Re:port 1/相良 未来との、出会い

 かぐわしく色付いた、一面の花畑。

 遠くから聞こえる、幸せを告げる鐘の音。

 両目一杯に広がる、透明に澄んだ雄大な海。

 何故なぜか同時に存在する、太陽と夕日、満月、カラフルな星々により彩られた、幻想的な空。



 けれど、その景色すら上回って、何よりも美しく、眩しく輝く、純白のドレス姿の女性の後ろ姿。 



「遅い。待ちくたびれちゃったよ」

 ベールに包まれブーケを持ちながら、俺に対して出会い頭に愚痴りながら。

 彼女は、振り向いて笑った。

 


 いや……違う。

 俺は、初対面なはずの彼女を、知っている。

 ……ような、気がする。



「ねぇ。

 君のなかで今、私は一体、何位かな?」



 舞い踊る花びらの中、彼女は妙な質問をする。



 俺は、それに対する答えを、何故なぜすでに持っていた。

 にもかかわらず、言い淀んでいた。

 理由は不明だが、体が、心が、判断したのだ。

 時期尚早だ、と。



「君は……。

 俺の中で……」



 俺が考えあぐねていると、彼女は俺に近付き、俺の唇に指で栓をして、微笑ほほえむ。

 その笑顔は、晴れやかで、華やかで、爽やかで、たおやかで……密やかに、切なそうだった。



「……今の君は、ちょっと魅力もの足りない、解釈違いかな。

 だから、待ってる。ずっと、待ってるから。

 君が、君になるまで」



 瞬間、目も眩む光が迸り、視界を真っ白に染めた。



 何もかもが不思議、不自然でしかない夢は、唐突に終わり。

 現実の俺は、スマホのアラームによって、目を覚ました。

 


 ガバッと勢い良く起き上がり、額に手を置き、記憶を辿ろうとする。



 けれど、出来できない。

 何故なぜか、思い出せなかった。



 そのくせ、理解、後悔だけしていた。

 あれは、とても大切なことだったのだと。



なんだったんだ……?

 今の……」



 新作のイメージ?

 昔、好きだった作品のワンシーン?

 あるいは……予知夢、とか?



「うおっ」



 などと巫山戯ふざけていたら、スヌーズ機能が発動した。



 仕方しかたい。

 そろそろ飯にしないと、遅刻しちまう。



「へー、へー。

 分ぁりましたよ、ったく」



 軽く八つ当たり気味にぼやきながら消音し、伸びをし。

 俺は、呑気にベッドから降りた。

 


 この日から平凡は崩れ去り、俺の日常、現実は変わり始めていた。

 そんなこととは、露知らずに。




「あのー、すみません。

 そこの、素的すてきな店員さーん」



 危うく傾きかけた体に、俺はかろうじてブレーキをかけた。

 だって俺は、確かに店員ではあるが、間違っても『素的すてき』なんて表現の似合うような男ではない。

 どこにでもいる普通の、冴えない通り越してしがない、一介のフリーターに過ぎない。



 それにしても、関係無いけど、なんかちょっと精神が不安定になった気がする。

 何故なぜだろうか? 突然の出来事、そしてドストライクな声のダブル・ショックによって、心を掻き乱されてでもいるのか?



「おーい。聞こえてますかー?

 へ・ん・じ。してくださいよー」



 そんなモブに、声と言葉だけで性格の良さが取れるような美人が、声をかけるわけが無い。

 何か用が有るのなら他の、それこそ彼女に見合ってそうな、イケメンで若い現役大学生バイトや、年下な上に後輩な癖してすでに正社員になった都会帰りのエリートでも呼べばいのだ。

 こんな、い年して実家ぐらししてる、誕生日に両親から現金をもらってそうなまでに貧しい、限り限りギリギリ底辺に落ちずにいるだけのモサ男になんぞ、えて絡む必要は無いのである。

 いや、そんな誕プレ、実際にはもらってないけど。



 棚直しの途中だった俺は、整理していたストッカーを戻し立ち上がり一旦、深呼吸する。

 そして、自分を褒めた。「よく耐えた! これで、いわれも無い冤罪を逃れたぞ!」と。



 このご時世、何がセクハラに当たるか、分かったもんじゃない。

 厄介事など、危ないと思った瞬間に前もって回避するに限る。



「むー……。

 こうなったら……」

「……?」

 どうした事か。心なしか、さっきよりも声が、距離が近い気がする。

 ま、気の所為せいだろう。



 さて、と。

 理性も確立して来たことだし、俺のそばにいるだろう、彼女がターゲットに絞ったイケメンくんの面を拝ませてもらおうかねぇ。



 やっぱ、可愛い系の犬原か?

