆえだ」

 私の両手を穏やかに払い、フミは種明かしをする。

「ミキ。よく聞け。

 お前は、このせかいから離れてはならない。

 お前の不在……それすなわち、我等が主の理性、生気しょうげ、記憶の崩壊に他ならぬのだ」



 ーーナニヲ、イッテルノダロウ。

 ーーイッタイ、フミハ、ナニヲイッテルノダロウ。



「お前も知っての通り、我等ブレストは主、君生きみじょう 直希なおき殿どのの中に住む、好奇心の塊。

 我等の不在は、趣味の有無に等しい。ゆえに、リアが現出したさい、主は仕事へのモチベーションを失っていた。

 同様に、リラクゼーション担当と会した場合には、主は眠気や疲れを忘れていた。

 つまり、ブレストが外界げかいに行くということは、その間、くだんのブレストの司る趣味に対する興味の一切を、主は失くしてしまうのだ。

 そして」

 曖昧模糊とした私を覚醒させるためか、私の目の前で少し雑に本を閉じ、フミは今回の主目的を明かす。

 まだ完全に目覚め切れてなくても、はっきり言える。

 それは、苦虫を噛み潰したようなフミを初めて見たということ

 そして、この展開も、今のフミの姿も、妄想や悪夢、記憶違いや錯覚では無いということ



「ミキ。お前の不在は最大、最悪の損失だ。

 お前が外界そとに出る。

 ただ、それだけのことで、主は理性、生きる気力を失う。

 すべてのブレスト、あまつさえ主本人の命に直結、左右する、危険極まりない異常事態になるのだからな」

「……」

 視界も足も思考も定まらないままフミから、あまりにむごい真実、現実から逃げるべく、私はフミに背を向けた。

 一歩目から踏み外し、バランスを崩し、私は派手に転んだ。

 最早、事故ったと言った方が適切なレベルで。



「おい」

 私に駆け寄り引っ張り起こしてくれようとするフミ。

 そんなフミの手を、私は出せる限りの力を込めて叩き、拒絶した。

「……あんたがやればいじゃん」

 そして最低な、どこまでも自分勝手な台詞セリフもって、突き放した。



「私が眠ってた時みたいに!!

 あんたがデータや規律を守ればいじゃん!!

 私が寝てようが外にようが、同じでしょぉ!?

 結局、働いてないんだからぁっ!!」

「そうはならん。いか?

 そもそもビフレストとは、主が五感で捉えた物しか覚えられない我等が見聞を広める為の物。

『百聞は一見に如かず』の精神の下、就寝中など主の心に悪影響の無い時分に、おのが趣味を開拓するために作られた、玩具のようもの

 加えて、実際に主の面前に立ち、主が無意識の内に主の精神、すなわ趣味界ホビジョンにブレストの不在を認識させなければ、負荷は最小限、ほとんど平時、平静と遜色ない程度まで抑えられる。故に、ビフレストの使用によるブレストの不在は、不労扱いにはならんのだ。

 本来の用途であれば、さして気に留めるまでもない、些細な案件なのでな。

 故に、お前がらずとも趣味界ホビジョンは、このせかいでお前が存在し、機能していると見做す。

 俺に代わりを務めさせようなどと何故なぜ、考えようか。お前が寝ているうちに俺が代理を努めていたのは、異例中の異例、他の人間の趣味界ホビジョンですら類を見ない、起こり得なかった、緊急、延命処置でしかないのだ。

 事実、他者はさておき俺自身は、お前の代わりを満足に務められていたなどとは口が裂けても言えん。あの混沌と後悔と自責の念でのみ構成された十三年間は、俺の生きて来た中でも最大、最低の黒歴史だ」



「そもそも、そこがおかしいじゃん!!

 だったら、私の代役を作り直せばいじゃん!」

「理性と生気しょうげの定まらない状態で、如何いかにして、理性と生気しょうげを定める存在を作ろうというのだ。

 それ以前に、お前が眠っている間、主は何にも興味を持たなかった。

 無趣味、孤独を貫いていたのだ。

 お前は気付きづいていないようだが、ミキ。

 お前が起きてから必要によって新たに補填された者を除けば、お前の睡眠以降、ブレストは一体も作られなかったのだ。

 リアも、ロマも、リラクゼーション担当も、最初から実在していたのだ。

 それまで存在していたブレストだけで、かろうじて、しくも、奇跡的に、十ニ年も凌いだのだ。

 成長さえ許されないまま、な」



「……っ!!

