Re:port 7/相良 未来の、願い

  一体、どんな夢を見たというのか。

 いつもと変わらない就寝、睡眠時間だったはずなのに、俺は妙に目覚め良く起きたのだった。



「んー……ん〜っ……」

 伸びをした両腕をだらんと倒し、軽く肩回しをした。



「……かつてない快眠、清々しさ……」

 なんでだ? 一体、何に起因したってんだ?

 枕カバーを新調したことだろうか。

 いや、枕ならともかく、カバーでそこまで変わるか? 決してネガキャンとかではなく。



 それに……なんだ?

 この、さっきからく押し寄せて来る、誰かに対しての謝意は。

 いや……それ以前に。



「『誰か』、って……。  

 ……誰だ?」



 なんだろう。

 すごく大切、知ってる気がするのに、どうしても思い出せない。

 そのくせ、記憶を辿っていると、何一つヒットしないのに、わけも分からず無性に泣き崩れそうになる。

 夢の中での話……だったりするのかな。



「なーんてな」

 自分の考えを一笑に付していると、犬原からメッセが入る。

 確認、要約すると、『今日のカラオケも楽しみ。先に目的地に行ってる』という内容だった。



「おっと」

 そうだった。今日は犬原、冴島との、週一カラオケ会の当日だった。

 先週は半日スラブラに明け暮れてたから、今日はカラオケか。

 こうしちゃいられねぇ。俺も、そろそろ準備せにゃな。

 そう思った俺は、『了解。ちゃんと着替え直してから来いよ』と返信し、えず日課のログイン周回と体力消費を始めたのだった。





「いやー!

 やっぱ、皆さんで来ると楽しいっスねー!」

「私も嬉しい限りです。

 お二人がると、こちらから頼まずともハモリや合いの手は勿論もちろんみんなに手を振っている私の代わりに一時的に歌ってくれたりもするので。

 お二人がいなくては、録音済みの自分の歌声をタイムリーに合わせるのが少々、手間なので」

「いや、叫んだり手を振ったりはするんかよっ!

 しかも、面倒ってだけで、不可能ではないのかよっ!」

「当然です。推している以上、たとえ最オシでなかろうと、全力で推し尽くし、課金する。

 推して推して推し捲り、けれど絶対ぜったいに押し倒しはしない!!

 それが、ファンという物です」

「鑑だなぁ、本当ホント!」

 カラオケ開始からおよそ一時間が経過し、ドリンク補充も兼ねて小休止を挟んだ頃。

 俺達が声をかけられたのは丁度、部屋に戻ろうとしていた時だった。



「あのー。

 ちょっと、いですか?」

「ん?」

 呼ばれた気がして振り向けば、女性が一人、立っていた。

 オレンジ色の長髪と、レモンのような黄色い瞳、薄いオレンジのワンピースが特徴的な、嫌でも目を引く。

 俺たちは3人で顔を見合わせ、女性に尋ねる。



「……俺達?」

「うん♪ 君達♪」

 手を合わせた彼女は、こちらに近付き上目遣いをし、両手を背中で組みながら提案して来た。



「君達、3号室で歌ってた人達でしょう?

 すっごく上手じょうずだし、楽しそうだし、仲良しだし、私と趣味がベストマッチだったから、気になってたんだー。

 ね、ね? よかったら、相部屋しない?

 店員さんには、もう話は通してあるから、君達さえ良ければぐにでも行けるんだけど?」

 後ろに運んでいた両手を前に戻し、「あっ」と何かに気付きづいた素振りを見せ、再び手を叩き、女性は照れ笑いした。



「ごめん、ごめん、忘れてた。

 勿論もちろん、こっちから移るから。

 それと、もし部屋が狭いってんなら、広い所に移ってから再開でも全然、構わないよ。

 それも、店員さんにオッケーもらってるし。無論むろん、別途ルーム料金かかったりは無いし、こっちの分の注文は自分で払うから、割り勘で問題なし。

 で、どうかな?」

「……」



 なんつーか……その場で思い付いた割には、いやに用意周到っつーか……コミュ力がちょっとおかしいっつーか……。

 いや……それを抜きにしても、なんだ? この、懐かしい感じは。

 こんな、良くも悪くも目立つ存在と知り合ったら、記憶から薄れるなんてず有り得ないと思うんだが……。

 あと、彼女が好みのタイプだからか、さっきから妙に落ち着かない……。

 理性が仕事してない気がするというか……。



いっスね! 是非、やりましょう!」

 俺と冴島が思いあぐねている間に、犬腹が勝手にバパッとノリノリで進めてしまう。

 そして、「ね!? ね!?」と、俺達に遅ればせながら答えを求めて来る。

 ったく、こいつは……いっつもマイペースなんだからなぁ。おかげで助かるが。



「……ま。ここまで詳細なら、断る理由は無さそうですね。

 三人だけだと、遅かれ早かれ後半、喉が荒れ、グダグダになるのを恐れるあまりスラブラや映画に走ることになりますし。

 あと、めっかわ」

「だな。俺も賛成。めっかわに関しても。

 えと……」

 あれ? 名前、なんだっけ?