 まぁ、ゆるふわな見た目通り、ぬいぐるみとスイーツ大好きだしな、あいつ。

 純粋だし、ポジティブだし、基本的に引いたり怒ったりしないし、どんな事にも他愛ない話にも興味持って親身に聞いてくれるし。

 優良物件ではあるな。

 ただ若干、暑苦しいが。



 それとも、クールな冴島かね?

 確かに大人っぽいし、仕事出来るし、異性はっとかねぇか。

 ま、ああ見えて熱烈なラブ◯イバーかつプリキ◯ア過激派なんだよなぁ。

 それこそ、カラオケ行こうものなら、それしか歌わないレベルの。

 ギャップが半端はんぱいが、あれで抜群に上手いから息を呑む。



 まぁ、どっちも正体が割れたら別れる可能性大なんだが。



「……ん?」

 目の前の光景が信じられず、俺は両目を擦り、目を凝らして再確認する。

 しかし、結果は変わらない。見渡せど見渡せど、俺の左側には、俺以外のスタッフの姿が無い。



「ありがとうございましたー!」

「へ?」

 などと不思議に思っていたら不意にカウンターの方から、緩さと元気を併せ持った声が届いた。

 当店自慢のマスコット、犬原だ。

 今頃いつも通り、愛想と笑顔を振り撒き、存在しないはずの尻尾を振り回している事だろう。



「助かりましたー。ありがとうございますー」

「いえ。仕事ですので。失礼します」

「んぅ?」

 かと思えば続けざまに、棚の向こう側から、徹頭徹尾ビジネスライクな声。

 え? 今度は、冴島?

 なんであいつ、反対そっちんの?

 いや、両サイドから互いに進んで来てるんだから、当然だが。

 くだんの美女の前に冴島が居ないのは、奇妙を通り越して嘘だ。

 とんでもない、大嘘だ。



 ……ははーん。さては彼女、最初から冴島の方にたな?

 通りで、おかしいと思ったぜ。なーんだ。俺の勘違い、聞き違いか。そーりゃそうだわな。

 俺ごときに好き好んで声をかける変人、この世に居な

「えいっ」

「おわぁっ!?」



 俺の自己嫌悪に満ちた回想は突然、絶たれた。

 紛れも無く俺側にた、俺の目の前に移動した彼女の、突然のハグによって。



 てか、この子、(何がとは言わないが)でかっ!

 しかも、服! オレンジのミニワンピとか、最高かよっ!

 髪もオレンジだしさぁ!



「ふふっ。ようやく、こっち見てくれたねー。

 さっきから、ずーっと声かけてるのに、全っっっ然、気付きづいてくれないんだもーん」

 俺の胸に顔をうずめ、俺の体をさらに強く抱き寄せ、犬原ばりのフニャッとしたキラキラな笑顔で、彼女は少し誇らしそうに言った。

「ナオくん、ゲットだぜ!」



 ……フリーターって、いつからポケモ◯扱いされるようになったの?





「また有ったぁ!

 ナオくんオススメの本!

 これだよね!? ね!?」



 棚の配置やシステムを簡単に説明したあと

 彼女は一目散に、それでいて危なくない、誰かと衝突したりはしそうにないスピードで、次々に本を集めて行く。

 まるで、タイム・セール中のようだ。

 その度に、俺の方に戻って来ては、俺にアピールして来る。

 その一連の流れはさながら、投げられたボールをはしゃいで、夢中で取りに行く子犬のようだ。



 ……犬原の姉? あるいは、妹?

 いや、でもあいつ、『一人っ子だったので、家族が増えたみたいでうれしいっス! 皆さん、これから仲良くしてください!』って言ってたよな。

 入社当初、満面の笑みで。

 じゃあ、大穴で母親? いや、従兄弟いとこか?