 私が実際に目の前に現れても、ナオくんは懸命に動いていた!!」

「古本屋、及び喫茶店には、主の仲間がた。そして今日は、主は仲間と会っていた、または会う約束をしていた。

 分かるか? 主は、自分のために動いていたのではない。

 お前や、主の仲間のために、すんでに命すらかなぐり捨てるところを、寸前で免れていたにぎないのだ。

 お前も思っていたはずだ。『君生きみじょう 直希なおきとは、他者がでこそ真価を発揮する』のだ」



「……」

 ……駄目ダメだ。もう、終わりだ。論破だは出来できそうなポイントが、見当たらない。

 すべて……本当ほんとうなんだ。



「解したか?

 自分が如何いかに愚か、浅はか、間違っていたのか。

 自分の一方的な、目先の目的ばかり優先し、みずからの思い通りに主を操らんためにビフレストを行使しようなど笑止千万、言語道断、不正使用、法令違反、このせかいの全ブレスト及び主への冒涜もはなはだしい」

「……ないじゃん」

 ひざき、直立すらままならない状態で、私はりったけの憎しみを込めて、フミを睨んだ。



「……仕方しかたいじゃん!!

 私は、みんなとは違うのぉ!! みんなみたいに、簡単には行かないのぉ!!

 最初に作られたブレストなんだよ!?

 一人の人生と精神が、そのまま担当分野なんだよ!?

 ナオくん本体に他ならないんだよ!?

 みんなみたいに、味わったり楽しんだことだけ覚えてさえいればわけじゃないのぉ!!

 他にもやらなきゃ、意識してなきゃいけないことが、山程ほど有るのぉっ!!」

 クズとしか呼称しようの無い発言を放つ私の口を、フミがビンタで強引に黙らせた。



 痛かった。本当ほんとうに、痛かった。

 頬よりも、フミが静かに流している涙が。

 そこまで彼を追い詰めたのが自分という事実が。



「……それだけか?」

 メリメリと拳を強く握り、爪を食い込ませ、歯が折れそうなまでに食い縛り、フミは続ける。

「仮にも仲間である俺に。

 お前にとって仇敵でもある俺に、ここまで言われて。ここまで罵倒され、現実を痛感させられ、自分の仕出かした大罪と向き合わされて。

 その果てにようやく出た、導き出した、辿り着いた言葉が、答えが、たったそれだけか?

 そんな、無責任でしかない、空っぽな台詞セリフだけが、今のお前の本音、すべてだと申すのか?

 だとしたら、俺は金輪際こんりんざい、貴様を徹底的に軽蔑する。

 お前なら、『最後の試練』も乗り越え、主とも理想的な関係を築いて行けるかもしれんと。

 そう少しでも期待を寄せた俺自身をも、蔑むぞ」

「……」



 ここに来て私は、やっと正しく理解した。

 どうしてリアもロマもフーたんも、詳細を語ってくれなかったのかも。

 普段は目の敵、目の上のたんこぶでしかないフミが、りにって説明してくれたのかも。

 結局のところ、答えは一つなんだ。

本当ほんとうに……我が主は、どこまでお人好しなのだ。

 ここまでじかに、ブレストに影響を及ぼそうとは……』



「ごめん……なさい……」

 フミに当てられたか。

 あるいは、初めて本気で叱られたことが、悔しくて恥ずかしくて、けれどそれ以上にうれしかったからかもしれない。

 気付けば私も、ボロ泣きしていた。



「もう……こんな軽はずみなこと、しません……。

 今度こそ、本当に反省しました……。

 私が……私が、間違ってました……」

 土下座し、床に額を擦りつけ、非礼を詫びる。

 ここまで本気で、全力で誰かに謝ったのも、生まれて初めてだ。

 私は、知らないことが多過ぎる。まだ未体験のことが、いくらでもる。



「……俺も、言い過ぎた。

 よくぞ、改めてくれた」

 フミは、そう仕切り直し手を伸ばし。私に対して、微笑みかけた。

 今日は初めて、新鮮なことばかりだ。



「頼む。いつものお前に戻ってくれ。どうか、立ち直ってくれ。

 俺も、お前の求める答えを授けよう。

 俺の知る限りの、すべてを」

「……うんっ」

 やっと元気になって来た私は、フミの手を掴み起き上がった。

 別に、自棄ヤケになったんでも、吹っ切れたんでもない。ただ、覚悟を決め直しただけだ。

 明るい部分だけだと、ナオくんを本当に知る、好きになること出来できないから。



「ねぇ。このさいだし、教えてよ。

 ナオくん、私の寝てる間、苛められたりしてた?

 てか、私が長い間、気絶してたのって、いよいよもって生きる気力を失ったからとか?」

「……」

 言葉を噤んだあと、私の決意が通じたのか、フミは重い口を開いた。



「ああ、そうだ。そうじゃなきゃ、お前はもっと早く目を覚ましていたはずだ。

 お前が再び起きられたのは、主に家族以外の、本当ほんとうの理解者が生まれ始めたがゆえだからな」

「だよねぇ。なんとなくだけど、そんな気がしてた。

 ちょっと残念だけど、ある意味、ラッキーかも。苦しんでるナオくんなんて、見たくないしなぁ」

「ほう?