 などと思っていると、またしても女性が手を合わせ、軽く謝って来た。



「ごめん、ごめん。自己紹介、まだだったね。

 私は、相良さがら 未来みき未来みきいよ。

 よろしく、君生きみじょう、犬原、冴島」

「お、おう。よろしく、未来みき

 ところで、なんで俺達の名前……」

「あー、うん。

 実は私、君達のこと、ここに来る前から知ってたんだ。

 本屋で働いてるんでしょ? とっても息ピッタリで、羨ましかったんだー。

 だから今日、こうして会えて、めっちゃうれしー。

 ってもレイヤーだから、心当たり無いだろうけど」

「お、おう……」

 ま、まぁ……それなら然程、不自然でもいか。

 ネームも付けてるし、名字で呼び合ってるし、名前を覚えられてても不思議じゃない。

 てか、あまり疑ってばかりなのも失礼だしな。



「そうそう。もう一人、紹介するよ。

 ほら、こっち来な」

 俺達に向けていた視線を右後ろ斜めに動かす未来みき

 その先には、彼女に瓜二つの、雲みたいな真っ白いフワフワな長髪と、青空みたいな両目、白いワンピースが印象的な、ちょっと内気そうな女子がた。



「あー! もう!

 まーた隅っこに引っ込んで!」

「ぼ、僕の所為せいじゃないやい! ミキが突っ込んでくのが悪いんだい!

 そもそも、増えるなんて聞いてない!」

いじゃん、別に! そっちのが楽しいでしょ!?

 ほら、こっち!」

 なおも抵抗する彼女を無理矢理、引っ張り出し、ミキは自分の前に立たせ、俺達に挨拶をさせた。



「……相良さがら 羽来はく

 ミキの、双子。

 ま……適当によろしく。

 極力、居ない者として扱って」

「いやいやいや……」

『適当』て。『居ない者として扱って』て。

 随分ずいぶん、ネガい子だなぁ。姉とは真反対だわ。

 あ、あれ? でも、この子を見てたら、なんか落ち着いて来たぞ?

 自分よりテンション低い子が相手だから、逆にリラックスしたのか?

 ……そんなこと、有る?  



「それじゃあ早速、お部屋にゴー♪」 

「おー!」

「……オッス」

 などと考えていたら、早くも意気投合した未来みき、犬原、そして羽来はくと、三人が続け様に部屋に向かった。



「まぁ、何とかなるでしょう。

 最悪、私が何とかしますし」

「頼むぜ? 本当ホント

 ネタとかフリとかじゃなく。お願いだから、やられてくれんなよ?」

「何を仰る。

 私はプライベートでさえ常に極めて、努めて冷静沈着ですよ?」

「裁判長。

 ここに、あなたが絶叫してる動画がるのですが、立証いたしますか?」

「さて、行きましょうか」

 眼鏡を直しドヤッてる冴島に向けてスマホを見せびらかすと、そそくさと後を追った。

 おい、どこが『常に冷静』だ。

 先が思いやられるなぁ……などと嫌な予感を覚えつつ、俺も部屋に帰った。





好力こうりき召来しょうらいサエジマン!!

 お嬢様達の名にかけて!! テンションMAX!!

 めっちゃ、メラメラだぁぁぁぁぁ!!」

「ほれ見たことか、言わんこっちゃねぇ!!」



 五分だぞ!? 入って、たったの五分!! ご・ふ・ん!!

 こんな短時間、一曲! まどマ◯のOPだけで、籠絡されやがってやぁ!!

 興奮し過ぎて思わず方言、出ちまったじゃねぇかよ!!

 どーせまた、『双子の、ロマンシス……プライスレス』とか思ってんだろ!? どーせ!

 ってか、現に口にしてたじゃねぇかよ! 真面まともに機能しやがれ、このカプ厨が!!

 ミヤジマ◯みたいなポーズや名乗りまで完璧にこなしやがってやぁ!!



「あはは♪

 冴島、仕事中ふだんと全然、イメージそぐわないね♪」

「……ツレが痛過ぎて、さーせん……」

「うーうん♪ 面白いから平気♪

 激痛バージョン♪」

「『激痛』て!!」

 こっちも大概だよ!! さっきから言葉遣い変わってるし!

 名前をご唱和でもして欲しいんですか何なんですか!?

 何がひどいって、それでも結構、的を射てる所だよ!!



「ん?」

 ふと横を見やると、食い入る、食い付くようにメニュー(正確には、テラ盛りフライド・ポテト)を眺めている羽来はくの姿。

 漂わせていたアンニュイな雰囲気が消え失せ、目を爛々と輝かせ、涎すら出しかけている姿は、さながらご馳走を前にした子犬のようだった。



「ねぇ」

 俺の服の裾を軽く引っ張り、アピールする羽来はく

「お? あれで頼めるぞ?」

 電話を指差すと、羽来はくは首を横に振った。



「無理難題」

なんでだよ。

 じゃあ、我慢しろ」

「土台無理難題」

「お前も造語使いか。

 んじゃあ、しゃあないから、俺がオーダーすっか? こっちも丁度、注文するところだったし。

 味は? チーズとバターでいのか?

 あと、サイズ」

「問題無い。ミキとシェア。

 褒めて使わす。超特別」

「はいはい、どーも」

「生意気」

「どっちがだよ!」

 ところで、なんでテンション高そうな時の方が口数、少ないんだ……? 普通、逆じゃね……?