「むー」

 俺が勝手に推理していると、やにわに彼女が頬を膨らませた。

 いかん、いかん。理由は分からんが、お客様を不機嫌にさせたままなのは、よろしくない。なんとかすっか。



「あ、あの……どうしました?」

 顔を元に戻した彼女は、腕組みし外方そっぽ向きながら、拗ねた色を全面に出しながら答える。



「……ナオくん、全然、ナデナデしてくれないー。

 折角せっかくロマに聞いて、ナオくんのタイプ、頑張って研究して来たのにー。

 リアは全然、参考にならなかったけどー。

 ふんだー」

「誰だよ……?

 いや、君もだけど……」

 聞こえない声量で、俺は静かにツッコむ。



 ……なんだろう。

 話せば話すほど、混迷を極めている気がする。

 これ今、確実に苦笑いしてるなぁ、俺。



君生きみじょうさん。

 さっきから、何をしているんですか?」

「うぉっ!?」



 ひそかに頭を抱えていると、後ろから名前を呼ばれる。

 振り向けば、視線の先に居たのは、無表情で眼鏡を直す冴島の姿。

 あー……これ、やっちまったかなぁ、ひょっとしなくても。



「い、いや、その……」

 目を逸らし、頭の後ろに右手を当てつつ、俺は返す。

「お客様、対応……的な?」



 俺の釈明が不満だったのか、冴島は細い目を更に鋭くさせ、俺を冷たく見詰める。



「失礼ながら、隣から盗み聞いた限り、とてもそうは思えませんでしたが。

 公私混同は、感心しません。

 イチャイチャしたいなら、仕事の後にお願いします。

 それとも、もう上がりますか? 一向に構いませんが。

 閉店間際ですし」

「いや、ごめん、きちんと働くっ!

 働かせてください!

 後生、後生だからっ!」



 年中無休で財布がピンチな俺は、土下座しそうな勢いで懇願する。

 冴島は再び眼鏡を直し、目をかすかに大きく開き、微妙にバツの悪そうな顔色を見せた。

 やっぱ、何だかんだでやつなんだよなぁ、こいつ。

 ただ不器用ってだけで。



あきらさ〜ん!」

 おっと、思わぬ救援だ。

 カウンターの方から、今日のリーダー目掛けて、犬原が駆けて来た。

 タイミング、そして相性の悪さにより、冴島は複雑な顔をする。



「犬原さん……何度言えば分かるんですか?

 業務中は、名前呼びはめてください」

「えー?

 でも、でもっ。その方が自分、うれしいんスもんっ!

 なんか、こー、家族! 信じ合ってる! って感じで!」

「あなたとは本当に、どこまでも合いませんね。

 敬語も依然として改善されないままですし。

 それで? どうかしたんですか?」

「そうっス! 今、点検してたんスけど、どーしても不足が出るんスよ〜。

  助けて欲しいっス〜!」

「はぁ……大方おおかた、またドロワーに、お客様に渡せない状態のお札でも入っていたのでは?

 あるいは、棒金の数えミスでしょう?

 でも、万が一ということも考えられますね」

 凸凹コンビとしてコントを繰り広げたあと

 冴島は俺の方に視線を戻し、一言だけげる。



君生きみじょうさん。

 そういう次第なので、これより私はカウンターに行きます。

 このゾーンが最後なので、そのまま棚直し続行でお願いします。

 くれぐれも、職務に忠実に。

 それと、先程までの件、後程ほど詳しくご説明願います。

 よろしいですね?」

「い、いや……」

 そんなことを言われても、困る。

 渦中の俺とて、何が何やらまるで一つとして把握してないのに、どう説明しろというのか。



「何か?」

 なんて言っても、思っても、信じてくれませんよね!

 そりゃそうですよね!

 当たり前ですよね、はい!



「りょ、了解っ!」

 すべも無く、敬礼する俺。

 犬原にリードされ冴島はこの場を離れた。

 俺と、謎の女性と残して。



「ひゃー。聞いての通り、怖い人ー。

 うちのフミとリアを足して2で割らなかったみたいー」

「だから、誰なんだよ……。全員……」

 いつの間にか俺の腕を取って組んでいた彼女。

 てか、清々しいまでに他人事だぞ。いや、紛れも無く他人そうなんだけどさ。

 あと、フミとかリアとか、なんの話?