 その間に一番いちばん、迷惑をこうむっていた相手に、よくもそんなことのたまえるな」

 無表情のまま、私の頬をフミが抓って来る。「痛い、痛い」と、じゃれ付くように私も返した。



「じゃあ、もう一つ。『最後の試練』って、何?」

さっきも言ったはずだ。『ブレストが不在の場合、その趣味は崩壊する』とな」

「……あ……」

 そこまでヒントを出され、私は悟った。

 リアやフミが『無意味』『裏目に出ている』と言っていた、本当ほんとうの意味を。



「ナオくんへの興味を司るブレストわたし外界げかいに出ていたら……。

 ナオくんは、ナオくん《わたし》を、好きになれない……?」



 コクッと、フミは無言で肯定した。

 なるほど……これは、確かに無意味で、裏目に出てて、リスクに反して得る物が一つも無いわけだ。

 だって、どれだけ私が向こうでナオくんにアピールしても、私が外界げかいる間は、ナオくんは自分を好きになってなんてくれない。

 むしろ、私がこのせかいから抜けることで、ナオくんは理性と活力を損ねてしまう以上、マイナス、デメリットでしかないのだ。



「つまり、何?

 私が、ライキング1位、ホビッグになるには。

 これから私は、ナオくんの目の前に現れずに、ビフレストで連絡取ったりも出来できないまま、ナオくんに自分を好きになってもらわなきゃいけないってこと……?

 そんな無茶な……。遠距離恋愛ですら、ここまで無理ムリゲーじゃないよ……。

 こっちは、世界すら分かたれてるってのにさぁ……」

「それでも、やるしか無かろう。俺は不可能だったがな」

「え? どゆこと?」

 私が率直に尋ねると、フミはわずかに落胆してから、バツが悪そうに白状した。



「……お前が主と訪れた喫茶店。

 あそこの店長は、誰を隠そう、この俺だ」

「……」

 チッ、チッ、チッ……と、私の脳内で時計が進み。

「……えぇぇぇぇぇ!?」

 盛大に、タイマーが鳴った。



「いやいやいや!!

 おかしい、おかしい!!

 さっき、あんっだけ糾弾しといて、そんなのりぃっ!?」

「無しではなかろう。

 俺の場合は、主が創作意欲を失うだけだ。命や生活とは現状、そこまで密接にはつながっていない。

 それに、俺を視界に入れさえしなければ、我等が主は小説に心血を注げたのだ。問題は万に一つも無いはずだ。

 そして何より、最初から最後まで、これっぽちも気付かなかった、お前が悪い。『ズルい』などと言われる筋合いは毛頭、無い」

「え〜……。何それ〜……。

 最初から料理出揃ってたし、ドリンクバーだったし、『いらっしゃいませ〜』とかも無かったから、気付くわけいじゃん……」

「ん? 口に合わなかったか?」

「そういう話じゃないよね!? サービス云々の話だよね!?

 あと、大変美味しゅうございましたぁっ!!」

 私に散々、説教垂れといて、これだ。

 ようはフミも、かさまし、ポイント稼ぎしたかったのだ。ナオくんが素直に、幸せに生きて行けるように。

「……自分で言うのもなんだが、尽力はすれどもかんばしくなかった。

 どれだけ料理で釣っても、どれだけ真摯に、親身になろうとも、思わしい改善はほどこせなかったのだ。

 外界げかいの住人のセンスは一体、どうなっているのだ。何故なぜ、我等が主の素晴らしさを享受し、あやかろうとしない?

 まったく……嘆かわしいことこの上無い」

 腕組みし、本気で疑問に思っているフミ。

 私が彼に対して親近感を覚えた、記念すべき、決定的瞬間だった。



「分かるっ!! 本当ホント、その通りだよね!!」

 予想外の共感者が現れたことで浮足立ち、私は思わずフミの両手を包んだ。

 考えるまでもなかった。だって私達は、ナオくんのなかに住むブレスト。ナオくんのことが大好きな気持ちはみんな、一緒なのだ。言ってしまえば、ナオキチだ。

 思い返してみると、今日は本当ほんとうに沢山のことが起こった。正直、一日に処理してい濃度、シリアス度ではない。

 けど、まぁ……ナオくんのなかというだけあってか、最終的にはコメディっぽく終えられたし、良しとしよう。もっとも、まだまだ課題は山積みだけど。

 ーーなんて気を抜いていたから、ばちが当たったのかもしれない。



「フミ!!」

「フミさん!!」

 フミを呼ぶ荒々しく大きな2つの声と共にヒロハル、アカリがノックも無しにドアの向こうから入って来た。

 そのただならぬ雰囲気に押され、私とフミは手を放し、ぐに気持ちをスイッチした。



「ミキくん!!