 姉共々、変なやつ……。



「むー」

 そんなやり取りをしていると、唐突に姉が不満そうに絡んで来た。

 文字通り、俺の腕に抱き着く形で。

「何さ、君生きみじょう

 私じゃ物足りないっての?」

「誤解を生む発言は謹んでくれたまえ。

 あんたと俺は、何も始まっちゃいねぇ」

「あっ……」

 ごく自然のリアクションを取ったはずなのに、未来みきはハッとした後、浮かない様子ようすで苦笑いした。



「ご、ごめん。そだよね。

 全部、無かったことになってたの、忘れてたや」

「は?」

「ううん、気にしないで、こっちの話。

 それより、羽来はく! デュエット!」

「えー。僕、先にご飯したーい」

 明らかにペースを狂わされた様子の未来みきは、反対に先程までのキャラに戻った羽来はくと共に歌い始めた。



 何やら体よく誤魔化ごまかされた気がして正直、少し面白くなかった。

 それ以上に、彼女の言葉と態度が気掛かりで、何故かしばらく頭から離れなかった。





君生きみじょう

 お疲れ様」

「うぉっつっ!」

 カラオケを終え解散した後、コンビニで買ったチキンやポテトで腹拵えしようとしていた俺に、未来みきが声をかけて来た。

 驚いた拍子に変な声を出したことも手伝い気恥ずかしくなり、俺は袋を一瞬、背中に隠してから、少しして開き直り、未来みきに中を見せた。



「……わ、悪い。腹ぁ減ってさ。

 よかったら、一緒に食べてくれっかな?」

「うん。じゃあ、お相伴にあずかろっかな」

 使い方は間違ってないのに、今度は使い所を誤った表現が出て来て、堪らず吹き出した。



「そんな立派でもリッチでもないって」

「確かに。

 立派なのは君生きみじょうの、サービス精神旺盛な、優しいところだもんね」

「要らないんだな?」

「わー! 要る、要る!

 ナオくんの意地悪ー!」

「な、『ナオく』……っ!?」

 突然の親近感に、危うく袋を落としてしまいかけた。

 が、ぐに慌てて未来みきがフォローしてくれたので、どうにか落下は未然に防げた。

「ご、ごめん。つい、地が出ちゃった。

 あーあ……隠し通せるもりだったのになー」

「い、いや……別に……。

 ところで、妹は? 一緒じゃないのか?」

 気恥ずかしい、気不味きまずい流れを打破すべく俺が話題を変えると、「あー……」と、未来みきが困ったふうの顔をした。



「う、うん。

 先に、◯◯◯うちに帰った。

 あの子、人混みや、外の空気が苦手なの。内気ちゃんなんだ」

「あ、そ……」

 ……なんだ? この違和感いわかん

 そして、冷たく不気味な、嫌な感じ。

 マーク・テストの解答欄を間違えた時のような、焦らせる感じ。

 何か……すごく重要な何かを見落としてる、見間違えてるような、この気持ちは……。



 何やら、かえって変になった空気に追い詰められつつあると、惣菜の入った袋を二人で持ちつつ「ん」と、近くのベンチを未来みきが指差した。



「食べよっか。

 あと、やっぱ『ナオくん』って呼んでい?」

「……おう」

 ダサいのは承知で、言われるままに座り、二人で仲良く食べ始めた。





「……」

 ご飯のお礼。

 そんな建前での未来みきからのお返しに、俺は驚愕した。



 建物が立ってる。これは、普通だ。

 俺達のるのが谷なのも、別に自然だ。

 問題なのは、フッツーに草原の上に建造物が設立されてるって点だ。



 いや、おかしいだろ、どう考えても。

 なんでコンクリじゃないんだよ。バランス保てないだろ。

 なんかもー、ひどい作画崩壊起こしたアニメや漫画、ゲームみたいになってんじゃねーか!  

 これ、世に出回れば間違い無く、満場一致で駄作認定されんぞ!



 いや、それ以外にもおかしい!!

 なんで、青空と夕空と星空が同時に存在してる!!

 明らかに、なんらかの異変が生じてるだろ!!



 そして、極めつけに、あのボード!!

 なんで空中に、四枚も浮いてんだよ!

 どーゆーシステムだよ!!

 意味、分かんねぇよ!!



「あー、気にしないで。

 VRだよ。フェイク。

 私の知り合い、こーゆーの作るの上手いんだー」

「ゴーグルも無しに!?

 てか、普通に歩ける、触れるんだけど!?

 何これ、怖っ!! ただただ、怖っ!!」

「細かいなぁ。

 それより、ほら。こーこ」

 腰を下ろしトントン、と原っぱを叩く未来みき

 隣に座れ、ということらしい。



「……」

 仕方無いので、倣った。

 てか、えー……。なんで、風の音とか聴こえるの……。

 しかも、きちんと未来みきの髪、靡かせてるの……。



「心地良いでしょ?」

「ま、まぁ……良くはある、かな」

 気もそぞろで正直、それどころじゃないが、それで期限を悪くさせ、この異世界染みた空間に置いてけぼり食らったら堪ったもんじゃないので、当たり障りない程度に誤魔化ごまかした。



「ふふっ。だよね。

 私も、この場所が好き。

 だから一度、ナオくんにも、きちんと見てもらいたかったんだ。

 多分……これが、最後だから」



「え」

 思わず、疑問符さえ付けるのを忘れた。

 そんな俺を置いて、未来みきは立ち上がり、ここ以外の、どこか遥か遠く見詰めながら、ぼんやり、けれどはっきりとげた。



「里帰りするんだ。私。

 今のままじゃ、新しい私を叶えられそうに無いから。

 だから◯◯◯もとのせかいで、色んな◯◯◯◯ことを再確認して、色んな◯◯◯◯ひとから勉強させてもらう。

 もっと自分を、知りたい。

 もっと色んなことにチャレンジして、色んなこと出来できようになりたいんだ」

 そう語り、俺からわずかに離れ、背中を見せる。



 未来みきの、その眼差しは、どこまでもぐで、希望で輝いていて。

 それでいて、ほんわずかに、憂いと切なさを帯びていた。

 そして、まただ。



 また、謎の感覚に陥る。

 虫食い状態のような、ピースがいくつか欠けたパズルみたいな。

 誰かを……何かを、忘れてるような。



『先に、私の体うちに帰った』

『だから趣味界べつのせかいで、色んなナオくんことを再確認して、色んなブレストひとから勉強させてもらう』



「!?」

 思い出した。全部、全部。



 そう……そうだ!

 なんで俺、こんな大切なことを、忘れて……!!