「そういうわけなんで」

 ふくよかな感触を惜しみながらも泣く泣く離れると、ともすれば塩対応な態度で俺は言い放つ。

「これから俺は、仕事をしなきゃいけないので。

 すみませんが、お引取りください」

「うん。分かったー。

 今日の目的は果たしたもんねー」

 彼女は、俺がセレクトした(って言っていんだろうか?)数冊を見せびらかした。



 ……ん?

 『』?



「じゃあ、また明日ね、ナオくんー。

 お仕事、頑張ってー」

「やっぱかよっ!?

 しかも、明日かよっ!?」

 いやなフラグを、予想よりずっと早い、むしろ最速のペースで回収した女性。

 相変わらずの間延びした調子で、俺に背を向け、本を購入すべくレジを目指す。



「あ、そうだー」

 かと思えばきびすを返し、彼女は俺の近くに戻って来て。



 チュッ、と。

 右の頬に、軽くキスをして来た。



「……は?」

 目線を下げたさきに残るは、わずかな感触と温もり。

 そして、キス・マーク。



「は……?」

 ついに顔が引き攣りいやな汗を掻いて来た俺に向けて、謎の女性はウインクをする。



「ちゃんと出会えた記念。

 明日つぎは、さっきの人がない日だったらいなー。

 お休み、ナオくーん。愛してるよー」

 そんな、まるで恋人同士みたいな台詞セリフを一方的にげ、彼女は俺の前から去った。

 ついでに、俺の胸の辺りの痛みも、綺麗さっぱり消え去った。



「いやー、流石さすがあきらさんっ!

 超助かったっス〜!」

「私が行く前に紫藤さんが解決していたんですが……。

 というか、お札の数え間違いって何ですか……?

  典型的な凡ミスじゃないですか……。

 次からは、もっとしっかりしてください……」

「うっス! 肝に銘じるっス!」

「脳か心に銘じてください……。

 あなたの肝は、どうにも忘れっぽいし、ケアレス・ミスが多過ぎるし、全く当てにならないので……」

「おっス!

 じゃあ方法、伝授してください!」

「それくらい、ご自分でどうにかしてくださいよ……。

 何でもかんでも、私に頼るんじゃありませんよ……」



 放心状態に陥っていた俺の前に、たじたじな様子ようすの冴島と、対象的にハキハキした犬原が戻って来る。

 見回り兼、報告兼、チェックといったところか。

 俺の予想は当たったらしく。

 未だに一冊分のスペースも直された様子ようすい棚を見て、冴島は見るからに落胆した。



君生きみじょうさん……。

 これは一体、どういうことですか?

 普段は優秀なあなたまで、私を困らせないでくださいよ……」

直希なおきさん、大丈夫っスか!?

 自分が応援するっス! 元気出すっス!」

「その前に、あなたはしっかり自省、自制してくださいよ……」

 冴島の追求を華麗に受け流し俺は、流れにも仕事にも一切、関係の無い質問をする。



「……頬にキスって、ファースト・キスに含まれるんかな?」

「ん〜……ノーカンじゃないっスかね!」

「何を知れたことを。

 考えるまでもない。含むに決まっているでしょう。

 頬でも唇でも、キスであることに変わりはいんですから」

「わ〜。思わぬ助っ人〜」



 いや、そうでもねぇか。

 うちの職場、ノリと気の良いやつしかねぇからなぁ。



 真偽、審議はともかく。

 こうしてみずからの操が守られたことに安堵したあと

 気を取り直し、俺は二人と共に棚直しを済ませた。



 無論むろん、その間は同時に先程の女性についての質疑応答タイムとなったが。

 事情が事情、状況が状況なので、ほとんど要領を得なかった。



 彼女について、確実に分かっている事は4つ。

 彼女は、何故なぜか俺の名前や趣味を知っていたこと

 俺は彼女に連なる情報を、一つとして持っていないこと

 彼女は、冴島が苦手らしいこと

 そして、最後に……彼女は明日も、この店に現れること



 彼女……相良さがら 未来みきとのファースト・コンタクトは。

 こんなふうに、最初から最後まで謎、謎、謎だった。

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