 君も、ここにたのか!」

「良かった!!

 あなたもてくれたなら、まだ希望は完全には潰えてないわ!!」

 妙なアゲを受け私は若干、戸惑った。

 ……本当ホントだ。

 私は今まで、一方的に嫌悪し続け、折角せっかくの、大切な仲間を拒みぎていた。ただ、普通に話せば、それで事足りたのに。

 今までの態度をかえりみた私は、気持ちをリセットし、なるべく穏やかに、フレンドリーに取ってもらえるように努めながら、二人に尋ねる。



「どうしたの?

 何がったの?」

「あいつが……」

 (本来、ブレストには呼吸は要らないので、恐らく精神的な負荷により)息も絶え絶えな状態で、ヒロハルが叫ぶ。



「ハクが……ハクが、蘇った!!」

すでに、被害者が続出してるわ!!

 あなたも、一緒に来て!!」

「『ハク』?」

 察するにブレストだろうけど、聴いたことい名前だ。



 なのに、こう……なんだろう。

 どうして、その名前を耳にするだけで、こんなにも不思議な気持ちになるんだろう。

 懐かしいような、愛しいような、恐ろしいような、やり直したいような……。



「……もっとも恐れていた事態が、ついに現実となったか」

 それまで無言を貫いていたフミが、とても苦しそうな顔色を見せ、私を見た。

 助けを求めているふうな、謝罪してるふうな。

「ミキ。撤回しよう。

 どうやらお前にとって最後、最大の試練は、たった今らしい」

 フミ……ううん。他のみんなが一斉に、私に縋るような視線を向けた。(同じく普段なら掻かないはずの)冷や汗を流しながら。



 これは……応えないと、嘘だよね。



「……分かった」

 自分の背中を押すべく一歩、前に出た私は、なけなしの勇気を振り絞り、逞しく、頼もしく見えるように意識、演技しながら言った。



「受けて立つよ。案内して」






 生き地獄。

 私が駆け付けた現場の惨状に最適な表現は、それしか無いと思った。



 このせかいでは、基本的に天気が変わらない。

 ナオくんが基本的にカラッとしてるため、彼の精神世界である趣味界ホビジョンで見上げた風景は、澄み切った青空や夕焼け空、星空ばかりで、たまに小雨やにわか雨が降る程度だ。

 ゆえに……雷や嵐を、それも群れで拝むだなんて、この趣味界せかいでは最初で最後かもしれない。



「なに……。これ……」

 無惨に壊され、真っ暗闇となった景観。

 連鎖的に飛び交う、絶望と悲しみで染まり切った悲鳴。

 目の前で次々と消されていく、仲間達。

 極め付けに……なくなったブレスト達の顔や名前が表示される仕組みに変えられたライキング・ボードに連ねられたフーたん、リア、ロマ、ユカリ。

 私達が到着した時点で、私の親友は、すでに全員、消されていたのだ。

 かろうじて逃れていた最後の同士も今、謎の力で跡形も無く消滅させられ。

 残りのブレストは、私達4人だけとなっていた。



「……誰……」

 いつもの崖で崩れ落ち、拳を地面に叩き付け、得体の知れない相手に怨嗟の声をぶつける。

「誰が、こんな非道ひどことっ……!!」



「僕だよ」



「っ!!」

 闇夜に轟々と響くいくつもの雷。それらに照らされ、宙に浮いた、黒いフードを被った何者かが映った。

 彼とも彼女とも分からない敵は、オバケみたいな動きでゆっくり飛んで来て私の目の前まで迫り、フードの下の素顔を晒した。



「……初めてまして。いや……久し振り、かな?

 