「っ!!」

 居ても立っても居られず、俺は地面を蹴り、フラつきながら、後ろから未来みき……いや。



「……ミキィッ!!」

 を、強く抱き締めた。



「……あーあ。

 やっぱ、そうなっちゃうかー」

 さほど残念、計算外じゃなさそうに、おどけた調子で、ミキは言葉を紡ぎ、俺の手に自分のを、そっと重ねた。



「ナオくんってさー。本当ホント、空気読めないよねー。

 いっつも、そうだよ。こっちの気持ちや事情なんて、お構い無しで、突っ込んで来てさー。

 ツッコミ役って、そーゆー意味じゃないよね?」

なんで、俺達の記憶を消してたんだ!!

 あまつさえ、なくなるって……!!

 ……なんでなんだよぉっ!!」

 質問でも尋問でもなく、罵声を浴びせるみたいに荒々しく、俺はミキに言葉を、思いの丈をぶつける。

 ミキは瞬間移動し俺から離れ、わずかに距離を置きつつ、歩きながらタネ明かしを開始した。



「理由は三つ。

 一つ目は、ファースト・コンタクトに失敗したから。っても、私の中では、及第点レベルだけどね。

 そして、二つ目は、外界げかい的にも趣味界ホビジョン的にも、あの状態のままだと色々と不都合だから。

 それで、あの日にナオくんと関わった人達、全員の記憶データを操作したの」

 ミキは一本の花を掴み、花弁を摘み、風に乗せて飛ばした。

 思いを馳せる、託すように。



「向こうの事情は、そうしなきゃナオくん折角せっかく、新しい友達を増やせるようになったのに、そこまでで終わっちゃうから。滅茶苦茶になった世界じゃ、暮らして行けないから。

 こっちの事情ってのは、そもそも、ブレストの力を使って、ブレストが自分から呼び出したとはいえ。

 本来、人間、それも主ではない存在が趣味界ホビジョンに来るなんて、あってはならないこと

 こんな夢の世界に長居したら、どんなに善人でも味を占めるに、外界げかいを捨てるに決まってるから。

 みんなが来たのは、異例中の異例、特例、緊急措置でしかなかったの。

 じゃなきゃ、ナオくんや私は間違い無く、あのまま倒されてたから」

 歌うように軽やかにつなげていたミキは、振り向いて、泣きたくなるくらいに笑顔で、俺を見た。



「最後に三つ目。

 私は、もう。君の前から、なくなるから。

 それがもう、どうしようもない、どうにかなっちゃいそうなほどに辛いけど。

 君やみんなが覚えてないなら、少しは楽になれるかな、って……」

「じゃあ……じゃあ、行くなよ!!

 ずっと、俺と一緒にればいじゃねぇかよ!!」

 ミキが、名残惜しんでる。キツいって、苦しいって、訴えてる。

 まだ、チャンスはる。そう奮い立たせ、俺はミキに近付く。



「俺の自殺願望云々の所為せいか!?

 それなら、ハクさえれば解決じゃねぇか!

  ハクさえれば、俺の黒い面は抑えられる!

 それに、今までお前とことで必要以上に苦しんでたのだってハクの作戦で、もう危惧する必要ははずだろ!?

 あとは俺が、もっと大人に、クールにさえなれば、それで万事解決なんだろ!?

 じゃあ、今までよりもっと一緒に楽しも「ナオくんは、何も分かってないっ!!」



 気付かなかった。いや……見て見ぬ振りをしていた。

 ミキが、拳を握り潰そうとしていることも。涙を流し、俯いていることも。

 ーーミキの気持ちと、事情も。何が一番、苦しいのかも。



「『忘れた』なんて言わせない!!

 私は、ナオくんの理性、ナオくんの好奇心、ナオくんその物!!

 私が人間界ここに降り立つ度に、ナオくんは理性を、好きを、自分自身への興味を失う!!

 現実世界あっちで、私がナオくんの隣にいる限り!!

 ナオくんは絶対ぜったいに、永遠に、本の一ミリも、ナオくんわたしを好きにはなれないの!!

 いくらナオくんの暗い面を知ったとしても、それは同じ!!

 私の、『ナオくんが好きっていう感情』を、『ナオくんが自分を好きになれる気持ち』を入れる、カウントするための器!!

 つまり、『私』が趣味界ホビジョンに存在しないから!!

 だからって、『じゃあ、ライキングなんてどうでもいじゃないか』なんて、もっと言わせない!!

 ライキングは、私のすべて!!

 私の、『君に、君を好きになってもらう』っていう存在理由、使命をもっとも的確に、公平に、如実に、徹底的に、揺るぎなく証明してくれる切札だから!!」

 前に踏み出し、より強く、俺に向かってミキは叫ぶ。



「てか、『もっと落ち着く、クールに』って何!?

 そんなの不可能に決まってるし、無理矢理捻じ曲げるのも違う!!

 私は、今のナオくんのまま、ナオくんらしさを損なわないまま、ナオくんに自分を好きになって欲しいの!

 だって、これ以上ナオくんがナオくんらしくなくなって、それでも『ナオくんが好き』って思える、このプログラムきもちが!!

 私は、憎くて悔しくて、苦しくて恥ずかしくて、なにより誇らしくてたまらないから!!

 ナオくんに、分かる!?

 不満がまったく無いことに対して絶えず不満を持ち続ける、この遣る瀬無さが!!

 この、不気味で、いびつで、異常で、不鮮明で、ともすれば不純、不誠実な、この感情が!!

 辛さが、切なさがっ、儚さがぁっ!!

 プレストでもなんでもない、ただの人間の君に!!

 ほん一片いっぺんたりとも、分かるっていうの!?」

 全身を使って勢い良く叫び過ぎた結果、ひざから崩れるミキ。

 それでも収まらなくて、ミキは腕を地面に振り下ろしたり、デタラメに花を刈る。



 俺はもう、少なくても今は、彼女に対して何も言えなかった。

 そんな資格、俺には一つも無かった。

 彼女の事情を多少なりとも知っておきながら、それを強引に無視し、捻じ曲げ、無かったことにして、意図的に彼女を傷付けた。

 そんな、最低な俺には。



「違う……!!

 全然、まるで、何もかも、違うの!!

 こんなの、解釈違いでしかない!!

 満たされない、満たされたくない!!

 私の、ナオくんに対する『好き』は、そういんじゃない!!

 私は、ナオくんの『特別』に、『恋人』になりたいんじゃない!!

 私の夢は、『ナオくん1にすること』であって!!

 断じて、『ナオくん1になること』じゃない!!

 外界げかいでの恋人ごっこだって、そう!!

 君を知り尽くしている私が君に接する、尽くすことで、君にジシンを与えたかった!!

 遅かれ早かれ連れ戻され出禁できん食らうのが分かり切ってた、仮初め、泡沫うたかたの関係、命だったとしても!!」

 俺に近付き、胸倉を掴み、ミキは訴える。

 逃げるな、逃してなるものか、と。



「分かってるよ!!

 私だって、ちゃんと分かってるよ!!

 これは単なる『使命』であって、私自身の『意思』じゃないって!!

 私は所詮、ナオくんのイメージ、趣味を模して作られた、紛い物!!

 本物の感情なんて持てる、持ってるはずい!!

 そんな私が、ナオくんに、『ジシン』だとか『感情』だとか偉そうにさとすなんて、説得力が皆無だって!!

 でも、仕方しかたいでしょ!?

 人間の心に宿る、好奇心の化身、ブレスト!!

 中でも私は、取り分け大事な、『理性』担当!!

 本来なら、軽はずみな行動を取らないよう、より一層、みずからを律さなきゃならないの!!

 数年りに目覚めたばかりで、その間に環境が激変してて、気に入られてばかりのみんなに嫉妬して、色々と浮かばれなかったとはいえ!!

 その製造、存在理由さえ忘れ、職務放棄し、一時の私利私欲に走った結果が、この前の大惨事!!

 みずからの悪魔に、けしかけられた結果、私は!!

 罪のい他のブレスト達を、殲滅した!!

 ナオくんさえ、全人類さえ、消しかけたんだよ!?

 あんな悲劇、二度と御免に決まってるじゃん!!

 でも、今のままじゃ、同じ轍を踏むだけ!!

 私は、そういう繰り返しを、引っ繰り返したいの!!」



 一頻り話し終え、クール・ダウンしたのか。

 ミキは俺を解放し、殊勝に頭を下げた。

  


「……お願いです。

 臆病で、勝手で、あやふやで、向こう見ずで、ズルくて、不従順で、不充分で、不勉強で、不便で、不順な私を。

 どうかあきらめてください。

 私は、あくまでも君の友達、アクセルとブレーキ、親代わり、監督なんです。

 それなのに、君の黒歴史を知り、君と心を通わせてから、君への好奇心が、溢れて脈打って蠢いて渦巻いて、止まらないんです。

 でも私は、君を、そういう意味で好きになってはいけない。

 何故なぜなら私は、人間じゃないから。

 君に生み出された理想、脳内彼女。

 私が君の横にる限り、君は君ではいられない。

 君は、君を好きになれない。

 君も、私も、満たされない。

 それどころか、昨日みたいに、君自身を滅ぼし兼ねない。

 果ては、無関係で善良な人達、世界すらも危険に晒すかもしれない。

 ハクはどうにかなったけど、似たような思想を持ったブレストが、また生まれないとも限らない。

 だから、今日が、最後の我儘。

 君とはもう、現実では会えない。

 これ以上、私は、こっちの世界で、君と一緒にはられない。

 結ばれない運命なんじゃない。

 私と、ナオくんは……結ばれることからして、禁忌なんだよ」



 ミキは、顔を上げようとしない。

 俯いたまま、涙を流したまま、必死に訴える。


 

「君のなかで日々、新しく成長してく君を見守る。

 君が選んだ、好きになった人との未来を、見届ける。

 やり抜いて、生き抜いて、旅立ったあと

 ボロボロになった君を、今度こそ大っぴらに、『お疲れ様』って抱き締める。

 それが今の、私の願いです。

 だから、どうか……そのためにも。

 私を、どうぞ突き放してください。

 そして、掴み取ってください。

 人間の、本当ほんとうに好きになれた人との、幸せな未来を」

「……みらい……」

 依然として思考も体も上手く動かないまま、ぼんやりと繰り返した。



「もう気付きづいているんでしょ?

 これから一緒に歩んで行きたい、人生のパートナーを、君はすでに見付けてる。

 今までは、尻込みしてるだけだったけど。

 これからは、違うでしょ?