 彩度の低い中でも、夜目を持たなくても分かるほどに、はっきりと私に酷似した、その顔を。



「だ、誰……!?」

 服装や所業に似合わず真っ白い長髪を不気味に揺らし、緊張感も無く首を傾げ、口元に人差し指を当て考え込む悪魔。

「うーん……どっちかっていうと、『母さん』、が正しいのかなぁ」

「答えろっ!!」

 腕を振りかぶり、殴りかかる。しかし、相手はヒラリと90度旋回し、難なく避け笑ってみせた。



「あははっ。そうカッカしないで。

 仲良くしようよ」

「誰が……!! あんたなんかと!!」

 再び距離を取って舞い上がる敵を、私はキツく睨み付ける。

 フミ、ヒロハル、アカリの三人も並び、似たような態勢を取る。

 それでもなお、敵は余裕を崩さずに勝ち誇っていた。

「えー。出来できると思うけどなー。

 だって、君と僕は」

 紙で作った大型の手裏剣を飛ばすことで、やつ台詞セリフをフミが遮った。

 横目で捉えた彼の顔は、先程までとすら比べ物にならない、憎悪に満ち満ちていた。



「それ以上、余計なことしゃべるな。

 ただでは済まさんぞ……ハク」

 フミの命令すら一笑に付す、ハクというらしい何者か。

 挑戦と受け取ったフミは、続けて手裏剣や刀、斧やクナイをいくつも作り、一斉にハクを斬り刻み。

 そしてとどめに、彼の足元に巨大な本を広げ、遠隔操作により彼を挟んだ。



「ははっ」

 やった!! 誰からともなく喜んでいると突然、後ろから不気味な笑い声が届き。

 振り向くよりも早く、フミ、そしてヒロハルとアカリが蹴り飛ばされていた。



「やれやれ。邪魔しないで欲しいなぁ。

 折角せっかくの感動のご対面、再会なんだ。水入らずでお願いしたいよ。

 さて、と」

 シュタッと地面に着地したハクは、私と再び向き合い、語り出す。

 その時になっていやな予感を覚えた私は、今更ながら思い出した。

 今日は、とことん濃い、シリアスな日だったことを。

 


「ミキ。

 僕を生み出したのは、他でもない、君だよ。

 十六年前に。

 だから僕は君を、『母さん』『姉さん』と称したんだ」



「……ぇ……」

 言葉が出ない。その現象が実際に起こりことを、私は初めて、それも身を以て知った。

 私は、現実と夢の区別はおろか、前後左右、体の感覚さえ覚束なくなって行く。

 ハクは、私の混乱するさまさえ味わうかのごとく、嬉々として続けた。



「自分の記憶の一部を消去したから、君は覚えていないだろうが。

 十六年前、中学に上がった頃から、僕達の父さんは陰湿な苛めに遭い始めた。

 でも真面目まじめな彼は、他者を巻き込みたくない一心により、そのことひた隠しにしていた。

 それでさらに気を良くした連中によって、苛めは日に日にエスカレートして行き、やがて一年が過ぎた頃、ついには後輩にすら見下されるようになった。

 それに比例し、ずっと彼の中で静かに燻っていた自殺願望が静かに肥大化し、確かな意思を持ち、本格的に動き始めた」

 フワフワと宙を舞い、さながら舞台役者のふうに饒舌に、高らかにげる。



「もうお分かりかな?

 この僕こそが、自殺や終焉への興味を司るブレストさ。

 君生きみじょう 直希なおきの最初、最古、最強の願い、関心。

 すなわち生、現実、痛みからの解放……死への渇望から生まれた存在なんだ」

「なに……いってる、のよ……」

 ようやく多少、動くようになって来た体で、私は精一杯、抗おうとする。

 そんな私を嘲笑うかのごとく、ハクが私の目の前まで迫った。



「嘘だと思う? 事実なちがうんだなぁ、これが。

 僕は本当ほんとうに、父さんの自殺願望によって生み出された。

 そして、その父さんのメンタルにシンクロした君の体を媒介に現出したんだ」

「私の……体……?」

「そうとも」

 再び私から離れ、滑空し始めるハク。その表情は、どこまでも純粋だった。

 彼女は、純粋に、不純だった。



「彼は根っからの善人。どれだけ冷遇されても、ぐにケロッと忘れられるタイプ。

 ゆえに、悪趣味なだけのブレストは作られないし、作れない。

 でも、真面目まじめで優しいがゆえに、幼い頃から絶えず、不甲斐ない自分のことを憎み、嫌い、蔑み、責め続けていた。

 そうした負の感情が、やがて一つとなり、僕を形成するに至った。

 でも、それだけだ。ブレストとして現出するには、どうしても感情しゅつりょく、チャンスが足りなかった。

 そこで、君の感情を利用させてもらった。

 父さんよろしく、彼を実際に助けには行けない自分に対して君が常日頃から欠かさず溜めていたフラストレーションを僕は吸収し、ついに実体化に成功したのさ。

 そして、君の体から産まれたタイミングで、他のブレストの面前で僕に全てを語られ絶望した君は、受け入れたくない拒否反応により、中学に入ってからのおよそ一年分の記憶を、全て消したんだ。

 父さんのバックアップも担当する君には、それが可能だったし、君が僕のことや、僕が生まれる原因になった、君が見せられ続けていた、父さんに関する忌まわしい一年間の記憶を根こそぎ絶ち、僕のエネルギー源となったフラストレーションを削ぎ落とせば、僕はブレストとしての肉体、顕現を維持出来できなくなると踏んだんだ。