 そりゃ状況、条件は特殊だったけどさ。

 君の中で、わたしは1位になれたんだから。

 多少なりとも、勇気は持てたはずだよ。

 だからさ、ナオくん」

 俺の手を離し、俺から離れ、ミキは深々と会釈した。



「お願いします。

 どうか、私を見放し、見送ってください。

 そして、私に見せてください。

 君が、もっと素的に、好きになった姿を。

 君が、味わった物、感じたことを。

 そして……君の思い描いた、未来を。

 私はきっと、そこで待ってるから」

 しばらく、静寂が訪れた。風の音しか、辺りから聞こえなかった。

 頭を覚ます、冷ますには、丁度良かった。



「……大好きだったんだ」

 深呼吸し、右手で顔を隠し、それでも足りず、顔をクシャクシャにしながら、俺は心情を吐露した。



「正直、最初はひたすら怖かったし、訳分かんねぇ言動取ってばっかで引いてたけど。

 俺の理想とする、いっつも笑ってばっかの明るい子で。

 不甲斐ない俺をリードし、励まし、肯定し、『好きだよ』って言ってくれて。

 趣味とか完全に一致してて、聴きたい曲、歌って欲しいと思った通りの形、タイミングで歌ってくれて。

 髪や目の色とか、服とかもドストレート、ドストライクで。

 でも、そればっかじゃなくって、まれに叱ってくれて。

 俺がピンチに陥ったら、ぐに迷わず、助けに来てくれて。

 俺のこと、受け入れ、受け止めてくれて。

 ……初めて、本気で、好きに……手放したくないって思っ、て……」



 泣くな。泣くなんて、みっともない。

 俺達には、相応ふさわしくない。



 ミキが言ってた。『素的に、好きになったナオくんを見せて欲しい』って。

 だったら、ぐには無理でも、その片鱗くらいは見せなきゃ。

 そのくらい格好かっこ付けなきゃ、男を見せなきゃ、応えなきゃ。



 彼女を……送れない。



「……わりぃ。

 やっぱ、離れて、別れて正解だわ。

 俺……強くなるよ。

 もっとレベリングして、ランク上げて、仲間増やして、正直に、自分を好きになって、男磨いて、人間として、大成しねぇと。

 じゃなきゃ……お前の望む未来を、見せられねぇ」

 気合で涙を振り払い、ニカッと笑い、俺は宣言する。

 俺に、ミキに、二つの世界に、俺達の未来に。



 ゆっくりと俺の方に歩き、俺の左頬に手を当て。

 俺の右頬に、そっと、ミキは口付けた。



「……やっぱり。

 なんか、ちっとも面白くないや。

 ナオくんを好きって気持ちが、よくも悪くも、微塵も動かないの。

 こんなのって、無し寄りの無しだよね。

 まるで、ロボットみたいに扱ってくれちゃってさぁ。

 本当ホント、失礼千万、マジ幻滅。

 でも、うん……悪くないし、仕方しかたいよね。

 これが、私だもん。

 私は、ナオくんの心の守護神。

 その為に、私は生まれたんだから。

 常に公平に、ナオくんと関わらなきゃ」

「ミキ」

 

 俺もミキの頬にキスをしようとする。が、ミキの人差し指に阻まれた。



駄目ダメだよ。

 有り得ないとは思うけど。

 それで少しでも私の気持ちが揺れたら、そこで満足しちゃう気がする。

 そんなんじゃ、駄目ダメだ。

 私が目指すゴールは、もっと先だから。

 ここで自堕落にコース、ドロップ・アウトしたくない。

 そもそも、れっきとした浮気だよ。

 ナオくんにはもう、気になる人がるんだからさ。

 しかも、相手は自分とか、ナルシー過ぎて虫酸が走る。

 だから……ね?」

「……分ぁった」



 不承不承って顔の俺に、ミキは頭撫で撫でして来たから。

 そして、胸に手を当てながら、締めに入り始めた。



「ナオくんの話って、本当ホント滅茶苦茶だよね。

 ジャンルがゴチャ混ぜだし、勢いやアイデア、インパクト任せでページやペース配分、起承転結なんて考えてないし、同じ表現や言葉ばっかだし、難しい単語を使おうとして誤用するから電子辞書は必須だし、引き出し少ないくせしてキャラ一杯作り過ぎた所為せいで出番の振り分けい加減だし似通ってるし、設定や話も二番煎じでワンパだし。

 おかげで私や、このせかい、ブレスト達の設定もアレだしね」

「最後までダメ出しかよ。

 てか、フルボッコ通り越してリンチじゃねぇか」

「ちーがーう。

 褒めてるんだけどなぁ」

「それっぽい要素、一つも無いんですけど」

「えー?

 こんなに悪い部分ばっかあげつらえるって、一周回って大好きだと思わない?」

「この、捻くれ者」

「パパで、息子で、好きな人で、御主人様で、期間限定の偽彼氏な、意中の人に似たんだよ」

如何いかがわしさしかぇ!!



 大体、最後のはニュアンス違う!!」

 互いに思いっ切り笑ったあと、俺達は向き合った。

 ここに来てようやく、俺は初めて、ミキと正面から向かい合えた気がした。



「私達、こんなだからさ。湿っぽいのなんて、似合わないよね。

 だから、最後。本当ホントに最後に、この言葉を送るよ」

 背中で手を組み、迷いも後悔も欠片かけらも無い明るい笑顔で、ミキはしっとり言う。



「またね、ナオくん。

 また、未来」



 ……やっぱり、ミキはミキだった。

 俺のアレな部分を知り、自分のアレな部分を知り、少し大人になり。

 それでもやっぱり、なんでも有りな、『これから流行らせるんだから』と言わんばかりに、流れるように造語を連発する、破天荒な少女。

 俺の最高傑作で、理想の彼女で、未来の嫁さん候補。



「……ああ。またな、ミキ」



 仮想世界の太陽、夕日、満月、満天の星に照らされ、徐々に透けて行くミキ。

 恐らく、ハクと俺がジシンを確立し、わずかばかりに役目を終えたからだろう。

 あるいは、この世界に邪魔されたのか。



 真相は、依然として不明ながらも。

 恥も外聞もかなぐり捨て、俺は穏やかに、静かに返す。



「また……未来」



「っ!!」



 居た堪れなくなったのか、ミキは俺に抱き着き、俺の胸に無言で顔を押し付ける。

 俺も、黙って彼女を受け止め、抱き締める。まるで、この世界にも、俺自身にも、彼女が消える所を見せまいとするように。

 彼女のた証を、彼女の心を、決意を、俺への好意を、骨の髄まで染み込ませるように。



「ナオくん……。

 残念ながら、は、いないけどさ……。

 、だよ……。

 ずっと、ずっと……」



「〜っ!!」



 見るな。

 今は、そのときじゃない。そんな、ムードじゃない。

 今は……無理してでも、笑う時だ。

 


「『最後』ったじゃねぇか……。

 この、大嘘き……」

「えへへ……。ごめん……。

 我慢、出来できなかった……」



 嗄れてもないのに消え入りそうな声で。

 産まれたての赤ちゃんの手よりも弱々しい力で、俺の背中を掴み。

 立ってることすらままならず、俺をも巻き込んで崩れ落ち。

 焦点さえ合わない両目で、俺を見て。喋ることさえ難しいまま、開口した。



「あ、り、が……とぉ……」



 今度こそ。その言葉を最後に、ミキの体が、笑顔が消え。

 やがて蛍火のような無数の、小さく眩しく強く暖かな光の粒子となり、バラバラな三つの空に飛び散って行った。



 それをすべて見送ったタイミングで、俺の意識は途絶えた。





「『明日からしばらく、休みたいぃ』!?」

 冴島と犬原とのカラオケを終えた翌日。

 俺は非番にもかかわらず、開店前の職場に赴き、頭を下げながら、そんな無茶な、社会人にあるまじき希望を出した。



「……どういうことですか。

 頭を上げて、きちんと申し開きしてください」

 椅子いすから転げ落ちかけそうなまでに驚く店長の横で、ナンバー2の冴島が、冷や汗を掻きながら問う。

 俺は姿勢を直し、はっきりとげる。



「……やらなきゃいけないことるんだ。

 今直ぐに、成し遂げなきゃいけないことが」

 てのひらを強く握り締め、小さく前に出て、決意表明する。



「ずっと、ウダウダ、グダグダ、ダラダラと燻ってた。

 錆びて、古びて、萎びてたけど、俺……物語を書きたいんだ!

 ラノベも、特撮も、漫画原作も、小説も、脚本も書きたい!!

 受け手側だけじゃなく、与える側になりたいんだ!!

 ずっと、ずっと、夢だったんだ!!」

「なら、休みの日に進めるか、勤務時間や日数を減らせばこと足りるのでは?

 あるいは他に、火急のようでも出来できたと?

 比較的真面目で、無遅刻で、ほとんど欠席もしないあなたが、目先の仕事すら放棄したくなるほどに大切な、急ぎの優先事項が」

 ……こう、なるよな。やっぱ。仕方無ぇ。こっちも、正直に明かすしかぇか。



「……分からない」

なんですって?」

 聞くからにブチギレてそうな、冴島のトーン。

 けど、どうしようもない。実際に、分からないんだ。

 何か劇的な、掛け替えのない、メイン・イベント級の大事な、けれど綺麗に無残にすっぽ抜けた、何かが起きた。それしか、分からない。

 これ以上、不確かで無責任な発言は出来できない。

 だから、朧げな感覚、景色の中で、まだはっきりとした部分を精一杯、伝えるしか無い。



「誰かと……約束、したんだ。

 今より、成長するって。

 もっと大人に、立派に、逞しくなって、絶対ぜったいに会いに、迎えに行くって。

 そのための光、手掛かり足掛かりが今、俺の手に、頭に、立ち消えそうに、掻き消されそうになりながら、かろうじて生きてる、焼き付いているんだ。

 俺の、心にっ! 本能に、記憶に、引っ切り無しに訴え続けてるんだ!!

『成すべきことを成せ』『殻を破れ』『命と魂を燃やせ』って!

 こんな調子じゃ、こっちの仕事に確実に差し支える!

 そうなるって分かり切ってるのに職場にようなんざみんなに、お客様に対しての失礼、冒涜だ!!

 だから、そうなる前に、告白しに来た!」

 冴島に向けていた体を今度は店長に転換させ、改めて頭を下げる。



相当馬鹿バカ言ってるのは、百も承知です!!

 ご不満なら、このまま解雇してください!!

 正直、今までの職場で断トツで居心地いごこちいここを、みんなの元を離れるのは心苦しいですけど……それも、うに覚悟の上です!!

 軽はずみに、生半可な気持ちで今、ここに来たわけではありません!!」

 答えを、二人の顔を直視したくなくて、顔を上げずにいた。



「……どう思う?」

「『どう』、と申されましても……。

 一つしかないでしょう……」

「だよねぇ。

 いやー、参った。

 よもや、ここまで見事に合致、的中するとは」

まったくですよ。

 あの悪夢に感謝しなきゃですね」

 ん……うん?



「あ、あのぉ……なんの話をしてるんでしょう?」

 ここまで不自然、不明瞭な会話をされると思わなかった俺は、流石さすがに顔を上げ確認した。

 二人は、困ってるというより困惑しているふうの顔をしていた。



直希なおきさぁん!!」

「ぐぇっ!?」

 いきなり開けられたドアの向こうから現れた犬原に倒され、奇声を発する。

 あ、あれ? こいつも、非番だったはず……?



「信じられないと思うっスけど!!見たんスよ、自分!

 直希なおきさんが、『明日からしばらく休ませて欲しい』って頼みに来る夢を!