 しかし、気が動転していたこと、一度に消す記憶量データが膨大だったことが災いし、僕を封印した代わりに、君はブレストとしての機能を真面まともに使えなくなった。

 ゆえに、再起動まで一ニ年もの歳月を要した……というわけさ」



 悔しい。そうとしか、私は思えなかった。

 だって、ハクの明かす真実は、全て辻褄が合っている。

 私の体も、心も、それが偽り、ブラフでないと訴えている。

 そして、何より……そこまでしたのに、また復活させてしまったという事実が一番いちばん、どうしようもなく汚点に思えた。



「素直ない子だね。ご褒美に、良い物をあげるよ。

 僕が、僕自身の目で絶えず見ていた物を、ね」

 またしても唐突に私の前に降りたハクは、不気味なほどに静かに、穏やかに私の頭に触れ、その手を光らせ、私の脳内に何かを流し込んで来た。



「がっ……!?」

 これは……風景?

 そうだ。私が、これから何十年を費やしてでも消したいと願った、黒歴史中の黒歴史。

 ナオくんが……苛められてた記憶。



なんで苛めるか?

 面白いからに決まってんだろ。そんなことすら分からない馬鹿バカなのかよ。

 お前、マジで生きてる意味、価値無ぇなぁ。

 でも、良かったなぁ。俺等に遊んでもらえてよぉ。

 お前みたいな出来でき損ないでも、ほんの少しゃ誰かの役に立てるんだからさぁ。

 ちったぁ感謝しろよ、おらぁっ!!』

『おいおい。寝惚けたことほざいてんじゃねぇよ。

 お前がいなくなったら、誰を練習台に的当てしろっつんだよ。

 とっとと立ちやがれ、木偶の棒!! 倒れた分だけ、外周追加だからな!!

 退部したいだなんて二度と言えなくなるくらい痛めつけてかわいがってやっからよぉ!!』

『おめーの両親は、誰かの希望になって欲しくて名付けたんだろ?

 だったら大人おとなしく、俺らの発散相手きぼうになってくださいよぉ、先輩!!

 それしか出来できない、間抜けなんだからよぉ!!

 この、クズがぁ!』

「い、いや……!!

 ……いやぁぁぁぁぁあぁぁぁぁぁ!!」

 頭に両手を当てたタイミングで、私はバランスを崩し、膝を曲げながらゴロゴロと転がる。

 錯乱する私を、ハクは悦に入りながら見下した。



「僕の中に存在していた記憶を、プレゼントしたのさ。

 データバンクも担当する君から産まれたんだもの。僕にだって、この程度のこと出来できる。

 いや……もっとすごことだって」



「っ!?」

 のたうち回っていた私の体を操り、隣に立たせるハク。

 したり顔の彼女は、私の前に二つの映像を投射した。

 片方は自室にるナオくん。

 もう一つは、空に広がった巨大なスクリーンで、それを見ていたブレスト達。



「なん、で……」

 ナオくんが、自分の部屋で、ベッドの上に座っている。

 これだけなら別段、取り上げる、取り糺すほどじゃない。

 問題なのは、今のナオくんが、ひどく悲哀に満ちていて、その顔は憔悴し切っているということだ。



『もうい……。

 仕事なんて、どうでもい……』

「……え……」

 普段のナオくんなら、絶対ぜったいに言わないだろう投げやりな一言が、紛れも無い彼の口を介して放たれた。



『ち、ちょっと、ボス!! 何言って

 仕事担当のリアが直ぐ様、抗議をこころみ……その声は彼女の姿ごと、消された。

 仕事への関心を無くしたことで、よう済みとなったリアが、処分されたのだ。

 さもはなから存在していなかったかのように、何とも静粛に。



「くっ……!!」

「おっとぉ」

 手足を動かせない状態でもなんとか直視は避けようと顔を動かすも、一秒も経たない間にハクに阻まれ、私を正面を見ることを余儀なくされた。



「いけないなぁ。仲間の最期の勇姿を、きちんとご覧よ。

 あははっ」

「……あんた……!! い加減に

 それ以上、何も言えなかった。

 私の口は、見えないジッパーを付けられ閉じられたかのように、強制的に塞がれた。



「分かるかな?

 僕は別に、有無を言わさずにブレスト達を始末したわけじゃない。

『要らない』、『まやかし』、『どうでもい』。

 そう父さんみずからが言ったから、消された。ただ、それだけのことなんだよ。

 すべて、父さんが、自発的にやったことなんだ」

「そこまで追い込んでおいて!!

 巫山戯ふざけるなぁ!!」

 私の横に立つハクに向けて、剣を構え特攻するヒロハル。

 ハクは、彼を見ただけで、ヒロハルを即座に突き飛ばした。



「いや……少し、違うな。

 すべては、姉さんの仕業さ。

 僕は彼女に消される寸前、彼女の肉体に、僕の欠片かけらを一部、避難させていた。

 そして彼女が目覚め、またしてもストレスを、今度はピークに達するまで溜めたタイミングで、僕が過去に用いていたビフレストを送り、外界げかいに行かせた。

 そして、彼女が父さんと関わっているすきに、封印される間際に僕が彼女に施した時のように、父さんの肉体に僕の力を蓄積させたのさ。

 いとも容易たやすかったよ。姉さんに会う。ただそれだけで、父さんは自殺願望を再び持った。

 その中に僕が介入し、同化、増加させるなんて、実に自然、わけも無かったよ。

 そして、君がフミと駄弁ってる間に、力を最大まで高めた僕が、夢の世界に入り込み意識が不鮮明になった父さんの体と心を完全に侵食、支配。闇一色で染め上げたというわけさ。

 ちょっとでもネガティブなことを考えると、それにちなんだブレストが忘れられるように、ね」

「よくも、そんなひどことをっ!!」

 どうにか戻って来たアカリが、ハクを責める。体を反っていたハクは、目線だけアカリに送り、続ける。



「『ひどい』? どうしてだい?

 僕はただ、おの趣味しめいを全うしただけさ。

 本当ほんとうひどいのは折角せっかく、ブレストの体を手に入れた僕を微塵も受け入れようとせず、あまつさえ封印した君達の方じゃないか。

 ま、君達ときちんと向き合う、話し合うもりなんて、元より皆無だったけどね。

 僕と君達とでは、読んで字のごとく、趣味が合わなさ過ぎる」

「あっ!!」

 足を挫かれたのか、アカリが倒れる音がした。

 そして、仲間が消されたさまを、なおも無力に目の当たりにされている私の後ろで、移動したハクがアカリにげる。



「そもそも僕は、ブレストという仕組みからして疑問なんだ。

 知ってるかい? 『ブレスト』とは、『感情』を意味するが。

 ボク達の場合の『ブレスト』のスペルは『b-rest』。

 つまり、『ボディ』を『レスト』させるという意味さ。

 僕達は、ボディを休ませる、そのためにこそ作られた。

 じゃあ、その僕達自身は、いつ休むんだい?

 毎年、毎月、毎週、毎日、毎時間、毎分、毎秒。ずーっと、さながら細胞みたいに、誰かが無休、無給で働かされる。

 主が趣味に明け暮れていない時でさえ、自分の担当分野の情報整理に追われる。

 終いには、飽きたら問答無用で消される。

 あまりにブラックじゃあないか。いくら睡眠などが必要無いとはいえ、この惨状は無情、下劣極まりない」

 視線を戻したハクが、ここに来て初めて真顔となり、自分の悲願を語った。



「だから、僕が改革する。

 当初の目的通り僕が、このせかいを滅ぼす。

 さきに仕事、絆、リラクゼーション、食事、スイーツのブレストを消し、当日に無断欠勤させ折角せっかく、彼を心配し駆け付けてくれた、やっと初めて現実世界で手に入れた大切な味方を失望させ、親にすらも見放され、居場所を無くさせた。

 そして、食事と睡眠も真面まともに取れないまま路頭に迷い絶望し始めた折に、他のブレスト達を殲滅。

 一気に四十近くの興味を失い気絶した彼が今、どこにるか分かるかい? 病院だよ。

 発狂していた彼は、通報を受けた警察官により病院に運ばれ、完全に愛想を尽かされたがゆえに誰一人として見舞いに来ないまま、孤独に眠っている。

 そして今、仕上げとして君達を否定、拒むように導けば、もう終わりだ。

 彼はたちまち植物状態に陥り、誰にも看取ってもらえないまま、世界にさえ嫌われたまま、まるで犯罪でも犯したかのように冷たい視線を浴びせられながら、みじめという表現すら生温いほどに空虚に、無意味に、無駄に死んで行く。