 自分だけじゃなく、ここで働く全員が、今日!! ついさっき!!」

「は……はぁ?」

 押し倒された状態で向こうを窺うと、全員が神妙な面立ちをしていた。

 その中には、俺や犬原宜よろしく、今日は休みのスタッフもた。

 一体、何が何やら……。



「どうやら、改めて審議を重ねるまでも無いようですね。

 でも念の為、確認しておきましょうか」

 そう言い、冴島は椅子いすから離れ、ドアの横、全体を見渡せる場所で告げる。



「多数決を取ります。

 君生きみじょうさんがしばらを使うことに賛成の者は、挙手をお願いします」

「ゆっ……!?」

 冴島に真意を問う前に、冴島や店長も含め、小さく、勢い良く、おずおずと形は様々だが、全員が一斉に手を上げた。

 小柄な犬原に至っては、両手のみならず片脚まで挙げている上に何故なぜか飛び跳ね、強く意思表示をしていた。

 いや、なんか胡散臭うさんくさい拳法使いみたいになってるんですけどぉ!?



「あーあ。これで、可決されてしまいましたね。

 では誠に遺憾ですが、君生きみじょうさんはしばらくお暇を頂くということで。

 ただし、断じてお払い箱などではないことを、決してお忘れ無く」



「待て待て待てぇ!!

 別に、有給くれとまでは言ってねぇよ!!

 そんな図々しいこと出来できっか!!

 てか今、お前も手を挙げてただろが!!」

「ご冗談を。

 ここでしか働いておらず、貯金さえままならなさそうなあなたが、長期も休めるはずりますか。

 それに、これは他に誰一人、あなたの後生の頼みを聞き入れなかった時に備えての、せめてもの情けですよ。

 いやはや、困りました。よもや、こんな結果になろうとは。完全に計算外でした。

 せめて私だけでも、反対の意を表しておくべきでしたよ。おろろ。

 ま、なってしまった物は仕様しょういですね。

 これまで積み重ねて来た日々の行いが報われたんでしょーね。

 わーい、おめでとーございまーす。

 残念でなりませんよ。

 どーぞ、我々全員分の合計さえ容易に上回るタイトなタスクに一人で追われ、ヒィヒィ、ブヒブヒ言ってください」

「後者は、言わねぇぞ!?

 多分!!」

「そうですか。

 ところで、期限は明日から一週間。5日分の有給、2日分の公休とします。それ以上も以下も不許可です。

 なぜなら、すでにあなたが不在という前提の下、新たなシフトを制作、配布済みだからです。

 どこかはおろか、送るか否かも定かではありませんが、賞で求められる条件は十万字程度。

 一日に一万字半以上も書けば、どうにか間に合うでしょう」

「……」

 お前、本当ほんとう有能過ぎじゃね?

 なんで未だに、こんな田舎の本屋で働いてんの?

 ほんで、皆して理解良すぎない? 俺ってそんなに貢献度、好感度高いの? いくなんでも、買い被りぎじゃね?

 そもそも、その都合良すぎる悪夢、なんなん?



「ファイトだよ!

 直希なおきちゃん!」

「テンアゲてこ〜!!」

「実際、舗をて応援してるわけだしねぇ。

 ついでにテンポ上げて頑張んなよ、若人よ」

「あ。タツヤは、無料配達もしてっから。その内、差し入れとセットで持ってくわ。

 疲れた時にでも読んで休んでくれなはれや」

「あ、あの、その……。

 き、気楽に、励んでください……」

「ガンドコっス!!

 最高っスよ、直希なおきさん!!」

「陰ながら、応援してるよ。

 ただ、もう『辞める』だなんて、勘弁してね? せめて、十年前には言ってね?

 要は、独立するまではてねってことだけど、伝わった?

 渾身のボケ、エールのもりなんだけど。え、何故なぜに無反応? スベった?

 言葉、通じてる?」

「ブルルルルルァックホールが吹き荒れる男の弟子ですか、店長。

 心配なさらずとも、だだスベってますよ。

 あと犬原さんは、そろそろ体勢を戻してください。その、『アチョー』的なポーズ、解いてください」

「オッス!!」

 命じられたままに犬原が元通りとなり敬礼した頃、眼鏡を直し、かすかに顔を赤らめ目線を逸しながら、冴島が語り始めた。



「……言っときますけど。何もかも全部、あなたの所為せいですからね、君生きみじょうさん。

 あなたが散々、『違いが分からない』などと意見し、仕舞いには、こんな突飛なことを急に言い出すから。

 こっちは、まだ練習中だっていうのに、人の気も苦労も知らずに、いけしゃあしゃあと……」

「……ごめん。

 なんの話?」

「だっ、だからぁ、そのっ……」

 普段は平坦かつ饒舌な冴島にしてはめずらしく噛み噛みになったあと、深呼吸し俺と向き合い、冴島は重い口をぎこちなく開いた。



「……負けんなよ。

 直希なおき

「……」



 うん。

 次に何書くかとかまだ一切、決めてないけど、えずクーデレの出番マシマシにしよう。

 もう、ダーメだこりゃ……。ブヒブヒするっきゃねーわ……。

 あと、こいつ、やっぱうちに必要だわ……。

 こんなお可愛い奴、手放せるかよ……。



「……てろ。……らい」

「は、はい?」

 俯き小声でボソッと口にしたあと、上げた顔を叩き気合を入れ直した俺は、たける。



「……待ってろ、未来ぃぃぃぃぃっ!!

 うぉぉぉぉぉおぉぉぉぉぉっ!!

 おぉれぇはぁ、やるぜぇぇぇぇぇ!!」

「……いつ封魔◯か結界◯にジョブ·チェンジしたんですか。喜び過ぎです。

 そんなんじゃ、本番はどうするんですか」

「うぉぉぉぉぉ行けぇぇぇぇぇ!!」

「こっちは、炎の転校◯……」

 そんなやり取りの後、俺は晴れて缶詰となるのだった。

 どうやら俺の、俺達の日常には、どこまでもいつまでも騒がしさが付き纏うらしい。

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