 ……最高のシナリオだと、思わない?」

「……思っている。最低な、クズシナリオだとな」

 未だにあきらめないフミが、不意をついてハクの懐に現れ、紙から变化させた剣で彼を切らんとする。

 が、掠る寸前で、その刃がハクの前で、フミの体ごと静止した。



「……やれやれ。

 一抹の希望を抱いていたのだけれど……やはり君達とは、根本的に相容れないらしい」

 興醒めした様子ようすのハクは、まるで指揮者のように手と目を動かし空に、病室にるナオくんの映像を出した。



『無理だ……。

 俺に、小説なんて書けやしねぇ……。こんな……心が、不安定なやつに……。

 みんなに、見放されたやつに……』

「がっ……!?」

 フミの体が透明になり、やがて光となって消滅した。

 それまで私が見させられていた、消えたブレスト達のように。



『そうだ……。

 ヒーローなんか、この世にねぇ……。

 可愛いからって、なんだってんだよ……』

「ぐっ!!」

「あぁっ!!」

 続いてヒロハル、アカリが、私の目の前からなくなった。



 ついに、私だけ。

 今、ナオくんの内側を構成しているのは、記憶のコピーと、理性と、かろうじて残った生への執着心のみだった。



「さて、と。

 いよいよ、お別れの時間だね、姉さん」

 そして今、それすらも、失われようとしていた。

 私の目の前に立つハクが、私を消そうとしていた。



「僕に体をくれてありがとう。

 どうか、見守っていて。このせかいが崩壊し、安息と自由に満ち溢れるさまを」

 操り人形でも操作するかのごとく、左手を怪しく動かすハク。



『もう、何もかも、どうでもい……。

 俺なんて……死んでも、誰も、何とも思わねぇよ……。

 誰も、気付きづかねぇし、傷付かねぇよ……』

「……」



 果てしない寒気に包まれた。私がまだ産まれたての頃、体が不安定だった時の比ではないほどに、不鮮明、透明になる体。

 やがて私の視界は、白に覆い尽くされ……何も、分からなくなった。





「フー。フー」

「ん……ぅ……」

 誰かに優しく揺り起こされ、私は目を開けた。

 あれ……。ていうか、この声……。

 それに、口調……。

「フー……たん……?」



「フー。

 ミキー。だいじょーぶ?」

 涙していたフーたんは私に微笑み、ゆっくりと体を起こしてくれた。



「ありがと……。

 でも、なんで……」

「フー。フーの、ちか

 フーは、ゆめをみせ、か

「『夢』……?」

 フーたんから答えを聞かされ、程なくして私はハッとした。



 そうか。確かにフーたんは、睡眠中に大忙しなブレストでもあった。

 つまり、ハクにブレストが消える幻を見せ、ブレストが消える前にナオくんの遠隔精神操作を止めさせ、ボードに幻覚を被せ、何かのテクスチャを貼ることで自分の姿を隠していたのだ。

 そして先程も、同様に私を助けてくれたのだろう。



「フー……。

 ごめんなさい……。

 ミキしか、まもなかった……。

 フー……みんなを、しなせ、た……」

 自責の念に襲われるフーたん。私は、そっと彼女の手を取り、次に彼女を優しく包んだ。



「……あなただけでも無事でいてくれて、すごうれしい……。

 私を助けてくれて、ありがとう……。

 あなたは、何も悪くない……」

「……ほんと?

 フー……みんなに、ミキに、きぼら《あ》わて、ない?」

「嫌いになんて、なれるわけ無いよ。こんなに可愛くて、い子だもん。

 むしろ今までなんかより、もっと大好きになったよ、フーたん」

「ふ、フー……」

 私に拒まれなかったことで、せきったのだろう。

 フーたんは、声を上げてしばらく泣き続けた。

 その間、私は彼女を、ずっと抱き締めていた。この一時だけでも、世界から彼女を切り離すかのように。

 やがて鼻を啜る素振りすら無くなったフーたんは、袖で涙を拭い、どこかを指差す。

 あっちは……確か、ライキングのメイン・ステージの有る方角だ。



「フー。

 パパマスター、あそこ」

「え?」

 あ、そっか。ナオくんは今、趣味かんじょうほとんどを喪失し、気絶している。

 ゆえに夢の世界、つまり趣味界ホビジョンに意識が留まっているんだ。



「フー……。

 ミキ……やっぱ、いく?」

「……うん。そうだね。

 私達のパパのピンチだもん。見過ごせないよ」

 立ち上がり、スカートに付いた埃を軽く払い、私は覚悟を決めた。そんな私に影響されたのか、フーたんも気を引き締めた。



「フー。フーも、いく。

 ミキとパパマスター、たすけ

「ありがと。

 じゃあ、お手伝いしてくれる?」

「フー」

 エイエイオーと言わんばかりに、フーたんが拳を挙げた。

 私も真似マネしナデナデも済ませたあと、改めて目的地、この戦いのゴールを見詰めた。



「ナオくん。みんな

 待ってて。今、助けに行くから」



 ハク。あなたは、分かってない。

 ナオくんは、ずるずる引きずりながらも、きちんとやり遂げようとする根性を持っていること

 強くも眩しくもないけれど、決してあきらめない、熱い心を持っていること



 だから、私も負けない、曲げない。

 何度だって、いつだって、どこでだって、誰が相手だって、どんなに勝ち目が無くったって。



絶対ぜったいに……あきらめないっ!!」

 自分を奮い立たせた私は、フーたんを連れ一路、最終決戦の場……メイン・ステージへと、一目散に走り出した。

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